17. 知恵合戦。
ドン、孫次郎(長慶)の処遇を話合う席で幕府側は机の上に幕府の所領の河内十七箇所(守口市)の石高を示したまとめ書きを積み上げた。
前代官の署名がされた本物であった。
もちろん、代官である三好 政長も幕府に報告している。
但し、その数字は10分の一も満たない。
どうやら河内十七箇所は戦乱にあった石高は減ったらしい。
ふっ、なんて訳がない。
前代官も幕府に提出している数字はいまの代官とまったく変っていない。
つまり、幕府領の米を横領している証拠を突き付けたのだ。
「伊勢守(伊勢 貞孝)、これはどういうつもりか?」
声を荒げたのは、現河内十七箇所の代官である(三好)政長であった。
「一向に話が進まないので、進め易くしてやろうと思ったのよ」
「馬鹿な!」
「伊勢守、御真意を窺おう」
第2席の木沢 長政は話を進めた。
同意するように茨木 長隆も頷いた。
三人は管領細川晴元の代理であり、彼ら3名の言葉は(管領)晴元の言葉であった。
一方、幕府の代表は伊勢 貞孝、 柳原新右衛門の両名であり、孫次郎(長慶)側の見届け人として、芥川山城城主の芥川孫十郎が同席していた。
芥川孫十郎は孫次郎(長慶)に城山の麓にある芥川城跡を貸し出していた経緯から見届け人に選ばれ、三好の分家の1つであり、二人の中間的な立ち位置にあった。
幕府と管領の間ではじまった会談はすでに2ヶ月も過ぎ、4月となったのです。
管領(細川)晴元は一向に折れる気配がなく、伊勢 貞孝も困っていました。
そこで反対派の首謀者である(三好)政長の排斥という強硬手段に出たのです。
「これを見れば、明らか! 河内十七箇所で石高の不正申告が行われていたのは事実でございます」
「待たれよ。これは慣例でござろう」
「慣例? 知りませんな。我らは知る術がなかったに過ぎません。妄りに疑うのは管領への不信。幕府を揺るがしかねない故に黙っておったまでのこと。しかし、こうして証拠が上がった以上は、責を逃れませんぞ」
ぐぐぐ、(三好)政長が鬼のように歯を食い縛り、(伊勢)貞孝を睨み付けた。
「つまり、伊勢守は神五郎(三好政長)殿がここにいるのが相応しくないと言いたいのですね」
「この席だけでなく、幕府と管領殿を謀ったのです。相応の罰がいるのではないでしょうか。そうでなければ、天下に示しがつきません」
「心得ました。殿にそうお伝えしましょう」
(伊勢)貞孝は孫次郎(長慶)の河内十七箇所の代官職返還を取り下げると申し出ており、管領の顔を立てているのです。しかし、取り下げるだけでは幕府も親書を書いた本願寺の証如の面子が丸潰れです。ゆえに、越水城とその周辺の地頭職を孫次郎(長慶)に与えてはどうかと提案していました。
それに反対しているのが、(三好)政長だったのです。
反論できずに悔しがる(三好)政長を(木沢)長政が笑みを浮かべているのを見逃しません。
管領の信頼が厚い(三好)政長を排除するチャンスです。
「四方や、管領殿がご存じであったなどとは申しませんよな。幕府重鎮である管領殿が関わっていたなど、在ってならぬと某は考えます」
「某にどうしろと」
「幕府の要求を呑みなされ!」
「できん」
(伊勢)貞孝の追撃に(木沢)長政は笑いを堪えるのに必死でした。
会見に先立って、(三好)政長は(管領)晴元に宣言していました。
この要求を呑まずに幕府を落としてくると。
豪語した手前、今更ながら妥協してきましたなど言える訳もありません。
要求を呑まないなら、幕府は公表する。
もし、管領がこの事を知っていたなら幕府の命に従わない管領に、誰が幕府(管領)の命に従うでしょうか!
幕府の権威が下がり、管領の面目も地に落ちるでしょう。
これは絶対に受け入れられません。
代官が自ら不正をしていたとなると、これは厳罰を下すしかありません。
一方、代官が知らなかったとなると職務怠慢です。
どちらにしろ、(三好)政長の責任は逃れられません。
(木沢)長政は話をまとめに入ったのです。
「伊勢守にお聞きした。四方や孫次郎(長慶)に継がせるなど申しませんな」
「左京亮(木沢長政)殿、その心配は無用。前(三好)元長も同罪なれば、幕府の代官職より除名いたし、孫次郎(長慶)の訴えそのものを棄却いたします」
除名、孫次郎(長慶)の父が代官職でなかった。代官の子でなかった者が代官を継ぐということもできません。
永久に孫次郎(長慶)が河内十七箇所の代官職を求める芽を摘みとったのです。
これは大きな成果です。
(木沢)長政と(茨木)長隆は大きく頷き、本願寺法主である証如が納得できる合意を貰ってくると話し合いは終わったのです。
(伊勢)貞孝はやっと肩の荷が下りたと安堵しました。
後日、(三好)政長は隠居を命じられ、摂津榎並城を嫡男の政康に譲り、丹波で蟄居を命じられました。
しかし、(管領)晴元は孫次郎(長慶)に対して、無回答と言ったのです。
愚かな!
