裏話.菊童丸、天井川の戦いの真実。
最初の兵はもっと近い真宮寺村200人、秀隣寺野尻村50人、東朽木村50人などから1,060人がかき集められた。
俺は朽木屋敷に集まった兵に号令を掛けた。
「諸君、高島連中は助けて貰った恩を忘れて、我が朽木谷に兵を進めている。未曽有の大軍らしいぞ」
どわぁ~~~~~~っと兵達が思い思いの声を上げる。
『静粛』
俺が手を上げると士気兵が静粛して俺の方に集中するように号令を掛けてくれる。
ありがたい。
「安心しろ! どのような大軍であろうと勝利確定している。俺の指示に従えば、必ず勝てる。諸君の奮闘を期待する」
「菊童丸様は我らが勝つとおっしゃった。勝つのは我らだ!」
「えい、えい、おぉぉぉぉ!」
『『『『えい、えい、おぉぉぉぉ!』』』』
『『『『えい、えい、おぉぉぉぉ!』』』』
『『『『えい、えい、おぉぉぉぉ!』』』』
鬨の声を上げて、戦意を高めて出陣をする。
朽木渓谷の外側に街道が作られており、その途中に野尻坂砦、西山城を通過する。
「若、顔色があまりよろしくございませんな」
「よく判るな!」
「なごうございますから、やはり負けますか?」
「敵が天井谷を攻めてきたと聞いた時から負ける気はせんよ。ただ、被害がどのくらいになるかは相手次第だ。特に谷を全面的に使って、川の両岸と山越えを見せていた場合はある程度の被害を覚悟せねばならない」
「三万が恐ろしくございませんか?」
「恐ろしいさ! だが、食う物もなく、朽木に食い物を求めて死ぬ気で襲いに来た訳ではない。腹一杯の上に欲をかいて襲ってくる連中だ。烏合の衆を恐れるほど、俺は臆病ではない。だが、味方の兵が死ぬのは嫌だ。それを思うと恐ろしい」
「三万の大軍を烏合の衆ですか」
「烏合の衆さ! しかも谷という天然の砦を使って戦うのだ。滅多なことで負けることはない。否、逆だな。高島は7万石の土地だ。普段から戦い慣れている農兵は多い、5,000人くらいだ。その戦いなれた精鋭で来られた方がやりづらかった。大平原でもなければ、その数は生きん。数が多いことが仇になるのは、30万の一向一揆衆を教景(宗滴)が蹴散らしたことで証明されておる」
「教景殿と同じことをすると………若は豪胆でございますな!」
渓谷を抜けて、上古賀に出ると敵が一望できた。
ふははは、思わず笑ってしまう。
大名行列のように三万の大軍が街道に沿って迫ってきているのだ。
「敵に孔明(知恵者)はいないらしい」
「見るだけでも壮大でございますが?」
「急ぎ、両台で渡河せよ」
俺は両台で渡河して天井谷の川の南部先端を先に奪った。
正面から山崎の兵3,000人が両台の下に広がる広瀬という少し広まった所で対陣して横に広げて陣を張った。
山が競り出した後に永田・横山の旗が見え、蛇行する川が北から南に戻って街道が狭くなっている所に田中の旗が見えた。
ここからははっきりと見えないが、高島、平井(能登)は天井谷の入口くらいに兵を広げて陣を張ったようだ。
「菊童丸様」
「どうした? 急に改まって!」
「今回ばかりは菊童丸様をお助けできる自信がございません。お許し下さい」
「ははは、構わん。勝ち戦だ。その心配はいらん」
「その自信は、どこから湧いてくるのでしょう」
「相手の布陣を見て、そう確信した」
第二陣の永田・横山を無理にでも川を渡河させて、俺の右翼に兵を回す気配を見せるべきだろう。
敵は戦を知らん。
というか、油断し過ぎだろう。
「こちらの兵はわずかに1,000余りだ。左右から挟撃されれば一溜りもない。山崎3,000に任せて、自らの兵は温存しようということか! 軍が統制できていない証拠だ。油断してくれているなら、この戦は楽に勝てる。亀の陣を引け!」
横一列の亀の陣を引いて相手の動きを少しだけ確認する。
後が動くようなら亀の陣を捨てて、魚鱗で中央突破を図り、敵の大将を次々と討ってゆく捨身の作戦に変える必要があった。
山崎が潰れてまで動いてくれるなよ。
向こうの陣形が固まって、敵が谷間を埋め尽くすように並んだ。
よし、勝った!
