22.若狭武田、小浜の陣の前夜。
守護・信豊が討って出たと聞いて、ガラガラ城(賀羅岳城)の武将達が騒然となった。
「戦というならば、父上と言え、容赦致しません」
「元栄、よく言った!」
総大将の武田 義統(13歳)は腹が座っていて助かった。
これで勝負ができる。
一方、城主代理の山県元盛(17歳)が青ざめている。
「どうした守護と戦うのが怖くなったか?」
「そういう訳では……………!?」
若い(山県)元盛が青ざめているのは判るが、前守護代の内藤 元是まで深刻そうな顔をしている。
甲斐の武田と違って、若狭の武田の家臣団は腰砕けが揃っているのか?
今はそんなことを考えても仕方ない。
「敵の数はいくらか?」
「はぁ、おおよそ800となると思われます」
「よし、勝った!」
「はい、勝ちました!」
そう、予想より敵の兵が多かったが数で勝った。
一ヶ月前、こちらの『檄文』に対抗して、守護・信豊が兵を集める指示を送ったが、ほとんどの国人が様子見を決めた。
檄文の後に守護嫡男の(武田)義統と前守護代の(内藤)元是が連名で兵を出さないように願った手紙を送ったのが利いた。
味方をしろと書かずに、兵を出すなだ。
和議がなった後は、厳しい沙汰が下らないように助命し、(武田)義統が守護になった暁には必ず恩義に報いると書かれていた。
守護に逆らうのではなく、サボタージュをお願いした。
もちろん、俺は逆らうなら全部ぶっ潰すと脅しを掛けた。
『将軍になった時は覚えておけ! 俺は一度敵になった奴を容赦しない』
そんな感じの手紙だ。
ビビってくれれば、儲けもの程度だ。
ふっ、どちらの効果があったが知らないが、守護代の国人衆までサボタージュしたことが決めてとなって、ほとんどの兵が集まらなかったのだ。
兵が集まらないと諦めた守護代の内藤 元兼はわずかな手勢を連れて、後瀬山城に入った。
守護代でそんな状況だ。
後瀬山城に集まったのは200人足らずという悲惨なことになった。
守護・信豊が悔しがる顔が目に浮かぶようだった。
こちらもガラガラ城(賀羅岳城)に集まったのは200人足らずであったが、我に秘策あり!
加世者を集めて傭兵とした。
ガラガラ城(賀羅岳城)に集まった手勢200人に加えて、小浜・敦賀・田辺(舞鶴)など周辺の町からかき集めた傭兵400人、近淡海からも100人をかき集め、沼田の村から50人、俺が率いていた狩人衆100人、朽木から援軍が50人、太良庄の農兵200人と合わせて、総勢1,100人になった。
数で圧倒した。
俺達は太良庄を出ると、高塚から北川を渡河して、府中を避けて陣を張った。
小浜の城下町である府中から大手町を火の海にして、武田氏館を攻めるつもりはない。
1,100人程度で山城攻めなどする気もない。
おい! コラぁ、出て来い!
そんな感じだ。
守護・信豊は出陣を命じたが、家老らに止められて押し留まった。
そのまま詫びを入れてくるかと思っていたが、巧く行かないものだ。
内々に話し合いがはじまったので、兵を下げて陣屋に戻した。
何度も決裂しながら交渉は進んだ。
ここに来て戦を仕掛けるとは思わなかった。
農家を掻き集めて800人に達したのは意外だったが、数で勝っているのだ。
互角以上の戦いができる。
「その兵がおりません」
はぁ、どうしていない?
「兵糧が集まらず、叛乱の危険性もあった故に解散させました」
「解散? いつのことだ!」
「つい先日のことでございます」
馬鹿か、敵がまだいるのに解散させてどうする?
そう先日、和議が内々に内定した。
長かった。
一ヶ月以上も粘りやがってと俺も思った。
それで(山県)元盛、(内藤)元是の両名はもう戦にならないと安心しきっていたのだ。
空気が緩んでいることに気づくべきであった。
顔を青くしていたのはこの為か!
決まった話を反故にして、戦を仕掛けてくるとは思っていなかったのだろう。
身内同士の緩みという奴だ。
それ以前に一ヶ月程度で兵糧が尽きるとは思っていなかった。
そこまで読んで策略を巡らす知恵者がいたとは思いたくない。
否ぁ、いない。
そんな人物がいるなら小浜の町で募兵を許す訳がない。
おそらく、やんごとなきことがあったのだ!
糞ぉ、思うように行かんな。
「はぁ! 新左衛門(沼田光兼)。 まさかと思うが、我が兵を解散していないであろうな!」
「はぁ、我が方は朽木谷より兵糧が送られておりますれば問題ありません。僧らから肉を食するのを控えて欲しいと苦情がある程度であります」
よかった。
近淡海の傭兵は解散していなかった。
後で知ることになるが、解雇した加世者400人がすべて守護・信豊の兵として雇われて敵に回っていた。
策士、策に溺れるとはこの事である。
下手に傭兵を集めず、こちら550人、敵から400人程度でやり合って方が楽だったのだ。
蓋を開ければ、敵が800人で、こちらは500人だ。
馬鹿か!
「こちらも陣触れを出せ!」
「はぁ、しかし………」
「判っておる。間に合わんのであろう。構わん、敵との戦いが膠着したときの切り札になる」
敵はほぼ集め終わっており、夜明けと共に攻めてくるだろう。
もしかすると夜襲もある。
一方、これから陣触れをしても集まるのは明日の朝であり、使えるようになるのは明日の昼前だ。
すでに、夜となっていた。
今から兵を集めても朝には間に会わない。
ゆっくりと進軍してくれれば、農兵も間に合い、互角の戦いができる。
期待薄だが、やっておく。
「夜襲にも備えよ。見張りの兵を放てよ!」
「はぁ!」
「物見を立てよ。草を放て!」
「畏まりました」
ガラガラ城(賀羅岳城)と後瀬山城は山を1つ挟んだだけで6kmほどしかない。
徒歩で1時間という所だ。
最大の難所は小浜湾に流れ込む北川である。
川幅は広いが水深は余りない。
つまり、渡河ポイントが多い。
北川と松永川が合流地点は水量が多く足場も悪い。
下流の高塚か、上流を迂回した下野木のどちらかだ。
迂回するか?
否だ、最短距離を歩んでくる。
ここで戦を選択する脳筋だ。
回りくどい策はない。
半月も近い。
(暦では、閏6月10日ですが、当時の旧暦は少し遅れています)
月明かりを頼りに行軍し、夜明けと共に城攻めの奇襲する?
俺なら、そうするが守護・信豊は判らん。
難しいことは考えても仕方ない。
北川を渡河し終え、高塚の山沿いにガラガラ城(賀羅岳城)を目指すなら、高塚の山側に兵を隠し、横槍を入れることができる。
こちらも兵を集める時間が稼げる。
「討って出る!」
「籠城ではないのですか?」
「兵糧がないのに籠城してどうするつもりだ。こちらは不利となれば、国人衆がこぞって敵に回るぞ。乾坤一擲、敵を討って、この戦を終わらせる。急ぎ、準備せよ」
「はぁ!」
「三朗、新左衛門、兵を呼べ。夜襲を仕掛けるぞ!」
「「「「はぁ」」」」
三朗(朽木 成綱)、新左衛門(沼田光兼)ら、一同が頭を下げた。
こうして、『小浜の陣』がはじまった。