第六話 針女
昔々。
伊予国の城辺町(いまの愛媛県南宇和郡愛南町)に“針女”という妖怪が現れたという。
“針女”は、夜道に現れ、通りすがる男に微笑みかける。
それに笑い返した者を“針女”は髪を振り乱しながら追いかけ、髪の鉤で捕らえる。
その力は物凄く、一度捕まるとどんな力自慢でも身動きが取れなくなり、そのままどこかへ連れ去られる、とされていた。
ある晩、仕事を終えた若者…巡が家路を急いでいると、道端に一人の女が立っているのを見かけた。
女は何かを探しているのか、キョロキョロと周囲を見回し、溜息を吐いている。
親切な巡は、何か困り事だろうか、と声を掛けた。
「もしもし、どうかされましたか?」
そう声を掛けると、女はハッとなって巡を見やる。
間近で見ると、色が白く、髪の長い美しい女である。
「あ、いえ…大した用事ではありませんわ」
女は上品な口調で、そう言う。
しかし、おどおどした様子で、落ち着きが無い。
「もう夜ですし、女性一人でこんな場所にいると危険ですよ?僕でよろしければ、お手伝いしますが?」
多少、不思議に思いつつそう言うと、女はおずおずと切り出した。
「実は…人を探しております」
「人探しでしたか。で、どんな方です?」
「はい…背が高く、髪の毛は銀髪で、顔は…まあ、そこそこ整っているんですが、言葉遣いが乱暴で…」
と、女の声が少し低くなる。
「デリカシーがない上に、自分から面倒事に首を突っ込んだり、誰彼構わずに喧嘩を吹っ掛けたり…」
「…」
巡の目の前で、女の雰囲気が徐々に剣呑なものになっていく。
髪の毛もザワザワと揺らめき始め、生き物のように揺れ出した。
「今日だって『たまには飯を奢ってやる』とか言い出したから、ついて行ってみれば赤提灯の屋台だし…!」
「は、はあ…」
「挙句、屋台で他のお客と揉めて殴り合いの喧嘩になるし!屋台もめちゃめちゃに壊してしまうし…!」
「…(汗)」
「私だって、少しだけ…ほんの少しだけですのよ?期待しておりましたの!だって、こんなお誘いは千年…いいえ、一万年に一度あるかないかという確率ですもの!そりゃあ、期待しますわよ!?」
「は、はい。そうですよね」
「なのに!あの男ったら、逃げる喧嘩相手を追っかけて、私には『じゃ、ここでな!』って、あっさり捨て置いて!全く、喧嘩と私のどっちが大切なんですの!?」
もはや、辺りもはばからずに、先端を鉤状にした髪を振り乱しつつ、巡に詰め寄る女。
巡は引き攣った笑顔のまま、両手を前に立てた。
「落ち着きましょう、ね?ね?きっと、その方も悪気があったわけじゃ…」
「当然ですわ!」
全身から怒りのオーラを立ち昇らせ、女は殺気剥き出しの視線で巡を射た。
「これが確信犯でしたら、あの男を八つ裂きにしてやります!」
「そ、それはやり過ぎなような…」
その言葉に、女はギロッと巡を睨む。
「…十乃さん。まさか、あの男の肩を持つ気ですの?」
それに息を呑み、慌てて首を横に振る巡。
「いっ、いえ!そういうわけではなくて、飛叢さんなりに鉤野さんに厚意を…」
「十乃さんは、厚意で赤提灯に女性を誘い、挙句、器物損壊及び暴行傷害事件を引き起こしますの!?」
更に詰め寄る女の迫力に、巡は壊れた人形のように何度も頷いた。
「起こしません!はい!ぼーりょく、はんたい!」
「でしょう!?そうでしょう!?ですのに、あの男ときたら…!」
と、そこで女の目がある一点を見詰める。
その視線の先を追うと、
「ねぇ、ちょいと遊んでいかないかい、お兄さん♡」
「見れば見る程、良い男だねェ♡サービスするからさぁ♡」
飲み屋の客引き女に囲まれる、一人の男の姿があった。
「だああああっ!鬱陶しい!離れろ、お前ら!」
「あらん、照れちゃって♡」
「ますます、サービスしたくなっちゃうねェ」
その様子を見ていた女の肩が、細かく震えている。
声を掛けようとした巡へ、女が振り向いた。
ギョッとなる巡。
女は、満面の笑みを浮かべていた。
「十乃さん」
「ひゃいっ!」
女の発する殺気に、思わず声が裏返る巡。
「申し訳ありませんが、救急車を呼んでおいていただけますか?」
そう言い残すと、女は凄まじいスピードで男へと突進していった。
古来より、女の情念は炎の如し。
気安く触れれば、手痛い火傷を負うのが常。
まっこと、あなおそろしきことなり