31.俺は運命に抗う。
朽木の館で手紙では語りきれない話をする。
手紙ではどうしても要点を詰める。
わずか3カ月の間で状況が大きく変わっていた。
蚊帳で大儲けになっているのは知らせてくれたが、近衛館の件など書かれていなかった。
さっき聞いてびっくりだ。
朽木当主の稙綱も領地の譲渡を認めたが、帝が行幸できる屋敷を建てるとは聞いていなかった。
どれほどの寄付を要求してくるか、頭が痛そうだ。
俺は痛いのを通り越している。
「なぁ、惟助。俺は時々、穴の開いた鍋に水を注いでいる気分になるのだが、どう思うか?」
「それは足利という鍋でしょうか?」
「お前は遠慮がないな!」
「よく言われます」
もぐもぐ、能天気にすぐ横で饅頭を食べる紅葉と晴嗣がいた。
二人は幸せそうに饅頭をほおばっている。
見るからに幸せそうだ。
悩んでいる俺が馬鹿らしくなる。
春ごろ、朽木谷に来た彼らはトンでもない田舎で戸惑っていたが、今では普通に暮らしている。
これも報告されない変化の1つだ。
何故か、隣の部屋に饅頭を用意させたのに饅頭ごとこちらに引っ越してきて、いくら説明して戻ってくれない。
さて、そろそろ本題だ。
「いないものと思って話せ!」
「畏まりました」
幕府による孫次郎(長慶)と管領(細川)晴元との交渉が終わり、孫次郎(長慶)による(三好)政長を討伐する問題に差し替わった。
孫次郎(長慶)が(三好)政長の不正を摘発し、幕府に訴えた。
それに対して、(三好)政長も被官である唐木崎開康に幕府の返還に応じるように命令して、大徳寺より奪った領地を返還した。
孫次郎(長慶)の追求に(三好)政長も被官らが抗議の構えを見せて、寺などで暴れるなど軍勢の乱暴・狼藉を行い、それを(三好)政長が禁令を出し合って押し留めていた。
そこに若狭武田家で内乱の報告が入った。
今更だが、(三好)政長が慌てた顔が浮かぶ。
一ヶ月余りの膠着の後に『太良庄の戦い』で、守護武田 信豊が将軍家嫡男と守護嫡男の陳情軍に負けたと報告が入り、同日、新守護となる武田 義統は将軍義晴への臣従を誓う旨が伝えられ、管領(細川)晴元に若狭武田家の援軍が来ないことが決定した。
天文8年閏6月13日(1538年7月28日)、孫次郎(長慶)と三好政長方との話し合いが決裂し、同日、孫次郎(長慶)は伊丹次郎、池田筑後守、柳本孫七郎、三宅国村、芥川豊後守、木沢長政へ動員を発布するが、将軍(足利義晴)から出陣を延期するように御内書が発給された。
孫次郎(長慶)が強行策に出たのであろう。
うん、俺もそうする。
「ただ、父上にしては、手際は良すぎるな!」
「ご明察の通りでございます。六角定頼様に仲介を願い出たのは、孫次郎(長慶)自身なのです。幕臣の蜷川親俊に手紙を持たせ、管領(細川晴元)様への説得を内々にお願いしたのです。六角定頼様が仲介の意思を公方(将軍)様にお伝えしたので、出陣を延期するように御内書を発給されました」
「つまり、孫次郎(長慶)は自分で出陣を号令し、父上を使って取り止めさせた訳か!」
「そうなります」
「相変わらず、狡猾な奴だ」
「といいますと?」
「孫次郎(長慶)が自分で仲介を頼んだのだ。これでは(六角)定頼は(管領)晴元の為に兵を上げることができない。仮に定頼が兵を動員しようとしても家臣らが反対する」
「確かに、大義もなく、得るものもない戦に兵を出したくありません。孫次郎(長慶)が定頼様の面目を立ててくれているのですから、頼ってきた者を足蹴にするなど、武士の恥。その背後を叩くなど恥ずかしくできませんな」
「そういうことだ。孫次郎(長慶)は(六角)定頼を立てるという礼儀を示した。孫次郎(長慶)が自ら交渉の席を立たなければ、(六角)定頼から攻められる心配は無くなった。逆に(管領)晴元が席を立てば、(六角)定頼は面目も潰されたことになり、味方はできない。いずれにしろ、(六角)定頼が敵で無くなったということだ」
だが、孫次郎(長慶)の意図が読めない。
これでは同時に自分の手足を縛り付けたことになり、孫次郎(長慶)も三好政長方を攻めることができない。
何を狙っている?
