第15話 暗躍と、絶望
夜の繁華街、その空きビルの一角。一人の男が窓の外を眺め、ウィスキーの入ったグラスを傾ける。
「これまでは、ツイてなかった。あぁ、俺はひたすらツイていなかったなぁ」
その男の周囲には、着衣の乱れた女性が侍っている。女性達は一様に虚ろな目をしており、まるで人形の様だった。
「しっかし……今、俺はこの力を手に入れた。この力があれば、何だって思いのままだ。酒、金、女……ははっ、ようやくツキが回って来たぜ……」
そう言って、男は背後に振り返る。そこには一糸纏わぬ姿で、生気の感じられない表情をしている女性の姿があった。
「お前も今日から、俺のオモチャだ……さぁ、愉しませて貰うぜ……」
両手に黒い手袋をした男が、立ち呆けている女性に歩み寄る。すると、女性は男を見て初めて口を開いた。
「はい……ご主人様」
女性は均整の取れたプロポーションを持つ、美しい女性だった。彼女は鍛え抜かれた肢体を露わにし、男の前で跪いてその腰のベルトに手を伸ばす。
「美鈴だったな……お前は特に可愛がってやるよ……」
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支部で他の適格者達と一堂に会した数日後、色羽は訓練場に赴いていた。体力も銃の扱いも、他のメンバーと比較するとまだまだ拙い。そんな自覚があった色羽は、足手纏いにならない様に……そして誰かを守れるようにと、懸命に訓練に打ち込んでいた。
そんな色羽の姿を見て、他の適格者達も訓練を共にする事が多くなった。
理由の一つは純粋に、色羽の直向きさに影響されての事。
そうしてもう一つの理由は、色羽の異能のせいだった。的を外さない、百発百中の精度を誇る”眼”。その恐るべき命中精度に、負けてはいられないと触発されたのである。
今日は休日だった為、色羽が赴いたのは支部の訓練場。そこには八雲と冬弥が居た。
「噂には聞いていたが、彼女の命中率は本当に高いんだな」
射撃訓練を続ける色羽の姿を見つつ、銃の整備をする八雲。そんな彼の呟きに、冬弥が反応を返す。
「……的を外した所は、見た事が無い」
普段は聞き流して自分の作業に没頭する冬弥から、反応が返って来た。その事に内心で驚きつつ、八雲は薄っすらと笑みを浮かべる。
――心強い新人だな。スナイパーとして、援護を行って貰うのが良いか。
色羽が現在使用しているのは、M14というライフルだ。加入間もない彼女だが、構えも実にサマになって来ている。真剣な表情で射撃訓練に打ち込む姿から、彼女が本気でこの戦いを生き抜こうという意思を感じさせた。
冬弥も色羽の横に並び、射撃訓練を再開。彼の異能である”貫通”は、こんな所では使えない。その為、通常射撃の訓練でしかない。
正直に言うと、射撃訓練など今更だ。それだけの戦場を経験してきている。しかしながら、冬弥は腕を鈍らせたくないという考えから、定期的に射撃訓練を行っている。
八雲は一つ頷くと、自分も射撃訓練のカウンターへと向かった。彼の異能も、北斗や冬弥同様に付与タイプの異能だ。その異能とは”凍結”。弾丸が命中した物質を、たちまち凍らせる異能である。
これは中々にえげつない異能で、凍らせた物質を通常の弾丸で撃ち抜けば粉々に粉砕されてしまうのだ。
八雲の”凍結”を初めて目の当たりにした色羽は、凍った直後に砕け散った標的を見て目を丸くした。
「……殺傷能力が高い異能なんですね」
色羽の言葉に苦笑した八雲は、銃を構えて次の的を狙う。
「他の適格者の異能だって、似た様なモノだ。私達の異能はどれも、敵を殺す為に与えられた危険な力だよ」
そう言って、八雲は引き金を引く。放たれた弾丸は的ではなく、的を支える支持台に向かって飛んでいく。支持台に弾丸が当たり、支持台だけを凍らせてみせた。
「しかし力の使い方を間違えなければ、殺さずに無力化する事だって出来る」
……
射撃訓練を切り上げ、色羽は休憩スペースで一息ついていた。今日の訓練メニューは、後は体力トレーニングだ。
「力の……使い方、かぁ……」
八雲の言葉を反芻しながら、色羽は考え続けていた。自分の持つ異能、力の強弱を見極める眼。この力に、どんな使い道があるのだろうか。