(伊勢)貞孝は天を仰いだのです。
◇◇◇
幕府の会談の内容は、(伊勢)貞孝の嫡男である貞良から俺に伝えられた。
「(管領は)馬鹿か!」
「父も同じことを言っております」
「越水城は孫次郎(長慶)が上陸に使っており、実質的な支配をしておる。地頭という肩書をくれてやるだけだ。(管領)晴元に損はない」
「神五郎(三好政長)殿を追い落とした幕府への意趣返しかもしれんと父が申しております」
「だから、馬鹿だと言っておる。幕府は訴状を下げた。孫次郎(長慶)は実力行使で奪い取るしかなくなる。あいつは幕府と管領を捲き込んで戦をするつもりだぞ。それが読めんのか、あの馬鹿は!」
孫次郎(長慶)が動ないなどという甘い認識でいるなら間違っている。
あいつは上訴した時点で腹を括った。
絶対に小競り合いを起こし、(管領)馬鹿が立たざるを得ない状況を作り出す。
京に攻めてくれば、幕府は敵になり、六角や武田に救援を頼む。
背後の阿波三好も敵に回る。
本願寺も敵だ。
畠山も敵に回るだろう。
(細川)高国の残党も決起するかもしれない。
四面楚歌だ。
六角や武田を引き摺り出した後に譲歩すれば、赤っ恥をかくのは(管領)馬鹿の方だ。
今なら恥をかかずに済むのに、どうしてそれが判らない。
それより、貞良が持ってきた手紙を見て頭が抱えたよ。
米を送れ?
俺は打ち出の小槌を持っていないと何度も言っているだろう。
送りますよ、送りますとも!
兵糧切れで幕府が情けなく頭を下げるなんて結末は俺も望まない。
(伊勢)貞孝のことだから、堺などにも頼んでいるだろう。
俺が動かなければ、足元も見られる。
これで俺の倉は空っぽだ。
(替わりに銭箱が積まれている)
「貞良、次はないと言っておけ!」
「畏まりました」
「状況が動けば、すぐに伝えろ! 何人か連れていけ!」
「はぁ」
これで高みの見物という訳にいかない。
それより!
また、食糧の確保が急務だ。
冬場は葛と山芋と茸とかで節約して急場を凌いだというのに!
母上など、葛粉の虜になっている。
甘くておいしいからね!
米を腹一杯食べさせる余裕もなかったから苦労している。
みんなでアイデアを出して貰った。
やっと乗り切ったと思ったのに!
逃げても、逃げても、追い駆けてくる借金取りのようだ。
◇◇◇
4月は初夏だ。
もう、大規模な山狩りをするしかない。
越境してしまう危険性を考えて、丹波・若狭などの許しを得る必要がいる。
誰もいない山奥でも人は住んでいるし、領地を貰って暮らしている。
俺は朽木の村々を回りながら山奥の他領に出向いたのだ。
百里岳、三国岳を超えて、広河原能見、久多荘、美山、名田庄永谷、池河内を回る。
特に丹波殿城の川勝光綱、丹波下村城の小野木氏、名田庄の土御門家(安倍)代官、熊川屋敷の沼田氏に会って話を通しておく必要がある。
山奥ほど将軍家の威光は発揮される。
こんな所まで将軍の嫡男が来て下さったなんて歓迎ぶりだ。
むしろ臣従に近い。
村の人が少ないので戦力にはならないけどね!
狩りをすることになるかもしれないと言うと、害獣を処理してくれると逆に感謝される。
逆に拠点に使ってくれていいと言ってくれる。
確かに熊や狼は怖い。
猪や鹿は畑を荒らす。
タダで退治してくれるのはむしろありがたいようだ。
山菜なども好きなだけ取っていいと許可も貰った。
◇◇◇
最後の訪問地は北の若狭に入り、土御門家の名田庄と熊川城の沼田氏だ。
土御門家の代官などが目を白黒させる。
お爺様(近衛 尚通)から当主の土御門有春に頼み。領主の書状を預かって、お爺様の紹介状を添えて、将軍の嫡男がやってきたのだから天地がひっくり返るほど驚いているのがおもしろく、笑いを堪えるのに苦労する。
応仁の乱では、土御門家は難を逃れる為に名田庄に身を隠した。
そんな天を司る土御門家は国人からの忠誠が高く、朝廷への信仰が強い。
その朝廷の仕える前太政大臣近衛家の孫というステータスも大きい。
しかも朝廷の守り神の子だ。
村で弓の名手である5人の若者を連れて行って欲しいと頼まれる。
「土御門家は学問の出であり、我らの腕を振るわせる場所がないと断られました」
「どうか我らを御一同に」
「必ずやお役に立ちます」
「どうか、我らにも天子様をお守りする機会をお与え下さい」
「お慈悲を」
「期待に添えるかは判らんぞ」
「「「「「構いませぬ」」」」」
うん、弓の名手はありがたい。
直臣にとしておく。
最後の熊川屋敷の沼田氏は小浜と京を結ぶ鯖街道を領する一族だ。
若狭を治める武田氏は足利家の忠臣なので話が早く、問題なく終わる。
これで準備万端だ。