62.大内の使者がやってきた。
阿波守護である細川 持隆の正妻は大内 義隆の娘であり、謙道 宗設が赤松晴政(政村)の要請を受けて備中国に出陣している(細川)持隆の陣中見舞いとして訪れた。
細川 持隆は隣国の伊予国の河野 晴通とも争っており、大内 義隆にとって重要な同盟国だ。
簡単に対立関係を現すと、
周防大内・阿波細川・播磨赤松 VS 豊後大友・伊予河野・土佐一条
の図式で瀬戸内海の領海権を争っていた。
当然、備中を手にいれた尼子もここに参戦してきた訳だ。
元々、対大内で豊後大友氏と尼子氏は同盟国だ。
備中・播磨に攻めてきた尼子に対して、阿波細川が播磨赤松に援軍を送るのは自然な流れであった。
播磨赤松の家臣に別所 就治があり、その分家である別所 治定が朽木に仕えているからと言って、朽木と別所が繋がり、大内と裏で繋がっているなんていう誇大妄想は止めて欲しいと正直に思った。
新右衛門尉(蜷川 親世)が弾正忠(松永 久秀)から聞いた話を総合すると、幕府が若狭武田を助けた銭の出所が大内と見ていたのか?
確かに大内家は何度も上洛して幕府への貢献度が他と比べようもない。
幕府を通じて大内家を頼るという選択もあったかもしれない。
しかし、無償で銭をくれる訳がない。
対価が必要であり、武田には1つだけできることがあった。
名目は上洛できない大内が銭だけでも援助して貰うというのもありだった訳か?
よく考え付くものだ。
俺にはまったく浮かばない救済方法だった。
同盟に意義は尼子包囲網だ。
特に『目の上のタンコブ』である安芸武田を排除という目的が隠されていた。
口先一つで銭を出させようとは発想力が違い過ぎる。
「何を言っておるのだ?」
「完全に完敗です」
「それぐらいは読めるようにならぬと、神五郎(三好 政長)とは渡りあえませんぞ」
「しかし、よくもこういうことを考え付くものですね。感服しました」
「儂が言っているのは、それを使わずに何とかしてしまう菊童丸様の方が異常だいうことだ」
「そうですか? 内政から富ますのは基本でしょう」
「惟助、お主の入れ知恵か?」
「伊勢守様、某は唯の護衛に過ぎません。某が菊童丸様に及ぶ所ではございません」
宗設の一向は10月中に京に上る予定であったが、10月28日に備中国にて阿波衆が尼子詮久勢と戦って損害を被るという事件があった為に遅れに遅れた。
播磨赤松の家臣に別所 就治が謀反を越したので、朽木との縁が切れた。
最初から存在しないけどね!
これでなかったことにならないかと思ったがならないらしい。
「朽木が大内に手紙を送ったのは事実なのじゃから覆らぬ」
「送っていません」
「知っておる。だが、送ったことになっておるのだ」
手の込んだ罠だ。
11月10日に京に上がると報告が来て、俺は密かに京に戻った。
俺の連れは、朽木 稙綱、その嫡男である晴綱、原因の一人である別所 治定、用事を言いつけるつもりで連れてきた元若狭守護の武田 信豊と元家老の山県 盛信、武田 信実である。
護衛に惟助(和田 宗立)が付いて来ている。
朽木の次男の長門守(藤綱)はお留守番だ。
今回は兵はいらないし、大内の為に六角から攻められようとしているのだ。
『この落とし前、どうしてくれる!』
そんな感じで啖呵を切って、騒動を起こしそうだからだ。
◇◇◇
尼子詮久がその勢いのままに播磨から摂津に攻め上る可能性が出たので、孫次郎(長慶)はすぐに管領(細川)晴元と和解した。
越水城の城代だ。
結局、孫次郎(長慶)は争って何も得なかったことになる。
「菊童丸様、それは違いますぞ」
「どう違うのだ?」
「この一年の間、管領様は摂津に不在という状況が続きました」
「逃げ回っておったからな!」
「その守護不在の間、摂津領主の揉め事を解決していたのが孫次郎(長慶)です。実際に動いていたのは松永弾正忠という者だったそうです」
「まぁ、まさか!?」
「幕府への苦情が届かない訳でありました。政所の者が『摂津は苦情が少なくて助かる』と言った時に、はっと気が付いて調べさせました。我らはほとんど一年の間、孫次郎(長慶)に騙されていたことになりますな」
それが狙いであったのか!
神五郎を武田に調略で時間稼ぎをしていたが、積極的に戦いを挑まない孫次郎(長慶)も時間稼ぎをしていたのか?
孫次郎(長慶)は最初から名を捨てて、実を狙っていた。
越水城の城を拠点に摂津守護代の如く君臨する。
一年間の実績は大きい。
守護不在の様々な問題を孫次郎(長慶)が解決していたのか!
どうして知らないが、近隣の村同士は争いを起こす。
人、土地、水、山など、調停が次から次へと舞い込んでくる。
守護や地頭はその苦情を聞いて人を派遣するのだ。
その調停力が支配力と言っても過言ではない。
俺も若狭と高島で同じことをしていた。
誰の土地であるかを決めるのは、その土地の支配者という証になる。
民に実質の支配権が俺にあることを認識させる。
こちらは二カ年計画だ。
それを一年で成し遂げたのか?
「すでに掌握しているのか?」
「さぁ、よく判りませんが、領主達から絶大の支持を得ているようですな」
「どうすれば、そんな短期間で支持が得られるのだ?」
「菊童丸様がそれを言われますか」
「当然であろう。おかしいか?」
みんなが俺を温かい目で見ていた。
「いやはや、別の意味で驚かされますな!」
「若は自分のことが見えておりません」
「惟助、少しは教えておけ」
「知らぬが花でございます」
嫌味を言われていることだけはよく判る。
「伊勢守、これが菊童丸様でございます。これが良いのです」
「民部少輔、よく付いてゆこうと思ったな」
「朽木の者はすべて、菊童丸様に付いてゆきますぞ」
「何を言っているのかよく判らんが頼りにしておる」
「「お任せあれ!」」
「がははは、尊氏公の再来はこうでなければなりません」
「この先が楽しみですな」
「如何にも、そのとおりです」
意味が判らん。
◇◇◇
大内 義隆の名代として宗設が出頭して父上に上洛できなかったことを詫びた後に、大内が幕府をどれほど頼っているかを語った。
最初は愚痴を言っていた父上も冷泉 隆豊が西国の救済米の話をし始めると父上は上機嫌になっていった。
西国の者は余すことなく将軍の威光にひれ伏しているとか?
流石、二条家ゆかりの冷泉家はおだてるのが上手だったらしい。
こうして無事に謁見が終わると、別室で(伊勢)貞孝のおっさんと対談がはじまる。
そして、本来はいるハズのない俺が上座にいる。
俺の脇に座ることで貞孝のおっさんは上座から話すことができる。
「ご紹介いたしましょう。将軍家嫡男、菊童丸様でございます」
「お初にお目に掛かります。大内が家臣、謙道 宗設と申します」
「同じく、冷泉 隆豊と申します。この度は不作の救済にご尽力下さってありがとうございます」
(冷泉)隆豊は手紙のやりとりから大内から救済米の窓口になったそうだ。
書いたようなも気がする。
数が多すぎて、全部の名前を憶えていない。
会談に入る前に連れてきた者の紹介をして、(大内)義隆から書状を読んでから会談に入ってゆく。
こうして、俺は事実を知ることになったのだ。