そこへ、一人の女性が歩み寄る。
「……ハイ、新人さん」
「あ、美鈴さん! お疲れ様です!」
自分を快く思っていない……そんな美鈴に声を掛けられたので、色羽は背筋を伸ばしてお辞儀する。
そんな色羽の姿に、美鈴は苦笑してみせた。
「そんなに肩肘張らなくてもいいヨ。まぁ……私も今まで厳しいコト言っちゃったけどネ」
穏やかな美鈴の声色に、色羽は意外そうな表情を浮かべる。しかしそんな色羽を意に介さず、美鈴は微笑みを色羽に向けていた。
「最近、凄く頑張っているって聞いたヨ。もう新人とは呼べないネ」
「い、いえ! まだまだです、私は……さっきも力の使い方を模索するようにって、海道さんに教わったばっかりで……」
色羽の言葉を受け、美鈴は思案する素振りを見せる。そして次の瞬間、色羽の肩に手を置くと、一つの提案をしてみせた。
「ね、ちょっと出ない? そういう時は、一度リフレッシュしてみるといいヨ」
「え? あ、でもトレーニングが……」
「大丈夫大丈夫、後で私が付き合ってあげるかラ! ほら、行こ!」
色羽の手を掴み、美鈴がエレベーターに向かって歩き出す。
――美鈴さん、何か雰囲気が違うなぁ……今まで、もっと刺々しかったのに……。
そうは思いつつも、相手は適格者の先輩。何か考えがあるのだろうし、それはきっとナインライブスや市民の為だろう。色羽は、そう信じて疑わない。
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手を繋いだまま、美鈴と並んで歩く色羽。傍から見たら、仲の良い友人同士に見えるだろう。
「えっと、リフレッシュってどこまで……?」
「うん、私のお気に入りの場所ヨ。凄く楽しい場所ネ」
繁華街の中を歩く色羽は、美鈴に手を引かれながら周囲を見渡す。
――慣れたようで、慣れないな。
彼女の視界には、人の強い部分や弱い部分が見える。人それぞれに異なる場所を示すそれは、大きさも異なる。
非日常が日常になるにつれて、慣れるものだと思っていた。しかし、未だにその光景に慣れる事が出来ず……その視界に見えるモノが、自分に殺しあえと強要している様にも思えるのだ。
そこで、美鈴がふと立ち止まる。それに合わせて色羽も立ち止まると、美鈴の視線を追ってみる。
美鈴が見上げているのは雑居ビルであり、その全てが空きテナントになっている様だ。
「えっと、ここ……ですか?」
「そうヨ。さぁ、行きましょウ」
強引に色羽の手を引く美鈴に、色羽は奇妙な感覚を覚えた。
――美鈴さんの、額のところ……あんな所に、力の印なんてあったかな……?
頻繁ではないが、美鈴とは何度も顔を合わせていた。だから、その違和感に気付けたのだが……その理由までは、今の色羽には解らない。
手を引かれるがままに雑居ビルの中に入り、階段を上っていく色羽。最上階まで来ると、美鈴が扉をノックする。
「入れ」
返って来たのは、男の声だった。この時点で、色羽は危険な空気を感じ取ったのだが……美鈴が色羽の手を、離さないとばかりに更に強く握る。
「美鈴さん、痛いです……!!」
「良いから入っテ!! ほら!!」
内側から開けられた扉の中に、引き摺り倒す様にして入れられた色羽。トレーニングの成果か、受身は取れたのですぐに身体を起こす事に成功する。
視界に入り込んで来たのは、退廃的な光景だった。
そこそこ広い、空きテナントのフロア。打ち放しの壁や床だが、やたらと質の良いソファやベッド・カーテンにカーペット。
ソファに座って、色羽を品定めする様な男。そんな男に侍る、全裸の女性が四名。その脇に控えるのは、適格者・江崎銀二だ。
「……美鈴さん、これはどういう事ですか……!?」
色羽の言葉に応えず、美鈴は男に向けて歩み寄る。その背後に、扉を開けたと思しき女性が立っていた。女性は扉を閉め、そして鍵を掛ける。
「ご主人様、連れて来ましたヨ」
美鈴のその声にも、表情にも生気は感じられない。普段の美鈴とは、明らかに違った。それは、江崎や女性達にも言える事。そして男以外の全員の共通点が、色羽には見えた。
――全員、額に力の印がある……?
