37.これこそ強欲な僧というものです。
小浜の寺社を回り終えると、今度は田辺(舞鶴)を目指した。
その途中には田辺(舞鶴)と高浜の間に青葉山があり、その山腹に真言宗醍醐派の松尾寺があった。
山城のような寺と麓の村がすべて寺領という戦国寺の1つであった。
「そのような一方的な申し出など承服しかねます」
「何卒、お願いしたい」
「幕府の命令と在っても聞けませんな! 我らが申し出に付き合う義理はございません」
「これは幕府ではなく、守護の申し入れだ」
「ならば、なおさら無理でございます」
「伏してお願い致します」
そう、そう、このふてぶてしさこそ、(伊勢)貞孝のおっさんから教わった僧侶だ。
将軍の嫡男にして近衛家の一門である俺に対して上座を譲らないばかりか、住職が自ら対面しないという傲慢さが何とも言えない。
素直過ぎる小浜ではしっくりしなくて背中が痒かった。
これこそ、ザ・僧侶だ。
「もう一度申します。証文の書き換えに応じて頂きたい」
「無理ですな」
「どうあっても?」
「どうあってもです」
「判りました。では、来月中に後瀬山城に証文をお持ちください。即金でお返し致しましょう」
「何を勝手な!」
「銭を返すと言っておる。何が文句あるか!」
「それが借りた者の態度か?」
「俺が借りた訳じゃない。返してやると言っている。卑屈になる必要がどこにある」
「本気ですか? 松尾寺を、若狭を敵に回しますぞ」
僧正が声を荒げるのに合わせて、俺も声を上げた。
僧正は怯まずに言い返したのは褒めてやる。
だが、目に動揺が走っているぞ。
「菊童丸、やっちゃえ! 松尾寺なんて焼き払え!」
「無礼な! 近衛家の御息女とて容赦致しませんぞ」
「紅葉殿、お言葉は控えて下さい」
「は~い」
「申し訳ございません。連れが失礼を致しました」
「お言葉には気を付けられた方がよいな」
「よく言い聞かせておきましょう」
もう一度同じ問答を繰り返し、俺は懐より書状を取り出して渡した。
「住職殿にこれをお渡し頂きたい」
銭を取りに来いという催促状と武田領民への貸し出し禁止の禁令である。
僧正は顔を真っ赤にして怒っていた。
無断で領民に銭を貸した場合、松尾寺を召し上げると書いてある。
これほど高圧的な禁令もめずらしい。
「将軍家の嫡男だと下手に出ておれば、思い上がりおって! 何でも思った通りに進むなどと思わぬ方がよろしいですぞ」
「いつ、下手で出ておったのだ。まぁ、よい。そう思うのであれば、兵を上げればよろしい。受けて立ちましょう」
「待て、本気で言っておるのか?」
「ふふふ」
「本気に決まっているでしょう。菊童丸に掛かれば、あっという間よ。松尾寺は運がなかったわね」
「紅葉、挑発するなと言っておろう」
「は~い」
「ははは、先陣はこの別所 静治にお申し付け下さい」
「気が早いぞ」
「海賊衆にも声を掛けておきましょうか?」
「そのときは頼む」
「菊童丸様、その戦には某にも御声掛けを」
「源三郎(山県 盛信)が出るほどの戦ではない。単なる暇潰しだ」
「お主らは正気か? 伝統ある松尾寺であるぞ」
「念の為に言っておきますが、小浜の寺々はお味方しませんぞ! いやぁ、若狭の寺々も味方するかどうか?」
「そんな訳があるまい」
「嘘だと思うならお確かめ下さい。では」
そう言って俺は寺を出ると青葉山を下っていった。
あぁ、疲れた。
門前の寺まで降りて来て、肩で息をする。
「だらしない。もっと体力を付けなさい」
「背負子に乗っていた奴に言われたくないぞ」
「わたし悪くないわよ。乗れと言ったのは菊童丸だからね」
「なら、下で待ってくれますか?」
「嫌ぁ」
「ですよね」
何故か、紅葉が付いて来た。
危険が伴うので小浜に残して行くつもりだったのだが、出発の朝に門前で待っていたのだ。
にっこりと笑って!
