65.将軍足利義晴と菊童丸が晴元邸に出向いた。
天文8年12月3日(1540年1月11日)、晴元邸で能を催すことが決まり、父上(将軍足利義晴)が出向くことが決まったので、朽木に戻った俺はとんぼ返りで京に戻ってきた。
例年なら冬場に朽木と京を何度も行き来するなどできないのだが、吹雪でもならない限り、今年に限って雪かき隊を各所に配置しているので苦もなく移動が可能であった。
雪掻きは大切だ。
毎日のように煉瓦や石灰、薪、食糧などを積んだ荷馬車が通れるように絶対に欠かせない。
銭が幕府持ちだからできるが、無駄もいい所だ。
馬での移動ができるのは嬉しいが馬の上は滅茶苦茶に寒い。
今度は紅葉と晴嗣が同行して近衛邸に帰っていった。
こっちは寒いから、やっぱり朽木に帰ると言ってきた。
帰る時は知らせろってさ!
話を聞いた関白(紅葉の父)が煉瓦の家を造って欲しいと依頼があった。
このままでは御爺上も帰って来ないからどうにかして欲しいらしい?
建設費を貰うよ。
それでも年内は無理ですと返事をしておく。
母上と御爺上様は寒い外に出るのを嫌がったので付いて来ていない。
こちらも京の朽木御殿(仮)が完成したら、何が何でも帰って頂く。
朽木御殿(仮)の造営には、京の町から5,000人の職人が動員されている。
このまま彼らを朽木に持って帰りたい。
彼らが居れば、ごり押しで奥朽木の開発が進める事ができるんだよ。
何組かの勧誘に成功したが、流石に全部は無理そうだ。
朽木御殿(仮)は急拵えで雅さに欠けるのが欠点であり、宮大工が彩色を担当してくれているが、時間がないので複雑な彫り物で飾るのは無理らしい。
元河原者と一緒に仕事などできるかと、帰っていった宮大工も多い。
それでも朽木に来た宮大工が残ったので、取り敢えず造ることができる。
その宮大工に聞いてみると、
「あの者らも朽木に行ってあの御殿を見れば、気が変わると思います」
と言っていた。
俺の素人が考えたデザイン、明治の煉瓦造りを模した建物は宮大工から見ると単純過ぎて美しくないらしい。
しかし、あの床暖房という温かい機能性は驚いた。
その技術を惜しげもなく茂介は教えてくれる。
プライドより新しい技術を知る方が勝ったのだ。
現に母上(将軍の正室)と御爺上様(元太政大臣)が絶賛する屋敷を超える御なり御殿を造る為には、この技術を絶対に手に入れないといけない。
また、二重障子や天窓という発想も面白いらしい。
朽木の煉瓦屋敷の光は暖炉と囲炉裏の火の光が部屋の灯になるが、政務を行う場所で暖炉を焚く訳にはいかない。
御なり御殿も同じであり、帝の横で暖炉の火を炊くなどもっての他である。
暖炉の裏で暖を取ることはできても、明かりをどうするかという悩みがあった。
それを解決するのが天窓である。
薄い和紙を張った障子を天井に並べることで暖を逃がさず、それでいて障子を通して太陽の光を室内に取り込む。
宮大工もビックリの新発想らしい。
西洋式の天窓は建物の構造と相性が悪く、宮大工の持つ技法で光を中に取り込むことに変更したが問題はない。
今回は暖炉の裏をただの白壁にするらしいが、いずれ仏を描いた絵を描いて、夏場は天井の障子を外すと極楽往生のような景色が眺められるようにするらしい。
朽木御殿(仮)は冬場しか使わないので、春以降に飾りを増やしてゆく。
母上にお帰り頂く為に正月前に完成(仮)をさせる予定だ。
◇◇◇
翌日、予定通りに晴元邸に赴いた。
出迎えた(管領)晴元に父上が「うむ」と頷く。
「此度は御呼び頂きありがとうございます」
「楽しんでくだされ」
俺は(管領)晴元に頭を下げると、父上は嫌そうな顔をするが高飛車に接しても得るものはない。
戦が回避できるなら、いくらでも頭を下げるぞ。
能を鑑賞した後に廊下で(管領)晴元とばったりと会った。
