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童子切異聞 <剣豪将軍 義輝伝> ~天下の剣、菊童丸でございます~  作者: 牛一/冬星明
第一章『俺は生まれながらにして将軍である』
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47.俺の周りにはスパイが一杯。

俺の仮住まいは土井山砦を改造した土井山城だ。

城と言っているだけで屋敷を中心に長屋っぽい家と麻テントが並んでいるだけだ。

皆の住まいを造る暇がない。

護岸工事と塩田工事が終わってから本格的に城の建造に掛かることになる。


東側に粟屋氏の領地だ。

土井山城の眼下には耳川が流れているが両岸とも粟屋領で土井山城が領地の境界線になる。


向こうに見える城山(標高197.3m)の山頂に粟屋勝久の佐柿国吉城がある。

宗滴の敦賀とは3里(13km)しかなく、境界の三内山を越えれば目と鼻の先にある国吉城は海岸部に横たわった天然の要塞だ。


しかも南は『敦賀富士』と呼ばれる野坂岳(913.3m)が広がっているので、軍が若狭に侵入するには国吉城の前を通らない訳にいかない。


さて、久々子の問題は水である。


耳川の水が粟屋領なので使えず、久々子湖は汽水湖の為に灌漑用水としては不向きだ。

つまり、山から流れる小川が頼りになる。

そのままでは日照りなどで農作物が全滅してしまうかもしれないので、出来るだけ多くの溜め池を作ってその日に備えると言う。

稲刈りも終わったのでこれから本格的な村の整備を始める。

もちろん、俺の領地だから正条植ができるように田畑をすべて整備し直す。


 ◇◇◇


天文8年8月10日(1539年9月22日)、朽木谷から500人の第二陣が到着した。


俺の家庭教師がこぞって引っ越して来た。


住むところなんてないぞ?


近くの寺で間借りするそうだ。


一ヶ月で帰ると言っていたが、いつまで待っても帰って来ないのでやって来たという。


勉強熱心に師事してくれる師匠達だ。


「ははは、相変わらず。若は自分の価値が判っておりませんな」

「どういう意味だ?」

「武田との戦に勝って以来、若の価値は上がっております。将軍の嫡男、そんな些細なものでなくなっているのですよ」


将軍家嫡男が些細なものと言われるのは不愉快だな!

まるで将軍が軽いようではないか?

惟助(ただすけ)の笑い声を制したのは、到着したばかりの又三郎(荒川 氏隆(あらかわ うじたか))であった。


惟助(ただすけ)殿、あまりからかうと殿に嫌われますぞ」

「ははは、安心召されよ。すでに嫌われております」

「それで笑っていられるのはお主だけだ」

「又三郎、どういうことか?」

「大和守など、ご実家の主家筋から菊童丸様とはどういうお方と矢の催促で根ほり歯ほり聞いて来ているそうです」

「大和守の実家、細川 元有(ほそかわ もとあり)は和泉半国守護であったな!」

「そうですな」


主家筋って、管領(細川)晴元じゃないか?

身内にスパイがいたのは迂闊だ。

あっ、待てよ!


「我が師匠達も間諜スパイという訳か!」

「間諜とまではいいませんが、今を時めく菊童丸様のことを知らずにいるのは恥になります。一族は当然、知り合いまで聞いてきておりますな」

「まさかと思うが、お主まで裏切っておらんだろうな?」

「ははは、御心配めさるな! 本願寺とのやりとりは私自身がやっております。同じ舟に乗っておる者です。万が一にも漏らすことはございません」


大和守は我が家臣である内談衆の一人、三淵 晴員(みつぶち はるかず)であり、我が和歌や漢詩の師匠である。

父は細川 元有(ほそかわ もとあり)で和泉半国守護をやっており、家臣の中で一番力を持っているかもしれないが、公家などとの交流が深く、内政にはあまり興味がない。


問題は細川一門であることだ。


人間的には信頼できるが裏表がなく、聞かれたことは素直に答えそうだ。

収穫高など数字はともかく、朽木谷が繁栄期を迎えつつあるのは伝わっていると思った方がいいな。


又三郎(荒川 氏隆(あらかわ うじたか))も大和守と同じく、我が家臣である内談衆の一人だ。

荒川一族の本家は三河にあり、京の荒川家の本領は河内にある。その領地が本願寺の寺領と複雑に入り混じっているので管理を本願寺に任せている。下手に手を出して横領されるくらいなら、手数料を払って本願寺に任せる方が楽だそうだ。


