21.鴨がネギを背負ってきた。
一万貫文は現代の価値で6億円に相当する。
(米相場で変わってくるが、一万貫文 = 一万石 くらいになる)
小守護にとって大金であるが、大大名にとってはした金である。
領地を持たない俺にとって、さらに大金だ。
苦労して手に入れた一万貫文を手放すのが惜しい。
武田家ごと、俺が喰った方がいいんじゃなか?
なんてことを考えていると悪い顔になっていたみたいだ。
「何か面白い事でも考えつきましたか?」
惟助にそう言われて我に返った。
首を振って邪念を払った。
「下らんことを考えていた」
「そうですか」
にたにたと笑うな!
人間、金に執着するとロクでもない。
武田を喰うのにどれほどの犠牲が生まれるのだろうか?
騙して、唆して、裏切って、若狭の武将らに疑心暗鬼の種を植えて作り出す。
俺が作る。
大事の前の小事と割り切れる悪徳になれないと無理だ。
積極的にやりたくない。
とりあえずなしだ。
◇◇◇
山を下山すると、少年が俺を待っていた。
「お初にお目に掛かります。武田治部少輔が嫡男、元栄と申します」
「菊童丸だ」
ほぉ、これが未来の義理弟か!
年は数え14歳(13歳)、元服して義統と名付けられた。
この『義』の字は父上から偏諱を受けている。
「この度は父上のご無礼。平にお許し下さい」
「気にすることはない。お主の父も武田を思ってやったことだ。恨む気持ちは何もない」
「そう言って頂いてありがとうございます」
「して、そなたは父の考えに従うつもりか?」
「いいえ、わたくしは祖父より、菊童丸様の下知に従えといいつかって待っておりました」
流石、元守護の武田 元光はよく判っている。
助かった!
将軍派の山県盛信を烏帽子親に持つ次期当主などを野放しにするなど、俺なら絶対にしない。
こんなジョーカーを放置していいのか?
盛信と同じく、軟禁されていると思っていた。
思い込みはよくない。
こいつの親父が脳筋でよかった。
「1つだけ質問をするぞ。お前の親父は頑固そうだ。戦になるかもしれん。それでもいいのか?」
「祖父にも聞かれました。構いません。武田家は将軍家と共に歩みます」
「相判った。手伝ってくれ!」
「はい」
俺は守護信景に見つかる前に、山県の居城であるガラガラ城(賀羅岳城)に移動した。
この戦は勝った。
◇◇◇
ガラガラ城(賀羅岳城)に到着すると、俺は義統との連名で『檄文』を飛ばす。
『甲戌已死 丙戌當立 歳在己亥 天下大吉』
蒼天已死をもじってみた。
檄文の内容は、「前守護・武田 元光と忠臣・山県盛信を閉じ込めて、現守護・武田 信豊は幕府に謀反を企てている。忠臣と思う者は、将軍嫡男・足利 菊童丸と守護嫡男・武田 義統の元に集え。守護の命運は尽きている。新守護によって正道を正そう。これ、天下の為なり」という感じだ。
これで兵が集まる訳がない。
三国志のパロディーだ。
これを見て、忠義と信じて集まる奴は馬鹿か、腹黒のどちらかである。
同時に現守護・信豊にも兵が集まらない。
なぜなら、守護になったばかりで国人らの信頼が薄い。
元守護・元光を監禁しているなどと嫡男に言われると体裁が悪い。
国人らが元守護・元光の影に怯えてくれる。
将軍嫡男が守護嫡男を新守護と公認した事で都合が悪くなった。
俺が『檄』を飛ばしても誰も気にも掛けてくれないが、俺が勝手に将軍の代理を名乗って新守護と言った。
その新守護に山県元盛が後ろ盾となる。
どちらは本当か、判断が付かなくなったのだ。
どちらに付くにしても敵に回った者は粛清の対象にされる。
これでは迂闊に国人達は兵を出せない。
どちらにも兵が集められないようになった訳だ。
「菊童丸様、お見事です」
「ははは、単なる千日手だ。褒めるほどのこともない」
「父上は幕府に仲介を頼むしか手がございません」
「そうだといいな!」
