53.真昼の奇襲、天井川の戦い。
援軍が突撃をして山崎の左右の一部が崩れると続いて中央部も崩れ始めた。
どうやら山崎の大将が退いたみたいだ。
流石に走り詰めでは馬が疲れてきたようで突出を繰り返していた騎馬隊も戻ってきた。
気が付けば、日は頭まで昇っていた。
後続の農兵を左右に加えると、そろそろ全面で押し返す数が揃った。
「なぁ、惟助。この狭い谷間で3,000の敵兵はどこに退却する?」
「後続の間を抜けるしかありませんな!」
「あの間を巧く抜けられるものか?」
「某は知りませぬ」
「俺が敵の大将なら、後続の兵を左右に散らして陣を引き、退路を確保しながら兵を進めるぞ」
「3万の兵で押し寄せて、負けを考える将がいますか?」
「俺は考えるぞ」
「なるほど、若が見ていたのはそこでございましたか」
敵は俺が出てきたので大挙して押し寄せ、川と山で狭くなった所に隙間なく陣を敷いてくれた。
この狭い谷間に3万の大軍が動ける訳がない。
高々1,000兵に3,000兵の山崎軍が負けるなどと考えていなかったのだ。
総大将が下がった為に士気が落ちた。
殿の将がなんとかふんばっていたが、押し潰されて下がるしかなくなった。
今だ!
『三位一体の陣、追撃せよ!』
亀の陣は足が遅い。
隊列を組んで進むので遅いのは当然だが、戦闘になるとさらに遅くなる。
鎧兜で身を包む敵は槍の一撃で死んでくれない。
槍で串刺しになってくれるのは、最初に走り込んでくる第一列目くらいだ。
その先は槍先を鎧に押し付けて、ぐいぐいと押す感じになる。
鎧を一撃で貫けるほど豪の者はいない。
そんなに体のデカいそんな奴は騎馬武者にスカウトしている。
2列目からは押し合いになるのだ。
長槍を左右に押し分けて、盾まで近づいた奴が盾の間から出てくる脇差の一撃で散ってゆく。
壁ごと押すのが亀の陣だ。
被害を最小限にして相手の戦力を少しずつ削いでゆく。
後方から絶え間なく撃ち続けるのが、オリジナルと違う所だ。
負傷者を多く出すが、死傷者は割と少ない。
討伐数だけなら騎馬隊の方が多いかもしれない?
◇◇◇
三位一体の陣とは、盾2人と槍一人、それに援護の弓が一人付いて追撃する各個撃破の戦法だ。
四人なら四位一体と言われたが頃合わせだよ。
三位一体の方がかっこいいだろう!
40人で一組は維持されるが、歩調を合わせないので走って追撃できる。
「山に逃げる奴は放置しろ! 川から押し出せ! 山間に追い詰めろ! 逃がすな!」
朽木川は蛇行しているので戦場が広がってしまう所がある。
川を渡河されると、それだけ戦場が広がってしまう。
だから、川側から追い詰めて渡河させない。
山を分け入って逃げるのは簡単ではない。
結果、街道沿いに逃げてくれる。
「伝令、山崎が寝返ったと叫べ!」
伝令が馬を走らせて部隊に知らせる。
「菊童丸様、いつの間にそのような仕込みをされましたのか?」
朽木 稙綱もどこかお人好しの感じが抜けない。
これだからずっと将軍家を裏切らずに仕えてくれたのだろう。
「できる訳があるまい。俺はつい先ほどまで攻めてくるなど思っていなかったのだぞ」
「では、虚報でございますか!」
「さぁ、永田、横山には虚報に聞こえるかな?」
俺は悪い顔をして前線を見つめた。
逃げようとする山崎の兵が永田、横山の兵と入り混じって混乱している。
その後ろから朽木の兵が襲い掛かってくるが、戦いたくとも山崎が邪魔で戦闘ができない。
前方から蹂躙されれば、後方から逃げ出すのも当然であった。
朽木は援軍の到着で2,000になり、山崎を吸収して5,000に膨らみ、永田、横山を撒き込んで1万の大軍に膨れ上がる。
残る敵は2万兵だが負け戦に付き合う馬鹿はいない。
烏合の衆とはそういったモノだ。
こうなると誰が敵かも判らない。
「ははは、谷に押し入った敵がすべて寝返ってくれますな」
「そうだ、谷に入った敵が我が方の先兵となってくれる」
「若が言われた通り、奇襲になっておりますな!」
「そうだ」
惟助が笑う。
そりゃ、笑いもするだろう。
勝ちが見えてきたのだ。
「勢いを止めるな! 押して、押して、押しまくれ!」
虚報に惑わされず、間隙を縫って本陣に襲ってくる敵もいるが、それはご愛嬌だ。
補充された兵が彼らを駆逐してくれる。
日が傾き始めて、やっと谷間を抜けた。
「三郎、比叡山の僧どもを蹴散らして来い!」
「承知」
朽木の騎馬隊が乱戦の中を駆け抜けて、僧兵の本隊へ突撃を掛けた。
◇◇◇
永田氏と横山氏の両大将は首を傾げた?
