第2話 遭遇と、邂逅
礼名色羽は夕方の学校で、異形の存在を目の当たりにしてしまう。
それは、朝見た夢の中に現れた怪物だった。悪夢が現実で色羽に襲い掛かる……。
色羽は、学校の校舎を必死に走っていた。
ちょっと変わった名前を持つだけで、外見も中身も普通。特別な家庭環境ではないし、特殊な趣味嗜好を持ち合わせてもいない。
宝くじを買えば当たるような幸運でも、外に出れば必ず何かにぶつかるような不運でもない、凡人オブ凡人。
しかし、色羽は思う……自分はとても不運だと。
ただの夢ではなかった……彼女はこれが悪夢ではなく、現実だと何故か確信していた。
彼女が今、必死に走っている理由……それは、ある存在から逃げているから。
その存在は、暴漢でも痴漢でも無い。そもそも追跡者は人型をしているが、見るからに人間ではなかった。
醜悪な容貌の人型の怪物。悪夢に現れたモンスターと、全く変わらぬ姿。
(何でこうなるの!? ただの夢じゃなかったの!? 正夢なら、良い夢の方にしてよっ!!)
叫ぶような真似はしない。そんな事をすれば、無駄に酸素を消費してすぐに息が上がってしまうから。何よりこいつの仲間を呼び寄せるという、最悪の事態になり兼ねないから。
色羽は学校の中をひた走り、モンスターから逃れようとするのだが……モンスターは、彼女が逃げる様を見て愉しんでいた。
彼女が抵抗できなくなるまで追い詰めて、その身体を存分に犯し陵辱するのを愉しみにしていた。
(陽菜は大丈夫かな!? 美里なら、すぐに逃げろって判断するよね!! ソアラは泣いてないかな!?)
こんな時でも、脳裏に浮かぶのは大切な友人達の事。
校門付近にも同様に怪物が居るとしたならば、あの三人も危険だ。無事を祈りつつ、色羽は必死で走る。
荒くなる息、重くなる身体。疲労が身体にのしかかり、逃げ切れないと絶望感が心を満たす寸前。色羽の目尻に涙の珠が滲み出す。
現代日本に、何故こんな怪物が居るのか? そもそも、こいつは何なのか?
そんな事はひとまずどうでも良かった。
逃げる、逃げる、逃げる。息を荒げながらも、身体に鞭打って直走る。捕まったら全てが終わる……それを彼女は解っていた。
(屋上は……やばい!!)
そう思って、色羽は階段を駆け下りる。しかし、モンスターは逃がすまいと階段から大きくジャンプし、色羽の行く手を遮るように着地した。
「ひ……っ!?」
「クヒヒヒッ!!」
下卑た嗤い声をあげながら、掴みかかって来るモンスター。
色羽は衝動的に、モンスターを突き飛ばした。
「ギァッ!?」
転がる、転がる、転がり落ちる。モンスターが階段を転がり落ちて、何度も身体を強かに打ち付ける。
「グ……ェッ……」
階段から転がり落ちていったモンスターは、あちこちを打ったせいか動きが格段に鈍くなっていた。更に頭を強く打ったらしく、その頭部から何らかの液体が流れて出た。ドス黒い液体……あれは恐らくモンスターの血だろうと、色羽は考えた。
色羽は足元に転がる金属製の棍棒の様な物を手に取り、荒く息を吐く。
このまま、トドメを刺すべきか? そんな考えが浮かぶも、色羽はその決断を下せない。
命を己の手で奪うという行為に、踏ん切りがつかないのだ。
(こ、これは護身用にしよう!)
殺意を以ってトドメを刺せずとも、身を守る武器は必要だ。色羽はモンスターを放置して、そのまま棍棒を持ち逃げようと決断する。
その時、先程と同じような音が聞こえた。
――コツッ……コツッ……。
(やっぱり他にもいるんだ!!)
同時に何匹も襲い掛かって来たら? 確実に逃げ切れないし、棍棒一本で切り抜けられるとは思えない。
色羽は階下で息絶え絶えに自分を睨むモンスターから視線を逸し、階段を再び駆け上がる。
……
廊下にモンスターを発見した色羽は、慌てて身体を柱の影に隠す。このまま、やり過ごせれば……そう思った所で、頭を振った。
先程突き落としたモンスターは、匂いで色羽に気付いていた様子だった。その嗅覚がどれくらいの距離を捉えられるか解らないが、このまま接近されたら危険だ。
色羽は更に階段を上がって行く。柱の影から廊下の様子を覗き見て、モンスターの姿が無い事を確認する。
「はぁ、はぁ……でも、このままじゃ逃げ場が無いよ……」
何より、屋上に出向くのは避けたい。悪夢で遭遇した悲惨な光景が、脳裏にこびり付いて離れない。
そして、悪夢では自分は追い詰められて――
――ガラッ!!
