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童子切異聞 <剣豪将軍 義輝伝> ~天下の剣、菊童丸でございます~  作者: 牛一/冬星明
第一章『俺は生まれながらにして将軍である』
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70.上桂川の戦い(1)

田原城の用事を済ませると、傭兵で構成される1,000人を先行させる形で南下を開始した。


本当に天候が良くてラッキーだった。


波多野氏より先に田原城に入城する自信はあったが、予定通りの9日の昼前に入れるとは思っていなかった。


山の天候は変わり易い。


どこかで1日ほど足止めされるのは思っていた。


さて、田原城の船井から園部までのどこが戦場になるか?


一番に可能性の候補が田原城の谷間を走る田原川の流域であった。


谷間が狭く、どこで戦っても負ける要素がない。


しかし、波多野軍も大した被害もなく撤退することになる。


ずるずると波多野氏と戦い続けるのは避けたかった。


谷間を抜けると田原川は胡麻川などと合流する。


ここが少し広くなっているので、最悪の場合でもここで待ち受けたかった。


さらに南下すると、桂川(上桂川)に合流する。


亀山(亀岡)の方では、桂川は大堰川(おおいがわ)などと呼ばれている。


田原川が桂川と合流する辺りから園部船岡まで間道が細く、戦いに向かない。


伏兵(ゲリラ戦)を仕掛けるに最適な場所であり、ワザと通過させて殲滅戦を仕掛ける手もあった。


しかし、伏兵(ゲリラ戦)を向こうも承知しているだろう。


周囲の情報が入って来ないとなると警戒もされる。


余程、敵が能天気に進んでくることがなければ、ここでの戦闘はない。


また、警戒されていくつかに兵を分けられると手間が増える。


挟撃を逆手にとって各個撃破は望む所だが、時間を掛けると増援がくるかもしれない。


俺は楽をして勝ちたいのだ。


俺の理想とするのが園部の北東の園部船岡だ。


敵の集結地点から程よく離れており、桂川が作った沖積地が広がって十分な広さが確保できる。


しかも播根寺(ばんこんじ)の西側にある山が俺らの行動を隠してくれる。


さらに、播根寺(ばんこんじ)の奥には、幕府政所代の蜷川 親世(にながわ ちかよ)の居城である蜷川城(にながわじょう)がある。


冬の間に商人を使って兵糧を入れてあるので、多少の長期戦になっても問題ない。


新右衛門尉(蜷川 親世(にながわ ちかよ))には、滅茶苦茶嫌な顔をされたけどね!


負けた時は一蓮托生だ。


用事を済ませて先行する傭兵部隊に追い付くと、蟠根寺の守護神として春日大明神が祀られている春日神社(かすがじんじゃ)にお参りをすると、波多野の陣に向けて使者を送った。


