最終話 百鬼夜行
昔々。
平安時代から室町時代にかけて、説話などで語られた怪異がある。
闇夜の中、無数の鬼や化け物達が列を成し、ねり歩くというそれを、人々は「百鬼夜行」と呼び恐れた。
「百鬼夜行」に会ったものは、命を取られてしまうと言われていたからである。
しかし、人々は好んでこれを絵に描き、その妖しい世界を覗き見ていた。
ある時。
一人の若者…巡が、所用で隣村へと出掛けた。
が、家へと帰る途中、とっぷりと日が暮れてしまった。
「やれやれ、参ったな。提灯の用意も無いし、このままじゃあ、迷子になっちゃいそうだ」
付近は真っ暗な山道。
頼みの月明りも雲に遮られ、辺り一面の闇夜である。
迂闊に動き回れば、迷ってしまいそうだ。
「せめて、お月様が出てきてくれれば…ん?」
巡は、目を凝らした。
見れば、闇夜の中に小さな明かりが灯っている。
どうやら人が居るようだ。
「ラッキー!方向が一緒なら、同行させてもらおうっと」
これぞ天の配剤、とばかりに明かりへと向かう巡。
近付いて行くにつれ、提灯の明かりが一つ、二つと増えていく。
「!?」
目を見張る巡。
そうして、最後には提灯は恐ろしい数に増えていく。
同時に、ざわざわと何やら話し合う声も聞こえてきた。
(おかしいな…宵の口だけど、こんな山の中にこんなにたくさんの人がいるなんて…)
そうして、更に近付くと…
「これは…」
そこは森の中にできた円形の広場だった。
光って見えていたのは、その広場のそこかしこに吊り下がった祭り提灯だ。
そして、広場にはたくさんの妖怪がいた。
「…って言うからよ、ちょいとギュウギュウ締め付けてやったのさ」
「まったく…また、乱暴を働いて!」
「あはは、飛叢兄ちゃんらしいや」
赤ら顔の銀髪のイケメンが得意げに語る話に、黒髪の和服美人と赤髪の少年が、それぞれの反応を返す。
その横で、髪の長い青年が、肩を竦めた。
「飛叢の喧嘩っ早いところは、もう病気だな」
「うるせぇ、太市。お前もたまには羽目を外すくらいやってみろって」
それに、髭面の巨漢が豪快に笑った。
「飛叢の言う通りだな。ホレ、まずは駆け付け三杯だ。この杯はちゃんと受けてくれよな?」
「夷旛殿、そろそろ飲み過ぎでは…?」
凛とした黒髪の少女がそう言うと、太市は苦笑した。
「飛叢と夷旛さんは、飲み方が滅茶苦茶だからなぁ…ま、仕方ない。前は断ったしね」
そう言うと、太市は杯を差し出した。
「お手柔らかにね、夷旛さん」
「がははは!ようやくお前と酒を酌み交わせるな!」
「早矢ちゃんも一杯どう?」
黒髪美人の勧めに、早矢と呼ばれた少女は首を横に振った。
「この後、余興で摩矢さんと射撃勝負をする約束がありまして。余興とはいえ、飲酒で手元が狂ったという言い訳はしたくありません」
「ああ、前は引き分けだったもんなぁ」
凡庸な顔立ちの青年が、そう言うと、全員が一斉にその青年を見た。
青年が目を瞬かせる。
「な、何?」
「「「「「「誰?」」」」」」
全員の唱和に、青年が派手にコケる。
「大間だよ!大間!“大入道”の!」
ムキになる青年に、全員が思い出したように言った。
「ああ…いたっけな、そんなのも」
「顔が平凡過ぎて分からなかった」
散々な物言いに、大間が肩を落とす。
「いいんだ…どうせ、僕は巨大化するだけで、飛叢とか風峰みたいにキャラが立ってる訳じゃないし…」
「ま、まあまあ!そう気を落とさないでくださいまし」
「そ、そうですよ!巨大化だって立派な個性です。自信を持ってください」
「お静さんに早矢ちゃん…有り難う」
女性二人の慰めに、目元をぬぐう大間。
そこに、
「おう、やってるな!」
「御免」
「邪魔するぜ、皆の衆」
「…」
威勢のいい女性に、両目を閉じたままの長髪の青年僧。
無精髭の壮年の男に、幼い少女が顔を見せた。
「おお『夜光院』組じゃねぇか!久し振りだな!」
「そっちもな。俺達も混ぜてくれや」
「東水ちゃんもお久し振りね、こっちにいらっしゃい」
コクリと頷くと、少女は黒髪美女…鉤野の横にちょこんと座った。
「どうだ、北杜。久し振りの現世は?」
夷旛がそう尋ねると、壮年の男…北杜が笑う。
「変わったな」
「変わった?」
「ああ。少しずつだけど変わっている」
「そうか?現世にいる俺達には、分からねぇ感覚だな」
飛叢の言葉に、長髪の青年僧が答える。