――振り返ったそこに、教室の扉を開いてモンスターが現れた。
「ひっ!?」
思わず悲鳴が漏れる……無理もない、その身体は返り血に染まっていた。先程見た黒い液体ではなく、真っ赤な血痕だ。つまり……人の血なのだろう。
「……ギヒィッ!!」
色羽を見て、嗤うモンスター。
次の獲物はお前だ……色羽は、そう言われた気がした。
「あ……あぁぁっ!!」
色羽は廊下の逆側へと駆け出す。振り返らずに、一目散に。
「ゲヒャヒャヒャヒャッ!!」
血塗れモンスターが嗤いながら追跡して来るのを察して、色羽は悪寒に身体を震わせる。
恥も外聞もかなぐり捨てて、鳴き喚いてしまいたい。だが、そんな自棄を起こしても状況は改善しない。
だから、走る。死に物狂いで走るだけだ。
そして、運命の分かれ道。屋上への階段と、下に降りる為の階段。
屋上の扉が、開いているのが見えた。悪夢がまた脳裏を掠める。
「……くっ!!」
色羽は、階段を駆け下りる。しかし、階下から更にモンスターが姿を見せた。
黒い液体に塗れて、ヨロヨロだ。間違いなく、先程階下に突き落としたモンスターだろう。
慌てて踵を返そうとすると、追い駆けて来たモンスターと視線が合った。
前門のモンスター、後門のモンスターである。
「ギャハハハハッ!!」
色羽に掴みかかろうと、迫って来た血で赤く汚れたモンスター。
「いやぁっ!!」
色羽は思わず、階段の隅に蹲った。
すると――
「ギャェッ!?」
「グギャッ!?」
――血塗れのモンスターが足を踏み外し、黒い液体を流すモンスターとぶつかった。
二匹のモンスターはバランスを崩して、そのまま階段を転がり落ちる。
「はぁ……はぁ……」
恐る恐る目を開いた色羽は、二匹のモンスターが共に階段の踊り場で蹲っている事に気付いた。
「……モンスターは、落ちるもの……?」
何を馬鹿なと思いつつも、実際階段を転がり落ちるモンスター。
最初のモンスターなど二度目だ。
そう思っていたら、血塗れのモンスターが立ち上がる。
やはり、頭を打ったのか黒い体液を垂れ流している。だが足取りはまだしっかりしていて、色羽を殺意の篭った目で睨み付けている。
「し、しつこいよぉっ!!」
思わず、色羽は階段を駆け上がっていた……その先は、屋上だ。
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やはり先程遭遇したやつらよりも、やや大柄なモンスターが居た。そして……初音高等学校の制服を身に付けた少女に、下卑た嗤いをあげて迫って行く。
「あ……っ!!」
悪夢が、意識の底から浮上する。
――首を締められ、動かなくなった少女。
――一心不乱に、腰を振るモンスター。
――その脇に投げ捨てられた、血塗れのナイフ。
色羽は、思わず駆け出していた。
大柄なモンスター相手に、何が出来る? 非力なこの細腕で棍棒を振るった所で、彼女を救えるのか?
