58.嘘から出たまこと
中国の覇者、大内 義隆は揺らぐ行灯に照らされ、腕を組んで暫し悩んだ。朽木の嫡男である朽木 晴綱からの手紙が届き、身に覚えのない密約にどう対処したものかと思ったのである。
側には手紙を受け取った大庭 賢兼と相談役の謙道 宗設が控えている。
手紙を持ってきたのは大宰府に向かう途中の興福寺の高僧であった。
何人かの家臣に確認させたので間違いない。
手紙の内容は本人も知らないという。
「加賀守(大庭 賢兼)はどう思う」
「某には、何とも」
「宗設はどうじゃ」
謙道 宗設は大内義興が派遣した遣明船正使であり、信任も厚く、以前に興福寺の高僧とも対面した一人であった。
「何も知らないのは事実でございます。ただ、その偽書を託したのもかなり者であるのは間違いございません。僧の話によりますと、畿内は管領様(細川 晴元)と三好利長(長慶)が争っており、双方が意地の張り合いをしているとの事です。但し、勝敗はすでに三好利長(長慶)に上がっております。どう和議を結ぶかという所で揉めているそうです。その戦いで朽木は武田と共に三好利長(長慶)の後背を守ったと言っておりました。ならば、その偽書を作ったのは…………」
「なるほど、管領殿か、三好 政長の陣営の者ということか!」
宗設はゆっくりと頷いた。
朽木陣営が偽書を作る意味がない。
こんな回りくどいことをせずに同盟を組みたいと書状を送ればいいだけのことだ。
明貿易における周防から京の交易の独占権など安いものであった。
「堺の衆が怒るくらいか!」
「左様で」
宗設は僧と話を合わせて返したが、そもそも『尼子包囲網』など存在しない。
若狭武田家との密約は始めからない。
「だが、悪くない話だ」
「誠に」
「若狭の海上封鎖など役に立たん。海賊が尼子を襲うには遠過ぎる。山名が先だ」
「おっしゃる通りでございます。役に立ちませぬ」
「若狭武田から安芸武田にこちらに寝返るように頼むのはどうじゃ!」
「拙僧もそう思っておりました。名案でございます」
「安芸から尼子勢を一掃できれば、情勢は大きく変わるぞ」
「安芸と播磨を押さえ、備前から尼子勢を排除すれば、瀬戸内海を完全に掌握できますな」
中国地方は、大内と尼子の二大勢力が凌ぎを競っていた。
天文7年(1538年)、出雲の尼子詮久は美作に進出し、8月には備前を平定して但馬に兵を進めた。
大内も備後守護である山名氏政の神辺城を攻められて自害に追い込んでいた。
天文8年(1539年)、出雲の尼子詮久は播磨に入ると赤松政村(晴政)を撃破した。
政村が阿波の細川持隆に援助を求めたことで、尼子と三好が敵対する関係になった。
播磨国美嚢郡の赤松 政村の家臣である三木城の別所 就治も尼子に抵抗している。
播磨の騒動が片づけた後に尼子は安芸を狙ってくると予想された。
安芸の武田ががんばっているからだ。
安芸の武田を失うのは尼子にとって痛手である。
逆に毛利元就が安芸を失うと大内は備後・備中が分断される。
だからこそ、この『尼子包囲網』により、大内・毛利・安芸武田・赤松(別所)・阿波三好・若狭武田が同盟を組むことができれば、決して悪い構想ではないと思えたのだ。
「宗設、やってくれるか!」
「必ずやまとめてきましょう」
こうして、嘘から出た『尼子包囲網』が動き出す。
◇◇◇
久々子村で『塩田』と『整備・開発』を任されていた三郎(朽木の三男、朽木 成綱)に元に、四朗(朽木の四男、朽木 直綱)から手紙が届くと、三郎は茂介(大工頭領)と捨(陶芸頭領)の二人を呼んだ。
「これが四朗から届いた書状だ。読んでみよ」
「失礼します」
茂介と捨が順に読んでゆくのを三郎は待った。
手紙には朽木・高島の進捗状況を簡単に説明した手紙と菊童丸のことが書かれていた。
菊童丸様が気落ちされており、管領に朽木が狙われていることに心を痛めているらしい。
しかし、我らでは対策を考えることができず、菊童丸様自身も思い浮かばないご様子です。
