第三話 野鉄砲
昔々。
北の山奥に“野鉄砲”という妖怪が現れたという。
“野鉄砲”は、夕暮れになると人を襲って生き血を吸うとされ、その際、襲う相手の視界を奪うともされた。
その狙いは、まさに百発百中だとか。
「日が暮れてきたぞ…まずいなぁ、ここには“野鉄砲”が出るっていうし、急がなきゃ」
若い旅人…巡が、暮れなずむ空を見上げてそう呟く。
夕暮れの空をひらひらと蝙蝠が飛んでいるくらいで、付近は人っ子ひとりいない山道だった。
そうして、先を急ごうとした時だった。
がばっ!
「ふがっ!?」
突然、巡の顔に何かが張り付いた。
しかも、その重さが尋常ではない。
まるで人ひとりが、顔面にしがみ付いているようだ。
「ふが!?(誰!?)」
「野鉄砲、見参」
若い女の声に、巡は目を剥いた。
「ほげっほう!?ほんごひいはごは!?(野鉄砲!?本当にいたのか!?)」
「うん」
「ほぐほほうぐふひげふ!?(僕をどうする気です!?)」
「決まってる」
真っ暗な視界の中、舌なめずりをする音が響く。
「君、私の獲物」
巡は恐怖で全身が硬直するのを感じた。
「じゃあ…いただきます」
開ける視界。
が、間髪入れず、巡の唇に何かが当たる。
ちゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ♡
「!?…!?」
目を白黒させる巡に、逆さまになって、その唇を奪っていた娘が、身を離す。
「ふぅ…御馳走様」
「な、ななななな…!?」
自分の身の上に起こったことを理解し、真っ赤になって慌てふためく巡。
それに、野鉄砲を名乗った娘が巡の頭の上からトンボを切って着地し、スチャッと指で挨拶をする。
「初めまして」
「あ、どうも初めまして…って、何なんですか!?今の!?」
真っ赤になって声を上げる巡に、野鉄砲の娘は小首をかしげた。
「チュー、知らない?」
「知ってますッ!その意味も、大切さも!」
思わずそう怒鳴る巡。
「一体どういうつもりですか、摩矢さん!」
「外国ではこうするって、エルフリーデから聞いた」
「あ、あの人か…!」
巡の脳裏で、高笑いする女将校の姿が浮かぶ。
「もう、ダメですよ、摩矢さん!ああいうことは、本当に好きな人とするもんなんです!むやみやたらにしていいものでは…」
「知ってる…だから、君の血は吸わなかった」
巡の言葉を遮るように、野鉄砲が呟いた。
「え?」
「血を吸うのは、唇じゃなくてもいい。でも…」
僅かに顔を赤らめると、野鉄砲はそっぽを向いた。
「…コレは君の唇じゃないとできないし、したかったから…」
バッキューン
その後。
巡がどうなったか、誰も知らない。
ただ一度だけ文が届き、それには「北の地で、良い縁に恵まれました」としたためられていたという。
妖怪“野鉄砲”…狙った獲物は逃さない、必殺の狩人。
そして、相手の心を射抜く術にも長けていたとか、いなかったとか…
何にせよ、あなおそろしきことなり。