34.怒るときは怒るのです。
「てめいら、よく聞きやがれ!」
一触即発、俺と武田家家臣一同が睨み合う。
余りに馬鹿さ加減に俺は切れた。
「俺が武田家を救済した? いつどこの話だ。おまえらの首から上に付いているのは飾りか?」
「武田家は菊童丸様によって救われました」
「救ったのではない。身売りしたのだ。武田の海を俺と小浜の商人に売ったんだよ。判るか!」
「しかし」
「しかしじゃない! おまえは俺に何を売ってくれる。さぁ、答えよ」
数え4歳の俺に恫喝されて言葉を詰まらせてどうする。
「武田家は救済されたと」
「まだ言うか! なら、救ってやろう。一瞬ですべてを救ってやろう!」
「あるハズがない!」
「簡単だ! お前ら一族郎党がすべて腹を切れ! 根絶やしだ。返す奴がいなくなれば、それで借金はすべてチャラだ。家臣と農民は面倒みてやる。さぁ、腹を切れ!」
「戯言を言うな!」
「戯言、俺は本気だ。自分で腹を切れないのか?」
「……………………」
「俺が切ってやろうか? それとも俺と戦をするか?」
家臣団を巧く取り込んで誘導したのは褒めてやる。
粟屋 勝春、俺を子供と見て侮ったな!
数で恫喝すれば、俺が引くとでも思ったか!
俺は見下すように笑みを浮かべる。
「さぁ!決めろ。戦か、腹を切るか!」
◇◇◇
前日、若狭武田家の後瀬山城に到着するとそれは熱烈な歓迎ぶりで迎えてくれた。
俺達の一向が見えた所から歓声が上がっていた。
その熱烈ぶりに圧倒された。
家臣総出のお出迎え、「こういうものなのか?」と圧倒されるしかなかった。
「菊童丸様、お初にお目に掛かります。粟屋 勝春と申します」
「この度、隣に領地を頂いたよろしく頼む」
「こちらこそよろしくお願い致します」
勝春は昨年に信孝を擁して謀反を起こしたので当主に変わって後見役に入っている。当主は息子の粟屋 勝久に変わっていたが、どうやら実権は親族に移ったらしい。
一人一人が名乗ってあいさつをしてくる。
特に遠方の城主や領主は手紙でのやりとりがなかったので俺に顔を覚えて貰おうという必死さが窺えた。
「惟助、将軍家とはこれほど敬意を払われる存在であったのか?」
「よく知りませんぬが、権威と権力が備わっておれば、皆、その威光に縋りたいと思うのは当然ではないでしょうか」
褒め殺されて、自惚れないようにしよう
さて、褒め殺されているのは俺だけではない。
婚約者の紅葉、関白近衛家の嫡男である晴嗣も褒め殺されていた。
「御正室様って言われちゃった」
「よかったな」
「それで腕のいい飾り職人がいるそうなの?」
「見返りは何もございませんがよろしいですかとだけ付け加えておけよ」
「あのね! 菊童丸、好意に好意で返すべきよ」
「好意なら感謝で返す。下心には何も返さん。それが俺の流儀だ」
「最低!」
「紅葉様、菊童丸様の異名は『物ねだり次期将軍』でございます。政所執事殿が何度言っても改めません。そのように普通に言われても耳を貸さないと思われます」
「ニワトリやヤギを持って来てくれた商人らには、いつも新商品を無償で送ってやっているぞ」
「それは買いに来いと言っておられるのではございませんか?」
「互いに儲け合うのはいい事だ」
「こういうお方でございます」
「飾りが欲しいなら朽木谷に頼めばよい。だが、会いにゆくのは構わないぞ。あったら朽木谷に来ないかと誘っておいてくれ!」
「も~う」
屋敷に入ると新守護の武田 義統のあいさつを受け、新家老衆とあいさつ、先々代とあいさつして、最後に隠居組とあいさつだ。
その後に宴会が催されて、家臣らがあいさつに訪れる。
あいさつ三昧だった。
翌日、正殿では上洛の話がなされた。
此度、集められたのもその為だ。
別室では代官や村長らを集めて今後の農政改革を岡部 斗丸が説明していた。
俺達の本命はこちらだ。
若狭で一揆や暴動が起こらせない為に予防線だ。
だが、説明しただけでどれだけの者が理解してくれるか?
無理だな。
現地に行って指示するしかない。
指示に従わない村、あるいは、不作を乗り越えられる村は放置で構わない。
俺は慈善事業をしている訳じゃない。
斗丸は連れてきた部下10人、武田の家臣50人を操って、武田領を巡って臨機応変に指示するように言っている。
臨機応変、おまえの裁量にすべて任せたという魔法の言葉だ。
我ながら酷いことを頼んでいると思う。
◇◇◇
上洛の打ち合わせは新家老達とすでに済ませてある。
今日の俺はただの神輿だ。
正殿の間では俺が上座に座り、武田 義統が横に座る。
まぁ、無冠の俺が上座の中央に座っているのもおかしい。
俺の家臣と義統の家臣が左右に分かれて、奥でイザという時の為に守っている。
紅葉や晴嗣はその外側で視界に入らない隅に座らされている。
隅と言っても上座の隅だ。
下に座らせるには微妙に高い位の親を持っている。
武田 義統が新守護になったことを報告する為に上洛する意志を示す。
新家老達もそれを承諾し、上洛が決定された。
守護の独裁ではなく、合議制なのだ。
家臣らはどれほどの兵を同行させるかに注目が集まる。
「兵は傭兵を基本し、城主・領主の動員を行わない」
ほぉ、家臣一同から安堵の息が漏れてくる。
連れてゆくのは家臣の主だった者のみ、領民で食うに困っている者がいれば、傭兵として雇いいれることが告げられた。
これで余剰の食い扶持を減らすことができる。
俺って、良心的だよね!