「惟助、俺の兵は3倍の敵までなら勝てると思っておる」
「30倍もいますが?」
「先陣は高々3,000であろう。それを10回繰り返すだけの簡単な作業だ」
「若、私と見えている世界が違うようですな」
「おしゃべりはここまでだ」
俺は手を上げた。
『横一列から鋒矢の陣に組み替えよ。突撃する』
三国志時代、関羽や張飛という豪傑たちが活躍したのは、農民兵が寄せ集めだったからだ。
一騎当千の時代であり、豪傑が一人いれば、一万の大軍相手でも戦うことができた。
しかし、時代が進み、軍事調練がしっかりするようになると、関羽や張飛らの活躍の場が失われてゆく。
訓練された兵を1,000人も倒すことなど不可能なのだ。
関羽が呂蒙に倒されたのは、正にそれだ。
豪傑の時代が終わったのだ。
それに入れ替わるように現れたのが張遼だ。
徹底した軍事教練によって鍛えられた騎馬隊が呉の精鋭を翻弄した。
団体戦から組織戦に変わった瞬間だ。
俺は朽木村の衆に軍事教練を強いていた。
同じ兵でも質が違う。
まだ、闘い慣れた5,000人の精鋭を集められた方が、こちらとしては苦しかったのが判るか。
せめて、数の有利を生かした包囲戦を引くべきったな。
山崎は予想以上に粘ってくれたが、遂に崩れていった。
「若が言われた通りですな!」
「まだ、油断できん。まだ、1つ目だ」
広さを使わせない為に左手の川を背に山側に山崎の兵を追い立てる。
『三位一体の陣』
40人一組は崩さないが、亀のように守る戦い方を捨て、敵と同じ速度で追い立てる。
「よろしいのですか。味方の被害も多くなりますぞ」
「仕方ない。逃げる兵を盾にして敵を追い立てる」
「なるほど、狭い所に逃げる味方と追い立てて敵が入り混じる訳ですな」
「最初に言ったであろう。これは奇襲だ。朽木を喰って甘い汁を啜ろうと考えている民を現実に戻す奇襲だ」
「確かに奇襲ですな! 味方によって動きが封じられた。殺されるのを待っているようなものですな」
「そうさ! 勝っている間は酔っていられるが、負け始めると酔いが覚める。酔いが覚めれば、死にたくないのでみんな勝手に逃げてくれる。三万の大軍を烏合の衆に変えてやる」
永田、横山の軍が崩れた事で勝ちが決まった。
田中の軍は思ったより早く動いて難を避けたが、それでも遅すぎる。
山崎が崩れた時点で渡河して挟撃の用意をしていれば、追撃している俺は先に田中を叩かないと側面から矢を撃たれることになる。
それを避ける為に温存している騎馬隊を川上から渡河させて田中に送るつもりだったが、その必要がなくなった。
田中が追撃を緩めさせることに成功すれば、高島、平井(能登)は体制を立て直す時間が生まれ、もう一戦する必要が生まれる。
大半の兵は逃走する兵に紛れて逃げ出すことになるから十分以上に戦えると思った。
一番嫌なのは、負け戦を悟ってさっさと城に戻られることだ。
十分な兵力を温存して城に籠られると、城攻めをする兵力を持っていない。
巧く和睦に持ってゆければ、御の字だ。
「ははは、笑いがでるな!」
「どうされました」
「労せずして、高島が手に入ったではないか!」
「あぁ、なるほど!」
逃げ遅れた高島、平井(能登)が瓦解していった。
さぁ、谷を出たぞ!
「三郎、最後の仕上げだ。比叡山の僧兵どもを蹴散らしてまいれ!」
「承知」
「(朽木)稙綱、各城に降伏の使者を送れ! 降伏すれば、領地は安堵してやる。降伏しないのなら根絶やしにする。そう脅して参れ!」
「畏まりました」
永田、横山、田中、山崎はあっさりと降伏した。
当主本人らが詫びを入れに来た。
高島、平井(能登)は降伏を拒否したので、2,500人に膨れた軍で平井城から攻めた。
平井氏は抵抗をした。
しかし、城には100人ほどしか残っておらず、味方の援護もなく、あっさり落城した。
周辺の領主や名士に降伏するなら領地安堵の使者を送っているので、誰も主城に兵が集まらないのだ。
平井城が炎上して、すぐに高島越中守が降伏を受理した。
せっかく平井が時間を作ってくれたが、肝心の居城の清水山城に兵が戻って来なかったからだ。
こうして、俺は高島郡を手中することに成功した。
災い転じて福と為すとは、これの事だ。