でも、それでも……。
「見殺しになんて、しないっ!!」
その叫びに、少女と大柄モンスターの意識が色羽に向いた。ニヤリと嗤い、色羽を迎え討とうとする大柄モンスター。
棍棒を振り被った色羽に対し、その太い腕を伸ばそうとして――
「せいっ!!」
――モンスターに、色羽の渾身の蹴りが見舞われる。そう、股間蹴りである。
「ギィィッ!?」
やはり、モンスターとはいえ急所は急所だったらしい。
更に色羽の攻撃は止まらない。撲殺するより金的蹴りを放つ方が、精神的な敷居は低い。
故に、蹴る。もう一度、もう一度と蹴る。
しかし、色羽は失念していた……先程まで、自分を追っていた血塗れのモンスターの存在を。
「ギェェッ!!」
「きゃぁっ!?」
背後から組み付かれて、色羽はようやくそれに気付いた。
両の腕を捕まれて、手首を締め付けられる。
「い、痛……っ!!」
その握力は相当な物で、痛みに負けて棍棒を放してしまった。
「ギヒヒ……」
下卑た嗤いが、耳元で聞こえた。首筋に当たるモンスターの荒い息に、冷たいものが背筋を駆け抜ける。
「ひっ……!?」
そして色羽は、モンスターに振り回されるように投げられた。
「うぐっ……!?」
強く背中を打ち、呼吸が途切れる。ただでさえ全力で走っていた色羽は、ままならぬ呼吸を整えようとするも……血塗れのモンスターが、色羽の首を掴む。
「ぐっ……が、はっ……っ!!」
首を締められ、色羽は苦しみに呻く。
「ギヒッ……ギヒヒヒッ……!!」
色羽は何とか逃れようと視線を巡らせて……モンスターがそのズボンを自らずり下したのを見てしまった。
下腹部にあるソレ……醜悪な容姿に見合ったソレが示すのは、のし掛かってきたこのモンスターが欲情しているという事だ。
色羽を犯そうと、舌なめずりをしている。このままでは生きたまま犯されるか、殺されて犯されるかのどちらかだろう。
——悪夢が、脳裏を過ぎる。
首を絞め殺された女子生徒。彼女と自分の立場が逆転した事に、色羽は気付く。
そして、心の奥底から込み上げる言葉。それは彼女への恨み言でも、助けようとした自分の行動への後悔でもなく。
(せめて、あの娘が逃げられたら良いな……)
ただ、その身を案じる言葉だった。
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気が付けば、色羽は真っ白な空間に居た。
「……何処、ここ……」
体を起こして辺りを見渡すと、白一色の世界だった。喉の痛みも全く感じない……その事実に、色羽は顔を歪ませる。
色羽は思う……自分は死んだのだろう。名前も知らない女子生徒を助けようとして、モンスターに殺されたのだ。
「……うっ……うっ、ぐすっ……」
嗚咽が漏れ……そして逃げる為に、必死に感情を堰き止めていたダムが崩壊する。
「うええぇぇぇ……っ!!」
色羽は、決して死にたかった訳ではない。生き残る為には、女子生徒を犠牲にして逃げれば良かった。
だが色羽は、同じ状況下にあった女子生徒を見捨てられなかった。頭では解っていても、心は冷酷な決断を下せなかった。
その結果、自分が死ぬかもしれないと解っていても。
自分の選択、その結末。それによって、死んだという事。
思うのは父親と母親の事。
——親不孝な娘でごめんなさい……。
そして大切な友人達の事。
——たくさん一緒に遊ぼうっていう約束、文化祭の時に案内するっていう約束を、守れなくてごめんなさい……。
遺してしまった人達に向けて、色羽は大声を上げて泣いた。
……
どれくらい泣いたか、解らない。
ただひたすらに、色羽は声を上げて泣きじゃくっていた。誰も居ないのだ、それくらい構わないだろうと。
「えぐ……っ、お迎え……遅いな……っ」
毒づきながらも、色羽は天使とかが迎えに来ると思って待っていた。しかし、何も来る気配は無い。
「……自分で来いって事なのかな……サービス悪いよ……」
ずっとここに居ても仕方がないと、色羽は立ち上がって歩き出す。トボトボと、力なく。
そんな彼女の耳に――
「まぁ待ちたまえ、お嬢さん。君はまだ死んでいない」
――そんな声が、聞こえた。
色羽は慌てて辺りを見渡す。すると先程は誰も居なかったはずなのに、背後に一人の青年が立っていた。
見目麗しい青年で、歳の頃は二十代前半くらい。黒髪と黒い目を持つ東洋系の顔立ち……しかし、何処か浮世を離れた印象を抱かせる青年は、微笑みを湛えて色羽を見ていた。