寺社周りで晴嗣(後の近衞 前久)と紅葉が付いて来ようするので、邪魔…………ではなく、退屈だろうと思って算学の教師に抜擢した。
武田屋敷に武田家の家臣息子や小姓を集め、寺子屋のプレテストを頼んだ。
道具もいらない九九を教えての暗算の指導だ。
晴嗣も紅葉も九九をマスターしているので、役目を与えてみたのだ。
無理でも二人の付き人がなんとかしてくれる。
晴嗣ははじめて役に立つとあってはりきってくれた。
紅葉はその役目を晴嗣に押し付けて付いて正門の前で待っていたのだ。
「で、殿。松尾寺との戦はどうなりますか?」
別所静治が嬉しそうに訪ねてきた。
「挑発しただけだ。戦にはならんぞ」
「それは残念です」
「10日もしない内に松尾寺の僧侶が借財の証文を持って後瀬山城を訪れることになる」
「なりますか?」
「なる」
なぜなら、反抗した寺を攻める時は小浜の寺々が率先して僧兵を送ると返答したからだ。
召し上げた寺は寺領ごと寺々に分配すると約束しているからだ。
正確には協力した寺々で分配されるだ。
「事実を知った松尾寺の僧侶は肝を冷やすことになるでしょうな」
「ははは、菊童丸様は面白いことを考えなさる。寺を攻めるのが、同じ寺の僧兵とは思ってもおらんでしょう」
「知ったときの顔が見られないのが残念だがな!」
「ははは、まったくです」
協力を申し出た寺には貢献に応じてご褒美も添えられる。
褒美を何にするかはまだ考えていない。
協定を破ると寺領が没収される。
それが協定違反の罰則事項だ。
借財はすべて武田家を介して行われる。
武田家の仲介なしで借金の取引をしてはいけない。
これも罰則事項になる。
破った者は討伐の対象とされる。
商家が破れば、その財は商家に!
寺が破れば、その財は寺に!
討伐に協力してくれた者に再分配すると誓約している。
松尾寺は伝統も古く、朝廷や幕府の加護も大きかったので広大な寺領を持っている。
スケープゴート(生贄)には丁度良かった。
「松尾寺が討伐対象になれば、小浜の僧は目の色を変えるぞ」
「少なく見積もっても領地が倍近く増えますからな」
「そういうことだ。その話を聞いた松尾の僧侶らはどんな顔をするかな?」
「青い顔をするに決まっております」
俺も(伊勢)貞孝のおっさんから教わった僧侶対策を考えるのに苦労した。
強欲ゆえに何とかそれを利用できないかと考えた結果がこの策だ。
もちろん、何か問題ないか、小浜の商人の意見も聞いてみた。
商人達は思いもしない証文の使い方を教えてくれた。
手形みたいに使い回したたり、死んだ人間の証文を仕立ててくるなど、色々な使い方があるものだ。
対策の為に但し書きが随分と長くなってしまった。
だが、商人達は俺より悪どかった。
「がははは、松尾の糞坊主はもう一度頭を下げることになるとは思っていないでしょうな」
「だろうな! 協議に応じなかったから説明する暇もなかった」
「海賊としては、『こんぴらさん』様々です」
「いずれは日本海全域に広めたいものだな!」
「楽しみにしておきます」
海賊の頭領でもある黒丸(脇袋 範継)が何を喜んでいるのかと言えば、通行料が武田から貰えることになったことだ。
『こんぴらさん』方式だ。
四国にある金刀比羅宮にお参りするとき、村上水軍などに通行料を事前に払っておくと海賊が襲わない。
小浜の商人の一人が『こんぴらさん』と同じ方式で関所を廃止できないかと言った。
正確には関所の廃止ではない。
旗に番号を振っておき、関所で名前と番号のみを控えるだけで通行できるようにすると、身銭を持つ必要がなくなる。
後で小浜や田辺(舞鶴)の商人らが使用量に応じて一括して払ってくれる。
盗賊であれ、海賊であれ、武田に登録すれば通行税が貰え、登録しない者は討伐の対象になる。
通行税の統一もこっそりと盛り込んでいる。
瀬戸内の金刀比羅宮参りで採用されているというけど、陸で同じことができると気がついた奴は天才だ。
しかも6ヶ月以降に提出された証文の支払いの審査を小浜の僧侶達に委ねる。
認められれば、通行税から差し引かれて証文の額が支払われる。
悪どい。
6ヶ月以降に見つかった証文は紙くずになるぞ。
僧侶が自分の取り分の減る話を簡単に受けるものか?
