55.伊勢守の気苦労。
天文8年9月27日(1539年11月7日)、早朝から幕府に出頭して、朽木 晴綱と武田 義統は帰還のあいさつに来た。
「「急な申し出をご了承頂き、ありがとうございます」」
「もう少しゆるりとしてくれれば、能など楽しめたのにのぉ」
「申し訳ございません」
「両名とも、大義であった」
「「ははぁぁぁ」」
晴綱と義統はどこまでも深々と頭を下げて、将軍にひれ伏した態度を取った。
「それはともかく、左程、急ぐ必要はなさそうですぞ」
横から伊勢守(伊勢 貞孝)がそう言うと、手紙を将軍に渡した。
「今朝、菊童丸様より火急の知らせと届きました」
「何があったか?」
将軍義晴はその手紙を開いた。
『拝啓、父上殿
あいさつは省略させて頂きます。
此度、高島越中守が何を思ってか、朽木に攻めて参りました。
何の知らせもなく、我が母上が滞在している朽木を襲うなど言語道断な話です。
私はすぐに兵を上げて、高島を迎え討ちました。
越中守も父上の嫡男である私に矢を向けることができずに下ってくれました。
誠に父上の威光のお蔭で生き残ることができました。
大変に感謝しております。
どんな理由があれ、将軍家に弓引いたことは許されません。
越中守、及び、朽木を除く高島七頭には、収穫の管理を幕府に一任する旨、収穫の一割を幕府に献上する旨、鎌倉以前に朝廷に納めていた収穫量を朝廷に献上する旨を言い渡しました。
然れど、私は家臣を多く持ち合わせておりません。
幕府より管理者を送って頂けるように手配して頂けませんか
父上の威光によって進めております。
よろしくお願い申し上げます。
菊童丸』
(現代風に訳)
将軍義晴が何度も膝を叩きながら喜んでいた。
「やってくれるわ。伊勢、高島の石高はいくらほどか」
「七万石ほどでございます」
「7,000石が手に入った訳だな!」
「そういうことになります」
「すぐに管理する者を手配しろ!」
「畏まりました」
そのやり取りを聞いて、晴綱はホッし、義統は感涙にむせいだ。
「流石、菊童丸様だ。三万を物ともせぬとは」
「彦二郎、それは何の話だ」
将軍義晴が戦いの内容に興味を持った瞬間、伊勢は心の臓が飛び出るほど鼓動を早めた。
嫌な汗が背中から溢れ出す。
「越中守、それほどの大軍を出したのか!」
「上様」
「伊勢、なんじゃ!」
「たとえ何万の大軍で押し寄せようと、将軍家の嫡男が先頭に立っておれば、1本の矢を打つこともできません。上様の威光の賜物でございます」
「そうか、だが、三万の大軍の前に立つのは勇気がいるのぉ」
「ひとえに上様のお役に立ちたいという心がそうさせているのでしょう」
「おぉ、そうか! 余は良い子を授かったのぉ」
「誠に」
その笑みを見て伊勢守はほっと息を付いた。
最近、幕府内の雰囲気が変わった。
周りの管領、守護らに顔色を窺っていた昨年と違い、率先して各領主の要望に応え、領主からの信望が集まり始めていた。
誰もが将軍家に一目置くようになってきていた。
皆の顔付きも良くなった。
それと同時に菊童丸への悪態が後を絶たない。
「俺達を殺すつもりか!」
「死ねというならば、死んでやるぞ」
「またですか!」
「いっそ死ねと言って下さい」
最近はこの言葉を聞かない日がない。
銅の売り買いからはじまって米の融通など忙しい日々を送った。
この頃は皆に笑みが浮かんでいた。
その合間にも公家衆や商人から様々な商品の問い合わせに追われた。
朽木にいる為に連絡だけで2日も要する。
誰かが毎日のように京と朽木を行き来していた。
それが若狭で大戦に勝つと忙しさが増した。
問い合わせや苦情が殺到して気が付けば、塩を幕府が管理することになった。
どこをどうすれば、そうなるのやら?
若狭の領主が一斉に幕府に嘆願書や感謝状を送ってきた。
助けてくれだの!
人でなしだの!
一方的とか!
幕府が責任を持てとか!
