63.安芸武田の歴史改変。
話は少し戻るが、宗設は将軍にあいさつした後に朽木・若狭に立ち寄る予定を変更させ、こちらが京に赴くことにした。
宗設が朽木を訪れている内に変な噂を足せさせない配慮だ。
その後は六角をはじめとする有力大名と会合をして帰国の途に就くと決まった。
その宗設が京に来ると決まった三日前に武田の主だった者を集めた。
「先ほど、伊勢守より連絡が来た」
「我らを集めたということは、我が護衛を行うのですな」
「お忍びだ。護衛は付けぬ」
「では、何の為に?」
「俺は武田の衆に聞いておきたいことがあったので集まって貰った」
本来であれば、(武田)義統も呼んで決めるべきだが時間がない。
阿波から使者が戻ってきたら、すぐに上洛するとか?
大内の者もせっかちだ。
朽木にいる武田衆は12人のみであり、残り20人は一郎(岡部 斗丸)に付けて、若狭の農地改革の手伝いをさせている。
朽木と若狭に分けた基準は内政ができるかどうかだ。
元守護代の内藤 元兼を筆頭に内政ができる者は一郎に付け、腕一本、内政は家臣に任せていた脳筋な元侍大将らは朽木に連れてきた。
紹其(武田 信豊)を頂点に上洛の時に使っていた元傭兵らを使って天井川の河川改修を手伝って貰っている。
もちろん、捕虜3,000人の監視も兼ねている。
例外は源三郎(山県 盛信)と武田 信実だ。
源三郎は内政もできる貴重な人材なのだが、若狭に残らずに俺の側が面白いといって右筆のようなことをやってくれている。
(武田)信実は(武田)元光の子であり、数えで16歳と元服したばかりで役職もなければ領地もない。
年はほとんど変わらない守護義統の叔父に当たる。
(武田)信実が活躍すると、(守護)義統がやり辛いであろうと元光に言われて我が直臣にすることになった。
現在、側近の一人として特訓中だ。
宗設は将軍にあいさつした後に、(伊勢)貞孝のおっさんと会談することになっており、そこに同席することになっている。
そこで懸案となるのが、安芸武田の取り扱いである。
大内、尼子、毛利、安芸武田に停戦命令を出すことはすでに決まっている。
上洛すると言っている守護同士が争うのは容認できない。
『手を取って幕府をささえよ』
これが建前だ。
尼子包囲網もお断りする。
幕府が尼子と争う理由がない。
当然、朽木や若狭武田もさせない。
しかし、隠居の尼子 経久は領地拡大を止めるつもりはなさそうで、現当主の詮久は石見銀山を攻略し、因幡国を平定した後に播磨国へと侵攻している。
しばらくは詮久の力は落ちない。
詳しい歴史は覚えていないが、毛利 元就に大敗したことをきっかけに陰りが見え始め、(毛利)元就の台頭によって滅びてゆく運命にある。
「単刀直入に聞くぞ。安芸の武田家を助けて貰いたいか? それとも放置でも構わないか?」
「助けて頂けるのならば、幸いと思います」
「助けると言っても知恵を貸すだけじゃ。こちらも手一杯なのは承知しておろう」
「知恵だけでも幸いと思います」
「他の者も同じか!」
武田衆が一同に頭を下げた。
「本当によいのか? はっきり言って安芸の武田家が助かる道は毛利 元就に下ることだ」
紹其(武田 信豊)も慌てた。
「菊童丸様、それは余りにも惨いおっしゃりようです。安芸の武田は大内、毛利によって守護の座を降ろされたのですぞ。しかも守護の大内に下るのではなく、その家臣の毛利なのですか?」
「尼子の前当主は経久は、80歳を超える老人だ。現当主は孫の詮久であるが若輩者であるゆえに後ろ盾を失えば、尼子は分裂する。もちろん、5年ほどで尼子を立て直せると予想できるが、その5年の内に安芸武田は大内と毛利に滅ぼされる。降るのなら今の内だ」
正直に言えば、でまかせである。
説明ができない。
毛利 元就が中国の覇者になるなどとどう説明すればいい?
