50.包蔵禍心、 目の上のたんこぶを排除する。
7月25日、管領(細川)晴元は孫次郎(長慶)が幕府の御用(賊討伐)を終えて、芥川山城に兵を引いたことから高雄より嵐山の麓である嵯峨に陣を移した。
騒ぎが収まったというのが見解だが、罪人をわざわざ妙心寺から高雄まで輸送するのも手間だからだ。
嵯峨御所なら目と鼻の先だ。
〔 妙心寺 ~ 嵯峨御所 1.2里(5km)〕
同日、(細川)晴元は管領として徳政令が発布し、上京・下京では徳政停止されることが告げられた。
争いが終わり政を行えているというアピールだ。
これで面目を保たれた(細川)晴元であったが、腹の虫がおさまらなかった。
「ええい、なぜ私に逆らった孫次郎(長慶)に褒美をあげねばならん」
「……………」
「張良の才が霞むこともございましょう。あまりお責めになりませんように」
神五郎(三好 政長)を庇ったのは、晴元御前衆の一人である可竹軒 周聡である。周聡は光勝院 周適の後継者であり、澄元の代から務め、京都の公家や寺社に独自の人脈を持っていた。
「それでは腹の虫がおさまらん」
「治めなさい。三好の坊はまた次の機会を狙えばよい。神五郎の策がなぜ破られたのかを考えなされ!」
「朽木が余計なことをしたからだ」
「それもありましょう」
周聡がまわりくどい言い方をするのは、晴元を冷静に戻す為である。
この晴元は癇癪持ちであり、気の弱いところから衝動的に怒りを出してしまう。
冷静さを保てば、愚かな管領ではない。
「やはり朽木ではないか?次男の藤綱は張飛の如く無双し、3男の成綱は馬良の如く『白眉最も良し』(優れた人物)と自慢しておる」
朽木の当主である稙綱が五人兄弟の中で一番優れていると自慢していた。
「確かにその通りでございます。しかし、所詮は朽木に過ぎません。朽木が逆立ちしても、武田を揺るがすことはできません」
「どういうことだ?」
「菊童丸様とはどういうお方でしたか?」
「以前も申したが、聡明な子供だ。公方様の子供とは思えんくらい利口であった」
「利口な子供ということは諭し易いということです。朽木の武と智、そして、財が伴って、神輿が生きるのです」
「財というは、伊勢のことか?」
「ご明察の通りでございます。御用米を御存知でございますか」
「知らんぞ」
「東国の米を飢饉で苦しむ西国に持ってゆくそうです」
「そんなことができるのか?」
「神輿に関白様がぶら下がっておりました」
「信じられん。この乱れている世にそのような偽善ができるとは?」
晴元の疑問は当然であった。
一艘や二艘ならともかく、飢饉救済には大量の米が必要であった。
その大量の米を運んでいる舟を襲われないという保障がどこにもない。
隣り合う敵国同士が手を取り合って見逃すとは思えない。
「面白いことを考えるもので、互いの公家同士が『その舟は見逃して欲しい』と手紙を出し合ったそうです。どこの土地でも縁の深い公家はおります。その公家の願いを無碍にできないというからくりです」
もちろん、公家に頼まれただけで巧くゆく訳もない。
それを説明したところで(細川)晴元が理解できる訳もなければ、周聡自身もまだ首を捻っていた。
出し抜く者がでないのか判らなかった。
菊童丸が若狭と同じ海賊に護衛を頼むという策を巡らせていた。
守護・守護代から許可を貰ってきた商人らはその陸や海の勢力図を持ち帰り、そのすべてに幕府から正式な護衛依頼の書状を発布した。
幕府の政所はその発給にてんてこ舞いだ。
それらを商人が届けるのは無理なので、地元の地頭などにすべて任せる。
皆、幕府から正式な役目(位)を貰ったことを喜んでがんばってくれた訳だ。
しかも菊童丸も予想していなかったのだが、関東より北は銭の流通が整備されておらず、流通量の少ない宋銭の価値が非常に高かった。
現代風にいうならば、プレミアムが付いていた訳だ。
相場感で言えば、8倍の価値の差があった。
信じられない大金を積まれて、それより危険が伴う荷を襲うなど馬鹿らしかった訳だ。
「なんと、そのような方法があったとは?」
「伊勢は中々の切れ者のようですな。公方様が愚かゆえに、その使い所がありませんでしたが、嫡男の菊童丸様は御聡明。朽木を手足にして、着々と力を蓄えております。何でも、遠からず、朽木に帝が行幸されるとか」
周聡が言葉を少し濁した。
確かな情報ではないが、諜報を総合するとそういう結論に達した。
しかし、行幸には相当な額が必要であり、朽木に出せるとは思えない。
幕府の財政もまだ回復してない。
関白の近衛家が勝手に言っているように思える。
まだ周聡自身も疑心暗鬼だったのだ。
「あり得ん。それはあり得んぞ」
「わたくしも俄かに信じておりません」
「周聡どの、その噂。嘘ではないかもしれませんぞ」
「神五郎は何か知っておられるのか?」
「いいえ、特に知っている訳ではございませんが、此度、武田と共に朽木の軍が上洛しており、その指揮をする者が日向守・別所 治定と御存知か!」
「もちろん、知っておる」
「別所は東播磨を拠点に尼子と争っております。尼子と言えば、大内と石見銀山を相争っている関係です」
「なるほど、繋がったな!」
「はい、繋がりました」
「何の事だ! 説明せよ」
神五郎(三好 政長)の頭の中にこういう図式が浮かんでいた。
『尼子包囲網』
西から大内、東から別所、そして、武田は海賊を集めている。つまり、海から尼子を脅かす。
管領(細川)晴元と謁見した彦二郎(武田 信豊)は問題が解決したと言った。
どこから銭がでたのか?