「いつもは、変化のない幽世にいる拙僧達ならではの感じ方やも知れぬ。しかし、万物とは諸行無常。常に移り変わり、流転するもの…現世もまた、そのくびきからは逃れ得ぬ」
「出た出た、西心の説法は小難しくて」
威勢のいい女性に、長髪の青年僧…が少し眉根を寄せる。
「南寿殿は堪え性が無さすぎるのだ」
「放っておけ!とにかく酒の席で小難しい説法は無し!」
そう言うと、南寿と呼ばれた女性は、杯を一気にあおった。
「世界は…変わっているのか」
太市の呟きに、北杜が頷く。
「そうだな。人も自然も、目には見えない速度で、ゆっくりと変わっている」
「それは良いことなのかな?」
赤髪の少年が、ポツリと言った。
北杜が首を横に振る。
「そいつは分からねぇな」
「悪い方になっていたら嫌だなぁ…」
再び呟く少年の頭をくしゃっと撫でる飛叢。
「そん時ぁ、俺達で叩き直すしかねぇな」
「もー!頭撫でないでよー!」
じゃれ合う二人を、北杜は目を細めて見て言った。
「…その時、お前達がこの世界にいるかは分からねぇぞ?」
「いいや、いるさ。絶対な」
飛叢が不敵に笑う。
「それに、もしこの世から消えていても、俺達は必ず帰ってくるさ。そして、この世界がどうしようもなく腐っていたら…」
飛叢が拳を握りしめる。
「妖怪達全員で、叩き直してやるさ…!」
北杜が笑う。
「威勢がいいな。だが、そうなったら、人間達と争うようになるかも知れないぜ?」
「そっちも問題ねぇさ。どんなに人間が腐っていたとしても、中にはマシな奴もいるだろう?」
「どうかな。まあ、いるかも知れんが」
飛叢はニッと笑った。
「じゃあ、そういう人間を探す。探し出して…」
「探し出して?」
「ダチになるさ。で、そいつと一緒に腐った世の中を叩き直してやる!」
杯をあおる北杜。
その目には、何ともいえない光が湛えられていた。
トントントンカラリ!
ドンドンドーン!
不意に。
軽快な祭囃子が響き始める。
飛叢が立ち上がった。
「おっと、いよいよオープニングか!行くぞ、釘宮!」
「うん!お祭りの始まりだね…!」
釘宮と呼ばれた、赤髪の少年が頷く。
それに他の妖怪達も続いた。
「北杜、お前さんはどうする?」
南寿にそう尋ねられ、北杜は手を横に振った。
「幽世からこっち、歩き通しで疲れた。一人で飲ってるから、お前らも言って来い」
「何だよ、ジジ臭ぇな…まあ、いいや。東水、行こうぜ」
南寿にそう促され、東水は嬉しそうにコクリと頷いた。
そうして、皆が祭り囃子がつくる輪の中に加わっていく。
「やはり変わったな…妖怪も」
北杜の呟きと共に、広場に明かりが差し込む。
雲間に隠れていた月が、顔を覗かせたのだ。
「俺達みたいに幽世に引き籠ってる妖怪より、あいつらのように現世で踏ん張って、人間達に寄り添っている妖怪なら…或いは本当に世界を変えていくかも知れねぇな」
そう言うと、北杜は不意に巡が隠れている木立に笑い掛けた。
「なあ、お前さんはどう思う?」
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「!?」
一瞬の後に、僕は覚醒した。
見回せば、そこは見慣れた自宅の部屋だ。
閉ざされたカーテンの隙間からは、朝日が差し込んでいる。
「…ゆ、夢か」
僕は奇妙な現実感と共に、身を起こす。
手を胸に当てると、心臓が早鐘のように脈打っていた。
「妙にリアルな夢だったな。それに出てきた妖怪も、役場やセミナーの皆にそっくりだったし」
僕はベッドから立ち上がると、カーテンを勢いよく明けた。
眩しい朝日が、瞼を指す。
今日も快晴、暑い一日になりそうだ。
卓上の時計を見る。
8月8日 午前6時。
「8月8日…そうか、今日は『妖怪の日』か」
最近知ったが、そういう記念日になっているらしい。
『なあ、お前さんはどう思う?』
夢の中で尋ねられた、北杜さんの言葉が蘇る。
僕は光り輝く朝日を見た。
「…僕も、妖怪達となら、この世界を変えていける気がします」
そう呟く。
気のせいか、頭の中で、北杜さんが満足そうに頷いたような気がした。
さて…もう時間だ。
身支度をして、役場に行こう。
黒塚主任や間車さん、摩矢さん達と仕事をこなして。
飛叢さん達のセミナーを見守り。
今日も、大好きな妖怪達と共に、この世界を生きていこう…!