という訳で、又三郎と本願寺は切っても切れない関係を持っており、近衛家と九条家などを回って本願寺と連絡を取ってくれている。


朝廷に50貫文、その他の手数料に50貫文を費やしたが、俺は誰の借りも作らずに本願寺とパイプを持つことに成功した。


俺と本願寺が争うのは、又三郎にとって都合が悪いのだ。


 ◇◇◇


「菊童丸様、ただいま戻りました」


その日の遅くに、(伊勢)貞孝のおっさんの息子である伊勢 貞良(いせ さだよし)も戻ってきた。


今回は随分と時間が掛かった。


「遊んでいた訳ではございません。関白様と一緒に公家衆を回っていたのです」


流石、(伊勢)貞孝のおっさんだ。


各守護や守護代、地頭、領主に至るまで公家と交流を持つ者は多い。


今川義元なら母(寿桂尼)が権大納言中御門宣胤の娘であり、現当主の中御門宣綱や妹婿の山科言綱卿など添え状があると対応が変わる。


北条 氏康(ほうじょう うじやす)なら伊勢出身なので(伊勢)貞孝のおっさん自身と同じく、寿桂尼関係で中御門宣綱との関わり合いが強い。


幕府御用米を頼むのに幕府(将軍)と関白のお願い状だけでは相手によって効力が弱くなるが、昵懇(じっこん)にしている公家から頼まれれば無碍にできない。


マジで幕府御用米が集まるかもしれない。


「菊童丸様はとんでもないことを考えられまするな!」


そう言って入って来たのが、蜷川 親世(にながわ ちかよ)であった。


「新右衛門尉、どうしてここに?」

「何をおっしゃいますか? 朝倉にはそれなりに位の高い者を使者に送って欲しいと頼まれたのは菊童丸様でございましょう」

「まさか、幕府の次席殿が来るとは思いませんでした」

「伊勢守から頼まれました。武田は重要。朝倉に動かれては困ると」


(伊勢)貞孝のおっさんはよく判っている。


朝倉の弱点は朝倉 教景(あさくら のりかげ)(宗滴)が当主でないことだ。


朝倉氏10代目当主である朝倉 孝景(あさくら たかかげ)は、朝倉の勢力を高める為に積極的に朝廷や幕府との繋がりをも深めている。


居城である一乗谷城に多くの公家を招いている。


今回はこれを利用して武田家と関係を修復し、後顧の憂いを断ちたいと考えている。


越前も不作な上に加賀一向一揆を背後に持っているので、余剰米の放出には賛同しないと思うが、武田家との同盟くらいは唆して欲しいと思っていた。


幕府政所代の蜷川 親世(にながわ ちかよ)なら文句がない。


もちろん、関白からの手紙も持参している。


「武田と朝倉の同盟まで言ってよろしいので?」

「構わん。あちらから同盟の話が出た時点で加賀と越前の和解を打診する」

「加賀には守護がおりませんぞ」

「興福寺が兼ねて大和も守護不在だ。加賀も不在になって問題はなかろう」

「大胆ですな!」

「俺が決められる訳じゃないがな!」

「はっははは、その通りです」


力を貯めるまでの時間稼ぎでしかない。


管領(細川)晴元と孫次郎(長慶)との戦いが激しさを増すことを知っている俺としては、厄介事にしかならない朝倉も本願寺も敵にしたくない。


敵にしたくないが、犬猿の仲だ。


どっちを取ると言われれば、今の所は本願寺だ。


宗滴は信用できない。


でも、宗滴と戦いたくないぞ!


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 「師事」という言葉、これまでも記載があるのですが、「師匠」とか「師」という言葉に置き換えた方が良いように思うのですが。 「師事」は「師事する」「師事した」等の使い方がしっくりくるような…
[一言] これは……楊弓会事件来ます? それとも武田家との縁が強いから逆裁決かな?
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