「い、いつから!? いつからそこに!?」
「ずっと居たよ? ここは君達が来るのを待つ為に作った空間だからね。部屋の主が居ないというのはおかしいだろう?」
意味不明な事を言いながら、青年が色羽に向けて歩み寄る。反射的に色羽は身構えるが、青年は意に介さずに言葉を続けた。
「おめでとう、君は世界を救う資格を得た」
「は……っ!? なにその、ゲームみたいな……」
色羽の言葉に、青年が苦笑する。
「言い得て妙だね。確かに、これは悪意をもった存在が仕組んだ、生存競争のゲームだ」
断言する青年に、色羽は訝しげな視線を向ける。青年はそれを無視して、更に説明を続ける。
「今、この世界は滅びようとしている。このゲームの勝利条件は一つ……世界が生き残る事だ」
「……意味不明だよ、何でそんな事になったの?」
その最もな疑問に、青年は首を縦に振って答えていく。
「ある存在……邪悪な神によって今、二つの世界が融合しようとしているんだ。そして、生き残れる世界は一つだけ……」
青年の目が細められ、色羽を射抜く。色羽には、まるで”勝ち残れ”とも”滅べ”とも言っているかのような……そんな視線に思えた。
「世界というのは一つの生命体の様なものなんだ。そして、世界の力の源は存在する力だ」
ふわっとした説明に、色羽は困惑顔である。それを見た青年は苦笑しながら、説明を続ける。
「そうだな、リソースとでも呼ぼうか。リソースは生命体から発生する。生命体が存在する数が多い程、世界はリソースを多く持つ事が出来るんだ」
「待って……それじゃあまさか……!!」
穏やかな笑みを消して、青年が告げる。
「そう。世界を守る為に、相手の世界に存在する生命体を殺す……そうしなければ、この世界は滅びる」
それは、残酷な現実を突き付ける言葉だった。
「どっちかの世界が、必ず滅ばなければいけないの……? 両方、助かる道は?」
その世界で生きる人を犠牲にして、自分達が生き残る……そんな選択肢に疑問を抱かずにはいられない。
「一応、両方が生き残る可能性を模索中だ。しかし、このままでは時間が足りない……その為にも、”適格者”が必要なんだ」
話の内容を理解出来るキャパシティが、限界を超えそうな色羽。だが何とか要点を押さえるべく、必死に頭を回転させる。
「その”適格者”って、何……?」
色羽の質問に、青年は不敵な表情で言った。
「無論、世界の崩壊に立ち向かう者だ。つまり目の前に立ちはだかった、あの怪物を倒す意志を証明……実際に外敵を討伐した者の事だよ」
つまりは、モンスターを殺した者に与えられる称号のようなものらしい。
しかし、色羽は引っ掛かりを覚える。
「わ、私は殺してなんか……」
反論しようとする色羽だったが、青年は穏やかに微笑みながら首を横に振る。
「君が付き飛ばしたモンスター……アレが死んだ要因に、君も含まれていた。そのお陰で君は資格を手にしたんだよ」
階段から二度転げ落ちたモンスターの事だと、色羽は気付く。二度目の転落で虫の息だったモンスターが、力尽きたという事だ。
人ではないといっても、人型の生き物を殺したと言われた色羽。
足から力が抜け、その場に座り込んでしまう。その顔面は、血の気が引いて蒼白だ。
「さて……適格者になった君は、選択しなければならない。世界を救う為に戦うか……それとも諦めて現世に戻り、死の瞬間を迎えるかだ」
死……その言葉が、心に重くのし掛かる。まだ死んでいない、しかし既に色羽は死ぬ直前の状態。
このまま、ここに居るか? そんな思考が脳裏を過ぎる。しかし、それは何にもならない現実逃避だ。
「な、何であなたがやらないの!? 何で人にやらせるのよ!?」
思わず、声を荒げてしまう色羽。生き物を殺した事に加え、今も死ぬ寸前である事。更に、戦わなければ世界が滅ぶという事。色羽の精神は追い詰められていた。
しかし、そんな言葉も青年は穏やかな表情で受け入れた。それはまるで、娘の癇癪を受け入れる父親の様な表情であった。
「そうしたいのは山々なんだが……それが出来ない理由がある。ただ、何もしない訳にはいかない。だからこうして適格者に説明し、力を与える事にしている」
その言葉に、色羽は問い詰めたい気持ちに駆られる。
出来ない理由とは何なのか? 力を与えるというのはどういう事なのか?
