68.六角の朽木入城。
天文9年2月4日(1540年3月12日)、高島の清水山城にて軍議を連日に行うも結論がでないが、明日に備えて陣触れが出された。各城に十分な兵を残した上で高島七頭は総勢5,000人を用意し、朽木は駐留する1,000人のみが参加する。各城に兵を残すのは、海上と東の浅井を警戒する為だ。
京極に支援を!
美濃に使者を!
なぜ、浅井じゃないのかと思うかもしれないが、京極が同族だからだ。
京極の領地を奪った浅井は敵認定されていたのだ。
それは言えば六角も同族であり、その同族が攻めてくるのに疑問はないのだろうか?
その話を聞いた時、俺は首を捻った。
朽木 稙綱は何度もあった軍議で一度も決断を下さなかった。
「朽木は本気で戦う気でございますか?」
「すべては菊童丸様の御心のままです」
「その菊童丸様はいずこに」
「いずれ来られましょう」
「いずれでは困るのだ」
次男の藤綱を大将に残して、稙綱は一度朽木に戻っていった。
藤綱は準備だけは怠らない。
山間から出てきた六角軍を半包囲で戦う作戦で落ち着き、各城主の配置が議論されていた。
最前線に朽木が配置され、その後ろを高島の越中守が守る配置が提案する。
もちろん、朽木の次男である長門守(藤綱)は先陣を喜んで引き受けた。
仮の軍議が終わると、明日に向けて仮眠を取った。
夕方に最後の軍議を開く為に、朽木 稙綱と嫡男の晴綱が部屋に入った。
稙綱の決断を誰もが待ちわびていた。
しかし、その後ろから現れる小さな体に越中守が驚きの目で俺の顔を食い入るように見た。
「越中守、顔色が悪そうだな」
「菊童丸様、御久しゅうございます」
「俺が高島に来るのは不思議な事か?」
「いいえ、そのような事はございません」
「山城守の使いより、俺は京に釘づけにされて高島に来られないとでも聞いていたのか?」
高島越中守の顔が顔面蒼白になってゆき、他の七頭も気づき始めた。
ここで六角家老の名前が出てくれば嫌でも判る。
皆も俺が来ないことに不安に思っていたが、越中守だけが以前のように元気さを取戻していた。(朽木)稙綱に対して『菊童丸様はまだ御出でならないのか』と何度も問い詰めていた姿を思い出す。
それは俺への忠誠の証にように見えて逆だったのだ。
来られないことを知って、(朽木)稙綱を追求していたことを悟った。
俺はその山城守(進藤 貞治)から密書を貰っているから、高島の動向が手に取るように判っていた。
もちろん、新たに雇った村雲党の者にも見張らせておいた。
俺は懐から山城守に送ったハズの越中守の手紙を出して目の前に落としてやる。
ガマガエルが脳天から川のような汗を流した。
「お許し下さい。菊童丸様」
「そなたを誑かした家老三人は処分せよ」
「畏まりました」
俺は扇子を取って越中守の下げている顎を上げる。
「越中守、そなたは運が良い」
「何が、でしょうか?」
「俺が六角と戦うと決めていたなら、その首は飛んでいたぞ」
「お許し下さい」
「安心しろ! 六角とは和を結ぶ。よって、お主は裏切ったことにならん。よかったな!」
「あ、ありがとうございます」
俺は姿勢を正すとぐるりと皆を睨み付けた。
『俺の目はどこにも付いている。余計な事はするな! 判らぬなら、俺に相談しろ! 京に居ても手紙を書けば、必ず返事をやる。よいか、判ったな!』
「「「「「「「「「ははぁ~~~~~~!」」」」」」」」」
一同が恐怖に顔を引き攣らせて、一斉に頭を下げた。
◇◇◇
5日早朝、六角の陣に高島越中守の筆頭家老と朽木の嫡男である晴綱が赴いた。
六角 定頼は降伏の書状を受け取ると家老らに見せた。
書状には、領地安堵を条件に、まず2,000貫文を上納し、年貢を六角に治める。
さらに、朽木は常に六角の先陣に立つことを約束すると書かれている。
「お館様、城代を置くべきでございます」
「それも一理である。しかし、此度は朽木の働きを見てから決めるとする」
「ありがたき幸せ! 丹波制圧は朽木のみで見事成功させましょう」
「朽木だけだと?」
「対馬守も朽木の戦いを御検分下さい」
そう言って晴綱は頭を下げた。
六角の軍は高島に兵を進め、(六角)定頼らはそのまま朽木へ向かった。
(六角)定頼は朽木に到着すると、俺の屋敷に連れて来られた。
まだ、完成していないが、取り敢えず住むくらいは問題ない。
京に造った『冬の御殿』のモデルになった屋敷だ。
宮大工の手が入っていないのでかなり質素な造りになっているが、外見が木造造りになった煉瓦造りの屋敷であり、当然の如く床暖房を完備している。