こうして上洛の会議が終わろうとすると、一人の領主が前に出て頭を下げて陳情した。
「菊童丸様にお願いの儀がございます」
「何だ。言ってみよ」
「我が家は武田家に変わりなき忠誠を誓い、いかなるときも武田に従って参りました。然るに、我が家の財政は最早限界でございます。どうか我が家をお助け下さいませ」
「待たれよ。それならば、我が家も忠義を尽くしてきた。財政が火の車なのは同じこと。我が家もどうかお助け下さい」
「某の家も」
「いやいや、我が家こそ」
「お願い致します」
一人が言い始めると、次々と立ち上がって「我が家こそ」と言い出した。
新守護代の内藤 重純が鎮めようとするが、若輩の守護代の声に耳を傾ける者もなく、我も我もと陳情が続く。
別室の先々代守護代であった内藤 元是が飛び出そうとするが、それを山県 盛信が止めている。
(山県)盛信は俺に逆らった訳でないので隠居する必要もないのだが、「よい機会だ」と言って、家督を山県 元盛に譲ってしまった。
守護代(内藤)元是、家老(山県)元盛は共に20歳に達しない若輩ものであり、家中の騒ぎを止めるだけの凄みがなかった。
仕方ないとばかりに家老筆頭の逸見 真正が立ち上がった。
「静まれ、静まれ、静まらぬか!」
「逸見様、我々を代表して陳情して頂きたい」
「お前達はどれほど恥ずかしいことを言っておるのか判っておるのか?」
「逸見殿、それはおかしい」
(逸見)真正の制止を遮る形で(粟屋)勝春が立ち上がり、一団の前に出て逸見の前で跪いた。
家老と城主の立場の違いを見せつけたのであろうが、(粟屋)勝春が家臣一同の代表にも見える。
「(粟屋)勝春殿、何がおかしいと申されるのか?」
「武田家は此度の借財を肩代わりして頂いたというのに、我らはなんら恩恵を受けておりません。これでは片手落ちではありませんか?」
「武田は確かに菊童丸様によって助けられた。何か勘違いしておらぬか?」
「商人共より確かに聞きましたぞ。武田家の借財はすべて小浜の商家が引き受けたと」
はぁ、(粟屋)勝春が何か馬鹿なことを言ってやがる。
「武田家の為に忠義を尽くした我らだ。武田家のみが救済されるのはおかしいと思わんか?」
「そうだ」
「そうだ」
「我らの借財も小浜に引き受けさせろ!」
「待て、待て、聞き違いをしておるぞ」
「逸見殿は黙れ!」
「おぬしら、誤解しておる。まずは自分達が言っていることが恥ずかしいと思わんのか?」
「否、恥ずかしいのはそなただ」
「何を言う」
「逸見殿、海賊を使って朽木に金を売って儲けておるのはすでに明白ぞ。自分だけ儲けて恥ずかしくないか?」
「朽木と言えば、菊童丸様が居られる場所ではないか?」
「そうだ。自分だけ儲けて、我らに分け前を寄越さんとは、この恥知らずめ!」
「今回のことと商売のことは関係ない」
「騙されんぞ」
「そうだ、そうだ!」
「俺達にも分け前を寄越せ!」
うん、大勢は決まったらしい。
皆を代表して、粟屋 勝春が一歩前に出て、俺の方に向いて陳情を恫喝するように言った。
「返答や如何に! 菊童丸様、武田家家臣一同の願いでございます。どうか我らの陳情をお聞き届け下さい」
「お願い致します」
「お願い致します」
「お願い致します」
「お願い致します」
「お願い致します」
・
・
・
家臣一同が順番に頭を下げてゆく。
お願い?
武田の家臣一同を敵にするつもりかという恫喝の間違いではないか!
目は怒りで狂い、頬は緩んで笑みが零れる。
中々、狡猾な親父だ。
最初から根回しをしていたのだろう。
蜜に群がるアリどもめ!
「何故、俺がそんなことをせねばいかん」
「なぁ!」
「もう一度言ってやる。何故、俺がおまえらを助けねばいかん」
「武田家と我らは一心同体、武田家のみを救済するのは片手落ちでございます」
「ふふふ、馬鹿かおまえら」
俺は立ち上がり、ずかずかずかと前に進み、腰の扇子を取って、(粟屋)勝春の額に向けた。
思わず、(粟屋)勝春は腰に手を当てるが帯同は許していない。
「てめいら、よく聞きやがれ!」
◇◇◇
俺の言葉に黙ってしまった。
突き付けた扇子を払う勇気を(粟屋)勝春は持っていない。
払えば、戦だ。
銭を寄越せと支持を集めたのは悪くないが、引き際を間違ったな!
否、そもそも情報が間違っていた。
知って扇動していたなら厄介であっただろうな。
(粟屋)勝春との戦にどれだけの味方が付くか数える必要もない。
上洛するにも兵を出せないと銭を無心する連中だ。
(粟屋)勝春の為に戦ってくるか?
否だ。
さぁ、止めを刺しておこう。
「国吉城主、粟屋 勝久、俺と一戦を交える勇気はあるか?」
「滅相もございません」
粟屋の当主もあっさりと軍門に下った。
分家はどうする?
ふっ、俺はゆっくりと元の席に戻る。
「その借財、一先ず、すべて預からせて貰おう。だが、俺は優しくないぞ。覚悟しておけ!」
一同が頭を下げた。
さて、どうしたものやら?