39.これにて一件落着なんちゃって!
だだだだぁ、協議の場で睨みあって殴り合いの喧嘩とか止めてくれ!
「我が寺領を返せ!」
「このドロボウが何を言うか!」
「僧侶に向かって泥棒とは何たる無礼。地獄へ行くぞ」
「ドロボウにドロボウと言って何が悪い」
「そもそも我が領地だ!」
「我が守った土地だ」
「ぬかせ、泥棒が」
三者の話を聞いて、埒が明かないと思って会わせて見るといきなり殴り合いの喧嘩になった。
犬猿の仲というものはあるものだ。
坂根一族がこの地を治めており、その末裔である田辺石川家が旧領地を復興できることを条件に武田家に寝返った。
この坂根という地名は古事記の『根の国の境(坂)』という意味だ。
丹後の土地はすべて元坂根一族の土地と言っても過言ではない。
ゆえに丹後の国には石川家が多くある。
平安時代末期、大内郷を開発した領主であった平辰清から八条院女房弁殿御局に寄進された。そして、時代が流れて、建武5年(1338年)に下地3分の1が,東寺(教王護国寺)に寄進された。その頃より東寺領吉囲荘は大内荘とよばれるようになり、東寺御影堂に進止(委託)した。
荘園と言えば、西大寺領志楽荘、東寺領吉囲荘、久我家領椋橋荘、朽木家領与保呂村、長福寺領河上本荘、石清水八幡宮領鹿野荘等がある。
1つ間違えば、他も何か言ってきそうだ。
南北朝に入ると万願寺城の坂根一族が大内荘の一部を接収した。
万願寺城を築造した坂根修理亮は桂林寺を創建している。
ある意味、寺同士の抗争となった。
何故、寺領にするのかと言えば、
寺領になると幕府や朝廷が手を出せなくなるからだ。
現代風に言えば、『合法脱税』だ。
南北朝の時代は混乱しており、領主がころころと代わったと想像できる。
その時代は坂根修理亮が頭1つ飛び抜けていたのだろう。
宝徳3年(1451年)に8月16日付の洞林寺下地目録によれば,坂根左兵衛尉某は養父桂林院殿細川持常3回忌にあたって洞林寺に新田1町余を寄進している。うち3反は坂根修理亮が寄付し、洞林寺免田畠のうちに新たに桂林院殿追善のための寄付地を加えると書かれており、桂林寺の寺領であると証明される。
ところが6代将軍足利義教の時代に有力守護大名の取り潰しを行い、武田信栄に丹後国・若狭守護一色義貫誅殺の密命を下した。
その功績で武田家は若狭に所領を得ることになる。
応仁の乱が起き、一色義直、西軍山名宗全に組みしたことで丹後は混乱期を迎える。
武田・朝倉・朽木の連合が田辺を超えて宮津まで一色を攻めたてた。
その頃に田辺氏が力を付け、天文5年に武田が田辺を攻めた折りに大内荘一帯を簒奪した。
田辺氏は東田辺の有力豪族であり、田辺氏の協力なしでは加佐郡の統治が巧く機能しない。
田辺氏に大内荘一帯を返還せよなどと言えない。
しかし、丹後の有力豪族である坂根一族の石川家を敵に回すのもありえない。
当然だが、東寺(教王護国寺)の傘下である円隆寺などの真言宗を敵にしたくない。
問題を簡単に整理すると、
【坂根一族の石川家『桂林寺』】 VS 【真言宗『円隆寺』】の同宗派対決。
【地方豪族の『田辺氏』】 VS 【東寺(教王護国寺)】との土地利権対決。
この二重構造で争っている。
武田元光と信豊は勝手に決めてくれとばかり匙を投げている。
俺も匙を投げたい!
◇◇◇
殴り合いの喧嘩から睨みに変わった。
俺が調停している場で刃傷沙汰は拙いと思っているのだろうか、刀には手を掛けていない。
理性が少し残っていると思っておこう。
南北朝、家督争いなどを朝廷と足利家が長く続けていた為に、日の本中に争いの種がまき散らされた。
応仁の乱で幕府の権威は地に落ちた。
皆が好き勝手に奪い合っている。
馬鹿な将軍が『応仁の乱』の時に横領を認めた。
現状の追認であった。
味方になるなら奪った物を自分の物にしていいなんて何を考えているのだ。
その理屈で言えば、土地は田辺氏の物だ。
だが、奪った者の物になるなんて認めたら幕府なんていらないぞ!
幕府は秩序でなければならない。
田辺氏から土地を奪う訳にはいかないが、認める訳にもいかない。
どうしたものか?