その三日後、天文8年閏6月16日(1538年7月31日)に孫次郎(長慶)は摂津国上郡に出陣し、同日、清水寺の近くにいる軍勢に乱暴狼藉、矢銭・兵糧の賦課、山林竹木の伐採、一揆乱入、課役の賦課を禁じたと云う。
「惟助、もう少し判るように言え!清水寺に押し込んだ者は孫次郎(長慶)方の者か!」
「いいえ、どこの者とも知れません」
「つまり、孫次郎(長慶)に肩入れする清水寺に(三好)政長方の者が押し入ったのではないのか?」
「詳しくは判りませぬ」
孫次郎(長慶)が都より出ると急に治安が悪くなった。
互いに睨み合い、小競り合いをしていた一方の軍勢が摂津に移動した。
劣勢の(三好)政長方の被官らが都で暴れて支持の回復をはかったとも見える。
孫次郎(長慶)と(三好)政長は互いに寺への乱暴・狼藉等々を控えるように禁令を発行するだろう。
孫次郎(長慶)と(三好)政長はどちらも寺々と対立する気は絶対にない。
そんな余裕がある訳もない。
孫次郎(長慶)が出て行くのと急に治安が悪くなった。
民衆は(三好)政長方が暴れていると考え、その批判は(管領)晴元に向く。
「惟助、(伊勢)貞孝のおっさんに伝えて、騒ぎを起こしている者の裏を探れ! おそらく、足は付かんだろうが、孫次郎(長慶)が仕掛けている罠だ。次は都の支持を奪うつもりだ」
「おぉ、なるほど! 都に延暦寺、浄土宗、法華宗、禅宗などの寺々があり、特に都の治安が悪くなると法華宗が黙っていません。彼らを怒らせれば、管領様も唯では済みませんな」
「そうだ! それが奴の狙いだ。その為に京から兵を引き上げさせたのだ。まだまだ、押し入りは起こるぞ!」
「すぐに伝えて起きます」
「ズルい奴だ」
巻き込まれる方は堪ったものでない。
民衆を平気で撒き込める奴は怖いな。
俺にはとてもできそうもない。
「そんな悪い奴なら、菊童丸が倒して上げればいいじゃない」
「止めてくれ! 孫次郎(長慶)と戦うくらいなら、(管領)晴元を騙し討ちする方がずっと楽だ」
「えっ、どうして?菊童丸なら簡単でしょう。倍の敵を一蹴したって聞いたわ」
「孫次郎(長慶)なら、戦う以前に敵がひれ伏すだろう」
「そんなに凄いの?」
「今は絶対に戦いたくない」
「でも、そいつの敵は管領様でしょう。偉い人なのでしょう?」
「偉いかもしれないが、大した奴ではない。いやぁ、俺と比べるなら凄い奴だ。俺はどちらの足元にも及ばない?」
「何故だ。倍する兵に勝ったのであろう。何故、そこまで卑屈になる?」
晴嗣が急に会話に入ってきた。
◇◇◇
小浜の陣、太良庄の戦いは無用な戦であった。
序盤を巧く立ち上げたことで俺は油断していた。
前守護・武田 元光の威光を巧く使って、戦を回避できたと思っていた。
もちろん、戦になっても絶対に勝てる準備をしていた。
「最後に気を緩めたのは俺の失態であった」
「そんなことはございません。菊童丸様は気を緩めず、国人衆の元に足繁く通い、造反の芽を摘んでおられました。油断していたのは我ら家臣団の方でございました」
一緒に回ってくれた稙綱の3男、成綱が擁護してくれる。
「俺は戦の本質を見ておらんだ。(管領)晴元は義兄弟であることを頼りに武田軍に助けを求めたと勘違いして、それを正そうしなかったのが俺の失敗であった。(管領)晴元は若狭の財政を知り、そこに搦め手の重きを置いた。追い詰められた武田 信豊は決戦に挑むしかなかったのだ」
「しかし…………」
「待て、判っておる。俺は武田家の財政を覆す手札を持っておった。気が付かなかったのは俺の失態であった」
「いいえ、違いますぞ、菊童丸様! 戦で勝たねば、将軍家の嫡男であっても誰も命令に従いませぬ。菊童丸様の『塩田』に感謝する者は多いでしょうが、感謝は『尊敬』や『恐怖』になりませぬ。この戦に勝ったことで、菊童丸様は若狭に根を張ったのです。これより若狭の領主達は将軍家の威光を軽くみないでしょう。菊童丸様は最善の選択をされたのです」
「俺はそれを知ってやった訳ではない」
「いいえ、菊童丸様の武運がそれを引き込んだのです。次に繋げればよろしい」
朽木家の当主、朽木 稙綱が言葉で少しだけ心が軽くなった。
無駄な戦ではなかったか!