必死に思考を巡らせる色羽を見て、男が下卑た笑みを浮かべた。
「中々の上玉じゃないか、良くやった。高校生か? 良いね、愉しめそうだ」
そう言ってソファから立ち上がり、色羽に向けて歩き出す。
「貴方は……」
警戒する色羽を見て、男は歩みを止めた。
「そういや、コイツもナインライブスの一人だったな。銀二、美鈴……抑えろ」
命令を受けた美鈴と江崎が、色羽に向けて歩き出す。その表情は、相変わらずの無だ。
先日、特異点で遭遇した時と違う様子の銀二。そして、今までと全く異なる雰囲気の美鈴。虚ろな表情をした、男以外の人間。
そんな光景に、色羽は何が起きているのかを察した。
――洗脳されている……!? もしかして、この人も不適格者!?
迫り来る美鈴と銀二から距離を取ろうと、色羽は立ち上がって警戒態勢をとる。それを見た美鈴が、虚ろな表情のまま駆け出した。
「あなたは王に見定められた」
掴みかかろうとする美鈴を避け、色羽は周囲の状況を把握すべく視線を巡らせる。そんな色羽に向けて、銀二も覆い被さろうと両手を広げて迫って来る。
「王の前に跪け」
そんな銀二の胸元、力の弱い部分目掛けて、色羽は蹴りを放つ。洗脳された状態であろうと、力の強弱はやはり存在するらしい。
ただし洗脳されている銀二は、痛みを感じていない。すぐに立ち直り、色羽に迫ろうとする。
「さぁ、王の前へ」
背後で、温度の感じられない声が聞こえた。美鈴の声だ。
「しまっ……!!」
美鈴は色羽の腕を掴み、捻り上げる。洗脳状態にあっても、その戦闘技術は健在らしい。
「う……っ!!」
「さぁ、王の前へ」
腕を捻り上げたまま、美鈴は男の前へと色羽を強引に押して行く。
このままでは、自分も洗脳されてしまう。そうなれば、どんな扱いを受けるのかは見ただけで解る。美鈴の様に自分の意志を奪われた上、男に侍る女性達の様に慰み物にされるのだろう。
抵抗を試みるも、美鈴の拘束を抜ける事は出来ない。長年の訓練と実戦経験において、美鈴は色羽よりも遥かに高い領域に居るのだ。
「今日からお前も、俺のモノだ」
愉悦を浮かべた笑みで、男は徐々に近付く色羽を舐め回す様に観察する。
「安心しろ、お嬢ちゃん。お前は俺好みの女だからな……じっくり可愛がってやる」
何一つ嬉しくない評価に、色羽は男を睨み付ける。しかし、男はどこ吹く風といった様子だ。
こうして、何人もの人間を自分の異能で洗脳して来たのだろう。そんな事は、彼の顔を見れば容易に想像出来る。
そうして人の人生をメチャクチャにし、こうして自分の欲望を満たして来たのだろう。
実に、傲慢な男。洗脳した者達を従えて、王を名乗るのがその証拠だ。
しかし、抗う術を見出だせない。色羽は歯を食いしばりながら、これから自分が辿るであろう運命に絶望した。
そんな色羽の耳に、聞き慣れつつある音が聞こえた。それは、乾いた発砲音。そして放たれた弾丸が、窓ガラスを粉砕する音だ。
砕け散った窓ガラスが床に散らばると、直後にそれを踏み締める音がした。
「……ふん、ギリギリセーフか」
護身用のハンドガンの銃口を男に向けるのは、色羽の見知った相手。何度も任務を共にした、寡黙な男。
「剣崎さん!!」
色羽の喜色を滲ませた声色を受け、剣崎冬弥は鼻を鳴らす。
「不適格者を発見、処分する……!!」




