61.竹の籠にいっぱいになりません。
俺はいつものように高島領内を走り回っていると、新右衛門尉(蜷川 親世)が到着し、急ぎの話があると言ってきたので清水山城に戻った。
怖い顔をして朽木 稙綱と嫡男の晴綱も一緒に待っていた。
「お久しゅうございます」
「朝倉の件以来であったな! 色々と無理を言って申し訳ない」
「気になさらず、すべては幕府の為でございます」
「急ぎとは坂本の件か?」
「はい、やはり管領様が糸を引いておりました」
新右衛門尉は直接に僧正を問い詰めて吐かせたらしい。
かなり荒っぽいことをしている。
「心配召さるな! 大僧正に断りを入れてから脅しております」
「なるほど、僧正は切られたか!」
「はい、延暦寺の天台座主様(覚恕)は高島の所業を申し訳なく思っているそうです。また、天領の回復に尽力して貰ったことを感謝しているそうです」
「それはよかった」
覚恕様は帝の弟君であられて、朝廷への思いが強い。
高島の比叡山寺領を失ったことより、その5倍以上の天領が朝廷に返ってきたことを喜んでおられるそうだ。
ただ、それは覚恕様の個人的な見解であり、天台座主様として喜ぶ訳にはいかないらしい。
そりゃ、そうだ。
「万事が塞翁が馬の菊童丸様に置かれましては……『嫌味のつもりか!』」
万事が塞翁が馬、不幸が幸運を呼び、幸運と思っていたことが不幸となる。人生の幸不幸は判らない。
何事も儘ならんので、よく口にしているだけだ。
「厄介事が勝手に舞い込んでくるだけで、進んで厄介事に首を突っ込んでいる訳ではないぞ」
「ははは、ご冗談を! 三万の軍勢をわずか1,000兵で撃退されたお方の言葉とは思えませんな。天台座主様も期待されているそうですぞ」
「比叡山を焼き打ちでもして貰いたいとでも言われたか?」
「逆でございます。『焼き討ち』せずに済むように治めて貰いたいと頼まれました」
「ほいほいと引き受けてくるな!」
比叡山には二つの勢力があり、1つは鬼である俺を排除して比叡山の力を鼓舞したい派と、もう一つは覚恕様を支持する勤王の獅子である俺に協力しようという派らしい。
共通するのは、比叡山に攻め込ませたくないという点だ。
「つまり、何か? 比叡山の一部は誰かに俺を討たせようと画策しているのだな!」
「そういうことになります」
「こっちが助けて貰いたいわ!」
「何をおっしゃいますか! 三万の軍勢を追い払った方が…………」
「それだ! それが問題なのだ。やり過ぎた為に(管領)晴元を無駄に警戒させて、敵にしてしまったのだ。俺の失敗だ」
「何をおっしゃいますか!」
「冗談ではなく、本気で言っておるぞ。後悔はせぬが、反省はしておる。それにそのツケを今払わされておる」
「そうなのですか? 大丈夫でしょう」
「何が大丈夫だ?」
「次の六角を追い払えば、その目も変わってきましょう」
「今、なんと言った!」
新右衛門尉は六角と言ったな!?
(朽木)稙綱と嫡男の晴綱が怖い顔をしている訳だ。
もちろん、最初から懸念はしていた。
(管領)晴元を敵にした以上、当然の一手だ。
だが、それを六角があっさり受けたことだ?
「急ぎ、お伝えせねばならぬことは、この事でございます」
「六角が兵を出すのか?」
「蒲生氏によれば、はっきりと朽木を攻めるとは言っておりませんが、来春に丹波内藤討伐に参加すると言われました」
「朽木を攻める口実であるな」
「そして、これをお預かりしてきました」
新右衛門尉が取り出したのは幕府に届いた大内 義隆の家臣、謙道 宗設と冷泉隆豊からの手紙であった。
宗設の手紙は朽木 晴綱宛てであったので、晴綱に手渡し、(冷泉)隆豊の手紙を開いた。
西国幕府米のお礼であった。
大内家では二条家と縁が深い冷泉家が窓口になったようである。
つまり、美味しい仕事を回してくれてありがとう。
お礼も兼ねてあいさつに伺いますと言う。
「菊童丸様」
「どうかしたか?」
「どうやら私宛てではないようです。身に覚えのないことが書かれております」
晴綱の手紙には、『尼子包囲網』に賛同するという内容が書かれており、交易の独占を認める代わりに安芸の武田を寝返らせる手伝いをお願いしたいという。
何の事だ?
詳しい話は朽木に行ったときに話し合いたいと記されている。
「三好孫次郎(長慶)の家臣で松永弾正忠の話によれば、朽木が明貿易の独占権を狙っているという噂が流れております」
弾正忠、松永 久秀はここで出てくるのか?
嫌な予感………否、もう予感じゃない。
確定だ!
「その話を全部、聞かせよ」
◇◇◇
六角の三雲家が明貿易をしていたなど知らん。
してやられた!
