15.近衛尚通の猶子
天文8年(1539年)2月、孫次郎(長慶)の兵2500人が京を目指していると聞いて、父上の命で朽木谷に避難することになった。
2ヶ月近くも早く戻ることになったのが嬉しい誤算だ。
孫次郎(長慶)の兵はあくまでブラフであり、大きな争乱を起こすつもりはない…………と思う。
その間に朽木谷を発展させて、将来に備えないといけない。
とにかく、銭と食糧が足りない。
銭は地味に特産品を増やす。
食糧増産の鍵は正条植と開拓だ。
正条植の秘密兵器『デッキブラシ』も完成した。
雑草を処理するのに一番役に立つ。
よくやらされた!
職人に頼めば、すぐのできると思ったが意外と苦労していた。
タダのたわしなのに解せん?
手動の田植え機と稲刈り機は目途が立たない。
原理を教えたので職人のみなさんにがんばって貰うしかない!
大工などにおもちゃ水車を作ってみせた。
素直に驚く職人とそうでない職人がいた。
水揚水車はすでにあった。
(平安時代にあり、古くは推古天皇の御世からあります)
知らなかった!
で、作れるかと言えば、簡単じゃない。
家の建築が忙しいので、そちらが終わったら制作を始めることになる。
同じ増えるなら職人が来てくれればいいのに!
その次に螺旋式水車、古代ローマで使われていたサイフォンの原理を使った水道ができれば、さらなる農作地を拡充できるが道は遠い。
◇◇◇
銭を作るチートも大外だ。
役に立たないのが多い。
特に粗銅の錬金術は大失敗だった。
借りた2,000貫文(1億2,000万円)の利子として、毎年100貫を津田 算長に支払わなければいけなくなった。
粗銅が集まらないのを知っていれば、鉄砲の情報を流出させる必要はなかったのに!
仕方ないから余った銭で米を買い漁った。
金や銅と違って、米はかさばるので運送費が馬鹿にならない。
春以降は値が吊り上るから元は取れるハズだ。
最悪、来年の春以降もその米で食っていける…………と思ったのだが、孫次郎(長慶)が不穏な動きを見せると、幕府はこれを見越して米を漁っていたと噂され、出発前に幕府政所執事の伊勢 貞孝に頼まれた。
「買い漁った米をこちらに回してくれ! 高値で買い受ける」
「今の相場で!」<ラッキー>
「そんな訳があるまい。そちらが買った値より1割ほど色を付ける」
今の相場より遥かに安いじゃないか、堺に売った方が儲かるぞ。
幕府(朽木)が米を買い漁ったことは知れており、方々が米を融通して欲しいという要望が来ているらしい。
折れるしかなかった。
「判りました。しかし、そんなにありませんよ。こちらの資金は知れていますから」
「それは承知している」
「それと輸送料は別途頂きますよ」
「そこは何とかならんか?」
「こっちも火の車です」
「致し方あるまい。安く頼む。こちらもいくら掛かるか判らん」
ご愁傷様!
天下の台所を任されている人は辛いね。
朽木谷に到着して、準備が整い次第に運ばせると約束した。
糞ぉ、また食糧問題がふりだしに戻った。
三好の馬鹿野郎!
◇◇◇
俺の母は近衛 尚通の娘だ。
朽木谷に避難すると聞いて、近衛 尚通(数え68歳)と孫の晴嗣(後に近衞 前久、数えで4歳)、その他の妻や娘、親しい公家衆も付いてくると言う。
母付きの奥女中や近衛の近習を入れて、200人余りの大所帯がついてくる。
何でそうなる?
「准三宮様、どうして朽木谷に避難しようなどと思われたのです?」
「ははは、固い事をいうな。我が息子よ」
そう言えば、そうでしたね。
俺は近衛 尚通の猶子になっており、実子同然でした。
「流石に父上とはお呼びできません」
「お爺様とでも呼べ。麿の孫であろう」
「でも、お爺様。どうして朽木谷に行こうなど思われるのですか?」
「お主がおもしろそうなことをしておるからじゃ。中々に行く機会がなくてな。丁度いいと思ったのよ」
物見遊山できやがった!
迷惑な爺さんだ。
◇◇◇
朽木谷に入ると、山の裾に巨大な煉瓦作りの建物が目に入った。
デカい!
よく見ると、元段々畑の段差を利用して、二つの建物が並んで1つの建物のように見えていただけと判った。
流石に二階建ての設計なんて無理だ。
(元々、煉瓦造りの家の内装は木造です)
「おもしろそうなモノが建っておるのぉ!」
「ジジ様、俺はあれを見にいきたい」
「そうするか」
晴嗣の一言で行列が脇路に逸れた。
煉瓦の家に近づくと何となく判った。
俺が設計した馬小屋のような煉瓦の家が最下段に広がっている。
土を積み上げたようなみすぼらしさだ。
板の屋根が飛ばないように要所に石が置かれて『ザ・あばら小屋』という感じだ。
そんな中でも少しマシな煉瓦の家も混ざっている。
野焼きから窯焼きの煉瓦の違いだろう。
その二段目の中央からまったく異質な煉瓦の屋敷が建っている。
近代煉瓦造りの家といっても過言でない。
煉瓦、ガラス質の光沢を放って光っていた。
行列を見て、慌てて村の人が総出で出迎えてやって来てくれた。
「これは、これは、菊童丸様。よくぞ、お越し下さいました」
「少し早いが戻ってきた。また、よろしく頼む」
「何なりとお申し付けください」
下人頭の藤四郎が代表で出迎えてくれる。
藤四郎の後に10人ずつの組長・組長代も並ぶ。
組長というのは、約200人を束ねる村長のようなものだ。
500人なら下人頭の藤四郎に任せておけば、各リーダーが勝手に巧くやってくれる。
しかし、2,000人も難民が増えると、藤四郎一人では無理と思って、各リーダーを組長に昇格させ、難民から使えそうな者を組長代として取り立てた。
後にずらりと並ぶ、難民を見渡して念の為に数を聞いた。
下人頭(1人)―組長(10人)―組長代(10人)―下人(2,212人)
えっ、難民がまた増えた!?
狩りを専門にする弓士の夫役と家族251人、土木作業兼護衛の小者とその家族412人、粗銅や職人の手伝いになった小役者200人、次世代の幹部候生となる孤児などを含む子供衆299人を含めていない。
それを全部合わせると、俺の直臣は3,395人まで膨れ上がっていた。
「公方殿も豪気なお方だったか!」
「違います。幕府から貰っているのは500貫文のみです」
「数と銭が合わんな」
「合いません。どうしたものでしょう」
「ははは、豪気なのはそなたであったかぁ」
幕府が最初に用意したのは100貫文のみだった。
父上にご機嫌取りをしては褒美に金額を吊り上げて、この1年で500貫文まで増やさせた。
「お爺様、滞在費は頂きますよ」
「そのようなものを取る領主など聞いたことないぞ」
「銭とは申しません。何かと融通して頂ければ結構です」
「あいわかった」
太政大臣まで務めたこの爺さんをどう使おうか?
悩むね。