困った。
「菊童丸、喧嘩などする馬鹿なんて、みんな召し上げなさい」
紅葉、それは悪手だ。
三者をすべて敵に…………そうか、悪くないぞ。
ふふふ、たまにいい事を言ってくれる。
「流石、朝廷に長く仕える関白・近衛 稙家の御息女、近衛 錦でございますな。感服致しました」
「えっ、そうかな?」
「ははは、その通りでございます。争いの種を召し上げてしまえば、三者が争うこともございません。この菊童丸、目からウロコが落ちた思いでございます」
俺の声を聞いて、円隆寺の僧侶、坂根一族の石川家、豪族の田辺氏が一斉に振り向いた。
「まさか、幕府が召し上げるなどと言わんであろうな!」
「菊童丸様、返答次第ではお覚悟頂きますぞ」
「名声に名高い菊童丸様の御言葉とは思えません」
おぉ、見事に声が揃った。
「まずは聞け!」
そう言って、むやみな発言を制止した。
奥に控える朽木 藤綱、別所 静治、山県 盛信、脇袋 範継が刀に手を掛けて、万が一に備えている。
怒りに任せて、俺に襲い掛かるかもしれないと緊張したのだろう。
まずは三者を座らせた。
「調停者たる幕府が三者から土地を召し上げたのでは体裁が悪い。そのようなことは致しません」
当然だと安堵の息を吐いていた。
「然れど、田辺殿には土地を朝廷に寄進して頂こうと思っております。そもそも『大化の改新』の折りに、坂根一族はすべての土地を朝廷に寄進いたしました。朝廷に寄進いたすならば、天下の安寧を訴える東寺(教王護国寺)様も文句を付けることもございますまい」
「お、お待ち下さい」
「菊童丸様、それは屁理屈というものですぞ」
「そうです。何故、我らが寄進せねば」
「ご安心下さい。管理は引き続き、田辺殿にお任せ致します」
「そぉ、それは!?」
「この調停に納得いかんとあらば、朝敵として罰しますぞ」
朝敵、今では死語となっている。
南朝、北朝、どちらの『朝敵』ですかと笑われる。
しかし、彼らが自らの土地であるという根拠が朝廷の法にあるならば、この『朝敵』という言葉は魔法の言葉に変わってくる。
「気に入らんなら受けて立つぞ。俺はどちらでも構わん。安心しろ! 俺が勝っても幕府の物にせぬ。ちゃんと朝廷に寄進しておいてやる。寄進いたすか、いたさぬか?」
「お待ち下さい。我ら田辺は幕府と事を構えるつもりはありません」
田辺氏、調略。
一部の領地の為に取り潰しなどされては堪らない。
管理を任すと言っているので取り戻す機会が訪れると考えたのだろう。
それに寄進することは名誉なことだ。
田辺氏にとって損ではない。
「石川、おまえはどうだ。丹後の坂根一族が敵に回るなら、それはそれで構わんぞ。ただ、他の石川は余り当てにはせぬ方がいいぞ。一色家は随分と権威を落としたようだ。俺が送った手紙にありがたく返書してきた。さらに、竹野郡と与謝郡の府中と石川の三家に分裂しておる。お家騒動で大忙しだな。三家とも俺に助力を求めてきておる。どうしたものかのぉ?」
俺が丹後の情勢を知らないとでも思っていたのか?
田辺石川家の者は声を上げられず絶句していた。
俺は石川家に不利な裁定をした訳ではない。
よって、他の石川家が団結して俺に異議申し立てする可能性は少ない。
石川家も攻略!
「最後は円隆寺方々でございますな! 朝廷から東寺(教王護国寺)様に感謝の意を伝えるように申し上げておきましょう。さぞ、東寺(教王護国寺)様はお悦びになることでしょう。異議がございますなら武田に申し立てて下さい。加佐郡の寺方、および、小浜の寺方々が審議を致してくれるでしょう」
「まさか、協定違反とか言うのではあるまいな?」
「その裁定に否と申さねば、違反になりません」
否と言えば、寺々から袋叩きのリンチが待っている。
朝廷に土地を寄進したことを否と判断してくれるだろうか?
僧侶ががっくりと肩を落とした。
円隆寺も陥落!
だが、これで終わりではない。
むしろ、ここからが重要だ。
「ところで、大内荘は随分と荒れておりますな。平辰清が開発された荘園の半分に減っているのではございませんか?」
「これから復興するところでございます」
「銭も多くいるでしょう」
「そうなると思います」
その銭をどこが出すかと言えば、協定に従って寺管理の土倉から出ることになる。
横槍を入れられるのは間違いない。
その額も相当な額になる。
多額の借金を抱えて復興しても朝廷に寄進することになる。
そんな馬鹿がいるか?
いないね!
つまり、何も解決していない。
「問題の土地を見て回ったが、俺の見立てでは新たに3倍の田畑を作り出せると見ておる」
三者の顔が一斉に上がる。
そうだ、新たな荘園を作れば、自分の物とできる。
奪い返すことに躍起となっている三者には盲点となっていた。
俺にとっては食糧増産こそ本題なのだ。
「本当でございますか?」
「まさか?」
「信じられません」
「ここで嘘を付いてどうなる。俺はできることしか言わんぞ」
嘘は言っていない。
田畑である。
米じゃない!
水路を引くのに手間が掛かるが、小麦を栽培する程度なら簡単に引ける。
「そこで復興した土地と新たな荘園を互いに費用を出し合って、それを三分割するのはいかがであろうか? 元の荘園より田畑が広くなり、朝廷に寄進した土地の褒美として、御三方殿には関白近衛様より従五位下の位を貰えるように進言いたしましょう」
おぉ、三者に光明が見えた。
交渉に出向く手前、何も土産なしでは帰れない。
新たな土地と位が付くなら議論の余地もあるだろう。
「この話は10日後に再び行うことと致しましょう。お三方ともお家の方をまとめて頂きたい」
「「「承知いたしました」」」
『これにて一件落着』と叫びたかったが、それは控えた。