第7話 平穏と、訓練
ナインライブスに加入する事を決意した、ごく普通の少女・礼名色羽。
色羽が特異点での戦場を経験してから、一カ月の時間が流れた。
――キーンコーン……
午前中の授業が終了した事を告げるチャイムが、校内に鳴り響く。
仲良くなった友人達と一緒に、席を立つ色羽。
「礼名ちゃん、今日もお弁当?」
前の席になった女子生徒が、財布を手にしている。彼女は入学直後に仲良くなった少女で、名前は千堂静香。
「うん、そうだよ。だから席の確保は任せて!」
「助かるー!」
彼女達が向かう食堂には、陽菜が待っている。和やかに会話しながら、色羽は千堂と共に教室を出た。
そんな彼女達の後姿を見ながら、数名の男子達が鼻の下を伸ばす。
「千堂、野球部のマネージャーだったよな?」
「あぁ……三年の先輩が狙ってる」
「俺は礼名の方が……」
「礼名の友達の娘の方が、俺は好みだな。守ってやりたくなる」
そんな男子達に、教室で弁当を食べる女子達はジト目を向けていた。
「男子って、バカよね……千堂さん、彼氏いるのに」
「でも、礼名さんはフリーじゃなかった?」
「色羽は……モテるんだけどね。ガードが堅いのよ」
そう言う女子は、色羽と同じ中学の出身だ。
「そうなの? なんか大らかなイメージなんだけど」
「本人のガードじゃないの。周囲のガードが堅いのよ……」
……
食堂で陽菜と合流した色羽は、友人達が食堂で注文する列を見る。
「ここの食堂、裏メニューがあるんだって」
「あ、聞いた事あるよ。唐揚げ丼だって」
「重そう……午後イチが体育だと、きつそうだね」
そんな話をしつつ、陽菜は周囲に視線を巡らせる。
ゲームをしながら食事をしていたり、友人と一緒に駄弁っている様子を確認する。と……色羽に、小声で問い掛けた。
「それで、訓練の方はどうなの……?」
ナインライブスの事を知る、数少ない一般生徒……それが陽菜だ。親友の色羽を心配して、気に掛けていた。
「うん、こっちの方は問題ないって言われたよ」
手をピストルの形にして、色羽は苦笑する。口にする内容は大したものだが、別段嬉しそうでも誇らしげでも無かった。
それもそのはずだ。自身の才能や努力ではなく、異能のお陰である事を色羽はよく理解していた。
「当分は、基礎体力を上げる事になるかな。目指せアスリート、みたいな?」
「……無理しないでね」
心の底から、色羽を気遣う陽菜。幼馴染であり親友である色羽を、本当に大切に思っているのが伝わって来る。だから、色羽も素直に頷く。
「双葉先輩がいるし、先生も無理のないメニューにしてくれているから。でも、ありがとう陽菜」
そこへ千堂と、もう一人の少女……五十嵐紗雪がトレイを持ってやって来た。
五十嵐は陽菜のクラスメイトで、入学後に陽菜と仲良くなったらしい。その為、最近はこの四人で食事をする事が多くなった。
「お帰り~」
「ただいま! 席確保さんきゅー!」
サバサバした、スポーティーな五十嵐。陽菜を通じて、色羽ともすぐに仲良くなった。また、千堂とは同じ中学の出身だったらしい。
そこへ、一人の女子生徒がやって来た。
「こんにちは」
ナインライブスに所属する適格者……金指双葉だ。
「双葉先輩、こんにちは!」
「こんにちは、金指先輩」
彼女は色羽にとって最も親しく、頼りになる適格者だ。同じ学校の生徒である為、相談もしやすい。
「ここの席って、空いているかしら?」
「はい、大丈夫ですよ!」
色羽達の座るテーブルは、四人掛けだ。隣の四人掛けテーブルに食堂のトレイを置いて、双葉は席に着く。
「二年の先輩だよね? 知り合い?」
小声で問い掛けて来る千堂に、色羽は笑顔で頷く。
「以前、ちょっと困った事があった時に助けてくれたんだ」
実際にはちょっとどころか、生か死かな時である。まぁ、そんな事を言っても理解はされないだろうが。
「すっごい綺麗な人だよね。モテそう」
