20.丹後の一色を唆して戦をはじめるかも?
山城は嫌いだ。
疲れたからと言って背負子に乗ってゆく訳にいかない。
何か勘違いしているかもしれないので言っておくが、俺が百里岳、三国岳のような野坂山地の山々を徒歩で移動したなどと思わないで貰いたい。
数え4歳(3歳)に何を期待している。
俺の足に合わせていたら1ヶ月で走破など不可能だ。
経ヶ岳(889m)、天狗岳(928m)、三国岳(775m)、三国岳(959m)、百里ヶ岳(931m)、駒ケ岳(780m)、千石山(682m)だぞ!
登山を楽しみに言った訳じゃないから山頂は目指さないが、朽木谷に戻りつつ山道を歩いた。
体力を付ける為に歩いたが、基本的に俺は荷物だ。
やっと後瀬山(標高168m)の山頂に来た。
途中のどこかに山県盛信が幽閉されているのだろうが、それがどこか知る由もない。
天守閣に入る前に休憩を入れた。
肩で息をして、はぁはぁ言いながら対面なんてしたくない。
先触れを出したのだから下の館に降りてくればいいのに!
後瀬山城の堅固さを俺に見せ付けたい訳でもなかろう。
「さぁ、そろそろ行くか!」
◇◇◇
天守閣の館で武田 信豊がどっしりと上座に座っている。
身長は175cmくらいでがっちりとした体付きだ。
元光もそうだが武田家は体が大きいのか?
武田家が戦国の名家になれたのはその当たりかもしれない。
「上座を譲らぬのは無礼であろう」
「よい、俺はまだ将軍ではない」
朽木家の三男である成綱を制止する。
不遜な態度くらい許してやる。
まずは、見極めねばならん。
「子供を使いに送ってくるとは、将軍も焼きが回ったか?」
「何か勘違いをされているのか知りませんが、父上はまったく関係ございません。我が母上が京の寒さも辛かろうと朽木谷に下向したに過ぎません。私は大膳大夫が病床と聞いて見舞いに来ただけです」
「ははは、寒さが辛いのあれば、有馬でも行っておけ!」
「ご存じない。朽木谷に我が屋敷は帝のお住まいより過ごし易いと、近衛准三宮様から御墨付きを頂いております。我が母など、京に帰るのが嫌だと申されて困っているほどです」
「口の減らぬ小僧め!」
父親の元光と違って、将軍家への尊敬の念がまったくないようだ。
信豊は天文元年(1532年)に丹後国加佐郡を攻めて奪った武功を持つだけあって、典型的な脳筋のようであった。
将軍家は戦っては敗れ、和議で政権を持たせている。
ナヨナヨした将軍家に媚びるつもりはないのだろう。
「見舞いの折りに、愚息を嗜めて欲しいと頼まれました」
「病人の戯言だ」
「では、幕府に対して逆臣の意思はないということですな!」
「当然だ」
「ならば、三好神五郎(政長)への肩入れを止めて頂けるのですな!」
「俺は管領殿に頼まれた」
「愚かな! 此度、管領は自らの裁量を間違って内紛を起こしている。嗜める者が同調してどうするか!」
「黙れ! 謀反人を討つのが何故悪い」
「吠えたな! 差し詰め、西丹後(丹波郡、竹野郡、与謝郡)を攻めるのに丹波の波多野 稙通に助力させるとでも言われたのであろう。どうだ、違うか!」
「なぁ…………」
図星か、信豊が言葉を詰まらせて目を逸らした。
腹芸ができない奴だな。
京の海千山千とはやり合えないぞ。
それで密約のつもりか?
すでに奪った東丹後(加佐郡)に加えて、西丹後(丹波郡、竹野郡、与謝郡)も奪うつもりだな。
丹後の一色 義道に何らかの罪を着せて、幕府(管領)の命で討伐を言い渡し、丹波から波多野軍が援軍に向かう。
そんな所だろう。
もちろん、(武田)信豊が領地拡大に固執するには訳がある。
若狭の石高はわずか8万石に過ぎない。
寺社領・幕府領を引くと6万石程度だ。
守護としては慎ましい。
石高のみで比べると、
隣国の管領晴元が山城・摂津・丹波の80万石を持ち、六角定頼が近江・甲賀・伊賀の87万石、朝倉 孝景が越前の50万石もある。
六角定頼に従属する浅井 久政ですら、近江坂田郡・浅井郡・伊香郡の18万石に届く。
朽木家が入っている高島郡でさえ7万石である。
高島郡と大差ないのだ。
守護とは名ばかりだ。
丹後国は6郡を合わせると12万石ほどあり、若狭・丹後を合わせて20万石、信豊は因幡(8万石)も併合して、28万石まで広げたいのではないだろうか?
思うのは勝手だが、こっちを捲き込むのは止めてくれ!
