72.上桂川の戦い(3)
戦の主役は侍のように見えて侍ではない。
軍の7~8割は足軽という百姓や加世者と呼ばれる傭兵が占める。
彼らが戦う理由は食う為であり、銭を手に入れる為である。
名を惜しむ武士ではなく、命を惜しむ者達なのだ。
だから、戦は敵の士気を落とせば終わりになる。
はじめから武将を狙わず兵の士気を狙えば、戦いは楽だ。
こちらを狩れると獲物に思わせることで気分を上げさせて、罠に掛かったと判らせて気分を下げる。
上げて落とすだけの簡単な作業だ。
簡単にできるハズなのだが…………やはり難しい。
戦というものはやってみないと判らないことだらけだ。
「惟助、戦とは難しいものだな!」
「これほど見事な包囲戦をやりながら難しいと言われますか?」
「まさか、敵の大将が包囲網に入るとは思っていなかった」
「すると、若は敵の大将を捕えるつもりではなかったのですか?」
「敵の大将が最前線にノコノコとやって来るか?」
「なるほど、餌が大き過ぎましたか!」
「そう言うことだ」
何の為に傭兵を主力にしたのか?
元々は捕虜で捕まえた傭兵であり、この戦いが終われば、銭を渡して解放を約束している。
どうも朽木のやり方が肌の合わないようだ。
そんな不平・不満も持つ者を主力にした。
出て行く奴らだ!
彼らが半分にすり減っても俺は痛くも痒くもない。
紹其(武田 信豊)は殿などせずに、さっさと戻ってくればよかったのだ。
紹其を助ける為に、山県 盛信と武田 信実が赴き、貴重な武田衆50人が付いて行った。
一人は元守護、助けに行った二人は武田の一族、残る10人も元城主という顔ぶれだ。
敵の副将が(粟屋)元隆という元若狭家老なのだから、鎧・兜を見ただけで、どういう面子か判ってしまう。
ははは、三雲 定持が俺と惟助の話を聞いていて笑い出した。
「すみません」
「対馬守、笑ってくれて構わん。俺も想定外だ」
「こう言って何ですが、大将の(朽木)稙綱殿より、副官の紹其殿の首の方が高そうですな!」
「最後尾に一番高い首が並んだ為に、敵の大将まで釣れてしまったわ」
俺は敵の先陣である6,000人くらいを釣るつもりだった。
その武将と兵を捕虜にして和議を結ぶつもりだったのだがどうしてこうなった?
それなりの数を釣る為に陣を引いて落とし穴を掘って、それなりに抵抗を見せた。
敵を怒らせ、冷静さを奪った。
敵は本気になった。
そして、獲物を狩る猟人になって追ってきた。
そこで一転して罠に嵌ったと知らされて奈落の底に落とされたのだ。
先頭では反転攻勢を掛ける紹其ら武田衆と傭兵らが暴れ、後方では騎馬隊が走り回る。
左右から亀の陣をしいた朽木勢に押し潰されてゆく。
兵の士気はがたがたに落ちた。
組織的に守られた壁は一騎当千の騎馬武者でも簡単に打ち破れない。
兵がそう悟った瞬間、軍は崩壊する。
逃げ道は山に入るか、上桂川に飛び込むしかない。
一騎打ちで敵の大将の首を取る必要もない。
太鼓と銅鑼の音が消えると、朽木の兵が声を上げた。
『降伏しろ! 然すれば、命を助ける』
『降伏しろ! 然すれば、命を助ける』
『降伏しろ! 然すれば、命を助ける』
・
・
・
お経を上げるように声を上げた。
逃げ道を残すことで死兵にさせない。
兵は戦うのを止めて中央に集まり出していた。
まだ足りないのか?
(波多野)稙通が頑強に抵抗を続けた。
武将ならあっさりと降伏できても大将になるとそれができない?
むむむっ、困った。
一か八かで後方の一点突破などされると、間違って討ち取ってしまいかねない。
うん、あの長門が大将を見逃す訳がない。
後方のかく乱を命じているが、騎乗の武者は率先して討ち取るように命を下している。
大将が逃げ出せば、絶対に狙う。
副将の粟屋 元隆を討ち取る分には問題がないが、(波多野)稙通を討ち取ると仇討ちとか言い出さないか?
