49.隔靴掻痒、幸事魔多しというけれど?
この1ヶ月、俺は寝る間を惜しんで働き続けた。
「若は毎日の如く、十分な睡眠を取られておりますが?」
「気分だよ。気分! そういう気分でがんばっていたということだ」
この体は自分の意思でふんばりが利かない。
書類や談議の最中でも突然に眠気に襲われると、もう抗えない。
武田家の家臣ももう慣れたものだ。
一度寝ると3時間は起きないので、その間に他の仕事を終わらせている。
放置されると、そのまま朝までぐっすりだ。
またまた、若狭を東へ西へと大忙し!
被害報告と指示を与えると現場に赴いて、視察をするとスコップやシャベルやねこ車などの農工具を朽木谷に発注する。
ここは来年の事も考えて補修と治水を同時に行う。
簡単にいうなら低湿地帯を1つの川と見立てて、その両岸に土手を作ってしまうのだ。
朽木谷は村の上流から村までをすべてそうしている。
村の人が嫌がったが、総出で石を並べ、その間隙にローマンコンクリートを流してゆく。大きな石と小さな石を隙間なく積むのは材料費をケチる為だ。
いずれ本格的な河川工事をするとして、急場として氾濫の起きた河川のみ行っておく。
しかし、ローマンコンクリートを使わないというか使えない。
採掘が間に合わない。
石を積んで土を被せた土手を作る。
その上に木々か竹を植えておくことで地盤の強化を図る。
土手と川に挟まれた畑は川中畑として諦めて貰う。
朽木では麻畑にしている。
移動中に寝るのが常態化し、勝手に着いてくる紅葉と晴嗣が死体のようだなと茶化してくる。
本当に土左衛門(水死体)じゃないが、麻袋(麻布団)に入れられて、馬の背で寝ながら移動しているからだ。
そういう晴嗣は3回に1回は体調を崩してお留守番をしている。
「若は4歳にしてはお丈夫ですからな」
「体操のお蔭だな」
「あの奇妙な踊りですな」
「体操だ」
「わたし、菊童丸踊りは好きよ。踊るようになってから風邪を引かなくなったわ」
「体操です」
体操と何度言っても『踊り』と言われる。
朝はラジオ体操に中華拳法の基礎式を入れた柔軟体操と鹿島式歩行術とを一通り行う。
その後にランニングを少しさせて、朝食を取ると仕事に別れてゆく。
子供達の午前は小屋で読み書きを教え、午後から様々な職業手伝いをさせて経験値を上げてゆく。
ひらがなと九九は必須として、覚えのよい子は家臣候補の寺子屋に入れる。
それ以外の子も読み書きができるようになった時点で、職人などの弟子入りを進めている。
特に希望がない子は猟人か、土木工事から兵士まで何でもできる屯田兵になって貰う。
一ヶ月近く若狭に拘束されてから朽木谷に帰ってきた。
久々子村に行っていた師事達も朽木谷に戻って来ていた。
そりゃ、俺の居ない久々子村に用はないよな。
一度は後瀬山城まで押し掛けたが、猫の手を借りたいほど忙しかったから仕事を割り振るといつの間にかいなくなっていたのだ。
御爺様と母上にあいさつを済ませると村長の藤四郎に様子を聞きに行く。
手紙では大丈夫だと判っているが見て回らないとね!
武田と共に朽木の兵の活躍を見て移住者が増えたそうだ。
数年前まで川原者と最下層だった者が武田の武将と肩を並べている。
みんな、俺の直臣で領主達より下だが家臣より上だ。
立身出世を狙った野心家から家を失った者まで朽木谷を訪れてくるようになったらしい。
山を越えた新しい村に集めて指導している。
せっかくの労働力を無駄にしないぞ。
新規に入った住民を一箇所に集めて近くに新しい村を作る手伝いをさせる。
新しい村の基礎ができると訓練していた場所が自分達の村になる。
最後に大広場を田畑に耕せば、村の完成だ。
ついでに朽木谷のルールを教えて適正も確かめる。
こうしてルーティーン(日課)のように村を開発している。
村が増える毎に仮村長が必要になる。
はっきりいって指導者不足で悩やんでいると愚痴を零している。
時間ができたら考え直そう。
ただ、土木方(作業員)が増えたのは嬉しいらしい。
土木方(作業員)とは、俺の直臣を希望する者の事だ。
石垣職人と呼ばれる『穴太衆』のような専門集団が俺の理想だ。
戦もできるが、土木方(作業員)も熟す。
これが俺の直臣となる条件だ。
治安、食糧確保(弓・罠)、治水、灌漑、開拓とやることは沢山ある。
武芸だけの家臣などいらん。
銭を遊ばせる余裕などない。
こうして朽木谷の奥に次々と新しい村が生まれている。
新しい村の様子を見終えると、(若狭)街道沿いに生まれた新しい職人の町の視察にいった。
栃生・村井(新)村は、商人と職人が移住して造られている町だ。
と言っても建設ラッシュの真っ最中だ。
行幸御殿を建設する為に京より多くの職人が引っ越してきて、自らの住居や商家の家を造っている。
行幸御殿は朽木古川辺りの山を使って作られる。
栃生・村井(新)町はその上流だ。
朽木式の街道土手を作って用地を確保すると、低湿地帯を埋めて平場を作る。
こうしてできた土地に家を建ててゆく。
流石、職人衆は違う。
煉瓦やローマンコンクリートや農耕器具に食いついていた。
技術の相互交換が行われ、職人村との交流も盛んになった。
鉄砲の型の目途が付いてきたぞ!