受けないな!
しかも武田家が認めないのではなく、小浜の僧侶達が認めないのだ。
武田家は支払いを拒絶した訳ではない。
この6ヶ月、どんな奇抜な証文が飛び出してくるのか?
俺にも予想できない。
「商人は親切なのね?」
「僧侶と同じくらい悪どいですよ」
「どうして?」
「たとえば、米を商人に預けて100貫文と交換したとします。100貫文となると重たいので手形を書いて渡してくれます」
「えっ! えええ、どういうこと?
「まさか、手形も紙くずになるのか?」
「源三郎も手形が残っていないか調べておいた方がいいですよ」
「借りている銭は武将の借金、預けている銭は商人の借金です」
「むむむ、騙される所であった」
あっ、拙いな!
預けた銭のことを完全に忘れていた。
まさか、言い出した商人はこれを狙っていたのか?
商人の奴も抜け目ない、騙される所だった。
どれだけの手形が発行されているのか知らないけど問題になる。
手形の書き換えするように言っておこう。
◇◇◇
「どうこうことだ?」
松尾寺の僧正は一斉に若狭の寺に使者の僧を送った。
すばやい対応であった。
松尾寺が武田家の非道を訴えたが、色よい返事をしてくれるのは小さい寺ばかり、小浜の寺々はまったく賛同しない。
田辺(舞鶴)の寺も色よい返事をしていた寺もすぐにお詫びの書状が届いた。
「どういうことだ?」
「判りません」
わずか2~3日で松尾寺の僧侶達から血の気が引いていった。
「どういう事だ。他の寺は武田家の横暴を見過ごすのか?」
菊童丸から財政破たんの後に訪れる守護と寺との対決を説かれ、書き換えに応じる方が得であると淡々と聞かせていた。
特に小浜の僧侶にとって菊童丸の聡明さこと、未来への希望であった。
松尾寺の僧侶の暴走を小浜の僧侶達が冷やかに見ていた。
「僧正様に申し上げます」
「何であるか?」
武田家と交わした協定の中に討伐した後の分配の話を聞いて、松尾寺の僧侶が冷や汗を掻いた。
「武田家は寺領を召し上げることに興味はないかの?」
「冗談ではない。これでは武田領内の寺がすべて敵に回るぞ」
「誰だ! 話を断れば、もっといい条件を出すなどと言った奴は?」
「手打ちだ」
「今はなら間に合う。武田家と手打ちをする」
「とにかく、証文も集めよ。銭だけでも貰って来なければ」
松尾寺の僧正は武田家に反抗しないという誓約書を渡して、銭を受け取って帰ってゆくことになる。
松尾寺の僧侶は自棄にならなかった。
松尾寺の僧正は賀羅岳城主にやって来て借財を一括返済して貰い、条約に異を唱えないという誓約書に署名して帰っていった。
武田家の署名は留守を任された守護代の内藤 元兼と隠居の武田 元光の名で書かれていた。
その条約に関所を妄りに設置しないという項目が書かれていることに気がつき、松尾寺の僧正が再び賀羅岳城主に訪れることになるのは少し先の話である。