そう考えると後顧の憂いを断つ為に包囲している兵を殲滅した方がいい。
大量に味方の兵を失った武将の一族は支持を失って、再び立ち上がれなくなる。
ははは、1万人クラスの虐殺か!
気が重い。
俺としては、(波多野)稙通に貸しを1つ作って和議でも構わないのだ。
だが、これ以上の譲渡をこちらから提示できない。
舐められてはやっていけない。
時間が経つほど、兵は死ぬぞぉ!
(波多野)稙通、どうする。どうする。どうする?
「菊童丸様、そろそろ我らの旗を上げさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
ふっ、(蒲生)定秀がそう言った。
ありがたい。
「下野守、感謝する。こちらから、それを言い出す訳にいきませんでした」
「いいえ、これくらいはさせて頂きます」
「(朽木)稙綱」
「直ちに」
(朽木)稙綱がそういうと、銅鑼と太鼓が同時に鳴った。
紹其ら武田衆が槍で牽制しながら兵を下げ、朽木衆は進軍を止め、騎馬隊は後方に下がって距離を取った。
朽木の本陣の横に六角の旗が上がった。
銅鑼と太鼓の音が消えると、(蒲生)定秀が声を上げた。
『双方、下がれ! 下がれ!』
(蒲生)定秀と(三雲)定持と数人の家来が戦場の中に入っていった。
『六角家老、蒲生下野守藤十郎定秀である』
『同じく、三雲対馬守三郎左衛門定持である』
『話し合いの場を設けるように指示したのに、この騒ぎは如何したか!』
『何故、一方的に襲ってきた。(波多野)稙通殿、お答え頂こう』
(波多野)稙通は困惑の様子を隠せないでいた。
とにかく、下馬して膝を付いて頭を下げた。
「下野守殿、これは何ゆえに?」
「聞いているのはこちらだ」
「朽木は管領、六角様の共通の敵なれば、倒すのは必然でございます」
「朽木は六角に臣従して家臣となった。そう書状に書かせたが違うのか」
「いいえ、確かにそう書かせて頂きました」
「何故、確認しなかった?」
「…………………」
(波多野)稙通は答えられない。
答えられるハズもない。
戦国時代において抜け駆けはよくあることだ。
「それは管領様に問うことにしよう」
「お待ち下さい」
知られるのは拙かった。
戦に負けたことは隠せないが、一方的に六角を攻めたと知られるのは拙かった。
管領が六角に詫びる必要が出てくる。
癇癪持ちの管領が六角に詫びて貰う必要ができたなどとなったら……………………どうなるのか?
考えるだけで汗がしたたり落ちてゆく。
(波多野)稙通は最悪のことを考えたくなった。
ともかく、勘気をこうむるのだけは間違いない。
拙い、非常に拙いと顔に出ていた。
「下野守様、某は気にしておりません」
「民部少輔殿、それでよいのか?」
「こちらには余り大きな被害もございません。単なる行き違いでございましょう」
「……………」
(波多野)稙通が(朽木)稙綱の顔を見上げた。
(朽木)稙綱も馬から降りて、(波多野)稙通の手を取った。
「互いに立場の違いがありましょう。某は(波多野)稙通殿を恨んではおりません」
「忝い」
よし、シナリオに戻った。
(波多野)稙通に貸し1つだ。
予定通りに降伏の書状が届けられた。
「各城主の降伏状でございます。(波多野)稙通殿が調略したこととしてご報告下さい」
「それでは朽木殿が!」
「問題ございません。こちらは田原城を攻略した実績のみがあれば、六角様への忠義は果たせております」
「忝い。恩に着ます。この通り、預からせて頂きます」
和議の条件として渡すハズの降伏状が、貸しもう1つという形で(波多野)稙通に渡った。
「宴会をする為に呼ばせたが、そういう気分でもあるまい。直ちに軍を引くように」
「畏まりました」
「捕えた内藤 国貞は六角預かりとする。異存はないな!」
「ございません」
こうして(蒲生)定秀の一言で波多野軍の撤退が始まった。
まぁ、反転して逆襲はないだろうが油断はしない。
仏様らを火葬してから俺達も引き上げた。
公式には、『上桂川の戦い』はなく、ただ、ちょっとした行き違いのイザコザがあったことになった。
こうして、管領による丹波制圧は終わったのだ。