五十嵐の言葉に、色羽は苦笑しながらも頷く。実際に双葉は美人で、モデルと言われても納得してしまいそうだ。面倒見が良く物腰も柔らかな為、確かに男子からの人気は高そうである。
そんな双葉の居る席に、一組の男女がやって来た。
「お待たせしました、金指さん。彼も一緒で良いですか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
「済みません、急に同席させて貰って」
男子生徒の名前は、学園中の人間が知っていた。
――三枝大地、生徒会長である。
そして、その隣に座る女子生徒……名前を初音水姫。彼女は生徒会副会長であり、この初音高等学校の理事長の孫娘だった。
日本人形の様に整った顔立ちと、長いロングストレートの黒髪。スラリと伸びた手足は長く、どこか儚げな印象を与える。
「生徒会長、やっぱ超イケメンだよね」
「初音先輩と一緒に居る所をよく見るけど、やっぱ付き合ってんのかな」
「でも、あの先輩も超美人じゃね? まさかハーレム?」
小声で呟く五十嵐と千堂。すると、大地がこちらの席に視線を向けた。ニッコリと微笑みを向けて、すぐに双葉へと向き直る。
「……やば、惚れそう」
「チョロすぎない?」
そんな五十嵐と千堂のやりとりに、色羽は苦笑しつつ……ある事に思い至った。
大地は今の会話を、この喧騒の中で聞き取った。実際、双葉と水姫は気付いていない様子だ。
(もしかして、生徒会長も……)
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初音高等学校は、秘匿されている国連組織・ナインライブスの存在を把握している。校庭の体育倉庫に、隠し武器庫を用意しているくらいだ。密接な関りがあると言える。
この学校に配属される教師の中にも、国連から派遣されている者が半数以上を占めていた。
今、校長室に集まっている数名の教師……彼等も、国連所属の派遣教員であった。
「適格者達の様子に、変わりは?」
「はい、現状で特に問題は無いかと」
校長に返答するのは、三年生の学年主任を務める教師だ。切り揃えられた髪に、細い目をした男。どことなく、キツネをイメージさせる男だった。
それに頷いた校長は、その隣の教師に視線を向ける。彼は、二年生の学年主任だ。がっしりとした体格で、角刈りの大男。いかにもな体育教師という風体であり、実際に体育教師だ。ついでに期待を裏切らず、生徒指導でもある。
「二年に進級した金指双葉は、新人を気にかけている様です。まぁ、元々が面倒見の良い子ですからね」
そしてその強面な外見に似合わず、とても優しい男だった。二児の父で、趣味は料理である。
「そうですね。それで、その新人はどうですか?」
一年の学年主任……ふくよかな女性教師は、一つ頷いた。その視線は鋭く、お局様……という称号が似合いそうな女性である。
「礼名色羽は、男女問わずに同級生達と円滑な関係を築いています。金指双葉の気配りもあって、精神的な負荷は軽減されているかと」
男女問わず、誰とでも仲良くなれる……そんな才能を持つ色羽は、クラスメイト達からも人気が高い。既に色羽狙いの男子生徒が多いのだが、色羽は女子生徒にとってもとても好印象を得ていた。
相手を否定せず、それでいて自分の考えを伝える。相手の意見を尊重し、真摯に向き合う……そんな色羽は、女子生徒からすれば付き合いやすい存在である。
そして……。
「また、訓練にも積極的に取り組んでいるそうです。毎日のノルマを、しっかりとこなしていますね」
「……ふむ、流石は期待の新人ですね。それで、訓練の方は?」
彼等の興味は、新人である色羽の訓練の成績だった。
「射撃精度に関しては、優秀の一言です。狙いは百発百中ですね。なので射撃精度よりも、発砲の反動に慣れる為の訓練になっている状況です」
校長がふむ、と頷く。
「異能の力ですか。随分と羨ましい能力です」
