52.亀の陣の真価。
高島、平井(能登)、永田、横山、田中、山崎の将々は慌てていた。
「朽木の将は戦を知らんのか?」
元々、先陣の山崎は渓谷の立つ西山城を攻める予定であった。そして、第二陣の永田氏、横山氏が野尻坂砦を攻撃し、第三陣の田中氏が朽木屋敷を攻撃する。後陣の高島、平井(能登)はその都度に合わせて兵を送ることになっていた。
3万の大軍に攻められて、討って出てくるとは誰が考えよう?
5氏は陣を一度止めて集まり直した。
「いかがいたしますか?」
「どうするもこうするもないであろう。出てきたなら討つしかあるまい」
「それでは手筈通りに進撃するということでよろしいか?」
「それしかあるまい」
「山崎殿、依存はございませんな」
「是非に及ばず」
こうして集まるだけ集まると進軍再開が決まった。
五番領城の城主である山崎左馬介が戻ってくると家臣が声を掛けた。
「殿、いかがでございました」
「何もなし」
「わずか1,000ばかりで討って出るは奇妙でございます。御用心召された方がよろしいかと」
「是非もなし、我は進むのみだ」
「ははは、そうでございました。我らは捨て駒。我らが負けても、疲弊した敵を二陣が討つだけでございましたな」
「軍を進めよ」
「畏まりました」
山崎左馬介は朽木稙綱に返し切れない恩を受けた。
氾濫で暴動寸前の所に朽木の援助物資が届くと奇妙な麻布の小屋を作り、当面の居住地を得た民は冷静さを取り戻した。
しかも、復旧の為に銭を貸してくれると言う。
これだけの恩を受けて攻め入るのは武士の恥であった。
世は乱世、諦めて貰おう。
今年は早く雪が降り、困窮した所に破戒僧がやって来て、炊き出しをやってくれた。
比叡山の僧に皆が感謝した。
あの破戒僧らが親切な訳もなかろうに。
破戒僧は毎日のように朽木を罵り、朽木には金銀財宝と巧い物が山ほどあると唆した。
高島から奪い取った財で優雅に暮らしていると吹き込んだ。
そして、破戒僧の口車に乗せられた民衆を抑えることもできず、民衆3,000人を率いて朽木の軍に向かっている。
破戒僧らは用意周到なことで、鎧・兜・槍を持ち合わせていた。
「してやられたな!」
「まったく、その通りでございます」
「民も愚かだ! 朽木の布屋に住みながら『朽木打倒』を声に上げるとは呆れて物が言えん」
「殿、我慢です」
「判っておる。だが、この戦が終われば、隠居させて貰う。それがけじめだ」
槍、弓、馬と山崎氏の軍の3,000人は装備だけなら一流品を揃えていた。
余程、破戒僧の方が銭持ちだ。
糞ぉ、巧く使われた。
底が知れたわ。
破戒僧らははじめから朽木と高島七頭を戦わせるつもりだったのだ。
「殿、敵が動きました」
「どうでた」
「鋒矢の陣に組み替えて向かってくるようです」
「弓隊前へ、鶴翼に開け!」
恨みはございませんが、手加減はできませんぞ!