「稙綱、そなたの言葉に感謝する」
「某は本当のことを言ったまで」
「今回は運がよかったと思うことにしよう。だが、俺の敵である孫次郎(長慶)、管領(晴元)、(三好)政長らは、それすら周知して戦を仕掛ける歴戦の猛者達だ。今の俺では敵わん。ゆえに、おまえ達の力を貸してくれ!」
俺は自然と頭を下げていた。
「当然のことでございます。頭をお上げ下さい」
この場にいる朽木の者、そして、連れ立った家臣達は俺の宝だ。
「ところで、何故に近衛家の方をお連れしたのですか?」
朽木家の5男、輝孝が数え9歳であるが故に、空気を読まずに素朴な疑問を聞いてきた。
「勝手についてきただけだ」
「勝手じゃありません。ちゃんと紹介して!」
「判った。判った。知っていると思うが紹介しよう。此度、我が妻となることが決まった近衛 錦殿だ。これからもよろしく頼む」
「近衛 紅葉でございます。紅葉とお呼び下さい」
「おめでとうござます」
「「「「「「「「「おめでとうござます」」」」」」」」」
「うむ、共々、よろしく頼む」
「「「「「「「「「はぁはぁ~~~!」」」」」」」」」
一同が頭を一斉に下げた。
さて、改めて紹介しよう。
「朽木家の当主、朽木 稙綱と嫡男の朽木 晴綱だ。我が家臣にして、最も信頼を置くものだ。この二人が俺に協力してくれなければ、今の俺はここにいない。かけがえのない友と思っておる」
「もったいないお言葉、感謝の念に堪えませぬ」
「その様に言って貰え、ありがとうございます」
おいおい、男泣きは止せ。
「次に次男である朽木 藤綱は先の戦いでも敵陣に飛び込む武勇を見せておる。頼りになる武人だ。その力、俺に貸してくれ!」
「当然でございます。血の一滴まで、すべてお使い下さいませ!」
武人と言われて嬉しかったのか、頬が緩んでいる。
「3男と4男、成綱と直綱は俺の小姓をしている。俺の目・耳・口となって、この朽木谷のことを知らせてくれている。この二人のお蔭で、今の朽木谷があると言って過言でない。俺の分身と言っても良い。感謝しているぞ! どちらかは必ず、この谷におるので困ったことがあれば頼れ!」
「承知しました」
分身と言われたことが嬉しかったのか、二人とも返事もできずに泣いた。
その隣で「俺は、俺は」と熱い視線を送ってくる5男の輝孝がいる。
4男の直綱は数えで11歳と思えないくらいしっかりしているのに対して、5男の輝孝は数え9歳のやんちゃであり、この朽木谷を駆け回っている。
はっきり言って、余り役に立っていない。
「輝孝、お主から聞く皆々の話は助かっておる。これからも皆の言葉を俺に伝えてくれ!」
「はい、がんばります」
まぁ、他の家臣は追々紹介する事にするか。
「某は紹介して頂けませんか?」
締めようと思った矢先に惟助が呟いた。
「こいつは父上に命じられて俺に付いてきている目付けの和田 宗立だ。甲賀の出で腕は一流、俺の耳となって様々な情報を集めて貰っている。惟助に聞けば、大抵の事が判ると思え! だが、こいつの話は信じるな! 俺が困るのが、こいつの楽しみらしい。俺を困らせる為なら平気で嘘を付くから気をつけろ!」
「酷い申しようだ。私ほど、若のことを好いている者はおらんというのに」
「先の戦いでも、武田の財政が逼迫しているのを知っておったであろう」
「どれほどかは知りませんが、当然ながら調べておりました」
「何故、言わなかった」
「聞かれませんでしたので、その方が面白いかと」
「こういう奴だ」
頼りになるが、当てにはできない。
「判る。判る。菊童丸、戦う所を見たかったのよね」
「おぉ、ご理解頂けましたか! 流石、御正室様でございます」
「気が合いそうね!」
「はぁ、これからもよろしくお願いします」
「わたしの愚弟もよろしく」
「はぁ、畏まりました」
晴嗣は俺を睨みながら「ぐ、ぐ、ぐ、負けない」と呟いている。
俺はお前の方が羨ましいよ。
俺は11歳になると将軍になり、孫次郎(長慶)と戦う運命が待っている。
享年30歳(満29歳)で死にたくない。
時間がない。
無茶を承知で背伸びをする。
晴嗣、俺はお前に転生したかったぞ!
これで第1章の前半が終了ですね。
続けて、後半が始まります。