詮久の力は本物であり、疑いようもない。
今の時点で元就の方が上だと断言できるものは1つもない。
紹其をはじめ、皆が口々に情報を語り合っている。
強い者に寄り添わなければ生き残れない。
それが言に沿わぬ相手であってでも生き残れば、次の芽が生まれる。
あの孫次郎(長慶)も管領(細川)晴元に敵わないので、陣営を管領(細川)晴元の下に置いている。
そして、我慢に我慢を重ねて『天下の副将軍』と呼ばれるほどの力を付けるのだ。
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頭の中で言葉が響いた。
『ないものはないのです。ある物で間に合わせるしかございません。“すべて”が揃う日まで、“今”の菊童丸様の思いは一度閉じておくのはどうでしょうか?』
俺は力がない。
銭も足りない。
知恵も謀略もすべてが足りない。
管領(細川)晴元、六角 定頼、朝倉 宗滴、この三人の敵を同時に相手できる訳がない。
当然のことだ。
俺は何にあらがっていたのだ?
もっと早く気が付けよ。
管領(細川)晴元を添え木にするのは止めておいた方がいい。
管領(細川)晴元は主と崇めるのは心が脆弱過ぎる。
無害の丹波守護代の内藤 国貞を排除しないと気が済まないほど度量が少ない。
逆に、内側から喰い尽くそうと思えば、孫次郎(長慶)と対立する。
それは余りにも面白くない。
孫次郎(長慶)と神五郎の対立には中立でいたい。
六角 定頼もどこまで頼りにできるか判らない。
一番のネックは息子の義賢だ。
観音寺騒動を起こして六角を滅亡に追いやる。
しかし、定頼が亡くなるまでには間がある。
当面の寄木なら問題はない。
教景(朝倉 宗滴)が守護であったなら一番敵にしたくない。
俺の知る歴史観を参考にするなら教景以外に考えられない。
しかし、教景は越前守護ではなく、敦賀郡司でしかない。
越前守護の朝倉 孝景では物足りない。
否、教景を受け入れる度量があるだけ凡将というほど悪くない。
悪くないが、味方としては頼りない。
つまり、最初から答えは決まっていたのだ。
若狭・高島20万石で、管領・六角・朝倉200万石以上を相手にするなど、正気の沙汰ではない。
何とかしようと悩んだ俺が馬鹿であった。
残るべきは朽木・若狭武田の人材だ。
次の天下人が六角 定頼になっても問題ない。
俺は神輿でもよいのだ。
天下の静謐がなるならそれでよい。
名を捨てて実を取れば、それほど難しいことではなかった。
いやいや、道のりの険しさは変わらんが、20万石で200万石を相手にする無茶はせずに済む。
『菊童丸様、菊童丸様、菊童丸様』
うぅ、紹其を始め、武田の衆が心配そうに俺に声を掛けていた。
「すまん。少し考え事をしておった」
「考え事でありますか?」
「そうだ。我らも同じようなものだと思ったのよ。安芸も毛利に寄り添わなければ生き残られぬ。我ら朽木・武田もどう足掻いて管領・六角・朝倉に敵わん。どこかに寄り添わなければ生き残られぬ」
「そんなことはございません。菊童丸様ならば必ずや払い退けられましょう」
「買い被るな! 相手が馬鹿なら三万であっても怖くないが、智将が率いる3,000の敵を俺は恐れるぞ!」
「しかし」
「攻めるだけの兵を持っておらん。守るだけでは勝てんぞ。意に沿わぬことも耐えねばならぬ。それは我らも安芸も同じだ」
「なるほど、安芸も毛利に寄り添えば、新たな芽が産くのですな!」
「生き残れば、次に繋がる」
「承諾しました。しかし、なぜ毛利なのでしょうか? 大内では拙いのでしょうか?」
「元就は策士だ。大内の同格の家臣となれば、必ずや策謀を巡らせて武田を罠にかけて潰そうとする。逆に毛利の家臣となれば、取り込もうと策を巡らす。どちらが生き残れそうだ?」
「なるほど」
「但し、安芸の武田家が毛利に下る条件は、武田光和である小三郎に元就の娘を嫁がせること」
「小三郎は庶子でございますぞぉ」
「それがどうした。他に子が居らんであろう。そう言えば、分家の伴家もあったな! 分家の信重でも構わんが、光和に決めさせよ」
「畏まりました」
「いずれにしろ、嫡男が生まれた場合は毛利の娘を嫁とし、娘が生まれた場合は毛利家の嫡男の嫁とすること。これを三代まで続けることを下る条件とする。これを渋るようならば、元就は武田を下と見ている証拠だ。取り敢えず、大内に下って、危なくなったなら若狭にでも逃げてくるように言っておけ! いずれは幕府が毛利家を取り潰して奪い返してやる」
「ははは、それの方が面白うでございますな!」
「おそらく、合意すると思うぞ」
紹其は(安芸)光和を説得することを納得し、源三郎と信実を連れて京に向かったのであった。