朽木に押されて山崎軍の大将が負傷者と共に下がってきたのだ。
街道を空けるように命じたが、その数が増えていく。
そんなことを思っている間に山崎軍の全面崩壊が始まった。
大挙して逃げてくる山崎の兵に我が兵達が慌てた。
すぐ後ろに敵が迫って来ているのだ。
「邪魔だ、退け!」
「来るな!」
「敵が来るぞ」
「迎え討て!」
各武将の声は空しく、槍も振れずに倒されてゆく。
そうなると、永田・横山の兵も逃げ出した。
「どういうことだ?」
「我々の方が大軍であったのだろう?」
「殿、持ちませぬ」
見れば判る。
鬼のような朽木の兵が山崎3,000人の兵を追い駆けて襲ってくるのだ。
止まれば死ぬ!
その恐怖が山崎の兵を突き動かす。
『『『注進、山崎は寝返った!』』』
敵方から虚報が流れた。
混乱する我が軍にそれを伝える方法がなかった。
必死に逃げる山崎の兵を押し留めようとする永田・横山の兵との間で亀裂が入り、必然的に同士討ちが起こった。
「おい、どうなっているんだ」
「判らない。だが、山崎が俺達を襲ってきているぞ」
「山崎が寝返ったのか」
「駄目だ。そこまで迫ってきている」
「俺は最初から反対だった」
「逃げるぞ」
「俺もだ」
・
・
・
先頭の混乱を見せ付けられて士気が一気に落ちた。
誰か逃げ始めたのを契機に永田・横山の軍が崩壊した。
「儘ならん」
破戒僧に唆されて、朽木を好き放題に略奪していいという欲に吊られて参加した兵達であった。
物見遊山でやってきた兵が当てになるものか!?
ところが自分達が狩られる側に立った瞬間に怖くなったようだ。
無責任にも兵達が勝手に逃げ出していた。
最早これまでだ。
永田氏、横山氏はそもそも朽木攻めに反対していた。
村の者が買収されて、止むに止まれぬ参戦であった。
危なくなった途端に逃げ出しよって百姓らは当てにならん。
「殿、いかがなされますか」
「撤退だ」
「しかし、後方にはお味方が!」
「少数で山を抜けて撤退する。そなたも無理をするな!」
「お気づかい感謝致します」
永田氏・横山氏の両当主が逃げ出すと全軍の崩壊が一気に進んだ。
◇◇◇
永田氏・横山氏の両軍の後に続いていたのは田中氏の兵であった。
蛇行した天井川が戻ってきて、山と挟まって狭い場所に陣を引いていたのだ。
拙いな!
「殿、山崎軍が崩壊、永田氏・横山氏の両軍が押し負けているように思えます」
「脆すぎるとは思わんか?」
「どういうことでしょうか?」
「山崎氏は朽木の恩を貰った身である。永田氏、横山氏は元々、この戦に賛成しておらなんだ。不本意ながら参戦したが、時期を見て寝返るという密約があったのかもしれん」
「まさか?」
「俺にも声を掛けてくれれば、密約に乗っても良かったのだがな!」
「殿、御声が大き過ぎます」
聞こえた所でどうしょうもないだろう。
「目付け殿、目付け殿は居るか!」
「ここにいますぞ」
「山崎氏、永田氏、横山氏は朽木と繋がっておったようだ」
「なんと!」
「あの大軍を相手に我が兵だけで受け止めるのは難しい。一度、天井川を渡河して下がり、谷間の出口である保福寺辺りで陣を引き直すと、お館様にお伝え下さりますか」
「承知、私が自ら行ってお伝えしましょう」
そう言うと目付けが馬を翻して、高島のお館様の元で戻っていった。
目付けも逃げ出したかったようだ。
「全軍、渡河を行う。急げ!」
「迫ってくる敵に構うな!」
「荷を捨てても構わん」
「道を開けよ。我らは天井川(安曇川)を渡河する」
田中の将々は1万人に近い兵が押し寄せてくる圧力が背筋を寒くした。
なんと、呑みこまれる前に渡河を終えたが、まだ安心できない。
押し寄せてくる兵も渡河してくると思わねばならないからだ。
荷を捨てた時点で、保福寺で再び陣を張り直すつもりはまったくなかった。
このまま下流域まで下ってから、再び渡河して田中城に戻るつもりであった。
こんな戦で命を落としては末代までの恥と思った。
◇◇◇
平井(能登)氏は越中高島家の分家として地頭職を預かっている。
本家の言われるままに参戦した平井(能登)氏は慌てた。
此度、氾濫では、五番領城の山崎氏と同じく大きな被害を出した平井(能登)氏であったが、高島家の援助があって事無きを得た。
高島家は坂本の僧正様の書状により、此度の朽木討伐を号令した。
高島郡の長として、朽木の飛躍を放置できないという思いも強かったのかもしれない。
比叡山延暦寺の全面的な協力で高島郡を統一して、六角氏や浅井氏、武田氏と同格になる夢を見たことは悪いことではない。
このまま七頭でいるより良いと思えた。
ほとんどの民を従えて、朽木討伐がなった暁にはお館様を頂点に国造りができると考えた。
しかし、結果はどうだ。
波のように押し寄せてきた。
山崎氏、永田氏、横山氏は本当に朽木に寝返ったのか?