俺らは山を迂回して、園部川が見える東の山の谷間まで兵を進めた。


雪解けにはまだ早く、簡単に渡河できる園部川の対岸などに陣を引くつもりはない。


 ◇◇◇


「何ぃ、朽木の軍が現れただと!」

「まったく判りませんが、六角の先陣として使者がやって来ております」


使者から書状を受け取った波多野 稙通(はたの たねみち)が読み進めると手が震え、読み終えるとそれを握り潰した。


「おのれ、俺を虚仮にするか!」

「どうされました!」

「右京亮(粟屋 元隆(あわや もとたか))、読めば解る」


そう言って握り潰した書状を渡すと、右京亮もそれを読んで顔を赤めた。


書状はとても丁寧な言葉を書かれていたが、挑発的であった。


要約すると、

・この出陣、ご苦労様です。

・余りに遅いので、すべての領主の調略が終わってしまいました。

・兵を動かしてから調略するとは古いやり方ですね。

・手柄はそちらに譲りますので、明日の昼に降伏状を取りに来て下さい。

・降伏状を受け取った後に陣を引いて下さい。

・後は管領にお任せしましょう。

・朽木は六角の命でここに来ましたのでお味方です。そこをお忘れなく。

朽木 稙綱(くつき たねつな)より。

こんな感じだ。


「愚弄しおって!」

「こんな物は無視しましょう」


波多野 稙通(はたの たねみち)粟屋 元隆(あわや もとたか)も怒りを隠さない。

手柄を立てる為にやってきたのに、何もせぬ内に帰れと言われたのだ。


波多野家の家老らや参陣して来た将も怒った。


「朽木の兵はいくらいるのか?」

「こちらから見える限りで1,000兵のみかと」

「その後ろは!」

「判りません」


監軍(かんぐん)を仰せつかった池田 長正(いけだ ながまさ)は荒木を呼んだ。


「荒木はいるか!」

「ここにおります」

「敵の総勢はいくらおるか?」

「敵は1,000のみ、後方にさらに1,000ほどいるかもしれませんが、六角の旗は見えません」


諜報を行っていた荒木 義村(あらき よしむら)は出任せを言った。


まったくの嘘ではない。


朽木の所領は7000石であり、石高から見て1,000人が妥当であり、六角の旗がないならば、無理をしても2,000人に届かないと考えた。


諜報を行っている(荒木)義村(よしむら)の部下は、同じ荒木一族の園部衆によって、情報を完全に封鎖されていたのだ。


無理に通ろうとすれば、同族の殺し合いになる。


しかも地の利の向こうにある。


引くしかなかった。


しかし、気の利いた家臣がこれを素直に報告すれば、荒木一族を根絶やしにするとか言われかねないと、園部衆を脅したのだ。


こうして、荒木の家臣はこの行軍が朽木のみであるという情報を得た。


また、波多野氏に寝返る予定の城主にも手を出しておらず、波多野軍が北上すれば予定通りに寝返って軍を起こせるらしい情報も買った。


波多野軍が勝利すれば、同時に園部衆も手を引くと言っている。


(波多野)稙通(たねみち)は8,000人の兵を丹波で集め、(池田)長正(ながまさ)を始め、摂津衆も2,000人の兵を集め、それに傭兵8,000人を加えている。


孫次郎(長慶)らは尼子に備えて出陣を見送ったので2万人を超えることはなかったが、それでも波多野軍は総勢18,000人である。


朽木が東丹波衆を集め、多く見積もっても3,000人に届かないと予想される。


余裕で勝てると、(荒木)義村(よしむら)は考えた。


(荒木)義村(よしむら)が朽木の数が1,000、多くても2,000と言うと、強気になった将達が騒ぎ出した。


「朽木など知らん」

「丹波制圧は我らが仰せつかった」

「調略の必要などない」

「朽木ごと攻め滅ぼせ!」


(波多野)稙通(たねみち)は今回の出陣が丹波制圧と朽木討伐であることを管領(晴元)様から聞いていた。


朽木が六角に降伏したことで、六角は肩透かしにあった。


降伏すると言った者を踏み潰す訳にはいかない。


「(波多野)稙通(たねみち)殿」

監軍(かんぐん)池田 長正(いけだ ながまさ))殿、どうされました」

「これは六角様が我らに朽木を討ってくれという意味ではございませんか?」

「おぉ、そういうことか!」


戦場では、敵と味方を間違って討つことがよくある。

六角 定頼(ろっかく さだより)が朽木の始末をこちらに任せたと考えれば腑に落ちた。


「丹波国守護代、内藤 国貞(ないとう くにさだ)殿があっさりと寝返ったのも、はじめから朽木と繋がっていたからに違いありません」

「うん、それならば納得もいく」

「予定通り、朽木を排除した後に田原城に向かうのがよろしいかと」

「よう言いてくれました。胸がすっきりしましたぞ」


(波多野)稙通(たねみち)はそう言うと待たせていた使者の元に戻った。


「使者殿、お待たせした」

「いいえ」

「余りにも急な事でこちらも慌ててしまった。民部少輔(朽木 稙綱(くつき たねつな))殿には、明日の朝に書状を受け取りに行くとお伝え下さい」

「畏まりました」


(朽木)稙綱(たねつな)は昼に渡すと言っていたのに、(波多野)稙通(たねみち)は朝に取りに行くと言葉を変えた。


早朝、波多野軍は園部川を渡河して、山間に陣を張る朽木の陣に近づいていった。


『掛かれ!』


うおぉぉぉぉぉぉぉ!


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