彼等もまた、国連に所属する人間だ。射撃訓練も定期的に実施しているが、未経験の内から百発百中の精度など有り得ない……普通ならば。
「ただし、体力は一般人と変わりありません。現在は、そちらを重点的に実施しています。射撃訓練は、銃についての知識……それと、早撃ちの訓練に変更しようかと」
「お任せします。優秀な適格者は、一人でも多く欲しいですから」
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そんな会議が行われているとは知らない色羽は、自分のクラスで午後の授業を受けていた。
「今から三十年前に発生した、怪生物の大量発生。そして月面で発生した、謎の人物達の戦闘。皆さんが生まれる前の事件ですが、未だに真相の解明には至っておりません」
小太りの男性……社会科教諭なのだが、三回に一回は授業が脱線する。その時、決まって話されるのが三十年前の事件だ。
机の上の情報端末には、本来の授業内容が表示されている。
(この話、聞くのはもう五回目くらいだなぁ……)
そう思いながら、色羽は先日見た特番ニュースを思い出す。
世界各地で起こった、異形の生物の大量発生。多くの人の命が奪われた、前代未聞の大事件だ。
そこにどこからともなく駆け付けたのは、謎の一団だった。中世っぽい鎧姿の者や、ローブを身に纏った魔法使いの様な者。更には獣の耳や尻尾を備えた者や、耳の長い者、額や側頭部に角を付けた者も居た。
彼等はSF映画に出てくる、パワードスーツの様なモノに乗っていた。更には魔法としか形容出来ない、摩訶不思議な力を操っていたのだ。
極め付けは、月面と思われる場所での戦い。年若い少年・青年達が、強大な力を持つ男と戦い……そして、勝利した。
パワーインフレが行き着く所まで行き着いた、アニメや漫画の様な頂上決戦。その映像を見た時に、色羽は思ったのだ。
――集団催眠でも起こったんじゃないかな?
だが、今はそう思えなかった。
何せ自分もその摩訶不思議ワールドに、片足を突っ込んでいる……むしろ、もうどっぷり浸かってしまっている。
特異点に異能、適格者に侵略者……世界と世界の衝突、その原因が邪悪な神様。確かにこれは公表できないだろう……頭がおかしくなったと疑われても、文句は言えまい。
(むしろ、あの人達は何者なのかな……そっちの方が気になるよ)
敵か味方か、全く関る事が無い存在か。
もし、あの一団が侵略者側だったのなら……そう考えると、背筋に冷たいものが走る。
最も、色羽は敵ではない……と思っている。
何でもあの事件の後、空に浮く島に彼等は集まったらしい。そして数日後に、彼等は島ごと光の中に消えていった。その間、彼等は外部に干渉をしなかったらしい。
もしも侵略等を企んでいたのなら、そんな事は有り得ないだろう。
(……他の世界、か。もしかしたら、あの人達は異世界の住人なんじゃないかな)
――その予測が正解だと、色羽には確かめる術が無かった。
授業の三分の一が、三十年前の大事件で潰れていた。授業のカリキュラム的に、大丈夫なのだろうか。
……
授業が終わり、放課後。色羽は一人、ある部屋へ向かった。
生徒指導室……学生達が、好んで入りたいとは思わない部屋である。
「失礼しまーす」
しかし、色羽は自然体でその扉を開ける。生徒指導室の中には、各学年の学年主任達が居た。
「礼名さん、今日も訓練に?」
一年の学年主任が、席を立って色羽に歩み寄る。
「はい、足手まといを早く卒業したいですから」
「そう……でも無理はしてはいけませんよ?」
「ありがとうございます、先生」
生徒指導室の奥にある、ロッカー。それは隠し通路の入り口になっている。
隠し通路に入り、エレベーターで地下へと降りる色羽。その先にあるのは、ナインライブスの訓練施設だ。
「めちゃくちゃお金かかってるよなぁ……」
ナインライブスに入って特に驚いたのは、相当に金がかかったであろう設備だ。一般の目に触れないようにしながら、これだけの設備を作り上げた事は驚嘆に値する。