「殿、持ち堪えられません」
「なんとしても堪えよ」
「無理でございます。我が兵も逃げ出し、収拾が付きません」
「最早、これまでか!」
兵が怯えて逃げ出すようでは戦にならなかった。
◇◇◇
高島七頭の総領家である越中高島家は六角氏・京極氏などと同じく、佐々木氏の一族であり、高島郡田中郷朽木荘の地頭として高島越中守は六角氏などと同格であるべきと思っていた。
その為に七頭を1つに戻し、同族の六角氏の援助を貰って、浅井家を討って京極家の土地を取り戻すべきであると考えていた。
そう思っていても、中々に機会は訪れなかった。
高島越中守が濛々とする中に朽木家はただ一家のみで発展を見せてきた。
七頭を1つに戻すには邪魔な存在になっていたのだ。
そして、その機会は突然に訪れたのだ。
天佑であった。
しかし、結果はどうだ?
西山城、野尻坂砦を厚くして侵入を阻むようならば、南にある阿弥陀山の山道を抜けて、朽木谷に横腹から乱入しやすい位置に軍を配置したが、全軍が南側に配置されていた愚を今更に悟った。
両岸から攻めておれば、討って出てきた朽木を左右から挟撃できたハズであった。
「お館様、そういうことではございません」
「では、どういうことだ」
「山崎氏、永田氏、横山氏が朽木に寝返ったことが問題なのです」
「兵の数では勝っておろう」
そんなことを言っている間に平井の軍が打ち破られて、高島の軍に迫ってきた。
「お館様、ここは一度軍を下げて」
「後退しながら受けるなどできる訳もないわ。押し出せ!」
高島越中守は軍を前に出すと、逃げてきた平井の軍と交錯した。
高島越中守が率いた軍が精鋭であれば、何の問題もない。
しかし、率いているのは百姓の兵であった。
味方が逃げ出しているのに動揺しない訳がなかった。
戦う前に勝敗が付いていた。
味方の兵が脆すぎた。
朽木が高島の土地を奪いに襲ってきたなら、奪われてなるものかと踏ん張りもできたかもしれない。
しかし、高島の軍は勝ち戦で略奪に行くという浮かれ気分で参戦していた。
誰もこんな戦で死にたいと思わなかったのだ。
こうなると本当に烏合の衆だ。
◇◇◇
高島の軍が自然と崩壊すると、百姓達は蜘蛛が散る様に散って逃げていった。
わずかに抵抗する敵の兵を朽木の兵は殺して殺しまくっていた。
騎馬隊の活躍は凄まじかった。
三郎は無双を繰り返し、僧兵を次々と葬ってゆく。
比叡山の僧達も戦うことより逃げることを選択してくれたので、三郎の追撃がどこまでも続いた。
朽木の兵の恐ろしさに高島の民が震え上がった。
一方で、小三郎(別所 静治)の活躍も才が際立った。
あの『鋒矢の陣』の先頭で獅子奮迅の働きを見せ、先頭が瓦解しなかったのは小三郎の活躍であった。
指揮は適切で、皆の信頼も厚い。
追撃戦でも活躍し、討った武将の数は十数人に上っていた。
そして、小三郎が「やっと俺も遂に初陣を飾った」と喜んだのだ。
どこか抜けている所が三郎と重なった。
敵に知恵者がいなくて幸運だったよ。