第0話 プロローグ
彼女は、学校の校舎を必死に走っていた。
少女の名前は礼名色羽。今日、この”初音高等学校”に入学した、高校一年生。
ちょっと変わった名前を持つだけで、外見も中身も普通。特別な家庭環境ではないし、特殊な趣味嗜好を持ち合わせてもいない。
変な力も、出生の秘密も何もない、凡人オブ凡人。
だから、これはきっと夢なのだろう……彼女は自分にそう言い聞かせていた。
彼女が今、必死に走っている理由……それは、ある存在から逃げているからであった。
その存在とは、暴漢でも痴漢でも無い。そもそも追跡者は人型をしているが、見るからに人間ではなかった。
一言で言うと、モンスターだった。
身に纏った衣服は、ありふれた市販品のTシャツとジーンズパンツ。しかしその肌は黒く、ゴツゴツと甲殻類を思わせる。更に下半身は太腿が肥大化し、逆に脛あたりは異様な程に細い。
何より、その頭部が山羊のそれであった。これをモンスターと言わずして、何と呼ぶのだろうか。
――アイツを倒せば、助かるのかな?
そんな思考が脳裏を過ぎり、色羽はすぐにそれを否定した。
事は簡単な話ではないだろう。彼女は、格闘技も護身術も学んでいない。
体格だって、モンスターの方が大きい。その細腕で立ち向かったとしても、すぐに力負けして押し倒されるのが関の山である。
だから色羽は学校の中をひた走り、モンスターから逃れようとするのだが……モンスターは、彼女が逃げる様を見て愉しんでいた。
彼女が抵抗できなくなるまで追い詰めて、その身体を存分に犯し陵辱するのを愉しみにしていた。
(何なのよ、もう……っ!!)
荒くなる息、重くなる身体。疲労が身体にのしかかり、逃げ切れないと絶望感が心を満たす寸前。色羽の目尻に涙の珠が滲み出す。
現代日本に、何故こんな怪物が居るのか? そもそも、こいつは何なのか?
そんな事はひとまずどうでも良かった。
逃げる、逃げる、逃げる。息を荒げながらも、身体に鞭打って直走る。捕まったら全てが終わる……それを彼女は解っていた。
(夢なら早く覚めてよ、お願いだから……!!)
そう思って、必死で逃げていたのだが……彼女は気付いていなかった。うっかり、階段を登ってしまったのだ。
今走っていたのは、三階の廊下……最上階だ。そして彼女が駆け上がった上り階段の先は、屋上しかない。
それは、致命的な失敗であった。
「はぁ……はぁ…………えっ?」
しかも、屋上には先客が居た。またモンスターだ……追い掛けてきた奴よりも、少し身体が大きい。
そんなモンスターは、組み伏せた少女を相手に一心不乱に腰を振っている。組み伏せられているのは、この学校の制服を着た女子生徒。
首を締められ、ぐったりしている……恐らく、もう息は無いのだろう。だというのに、醜悪な怪物は少女を犯し続ける。
一歩後退った色羽のすぐ側に、タクティカルナイフが落ちていた。恐らくは、このモンスターの得物だろう。注意深く確認すると、死姦され続けている女子生徒の身体に傷があった。明らかに、斬り付けられたような痕跡だ。
だとすれば、目の前で嗤いながら少女の亡骸を犯すモンスターの得物であるのはまず間違いないだろう。
色羽は一縷の望みをかけて、そのナイフを手に取った。しかしナイフはずっしりと重く、色羽の細腕で素早く振り回すのは困難だろう。
女子生徒を死姦していたモンスターは、色羽に気付いて振り返る。モンスターはどうやら、彼女を次の獲物と定めたらしい。
同時に、先程まで色羽を追い回していたモンスターが扉からゆっくりと屋上に歩み出る。
絶体絶命……そんな四字熟語が思い浮かぶ。全身が震えて、歯がカチカチという音を鳴らす。色羽の心は、絶望で真っ黒に塗り潰されようとしていた。
そして、モンスター達が色羽を襲うべく一歩踏み出し――
――ジリリリリリリ……!!