「欲に吊られると身を滅ぼすことになるぞ!」
「何とでも言え! 幕府など当てならん」
うん、そこは同意する。
畿内は内輪揉めで忙しく、若狭が攻められても幕府に止める力はない。
だからと言って、(三好)政長に肩入れされては困るのだ。
「管領を諌めて、矛を収めるつもりはないか?」
「将軍家が丹後攻めを許すか?波多野軍が援軍を約束するか?」
「俺には何の権限もない。それに俺が将軍なら絶対に許さん」
「ふふふ、今の将軍は最低だが、次はまだいい方だ。その度胸は気にいった」
「褒めて頂いたと思っておこう。で、止めて頂けますか?」
「愚問だ」
「そうですか。判りました。それではまた!」
そう言って俺は席を立った。
馬鹿でなくてよかった。
だが、どうする?
◇◇◇
後瀬山の山頂付近から小浜湊を見下ろして考えた。
一番てっとり早いのが謀反を唆すことだ。
去年も反乱を起こしているので、残党に資金を流せばすぐに決起するだろう。
他に丹後の一色の残党を暴れさせる。
幸い、俺は金の取引で海賊というカードを持っている。
一色の残党に連絡を入れるのは容易い。
混乱した所で山県盛信の解放を条件に助け舟を出す。
自分で火を付けて、自分で消すという完全なマッチポンプだ。
「惟助、残党と一色、どちらが容易い」
「当然、残党でございましょう。三日もあれば、火を付けることが可能です。ただ!」
「ただ、何だ」
「ボヤで終わるかもしれません」
「それは困る。丸損だ」
「では、一色しかございませんな!」
「そうなるな」
俺は山を下りながら、甲賀の和田 宗立(惟助)に話し掛けていた。
その話を横から聞きながら沼田光兼が首を傾げた。
「何の話をされているのでしょうか?」
「知りたいか?」
「はい?」
光兼は俺達の取次役として連れ添っている。
会見の時は廊下で待っていたので会見の内容を知らない。
「銭をやるから国境沿いに兵を並べて欲しいと一色 義道に頼むという話よ」
「一色ですか?」
「攻めろというのではないぞ! 国境に兵を並べろとお願いするだけだ。だが、それだけで若狭は大騒ぎになるだろう」
「それもう、上を下への大騒ぎになります」
「そこで山県家と大舘家が山県盛信を解放せねば、兵を出さんと突っぱねる。兵を出したくない国人は声を揃えるであろう。彦二郎は兵が集まらないので難儀するだろう。となると、どうする?」
「殿を解放しなければならなくなります」
「そう言うことだ」
「菊童丸様、ありがとうございます」
「礼は早い。まだ、策が巧くいった訳でもない。それに一色がそのままで武田に攻めて来ないとも限らない」
「それは拙うございますな」
「だから、万が一に備えよと言っているであろう」
「はじめからそこまで!」
光兼が万が一の訳を知って驚いていた。
自慢したいが、自慢にならない。
「この程度は序の口だぞ。貞孝のおっさんにしろ、孫次郎(長慶)にしろ、神五郎(三好政長)にしろ、みんな化け物ばかりだ」
「京は恐ろしい所ですな」
「まったくだ」
この策は下策だ。
俺の吐き出しが大き過ぎる。
山県家と大舘家に蓄えがあればいいが、まずないだろう。
戦というのは銭が掛かるのだ。
タカが1,000貫文や2,000貫文で一色が兵を動かす訳がない。
そうなると、俺の一万貫文を全部吐き出す必要になる。
俺が朽木の500貫文と借りた2,000貫文はすべて粗銅に変わり、錬金の後に3,120貫文に変わった。しかし、錬金術は夏で一旦終わり、余った銭で米を買い漁った。
湯たんぽや小物などの売り上げ、中でも興聖寺に新たに建てる煉瓦屋敷の代金の手形が大きかった。
(最初は煉瓦屋敷ではなかったが、難民らの為に仕事を興聖寺の住職である寂雲和尚が回してくれたのだ)
総額で買い漁った米は4,500貫文に達した。
夏頃に2割増しで売れればいいと思っていたが、三好騒動で米の相場が倍近くに上がったのは嬉しい悲鳴だった。
幕府が1,000貫文分の米を1割増しで売り、残りを俺は3,500貫文分を倍より少し安い値で横流した。
それで手元に8,000貫文の銭が残った。
朽木谷で収穫した食い物まで放出することになるとは思わなかったが、その額2,000貫文相当を合わせると1万貫文になる。
一年で4倍とは、がんばった。
がんばって儲けた銭が一瞬で消える。
空しい。
もちろん、山県家に返して貰う。
返して貰うが10年分割の金利なしが限界だろう。
もしかすると20年払いかも?
払えないとか、ぐだぐだ言うなら俺は引き上げる。
馬鹿らしくて付き合ってられない。
武田を足止めするだけならもっと楽な策がある。
孫子の兵法に1つ『反間之計』という。
虚偽の情報を錯綜させて造反者をねつ造する最も苛烈な策略だ。
手間いらず、銭いらず。
父上が大好きそうだ。
だが、俺はそこで放置しない。
きっちり疲弊した所で武田家を丸ごと喰ってやる。