訓練施設に入ると、色羽はナインライブスの職員に出迎えられた。
「お疲れ様です。今日もいらっしゃったんですね、礼名さん」
もうすっかり顔馴染みになった女性職員に、手荷物を渡す。
「新米ですから。頑張って追い付かないと、足を引っ張るだけにっちゃいますし」
手荷物検査と身体検査を行い、色羽は射撃場へ入室した。そこには誰も居ない。
色羽は職員に促されて銃を選び、まずは銃の知識を教わる。次に分解清掃を行い、その後で試射訓練。
「相変わらず、命中率百パーセントですね」
「異能のお陰ですよ」
ただし、色羽は平凡な少女だ。身体能力は平均的なので、銃を撃つ際に生じる反動には慣れていない。
それを克服する為に、ハンドガンに始まりサブマシンガンや、アサルトライフルを試射していく。
……
試射訓練を終えた色羽は、体力をつける為のトレーニングルームへと向かった。
指導教官は体育会系というわけでもなく、色羽に対して親身にアドバイスをくれる女性だ。
「良いですよ、礼名さん。前よりも随分と良くなっています」
「ありがとうございます!」
基礎体力作りから、体幹トレーニング等のメニューをこなしていく。真面目に取り組む色羽は、一カ月前よりも体力が向上していた。
訓練を終えた色羽は、指導教官に誘われて休憩スペースでお茶をしていた。
「最近は、他の人達が来ませんからね。礼名さんが来てくれて、喜んでいる人は多いんですよ」
「そうなんですか? 確かに、一カ月の訓練で双葉先輩くらいしか見ていない気が……」
色羽の問い掛けに、指導教官が苦笑する。
「他の適格者は、自宅付近の訓練施設には顔を出している人もいます。剣崎さんや四谷さんはそのパターンですね」
「まぁ、わざわざ初音高校まで来る事も無いですよね」
「そうですね」
剣崎冬弥と四谷焔の自宅までは、電車を使わなければならないらしい……と指導教官が補足した。
「李さんと天野さんは、大学の地下施設で訓練するそうですよ」
二人が大学生という事を、色羽は初めて知った。
天野北斗はさっぱりした性格で、時折SNS・RAINに連絡をくれる。
――訓練はどうだー? 無理しない程度になー!
そんな、さっぱりした内容のメッセージ。彼の兄貴肌な部分に、色羽は何度も励まされていた。
「この学校に、他にも適格者が居るのはご存知ですか?」
「……もしかしてですけど、三枝生徒会長と初音副会長ですか?」
色羽が言うと、指導教官が目を丸くした。
「ご存知だったんですね」
「いえ、お昼ご飯の時に……食堂で、双葉先輩と三人で食事をしていたんです」
成程、と一つ頷いた指導教官。
「えぇ、そのお二人もナインライブスに所属する適格者です。あと、もう一人いるんですけど」
「やっぱりそうだったんですね。訓練施設で見かける事が無かったので、確証は無かったんですけど」
「あのお二人は、適格者になって長いですからね」
そこまで聞いて、色羽は思案する。
自分は、他の適格者の情報が不足している。
先日の特異点で、双葉と合流した北斗・冬弥・美鈴・焔。彼等のように、即座にチームとして動けるように……自分は味方を知らなければならない。
色羽はそう思い、指導教官にお願いしてみる事にした。
「他の適格者の人達と、話す機会ってありませんか? 一緒に協力して戦うなら、そういうのも要るのかなって……」
「そうですね……普段は個人個人で動いていますが、それも必要なのは確かです。私の方から、神奈木支部長にお話しておきますね」
「ありがとうございます!」
笑顔を浮かべて頭を下げる色羽に、指導教官は微笑んで頷く。真面目で前向きな色羽は、彼女達にとって良い生徒だった。
色羽の指導教官が女性ばかりなのは、男性職員の中でも彼女が人気を集め始めているからである。彼女に万が一が無いように、という配慮だ。
そうとは知らない色羽は、ニコニコと微笑んでいるのだった。