◇◇◇
鋒矢の陣は亀の陣の別バージョンだ。
縦6枚を最前列に並べて、山城に陣を組み直す。
四角い亀の陣とは異なる。
亀の陣の欠点は側面・後背からの攻撃に脆いことだ。
この欠点を減らす為に古代スパルタなどがファランクスの隊列を組むときに、階段状に段差を付ける『斜線陣』を取る。
本来なら斜線陣でいいのだ。
だが、こちらの兵力が少ない。
少ない兵力の場合、どうすると考えたのが『鋒矢の陣』だ。
斜線で弱点が減られるなら、山型にすればいい。
これで両側面からの攻撃を防げる。
大外は騎馬隊に賭けるしかない。
この『鋒矢の陣』(山型ファランクス)で中央突破を敢行する。
責めて、兵力が2,000人あれば、斜線陣を引いて余裕で勝てただろう。
だが、2,000人が集まるまで敵が待ってくれそうもない。
◇◇◇
ぷしゅ、ぷしゅ、ぷしゅ、山崎の軍から矢が一斉に放たれる。
ほとんどが盾に当たって被害は軽微だ。
こちらも弓隊が盾の隙間から反撃を開始する。
近づく間は矢合戦がしばらく続く。
ある程度に近づくと敵の弓隊が下がり、槍隊が突撃してくる。
「弘太郎、藤次、御坂、与作、五平、敵の指揮官を狙え!」
待機していた土御門五人衆が一斉に矢を射る。
敵の弓隊は同士討ちを避けて矢を放てないが、こちらは容赦なく矢を射続けている。
ここが本場のファランクスと違う所だ。
前列の20人は盾・槍隊で構成するが、後列の20人は盾・弓隊で構成されている。
敵の足軽とぶつかって、前進が一時的に止まる。
だが、問題ない。
ぐわぁ、敵が串刺しになって止まっただけだ。
槍に間を抜けた者も盾に阻まれて足を止める。
そこで盾と盾の間から脇差の一撃が襲い掛かる。
「卑怯なり、尋常に勝負………」
勝手に襲ってきて下らないことを言う奴もいるようだ。
三軒半(6.5m)の長槍は伊達じゃない。
騎馬武者が押し入っても慌てずに馬を狙って瞬時に串刺し殺す。
暴れる馬も盾隊がスクラムを組んで押し返す。
最前列に合わせて、全軍が前に陣を押し上げてゆくのだ。
じわ、じわ、じわっと前に進む。
40人一組の25ブロックが進む毎に死体の山が作られてゆく。
『回れ、回り込め!』
そういう声が敵から聞こえてきた。
「三郎、出番だ」
「おぉ」
5列四隊20騎の騎馬隊が左右に分けて飛び出してゆく。
残る5列二隊(10騎)は防御に残している。
三郎らが走って横に回ろうとする足軽達を突き刺してぐるぐると走り回る。
四騎が横並びに襲ってくるので、トラックが前方からやってくるような迫力がある。
通り過ぎた後に、味方の死体が転がっていれば、恐怖しない農兵はいない。
「冗談じゃねい、殺される」
回り込もうとする足軽の足が止まった。
「ええええい、どけどけどけい! 我こそは源ノ朝臣……ぐげぇ!」
三郎達は名乗りを上げる騎馬武者を無視して突き進む。
一騎打ちなど許していないし、立ち止まっては困る。
重戦車の如く、敵をかき乱して貰わないと困るのだ。
三郎は指揮官を積極的に狙っている節があり、次々と馬上武者を落としている。
ほらぁ、形勢が有利と思っていた敵が怪しくなってきたぞ。
「全体を見ながら、飛んでくる矢を弾く、若は相変わらず、器用ですな!」
「おまえには負けるよ」
こっちが大弓で援護射撃をするように、向こうも大弓が俺を狙ってくる。
朽木の家臣は皆、馬を捨てて足軽と一緒に戦っている。
三郎らを除くと騎乗の武将が俺しかいない。
矢を打ち込んでくるし、回り込んで皆が俺を狙ってくる。
「ややや、我こそは………」
こんな感じで駆け寄ってくる奴は、土御門五人衆が早々と片付けて近づかせない。
守備の騎馬隊も陣の両脇を走って大忙しだ。
もちろん、死んだ振りも許さない。
乗り越えてゆく死体に止めを刺すように言ってある。
首は取らないし、必要もない。
こうして、中央が割れる頃には後続の朽木の農兵が到着し、次々と亀の陣を組んで突撃してくる。
「菊童丸様をお守りしろ!」
「「「「「「おぉぉぉぉぉ」」」」」」
そう叫びながら、ギリギリまで近づいてから陣形を組むので向こうも敵の陣が乱れる。
俺も慌てるよ。
護衛なしのファランクスって、特攻と同じだ。
一気に敵の一部が瓦解する。
こちらも犠牲が多くでそうだ。
敵もさる者で、陣を後退させながら崩壊を防いでいる。
じわっと兵を進め、やっと敵の大将を射程距離に捉える。
「狙えるか!」
「「「「「承知」」」」」
一本目に矢が突き進み、敵の大将が刀で払う。
矢切?