今更、それはデマだと釈明しても信じて貰える訳もない。
考えられる最悪のシナリオは、丹波の波多野氏と六角の挟撃である。
山岳地帯で足止めをしている間に、六角を各個撃破して和議を結び、折り返して波多野氏を叩きのめす。
言うは簡単だが、実際にやるのが神技だ。
「菊童丸様、武田に援軍を頼みましょう」
「無理だ。俺が(管領)晴元なら間違いなく朝倉に声を掛ける。武田が朽木に援軍を送った時点で攻めてくるぞ」
「しかし」
「丹後の一色氏も用心せねばなるまい。武田から兵は借りられない」
六角勢が油断してくれれば、大軍であっても問題ない。
坂本から高島へ続く街道は狭い。
少数で大軍を迎え撃つことができる。
しかし、近淡海を舟で渡った場合、背後から挟撃される危険性が残る。
大軍の利を使われると防ぐ手立てがない。
朽木に籠るのも却下だ。
全体の戦線が短くなるので戦力の融通が利くが、今度こそ朽木の横腹を狙われる。
高島で押さえねばならない。
問題は舟だ。
舟をどうにかしないとどうにもならない。
鉄砲と大砲があれば、防衛戦を張ることも可能だが、無い物を嘆いても仕方ない。
六角がこちらの思う以上に馬鹿で数を頼りに力押しくれたなら、俺の悩みは徒労に終わる。
だが、それを前提に作戦を組むのはもっと馬鹿だ。
◇◇◇
私は琵琶湖を一人で眺めた。
月下は湖に浮かび、美しく三日月が揺れていた。
俺は軽く口ずさんだ。
卷耳を采り采る
頃筐に盈たず
嗟我 人を懷ひて
彼の周行に寘く
・
・
・
彼の砠に陟れば
我が馬病む
我が僕は病む
云何せん 吁
(簡単な訳:我が従者たちも疲労のあまり倒れてしまった、もうどうすることもできぬ)
「詩経国風、周南の『卷耳』ですな」
「誰だ」
「わたくしでござます」
「捨であったか」
「お邪魔でしたか?」
「構わん」
この『卷耳』が今の心境かと言えば、そうでもない。
この“卷耳を摘みに野原にやってきましたけれど、なかなか竹の籠にいっぱいになりません”というのが今の心境であり、その後の妻を思っているのが蛇足になってしまう。
まぁ、どうにもならないという心境は本心だ。
「中々に巧くいきませんか?」
「巧くいかんどころか手を余しておる」
「菊童丸様が迷われると、我らも迷ってしまいます」
「すまん」
「いいえ、何の力にもなりません。聞くくらいしかできませんが、お話になりませんか?」
「そうだな! 敵が強すぎるのだ。今の俺では太刀打ちできん。常に後手を引いておる。いずれどこかで負けてしまう。だが、こちらから仕掛ける手立てが思い付かない。どうすれば、よいと思うか?」
何故、俺はこんな話をいる?
「まずは、“今”とおっしゃっておられるならそうなのでしょう。我が養父は磁器を作れる職人でございますが、この日の本において一度も磁器を作れておりません。作りたくとも、その為の土や窯などがありません。父は偽陶芸家と罵られましたが、佐々木様に拾われて、陶芸家として名を馳せることができました。今でも磁器を造りたいと思わぬ日はないと申しております。しかし、ないものはないのです。ある物で間に合わせるしかございません。“すべて”が揃う日まで、“今”の菊童丸様の思いは一度閉じておくのはどうでしょうか?」
勝つのを諦めろというのか?
流石にそれはできない。
「そうか、心に止めて置こう。で、何用か? 暇を持て余している訳ではあるまい」
「窯ができたと報告に参りました」
「まさか、あと1ヶ月は掛かるのでなかったのか?」
「今、必要な物を残して、他をすべて削ぎ落しました」
「新しい試みを試す為の窯でなかったのか?」
「それは次でも構いません。今、為すべきことが重要なのです」
「すまん。俺の為に」
「いいえ、菊童丸様がいらっしゃるから次があるのです。頭をお上げ下さい」
捨は陶芸師としての自分を殺して、煉瓦造りの為に道を譲ってくれたらしい。
これで煉瓦の目途が立った。
次を残す為に、朽木を残さねばならない。
どうすればいいのか?
「また、眉間にシワができましたな。菊童丸様、窯は朽木でなくとも作れます。朽木の者も菊童丸様が生きておいでならどこでも付いていきましょう。何を削ぎ落とし、何を残すかのみお考え下さい」
「すまん。心配を掛けた」
「あぁ、忘れておりました。これを!」
捨は布を掛けた籠を渡した。
籠の中には椎茸が置かれていた。
まさか?
「やっと成功したそうです。これで栽培がはじめられます」
ははは、これで比叡山の問題も解決できるぞ。
「比叡山ですか?」
「小浜と同じく、小腹が膨れれば文句もでるまい」
「なるほど」
「あとは管領、六角、朝倉か!」
「一度に解決することは難しいでしょう。1つ1つ籠に入れてゆくしかありません」
「判った。今日は1つが解決したことでよしとする」
「それがよろしいかと」
六角という重しが1つ増えたが、比叡山という重しが1つ減った。
そうだ!
1つずつ減らして行けばいいのだ。
俺の心が少しだけ軽くなった。