答えは簡単であった。
尼子を海から攻めることを条件に大内が銭を出したのだ。
もちろん、朽木がそんな大きな話を通すことなどできない。
そんなことができるのは一人しかいない。
もちろん、完全な誤解なのだが…………!?
「伊勢め! 余計なことをする」
「大殿、武田は六角の孫でございます。直接に武田を攻めれば、六角の不興を買います。狙うならば、手足の朽木でございます」
「神五郎、策があるか」
「もちろん、ございます。朽木ゆえに、『きつつきの計』とでも申しましょう」
簡単な策であった。
高島郡で朽木だけが繁栄している。
その妬みを利用する。
他の高島七頭を唆して、朽木を襲わせるという策である。
きつつきの如く、執拗に何度も何度も高島七頭を唆す。
肝は比叡山の坂本にある。
「周聡どの、高島七頭はおそらく坂本の土倉から多くの借財を抱えております」
「あぁ、そういうことか! 朽木が借財を肩代わりするぞ。嫌ならば、利子を10分の一に減らせと脅してくると囁けばよいのだな」
「はい! さらに、朽木は別所、大内と結んで幕府転覆の恐れあり。ゆえに、幕府(管領)により、討伐の許可を頂いたと内々にお伝え頂きたい」
「ふふふ、流石、張良殿。悪ですな!」
「証拠を残す訳にはいきませんが、周聡どのなら僧正どのにお伝えできましょう」
「公方様が怒っても、管領様が弁護してくれると言っておきましょう。おぉ、そうだ! 朽木の者は獣の肉を食するといいます。不浄な者が比叡山の聖地を荒らしたとでも触れ回っておきましょう」
「ははは、確かに! あの山々は比叡山の聖地でしたな」
「銭が少々入りますが、よろしいか!」
「構わん。好きなだけ使え!」
「畏まりました」
7月26日、嵯峨御所(大覚寺)にて、陰謀の種が撒かれた。
◇◇◇
神五郎(三好 政長)が和睦の意思を示し、幕府に伝えられると、神五郎の希望で六角に調停を頼んだ。
幕府から依頼を受けた六角定頼が8月13日に坂本(近江国)に赴き、孫次郎(長慶)と神五郎(政長)の元に使者を送った。和睦に概ね合意し、翌日に孫次郎(長慶)は兵の一部を引いて越水城(摂津)に入城した。
このまま兵を解散して終わると思えた。
しかし、管領(細川)晴元が褒美を出し渋って暗礁に乗り上げた。
「あの意地っ張りめ!」
(六角)定頼が軽く晴元を罵ったと言う。
その頃から高島に朽木を罵倒する僧侶が跋扈するようになった。
「朽木は大豊作、同じ高島で不作とはおかしいではないか?」
「朽木が邪法を使って、自らだけ富、周囲に呪いを掛けているに違いない」
「朽木は獣の肉を食する。人の所業とは思えん」
「朽木は鬼じゃ! 朽木は鬼に魂を売ったぞ」
庶民の間で僧がいくら騒いでも朽木家から援助の知らせもあり、高島七頭の城主らは動く様子は見受けられない。
天は意地悪にも苦難を与えた。
8月17日、高島に大雨が降った。
朽木領は一部の土砂崩れがあったことを除くと被害はほとんどなかったが、平地部に出た途端に朽木川が氾濫し、平地部のほぼ全域を水没させた。
多大な被害を出し、あまりの事に高島の民は茫然とした。
そして、朽木家からの救援物資に息を付いたという。
しかし、城主達の顔は暗かった。
収穫した米を入れた倉ごと流された家が多く出ていたからだ。
◇◇◇
天文8年9月6日(1539年10月17日)、季節外れの初雪が降った。
家を失った者には厳しい寒さが襲った。
翌日、坂本から3,000人もの僧が大挙してやって来た。
大量の米を積んだ延暦寺の僧が炊き出しを始めた。
まさに救いの仏であった。
一方、孫次郎(長慶)と神五郎(政長)の和睦はのらりくらりとして出口が見えない。
業を煮やした(六角)定頼が芥川山城(摂津国)に進藤貞治と永原重隆に軍勢800人を付けて派遣する。
これで後から襲われる心配もない。
さっさと上洛しろと(細川)晴元に矢の催促が飛んで来る。
「ええい、まだか!」
「高島七頭、高島、平井(能登氏)、永田、横山、田中、山崎の内、永田、横山、田中の三氏が粘っております。助けて貰った朽木に恩を仇で返すのは忍びないと!」
「静観でよいではないか!」
「いけません。高島の総意で朽木を排除せねばなりません」
全員を共犯に仕立てないと裏切り者が現れる。
朽木は高島で乱暴・暴虐の限りを尽くしていたことにする必要があった。
これは鬼討伐の『天誅』でなければならない。
そして、分捕った朽木領を残る5氏ですべてを分割させる。
公家衆の弁護など一切認めさせない。
「構わん。銭を積め!」
「畏まりました」
25日、5氏、すべてが明日の朝に決起することが決まり、(細川)晴元も上洛する旨を幕府に伝えた。
翌日、僧に扇動された民衆も加わって、総勢3万人の大軍が朽木谷を襲う。
「ふふふ、朽木も今日限りだ」
(細川)晴元は吉報を待ちながら上洛を開始する。