「愚息がご迷惑をお掛けします」
「伊豆守(内藤 元是)が来てくれただけでも心強く思います」
「そう言って貰えるとありがたい」
守護・武田 信豊に元には、守護代の内藤 元兼が残った。
こちらに駆けつけて来てくれた前守護代(内藤)元是の息子だ。
信豊には若狭武田家四家老の一人である武藤 友益と粟屋 元隆も残った。
粟屋 元隆は、去年(天文7年)に前守護・元光の弟である信孝を擁立して謀反を起こした張本人であり、信豊と戦って敗れた経緯がある。
家督は子の粟屋 勝久に譲っており、居城・国吉城が三方(美浜)の佐柿にあるので、朝倉を警戒するとか言って参陣を控えて戻っていった。
去年の事もあるので、我関せずを貫くつもりだ。
一方、なんちゃって新守護・義統には、前守護代の内藤 元是、海賊衆と結び付きが大きい逸見 真正の子である昌経が集まった。
家老の一人である逸見 真正は中立を保ち、仲介役に徹している。
こちらの要求は前守護・元光と(山県)盛信の解放のみであり、謀反というより諫言に近く、同情的な国人も多い。
守護・信豊の元に家老の二人(守護代を含む)も残ったのは誤算であったが、こちらも家老職の身内を二人も引き込んでいるので互角である。
うん、互角で十分だ。
時間を稼ぐだけで勝利が確定する。
三好の紛争が終わった時点で、今度はこちらから幕府に仲介を願い出る。
これで解決だ。
勝敗は六角次第だが、武田と違って巧い話では揺らがない。
どちらが説得できるかとなるが、(政所執事・伊勢)貞孝のじいさんが口論で(管領)晴元に負けるとは思えん。
となると、
孫次郎(長慶)と(管領)晴元の勝敗で決する。
俺は孫次郎(長慶)が勝つか、引き分ける方に張っている。
間違って(管領)晴元が勝ったなら平謝りするしかない。
しかし、勝ち過ぎは六角が許さないので、孫次郎(長慶)は折れるしかない。
俺の予想はそんな所だ。
「注進、おやか……、いえ」
「構わん。早く言え!」
「治部少輔様。陣触れを起こしました」
「なんだと!」
「和議の使者の間違いではないか?」
「いいえ、陣触れを発したとの連絡が届きました」
脳筋め!
◇◇◇
守護・信豊が兵を起こしたのは訳があった。
「これこれは和尚様、わざわざのおこし感謝いたみいります」
「前置きは良い。管領様よりお言葉を伝えにきた」
「はぁ」
管領というが、実際は丹波に隠居したハズの(三好)政長の使いであった。
「約束期日よりすでに一ヶ月、いつになったら出陣して頂けるのか?」
「ご存じと思いますが、少々厄介なことになっております。今、しばらく」
「そう、伝えておきましょう」
「よろしくお願い致します」
「ただ、一色 義幸殿から上がっている加佐郡返還の議が通り、丹波の波多野 稙通の丹波軍と共に押し寄せても知りません。そうならないようにお気お付け下さい」
守護・信豊が唾を飲み込み、その脇で聞いていた守護代の(内藤)元兼、(武藤)友益、(粟屋)元隆が冷や汗を掻くのです。
元々、管領晴元・(一色)義幸と海賊が組んで、背後を脅かされた経緯があるので冗談では済まされません。
すぐに内乱を鎮めて、京に上る必要が出てきたのです。
「陣触れを出せ! 明日中に事を片づける」
「「「はぁ」」」
危機迫る守護・信豊に戦慄が走ります。
一方、なんちゃって新守護・義統派ははじめから戦う気がなく、緊張感に欠けていたことを知ることになったのです。
豆知識
武田 義統 は天文17年2月24日に義輝の妹を嫁にして、信統(晴信)から義統に改名に改名します。
しかも、信統から晴信に改名したのが不明な上、晴信は甲斐の晴信(信玄)と丸被りです。
作中では、信統は余りにも知られていないので、義統に統一しています。
追加、
粟屋氏の領地は三方(美浜)の佐柿です。
国吉城は佐柿の方が感じがいいので変更します。
修正します。