56.ふりだしに戻る。
だぁ、どうしてこうなった!
俺は高島清水山城の一室で叫んだ。
「それは若が一番ご理解しているはずですが?」
「判っているよ。判っているけど叫びたいんだよ」
「そうですか。では、好きなだけお叫び下さい」
「惟助、少しは手伝ってやろうとかいう気持ちはないか?」
「ございません。私は唯の護衛でございます」
有能な奴を遊ばせていると思うと腹が立つ。
猫の手も借りたいのに、この腹黒い大猫は手伝おうとしない。
何が拙かった?
「それもお判りだと思います」
判っているよ。
領地を増やすのが早すぎた。
領地と言っても、正確には俺の領地ではない。
俺の管理下となる領民がいる土地だ。
寺子屋の家臣候補がまだ育っていない。
順当に育って10年後、早い者で5年後、最速でも2年後だ。
専門に分けた方がよかったか?
「それはよい考えですが、誰が教えるのですか?」
「そちらも人材不足だったな!」
もっと、ひっそりと進めてゆくつもりだった。
あと5年くらいあれば家臣も育ってきた。
何もかも足りない。
まだ、朽木ですら完全に掌握していないというのに。
どうしてこうなった!
◇◇◇
若狭の農地改革と氾濫対策は一郎(岡部 斗丸)とその部下50人に押し付けたままである。しかし、武田の家臣は積極的に一郎に学ぼうという姿勢があるので巧く回っている。
だが、それで手一杯という感じだ。
とても軍改や村の整備まで手が回らない。
それどころか農機具も足りない。
朽木村の職人村は農機具を作るのにフル操業状態になって他のことに手が回らない。
新職人が入ってきている栃生・村井(新)村でも生産が始まったが………。
ははは、これで完全に追い付かなくなった。
鉄砲の制作が遅れる一方だ。
それどころか、若狭には10日ほどで戻ると言っていたが戻れなくなった。
第二の拠点となる若狭の久々子村では、三郎(朽木の三男)と茂介と捨などに300人ほど連れて行っている。
あいつが揃っていれば、何とかしてくれる。
三郎は優秀だ。
あいつがいると、朽木から人材をひっぱって来てくれるのに!
俺から頼み辛いし、誰を引き抜けばいいのか判らん。
完全に手詰まりだ。
救援に来てくれた岡部12人衆の長である藤四郎に人材を回せないかと相談したが、断りはしないが流石に困られた。
奥朽木の食糧確保と開発もあって、これ以上は人材が割けない。
妥協案だが、母上の居られる(菊)新村から調達することになった。
彼らには十分な能力があり、信頼でき、技能も身に付いている。
(菊)新村の中核的存在である。
しかし、人を指導できる人材ではない。
言われたことを黙々とやるタイプばかりが残ったのだ。
これで新村の人口比率がおかしくなった。
女性10人に対して、男性3人だ。
しかもその男は子供だ。
亭主元気で留守がいいになってしまったよ。
時々、帰して上げよう。
疲れたような乾いた笑いをしながら俺も現場復帰だ。
高島の状況を確認し終えると、いよいよ作業が開始する。
「よいか、男、女、子供に分かれよ。別れたなら5人組を作れ!」
高島、平井、山崎の村人が戸惑っていた。
『さっさと動け、時間を無駄にするな!』
忠実な彼らが伝言ゲームのように声を上げて村人らに動かしていった。
村人が集められるだけで、戦でもあるのかと戦々恐々としていたのだ。
3,000人近い村人を集めて何をするかといえば、朝のラジオ体操だ。
再び、俺が朝のラジオ体操を教える日が戻ってくるとは思わなかった。
ラジオはないけどね!
こっちは朽木と違って周辺の村人を集めるだけで大所帯だ。
本当は村ごとでいいのだが、派遣する人材がいない。
という訳で、一度にやってしまおうと集めた訳だ。
動きもぎこちないし、自分らが何をさせられているか判っていない顔だった。
うん、2年前の朽木の村人もそうだったらしい。
いいんだよ。
その内に慣れてくるからさ!
今でも朽木では雨が降らない限り、毎朝やっている。
これも軍事調練の1つだ。
それが終わると食事を提供する。
鞭と飴だ。
肉は入れてないが、肉で出汁を取っている。
山芋や大根をふんだんに入れておく。
朝食はどんぐり粉のナン(パン擬き)になるのは許して貰おう。
米はまだ貴重なのだ。
河川改修から手をつける。
5人組を4つ合わせて20人組を作り、作業を割り振ってゆく。
最初の代表はローテンションで行い。
10日後に選挙で5人組の長、その長達の選出で20人組の長を決める。
そこからさら10日掛けて、20人組の長から100人組の隊長を選抜する。
こうして村ごとの100人組を作ってゆくのだ。
男も女も子供も全員だ。
この100人組の隊長と副隊長らが俺の指導する対象だ。
彼らには作業の内容と意味、工程まで理解して貰う。
冬の間に仮の改修を終わらせ、来年に間に合わす。
でも、この3,000人だけが対象じゃない。
明日は別の場所で別の集まりが集合する。
一度にできないので5日に分けた。
俺一人で天井川流域の1,5000人余りの村人の面倒を見ないといけない。
忠実に動いてくれる部下は多くいる。
問題はない。
はぁ、疲れる。
そうそう、当然のように紅葉と晴嗣が激励に来てくれたよ。
◇◇◇
朽木渓谷を抜けた天井川の上流では、帰ってきた別所 治定が新たに得た3,000人の傭兵をこき使っていた。
一番大事な改修場所は、ベテランの(別所)治定にお任せだ。
ところで高島3万人の内、1万人余りが傭兵だった。
先日の京の争乱であぶれた浪人らを坂本の僧らが銭でかき集めたようだ。
その情報は手に入っておらず、後で知って冷や汗を掻いた。
この一万人余りを山側から大挙して襲ってきたなら、朽木村は大火に見舞われて、一からやり直しになっただろう。
下手をすると、母上や御爺様も討ち取られるという惨事も考えられる。
そうなれば、賊軍に加えて、朝敵に認定されて高島氏の名が消えただろう。
高島七頭もそれを恐れて、後方に配置していたのだろうか?