薪が勿体無いので、中央の暖房用の窯に火を入れるのは初めてであった。
(六角)定頼が正殿に入ってくると、上座にいる俺の前に座って頭を下げた。
「(六角)定頼、菊童丸様の命により参上致しました」
「大義である」
「いえいえ、守護として当然のことでございます」
「しばらく、この朽木でゆるりとされよ」
「仰せのままに」
進藤 貞治、後藤 賢豊、蒲生 定秀も同じように頭を下げているが、同じ家老の平井高好と三雲 定持が動揺を隠せないでいた。
「驚かせて済まん。とにかく、そこに座れ」
(平井)高好と(三雲)定持が座ると、俺は上座を降りて二人の前に腰かけた。
「驚かせて済まん。実は折り入って相談がある。まずは聞いてくれ!」
特に(三雲)定持は神五郎と繋がっているそうなので、こちらの味方に引き入れないと、こちらの動きが筒抜けになってしまうのだ。
「誰に唆されたか知らんが朽木は六角の敵とならん。それとも幕府に逆らって六角が将軍になりたいか?」
「そんな訳がございません」
「将軍になるのは簡単だが、将軍で居続けるのは大変だぞ。それが六角にできるか?」
「滅相もございません」
「ならば、朽木は敵ではない」
「菊童丸様はそうかもしれませんが、(朽木)稙綱がそう考えているとは限りませんでしょう」
「ははは、それはない。朽木の兵はかき集めても4,000に届かん。対する俺は1万を動員できる」
「1万も!」
平井 定武が声を上げると、(朽木)稙綱がそれを否定した。
「違いまするぞ!」
「何か、間違っていたか?」
「我が家臣はすべて菊童丸様の為に命を掛けても惜しくないと心得ております。某も含めて、菊童丸様に敵対する者は一人もおりません」
「そうであったな!」
甲賀の者の性か、三雲 定持は疑い深いようだ。
「此度は精鋭2,000と傭兵2,000を合わせて4,000の兵で、東丹波を制圧してみせよう。六角と朽木が戦った場合、どれほど六角に被害が出たか。まずはそれを知るべきであろう。さて、この陰謀、それを画策した者の真の意味を考えてみよ」
「画策した者の真の意味ですと?」
「六角と朽木を戦わせて、共倒れを狙った狡猾な罠だ。それが見抜けぬか?」
「まさか!」
「対馬守は朽木の実力を知らん。無理もない。だが、兵は数ではないことを証明してみせよう」
神五郎も朽木の強さを把握しているとは思わないが、六角を完全に味方にするには、六角の耳である三雲家を味方にする必要がある。
すべて神五郎の策謀という事にしておく。
「下野守、対馬守、その方らに戦目付けを申し渡す。行って見て参れ」
(六角)定頼がそういうと、二人が頭を下げる。
(進藤)貞治と(後藤)賢豊の家臣の同行も認められ、その日の内に出発する。
六角の軍は朽木と高島に駐留することになった。
「(六角)定頼には、この屋敷と母上様と御爺上様が使われていた屋敷を一時貸し出す」
「ありがたく、使わせて頂きます」
母上様と御爺上様の屋敷は煉瓦屋敷と夏屋敷があり、かなり将兵が寝泊まりできる。
また、六角の本隊は高島に置き、仮設テントで寝泊まりをして貰う。
寒い季節なので仮設テントでは物足りないが、野宿よりはマシなハズだ。
但し、乱暴狼藉は一切禁止して貰った。
出陣の用意をしていると、村人達が自主的に鎧を身に纏ってやってきた。
「菊童丸様、おら達も戦います」
「その気持ちだけ貰おう。だが、丹波制圧は時間が掛かる。お主らは田畑を守って貰いたい」
「しかし、兵は多い方がよろしいかと」
「田植えが遅れる方が心配だ。収穫が減ると朽木が困る。朽木を守って貰いたい」
「判りました」
「手伝いの兵はすべて連れてゆく。忙しくなるが、後を任せるぞ」
「「「「「「「「「へぇぃ!」」」」」」」」」
朽木は精鋭の家臣団1,000人をかき集めて連れてゆく。
俺は去年の京に上洛した兵を中心に、山狩り隊からも選抜して1,300人を連れてゆく。
足りない分は、昨年の捕虜にした傭兵2,000人を足す。
残る捕虜の1,000人ほどは命のやりとりがない治水工事の方がいいそうだ。
俺としては、作業員が増える事は大歓迎だ。
そう、そう、正月前に安芸にいる紹其(武田 信豊)に手紙を出すと、こちらで戦になりそうだと聞いて、さっさと和議を終わらせて1月末に戻ってきた。
わざわざ安芸から戻ってくるか?
山県 盛信も武田 信実もみんな戦好きだ。
朽木が預かっている武田の衆は50人ほどだ。
傭兵を1,000人ほど与えて、指揮を取らせることにした。
準備を終えて、昼前に丹波に向けて出発した。