我々では菊童丸様の助けとなりません。
どうか兄上の知恵をお貸し下さい。
こんな感じてあった。
「私はここを離れる訳には行かない。ひとまず作業も落ち着いたので、二人には一度朽木に戻って貰いたいと思うのだ」
「水車の手配をせねばならないので丁度よろしいかと」
「そうか! 捨もそれでよいか!」
「はい、それがよろしいかと。ただ、この手紙によると菊童丸様が兵の数を気にされておりますので、久々子村を三村に増やし、村人を1,000人まで増やしておく方がよろしいかと」
「難しくないか?」
「隣村から借りることになった新田と塩田を増設すれば、村民を増やすこと自体は問題ないかと思われます」
「舟を増やすつもりか?」
「はい、できると思います。茂介殿、どうですか」
「問題ない。一緒に準備させよう」
「では、私も1つ塩田を倍に広げる準備をしてきましょう」
「新しい村人は商人に頼んで集めて貰うことにする」
「それがよろしいかと」
「では、よろしく頼む。菊童丸様を励ましてきて欲しい」
「「畏まりました」」
励ますと言っても軍事的なアドバイスではない。
段取りを組むのが巧い茂介と人を扱うのが巧い捨、この二人が組むと作業効率が倍ほど違うのだ。
幸い、久々子村は順調に進んでおり、二人がしばらく留守にして問題なかった。
二人が高島の作業を助ければ、菊童丸の負担が大きく軽減されることは間違いない。
その分だけ、菊童丸が考える事に時間が避けるようになると三郎が考えたのだ。
「ところで佐柿の方はお一人で大丈夫ですか?」
「上流の水路水を取る作業の段取りは終わっている。水路を引く作業も難しくはない。二人が帰るまでは持たせてみせる」
耳川の氾濫が起った佐柿を見過ごせないのが菊童丸であった。
城主の粟屋 勝久の城代に話を通して、佐柿の復興計画を三郎に作らせた。
もちろん、作ったのは茂介と捨である。
菊童丸自身は小浜に拠点を移し、若狭全体の指揮を取ることになったので、久々子村と佐柿は三郎に丸投げになってしまった。
粟屋 勝久から城代に菊童丸様に決して逆らわないように念を押されていたことだけが幸いであった。
交渉は難航したがそこは三郎の交渉術の巧さで乗り切り、茂介と捨の指導で作業は軌道に乗っていた。
本格的な農地改革が前倒しで行われているなど知らない佐柿の村人であった。
◇◇◇
興聖寺の寂雲と囲碁を終えた菊童丸様は私(朽木の四男)に言われた。
「朽木の仕事を藤四郎に任せて、明日より付いてまいれ!」
「畏まりました」
「三郎と同じ仕事を教える。しっかりと覚えよ」
「必ずやお役に立てるようになります」
その日は浮かれて床に入った。
しかし、翌日の朝に紅葉様をはじめ、寺子屋の子供衆10人が選抜されて一緒に集まっていたのだ。
私一人ではなかったのだ。
「今日よりそなたらを我が小姓とする。仕事を教える俺の分身となれ!」
「「「「「「「「「「はい」」」」」」」」」」
その日から菊童丸様の仕事を手伝うようになり、三郎兄上の仕事がどんなものであったのかを理解できるようになった気がした。
しかし、時折、近淡海の眺めながら、寂しそうな顔を見ると私では菊童丸様の助けにならないと感じて手紙を書くことにした。
「一之進、嬉しそうにしているが、どうかしたか?」
「これは四朗様、弟から手紙が参りました」
「そうか!」
「私が小姓に取り立てられたので、皆が張り切って武術・勉学に励んいると書いてありました」
「それはいいことだ」
「しかし、小姓とは名ばかりでお手を煩わせるばかりに心苦しい限りです」
「それは私も同じだ。菊童丸様御一人でやってしまわれた方が早いのだからな」
「情けないです」
「育てねば、いつまで経っても前に進めないと和尚様に言われたらしい。少しでも追い付きましょう」
「はい」
菊童丸様は何をされるにも説明してくれるようになられた。
本当にお手を煩わせている。
早く追い付かねば!
三郎兄上のようにならねば!