チート武将か!
違った!
二本目が肩に刺さり、三本目は腕で顔を庇う。
慌てて側近が壁になり、別の側近が大将を下がらせると全体が崩れる。
「そのまま全軍を追い詰めるぞ! 進め!」
こいつらは烏合衆だ。
烏合の衆は一度崩れると立て直しが利かない。
この2年間、朝の日課で軍事調練を繰り返して鍛えているウチと違う。
朽木の農兵は武田で雇った傭兵より強いぞ!
「惟助、これが3倍までなら余裕で勝てるといった理由だ」
「おみそれいたしました」
「油断はできんが、これで勝ったぞ」
「まだ、本隊が残っておりますが!」
「そうだな! 伝令、農兵に我が本隊の横に付けと伝えろ」
「畏まりました」
そろそろ、兵が2,000人に達してきたな。
◇◇◇
不思議な鋒矢の陣であった。
騎馬武者が後方で一団になって固まり、足軽のみで前進を続ける。
否、足軽と共に武将が槍を持っているのか!
「殿、いかがいたしましょう」
「弓で射よ!」
「弓、撃て!」
・
・
・
山崎左馬介の指示で弓の攻撃が始まった。
相手も反撃して来るが弓の数は少なく、被害は小さかった。
しかし、頭の上まで盾を並べている朽木の兵がどれだけ倒せたかは疑問であった。
「弓を下がらせよ」
「槍隊、前へ!」
朽木の兵に足軽隊が突撃を行った。
しかし、それを朽木の盾が見事に防いだのだ。
あの長槍は邪魔じゃな!
多くの足軽が長槍の餌食にされ、盾に達した者も討ち取られていった。
業を煮やした騎馬武者が突撃しても簡単に討ち倒された。
兵の質が違った。
朽木の兵に乱れがなく、まるで1つの生き物のように進んできた。
「殿、いかがいたしましょう」
「加納、岸、元田、木頭を左右から回らせて包囲せよ」
「直ちに」
中堅に置いていた兵を左右に回らせると敵の騎馬武者が動き、我が方をかき乱した。
なんと、我が家臣が次々と討ち取られてゆくではないか?
後方から敵の援軍が乱戦に入ってきて左右は完全に崩れた。
「後方部隊を前に上げ援護させよ。全軍を下がらせる法螺を鳴らせ! 伝令も走らせよ!」
「直ちに」
「急がせよ! 我が軍が崩壊するぞ」
何とか、左右を下がらせて全軍の崩壊は避けられた。
敵の騎馬隊が深追いを避けてくれたからだ。
手強い!
だが、朽木を止める手立てがない。
朽木の援軍が続々と投入されて形勢は不利だ。
「殿、投入した後衛がもちませぬ」
「誰か、左右から回り込めぬか?」
「敵の騎馬隊が強力でありますゆえになんとも」
「回り込めば、敵は崩れる。敵の大将の守りも少ない。誰か突破する者はいないか?」
声を上げても、名乗り出るものはいなかった。
そうではない。
腕に自信がある者はすでに出て、討ち取られたか、傷ついて下がっているのだ。
すゅわぁ!
矢が目に入って刀で払った。
まぐれで矢を防げた。
だが、第二射、三射が襲ってきた。
「殿をお守りしろ!」
側近が壁になってくれたが、肩、腕などに三つの矢が刺さっていた。
「殿、ここは下がりましょう」
躊躇する間に側近が一人、二人と討たれていった。
致し方なし。
撤退だ!
朽木は強すぎた。
これ以上、家臣を殺させる訳にはいかないと思った。