それもと傭兵においしい所を取られたくないので後方に配したのだろうか?
聞くのが怖いので聞いていない。
で、逃げ遅れた傭兵3,000人に強制労働を課す。
もちろん、衣食住に加えて銭も出す。
(別所)治定に呆れられた。
「菊童丸様はお優しい。命を助けてやっただけで十分な恩賞ではないですか?」
「全然、足りん。今回のことで思い知った。兵は必要だ。銭は何とかする。使えそうな奴を探せ」
「もちろん、命じられるならやります。しかし、朽木を襲った連中です。某としては、全員を打ち首にしたい所ですが!」
「命じる。探せ!」
「畏まりました」
京に上洛した2,500人は武田家臣が500人ほどおり、残りはその傭兵700人と農民の二男や三男など自主参加者で構成されていた。
つまり、この2,000人に武田が銭を出していた。
帰ってきた時点で希望する者は俺の家臣にすると言っていた訳だが、やはり自由気ままな傭兵業がいいという奴らや、武田の武将にスカウトされたのも在って、800人程度しか残らなかった。
うん、仕方ない。
一緒に戦えば情も湧く、それが自分の領地の農民なら家臣にしたくなるのも当然だ。二男や三男にとっても地元の領主様からお呼びがあれば嬉しいだろう。
武田の武将には、普段から農民も調練させておくことを申し付けておいた。
「随分と焦っておられるようですな!」
「俺は勘違いをしていた。畿内に近いここでは一万くらいの兵が簡単に集まる。高島を取られると朽木も危ない」
「なるほど、街道沿いなら3万の兵が進んで来ても何とかなるが、高島から脇腹を狙われるのは危険ということですな!」
「阿弥陀山の辺りに3つほど砦を作れば問題ないが、それより高島を使えるようにした方が早い」
「なるほど、なるほど、水を制して、人心を掌握するのですな!」
「頼めるか?」
「お任せあれ」
(別所)治定は頼りがいのある男だ。
朽木軍のいい所は飯が旨く、煉瓦の露店風呂を作って毎日でも風呂に入れることだ。
住居増築と河川改修を同時に進める。
本格的に雪が降る前に煉瓦の家を造らないと、テントでは凍え死んでいたなんてことになりかねない。
でも、大丈夫!
煉瓦積みはプロ級のベテランばかりだ。
こちらは任せておいても問題ない。
問題は仕事が終わってからだ。
◇◇◇
「おかえりなさいませ」
「今、戻った」
「では、こちらの書類に目をお通し下さいませ」
土地の権利などをすべて書き直す作業も同時並行で進めていた。
幕府から代官と手伝い3名ほどを呼んで貰った。
みんな、妙に冷たい。
優秀なのはいいけどさ!
「明日は申の刻(午後3時)にはお戻り下さい」
「何かあったか?」
「朝廷より使者が参ります」
「あとにしてくれ!」
「そうは参りません」
「判った」
朝廷に米を納めるというお礼だな!
お礼を貰うのは高島越中守だ。
だが、俺がいないと始まらない。
朝廷の使者が俺に一度預け、俺から越中守に渡すという手順を取る。
俺が朝廷の代理人に選ばれたという意味を持つ。
面倒臭い!
さて、比叡山など土地は没収、その他の寺々は区画整理の為に移動して貰う必要があった。
氾濫した河川はすべて改修するのだ。
農地用のため池や新しい河川、用水路など考え直さないといけない。
その為に土地の確認は欠かせない。
「検地の方はこちらで手配しておきます」
「よろしく頼む」
同時に応急処置の土手の補強もさせる必要がある。
まずは天井川を終わらせてからになるが、できることは先行してやって貰う。
「判りました。村長の方は私が回っておきましょう」
「悪いな!」
同時に、朽木と同じ食糧増産が最優先事項だ。
口頭では済ませているけど、実際に指導しないとモノにならないのは実証済だ。
現地の指導は絶対に不可欠だったりする。
「そちらは管轄外です」
「私も無理です」
「ご冗談を」
「右に同じ」
あっさりと断られた。
「わたし、やりたい」
紅葉は無理でしょうし、従者方も寺子屋じゃないから無理ですよね。
(寺子屋:子供に読み書き、そろばんなどを教えること)
「俺、俺に!」
そもそも出来るかの?<晴嗣>
「判った。河原で寺小屋をやってくれ!」
「またか!」
「お前しか頼めない、頼む」
「仕方ない。そこまでいうなら聞いてやろう」
これで邪魔者が一人排除できた。
でも、根本的な解決にならない。
指導して回れる奴がいない…………それも俺か!