「よいものを見せて頂きました」
「楽しいで頂いて何よりです」
「晴元様の活躍は聞き及んでおります。幕府を支えて頂いてありがとうございます」
「わずか一年で顔付きまで見違えましたぞ」
「いえいえ、まだ幼少ゆえに何もかも任せきりでございます」
「菊童丸様の武名は聞き及んでおりますぞ」
「いえいえ、私はただ座っていただけでございました。私は幕府の為、晴元様の為に働かせて頂きます。何卒、よろしくお願い致します」
「将軍家の嫡男が頭を下げてはいけません」
「いえ、晴元様ゆえに下げさせて頂きます。晴元様は父上の分身ではありませんか。晴元様なしに将軍家はありません。何卒、よろしくお願いします。朽木も(若狭)武田も晴元様に従うことでしょう」
「ですから、頭を下げなさるな!」
「口で言っても何でしょう。晴元様の御命令ならば、朽木、(若狭)武田を使わせましょう」
「それは誠か?」
「私が必ず説き伏せますゆえに、何卒、無礼をお許し頂きたい。私は父上の為、幕府の為に働く所存でございます。この菊童丸、晴元様のことを第二の父のように思っております」
「どなたにそう言えと言われたのですか?」
「いえいえ、本心でございます」
ほほほ、(管領)晴元が笑った。
笑わば笑え!
笑って侮って俺に時間をくれ!
とにかく、(管領)晴元は父上の下向に気をよくしてくれた。
(管領)晴元あっての将軍義晴と煽てた。
この下向で今年の騒動において幕府の命に従わなかった(管領)晴元であったが、将軍から許されたという事になり、面目も立った事だろう。
◇◇◇
(管領)晴元は神五郎(三好 政長)、可竹軒 周聡らを集めて談議を行った。
「来年の朽木討伐は取り止めてはどうじゃ!」
「今更、何を言われますか?」
「菊童丸は私に心酔しておる。取り込んで朽木ごと掌握した方が得ではないか」
俺がきらきらした目で崇め奉ったのが利いたのか、管領こそ幕府の礎と褒めまくったのに気をよくしてくれたのか、俺ごと朽木を手に入れたくなったようだった。
「要は伊勢を排除すればいいのじゃ。然すれば、菊童丸様は儂を頼るようになる。そうであろう」
「確かにその通りでございます。利発な菊童丸様を巧く利用しているのが伊勢守でございましょう」
「(将軍)義晴は毛嫌っておって扱い辛い。その点、菊童丸は幼い。丸め込めば、都合のいい将軍になろう」
「しかし、伊勢守が簡単に手放さないでしょう」
「それに六角を朽木に向わせれば、朽木は六角の物になるであろう」
「そういう約束でございます」
「惜しい。六角に朽木の財力をくれてやるのは惜しいではないか!」
「六角にくれるのは惜しいかもしれませんが、矢は放たれております」
「何ともならんか?」
「朽木は手に入らずとも、伊勢守を排除し、菊童丸様をこちらに引き込めば、(若狭)武田を手にできるでしょう」
「高島はくれてやるが、朽木だけでもこちらに取れないのか?」
「誠に申し訳ないことに」
神五郎は(管領)晴元の悪い癖だと溜息を付いた。
大内の宗設があいさつに来て、伊勢守から苦情を貰ったと愚痴って帰っていった。
朽木からの苦情ではなく、伊勢守からの苦情である。
伊勢守が朽木を手足として使っている。
しかし、伊勢守は将軍義晴の押し蓋であり、伊勢守を排除すると将軍義晴の暴走を止める者がいなくなるのは明らかである。
「菊童丸様は晴元様を親のように頼りにされておりますが将軍と敵対すれば、間違いなく敵になりますぞ」
「周聡、そこを何とかせよ」
「なんとも」
「そこを何とかするのがお主らの役目であろう」
「時期が悪うございます。しばらく、お持ち頂きたい」
「仕方ない。丹波を平定して、朽木をいつでも取れる準備をしておけ」
「「畏まりました」」
やはり、来春の丹波守護代の内藤 国貞討伐が止まることはなかった。