いやぁ~、農機具の増産の為に鉄砲作りが遅れていた。
新職人衆の農機具の生産を委託することで余裕が生まれそうだ。
で、御殿造りの職人が来ると、その噂を聞き付けた商家も引っ越してくる。
こちらは『塩麹屋』に食いついた。
研究中の味噌・醤油・酒・薬味の生産もできそうだ。
麹屋さんと村の衆の二人三脚で研究していたが、職人不足で生産ができなかった。
麹屋は麹職人であって、味噌・醤油職人ではない。
あくまで手隙に手伝ってくれているに過ぎない。
寺子屋で学んでいる子供や見習い職人の成長待ちだった訳だが、ここで一気に職人問題が解決した。
商家のツテで職人を召致してくれるらしい。
これで栃生・村井(新)町には味噌・醤油・酒・薬味の倉が建つ。
見習い職人だけなら沢山いるのだ。
2~3年以内で商売になる目途が付いた。
胡麻・菜種畑に気が付くところが商人らしい。
油問屋の許可書があると聞くと、「是非、家で!」と迫ってきたので任せることにする。
苗木の増産が終わり、やっと来年から本格栽培に掛かる。
第一目的は高級ソフト石鹸の製作だぞ!
館に行くと、当主の朽木 稙綱が笑い声を上げた。
「ははは、はっきり言って何がどうなっているのか判りません。村ができ、町ができることは良いことです。来年からどれほどの税が上がるのか、今から楽しみでなりませんな」
「あまり欲を出すな」
「もちろんです」
「今回は河川の氾濫を防げたが、次も防げるとは限らない」
「承知しております。菊童丸様に言われた治水への協力と低地での家造りは許可しておりません。木の伐採も程よく間隔を空けるように厳しく取り締まっております」
朽木領は元々7,000石程度で村人も2,800人程度しかいなかったが、今では2万石に近づき、人口も2万人に近づいている。
人口と石高が比例していないのは、職人や猟人などの兵などが増えている為だ。
1万石は水田であり、正条植で2倍の収穫が期待できるので実質3万石以上は確実な状態だ。
開発している村は水田ではなく、大豆と小麦が主流だ。
利水事業が追いついてくれば、半分は水田に変えてゆく。
先が長い。
まぁ、稗・粟・黍・麻・豆・団栗・栗などを入れると、収穫量は軽く5万石に達する。
今年の山狩りで各地に栗・柿・団栗の種を植えてきたので、将来的には10万石相当の収穫も期待できる。
葛も大量に植えて、甘味確保も余念がない。
この葛と言えば、葛根湯だ。
漢方薬の『葛根湯』は、興聖寺の名産の1つになっている。
元々、母上が風邪を召したので、葛根湯を作ってみた。
関東の上杉憲実が足利学校を再建した折りに、教材など幕府に送ってくれている。
その教材も寺子小屋の教材になっているが、その中に薬学も入っている。
人工呼吸で見せてしまったこともあり、薬学書をベースに現代知識を織り交ぜた『なんちゃって薬学書』を俺も書いてみた。
俺の薬学書を元に朽木家では薬草の栽培もやっている。
山の中でどんな薬草群があるかの地図も作られている。
その薬草を乾燥させた粉を葛に混ぜて作ったのが、自称『葛根湯』だ。
御爺様が実家に送ると重宝され、公家衆から引手数多となってしまった。
俺が作ったと言うより、興聖寺の秘伝とした方が御利益もありそうなので、興聖寺産にすると益々売れた。
『頭が痛い、腹が痛い、どんな患者にも葛根湯』
パクリのキャッチフレーズ貰った商品になった。
葛の増産が間に合わない。
近衛家は他の公家衆に売って儲け、その財政が厳しい公家衆が『祈祷より利く葛根湯』と言って売っているらしい。
末端価格は10倍を超えるらしい。
公家衆にとっての金づるになっている。
だから、気前よく、御用米に協力してくれた訳か!
今更、納得した。
『殿、菊童丸様、大変でございます』
屋敷中に響く大きな声で家臣が戻ってきた。
「どうした。何を慌てておる」
「高島七頭衆が朽木打倒で旗を上げました。総勢3万の大軍でございます」
はぁ、なぜそうなる?