幕府として何もできないので、それを菊童丸様に届け直す。
それが終わると若狭の寺々と喧嘩を始めた。
来るわ、来るわ、苦情の訴えが!
手紙の処理で家に帰れないと、皆に嘆きが出始めた。
菊童丸様も若狭中を巡って処理をされた。
そして、あれがやって来た。
西国の救済だ。
西国、東国の守護、守護代、地頭、領主、寺社に宛てた手紙は千通を超えた。
返ってきた手紙は万に届いたのではないか?
それをすべて処理して返書を送り直した。
それが終わると、商人から取引の内容を示した書類が送られ、宛先と一緒に許可書を送り返した。
倒れる者も出るほど忙しい日々を過ごした。
まだ、まだ、送られてくるので儂も感謝状を書かねばならぬ。
政所の役人は寝る間もない。
役所違いの者も借り出している。
それでも追い付かない。
これでは菊童丸様へ悪態が出るのも仕方ない。
だが、気の利いた者は違う。
報告書を少し計算しても幕府に入ってくる財がいくらになるか想像もつかない。
数万貫文は軽く超えておる。
そして、此度で7,000石を得た訳だ。
一体、幕府にどれほどの益を齎したのだろうか?
菊童丸様はもう唯の童ではない。
幕府を裏から動かしているのが菊童丸様だ。
いやぁ、幕府ばかりではない。
関白・近衛 稙家様にとっても掛け替えのない存在になっている。
様々な品で近衛家に富を齎しているが、中でも漢方薬の葛根湯は公家衆の救済に役立っている。
興聖寺から仕入れられた薬は菊童丸様から近衛家に渡され、近衛家から各公家衆に回されている。
葛根湯が欲しければ、公家衆に頼まないと手に入らない。
商人らが高値で公家衆から買っているという。
財が困窮している公家衆にとって救いの薬となっている。
関白・稙家と共に東国の守護、守護代への添え状をお願いに回ると、向こうから積極的に協力してくれた。
菊童丸様は幕府、朝廷、商人から絶大な信用を得ようとしている。
そのことが上様(将軍義晴)に知れることが恐ろしい。
女官が菊童丸様のことを褒める毎に、上様が難しそうな顔をされるようになった。
奥方様が朽木の髪塗りや菓子などを送ってくる度に女官の間で人気が上がってゆく。
奥方の菊童丸様自慢を控えて貰わねば!
「新右衛門尉(蜷川 親世)、誰を高島の代官に派遣するのがよいと思う」
「伊勢様もお忙しそうですな!」
「菊童丸様が休ませてくれん。それと比叡山と坂本の様子を探って欲しいと書状にあった」
「今度は延暦寺と喧嘩ですか! 忙しいお方だ」
「高島の裏に坂本の僧正より手紙があったらしい。こうも積極的に攻められるのはおかしいと書いてあった」
「確かに、その通りですな! 延暦寺の天台座主様(覚恕)は帝の弟君でございます。勤王の菊童丸様と敵対する意味がございませんな」
「だから、比叡山と坂本を調べてくれと言っておるのだろう」
「なるほど、坂本は土倉を取り仕切っておりましたな」
比叡山延暦寺は坂本にも多くの寺を建てていた。
比叡山も戦国の世を生き残る為に才覚のある者を認めざるを得ない。
その者は僧とは名ばかりの生臭坊主であり、商才に長けた者であった。
その中には暴力や策謀を好む者があり、比叡山を自分がのし上げる道具くらいにしか考えていない者も少なくない。
しかし、そういった者の力を借りなければ、比叡山も乱世を生きぬくことができない。
天台座主の覚恕の意思に関係なく、坂本が勝手に動くことが多々あったのだ。
「厄介な相手だ!」
「ははは、どう乗り切りますか?」
「新右衛門尉、笑い事ではないぞ。我らは同じ舟の乗っておるのだ」
「また、なんとかするのでしょう」
「何を根拠に?」
「三万の大軍をわずか1,000で押しのける稚児ですぞ。心配する方が馬鹿らしいです。また、我らは高みの見物ですな!」
「相判った。ならば、近くで見てまいれ!」
「坂本ですな。承知しました」
新右衛門尉は楽しそうに承知した。