だが、色羽よりも先に青年が言葉を発した。
「これが、干渉出来るギリギリのライン。それを踏み越えれば、二度と干渉出来なくなる。そうなれば、君達は何の援護も無しに外敵に立ち向かう事になる」
「……詳しい理由を説明出来ないのも、そのせい……?」
「あぁ、そう思って貰って構わない」
その返答に、色羽は察した……彼も、何かによってがんじがらめにされている、と。
そうなると、青年の気持ちも解らないでもない。何も出来ないよりも、出来る事をしようと足掻いているのだろう。
……
しばらくの沈黙。
青年は黙って、色羽が落ち着くのを待っていた。そのお陰か、青年が纏う父性さえ感じさせる雰囲気の成せる事なのか。色羽はどうにか心を落ち着け、切り出す。
「もうちょっと、ちゃんと説明して欲しいんだけど……ざっくりじゃなく、具体的に」
「そうだな、言える範囲では……“適格者”は君の他にも存在する。戦場となる場所は、世界中に九箇所存在する」
世界中が、あのモンスターの侵略を受けている……そんな現実に、色羽の背筋を悪寒が駆け巡った。
そんな色羽の内心を知ってか知らずか、青年は言葉を続ける。
「適格者の為に用意できるリソースは、数十人が限界だ。君はこの街において、十八番目の適格者候補という事になる。既に十七人の適格者が、外敵との戦いに臨んでいるという事だ」
……他に、何人も居る。一人で背負う訳ではないらしい。
「その、他の人というのは……」
「もし”適格者”となったなら、すぐに声がかかるはずだ。彼等は志を同じくする者を集めた、組織として活動している。国連からも支援を受けている、特務組織だ」
流石に色羽は驚いた。なんと、国連公認の組織的なものがあるらしい。つまり、国はそれを知っていながら隠しているという事だ。
恐らくは、世間を混乱させない為なのだろうが……その結果死者が増えている現状をどう考えているのかと、文句の一つや二つ言いたくなる。
青年は更に解説を続ける。
「君が迷い込んだのは、”特異点”と呼ばれる空間だ。特異点はいつも同じ場所というわけではないんだが、およそ半径十キロメートル内に展開される。この世界と、もう一つの世界の中間に形成される空間だ」
どうやら、色羽は特異点と化した学校に入り込んでしまったという事らしい。何というタイミングの悪さなのかと、色羽は肩を落とす。
「そして、”適格者”にはある力を与えられる。その力で、モンスターに対抗し得るんだ」
そう言って、青年は一度言葉を切る。色羽を真っ直ぐに見据えながら、青年の口元が歪んだ。
――その力があれば……校門に居た友人や、屋上に居た少女を救えるだろう。
直接、色羽の頭に響いてくる謎の青年の言葉。明らかに異常であるにも拘らず、色羽はその言葉をすんなりと受け入れた。
友人の顔が、脳裏に浮かぶ。陽菜、美里、ソアラ。
青年の口振りからすると、彼女達はまだ生きているようだ。しかし、青年は救うと言った……つまり、彼女達も危機を迎えているのだろう。
そして、屋上に居た少女。
色羽が死ねば、次はあの少女の番だ。しかも、大柄なモンスターは今も生きている。もしかしたら、彼女も同じように……。
(私は、生き物を殺した……怖い、辛い、泣きたい……けど、だけど……)
その決断が正解か誤りかは、解らない。
けれど、色羽は……大事な人達や、同じ境遇に立たされた少女を見捨てる事が出来なかった。
「私は、どうしたら良いの?」
その言葉に青年が微笑むと、どこからともなく現れた光の球体を色羽に差し出す。
「さぁ、受け取りたまえ。”異能”の力を」
色羽は、手を伸ばしてそれを手で掴もうとする。すると、手が触れた瞬間に光は色羽の中にスルリと入り込んだ。
「——あ……っ!!」
瞬間、白一色だった世界が変化する。
……
変化は一瞬だったが、色羽は長い時間……意識が途切れていたような気がした。
一変した光景は、不思議な空間だった。
半径十メートルはありそうな円柱の上に、色羽は立っている。
その周囲をフワフワと、ボールのような丸い物が点滅しながら浮いている。回転する歯車の様な物が、ゆらりゆらりと飛んでいる。
まるで、幻想的なイリュージョンのショーの会場の様だ。
「ここ……何なの? ね、ねぇ……あれっ!?」
説明をして貰おうと、青年の姿を探す。しかし、その姿はどこにも見当たらない。空間の変化と同時に、彼は居なくなってしまったのだろう。
「ちょ、ちょっとぉ!! ここからどうすれば良いの!? 投げっ放しはやめてよ!?」
空に向かって大声を上げる色羽。すると、頭の中に何かが入り込んできたような感覚を覚える。
「な、何!? 何なの!?」
――力の強弱を視る目。
頭の中に浮かんだのは、そんなイメージだった。あの青年が色羽に与えた力は、そういう異能らしい。
「……え、これが私の異能なの? もっと、何かこう……炎をブワァッ!! とかは!? 電気でバチバチってして、ドーンとかは!? ショボくないっ!?」
生命力の強弱が見られるから、何だと言うのか。そう思って色羽はガックリ項垂れ……顔を上げた。
その瞬間……色羽は自分の意識が遠のくのを感じる。
やがて、意識は薄れていき……視界がブラックアウトした。