File.3 過ちを思い返す
駅までの交通手段は、警察となんら変わりない普通のパトカー。二台が出動し、一台は栗原が、もう一台は柴垣が運転する。俺は栗原が運転する方の助手席に座った。
「さぞかし乗り慣れてる車だろ」
そう言うのは、運転席の栗原。
「ええ、まあ」
正直、いい思い出がある車ではない。帰りの人数が少ないことが、何度あったことか。
「もうすぐ着く。気締めとけよ」
後部座席に乗っている射場も、ずっと無言のままだったが、面構えだけはしっかりとしていた。伊達に修羅場はくぐっていないらしい。
駅に到着する二台のパトカー。雑踏の中から悲鳴が聞こえてくる。
「行くっきゃ無しだね」
斎戸が猛ダッシュで走っていき、人波をかきわけて突き進んでいく。
「お前の仕事じゃないだろうそれはッ!」
柴垣がそれについていき、栗原は一般人の誘導へと回っていく。
「まあ、愚魔はしばらくあそこ二人に任せていい。お前も一般人の誘導手伝ってくれッ!」
栗原の叫び声に、俺も頷き、慣れた手つきで一般人の誘導をしていく。しっかりと一般人の安全確保にも抜かりはないらしい。確か、駅の中に愚魔がいるはず。絶対に逃げ遅れている者もいるだろう。
やはり――すぐさま討伐することが先決なのではないか?
『栗原さんッ! やばいっすッ! ステージ3ですッ!』
「おーけーわかった。すぐに向かう」
栗原が柴垣からの通信を受け取って、こちらに手招きをした。
「どうしたんですか?」
俺の問いに、栗原は少し頭を抱えた様子だった。
「どうやら敵の愚魔化がかなり早いらしい。急いで無力化だ。幸いにも駅員一人と警備員一人が軽傷で済んでいるらしい。急ぐぞ」
「はい」
栗原に連れられ、駅のホームの中へと入っていく俺たち。そして、電車が止まっているホーム内では、柴垣と斎戸の二人と……大きな熊を腐らせたような体躯をした化け物――愚魔が戦っていた。
「……つええッ!」
愚魔の手刀の一振りで、コンクリート製の床が抉れる。飛び散った破片が柴垣の額の皮膚に傷を入れる。
「……ふぅ」
柴垣は、革製のカバンから片手剣のようなものを取り出した。
「あ、あれは?」
「あれは……対愚魔七つ道具の一つ。軽くて丈夫な剣だ」
そのまんまじゃねえか。
「……丈夫とは言っても、愚魔の攻撃3発ぐらいしか耐えられないけどな」
警棒は一撃受けたらへし折れる。それどころかそれで受け止めた者の腕すら一緒に持っていく力を、愚魔は持っている。そう考えたら優れものだ。
愚魔の攻撃をもろに片手剣で受け止める柴垣。
「ふんッ!」
彼の上腕二頭筋がものすごく膨れ上がっている。浮き出る血管。
「斎戸ッ!」
「おっけー!」
小柄な男、斎戸渡の方は、愚魔の背後をうまく取り、細長い釘を取り出した。
「あ、あれは?」
「対愚魔七つ道具の一つ、足止め杭だ」
斎戸は愚魔の両足にその杭を刺し、杭ごと蹴り飛ばす。
「グォォォォォォォオオ」
人間だったものの声だとは思えないような慟哭と共に、杭がコンクリートに突き刺さる。突き刺さった箇所からは、ひび割れが起きている。
「よしッ! 動きは十分食い止めたッ!」
「あとは距離を取って銃撃戦だッ!」
確かに効率的だ。俺が警官時代も、銃撃戦中心のヒットアンドアウェイ戦法が主だった。俺が感心している間にも、柴垣と斎戸の二人は銃を取り出し、もう何連射もしている。
「機動力と破壊力は人間のそれを大きく上回る愚魔だが、それに比べれば、耐久力は大きく劣る。生身の人間以上ではあるが、工夫次第では十分切り崩せる」
栗原の言う通り、銃弾はかなり効いているらしく、愚魔の動きが徐々に鈍っていく。完全に疲弊し、動かなくなったところで栗原が愚魔に徐々に近づいていく。
「……見ておけ九頭竜。これが、愚魔を“無力化する”っていうやつだ」
栗原はそのあと、俺にも聞こえないような声で何かぶつぶつ呟いている。呪文のように韻を踏んでいたことは印象深かった。
「さあ……お前の心の闇を解き放ち、人間本来の理性を取り戻すが良いッ」
栗原のこの言葉に――愚魔を覆っていた醜い化けの皮は剥がれていき、元の人間の姿に戻っていた。ぐったりと倒れている会社員の男の姿――俺はすぐさま駆け寄ろうとする。
「待ち」
斎戸に止められる。
「栗原さんに任せとけ。死んじゃあいない」
彼は一体どういう能力者なのだろう。愚魔だったものが、現に人間に戻っているではないか。
「愚魔は危険で、元には戻らない理性を失ったただの化け物だから、出現次第即刻討伐せよというのが、警察の教えでした」
「その通りだ。でも、栗原さんは違う」
どうやらそうらしい。見ているだけでもわかる。
「俺は――抑魔師の能力を持った愚魔……を身体の中に買ってるんだよ」
「抑魔師……ですか?」
先ほどの会社員を病院に送り届け、報告書を書きに基地へと戻る5人。帰りのパトカーの中で、栗原の能力について尋ねた。
「栗原さんって何者なんですか?」
「ああ、俺は……なんつーか。愚魔になったことがあるんだ」
「え!?」
予想外の言葉に、驚きが隠せない。
「親が愚魔に殺されたことがきっかけでな。愚魔を何としてでもぶっ潰したいっていう想いが、俺の中に潜む愚魔にこの能力を与えた。俺は、その愚魔と自らの理性をぶつけ合い、勝利し、今こうして俺の中に愚魔を飼っている……というわけさ」
驚きを通り越して何も言葉が出ない……というか納得せざるを得ない。
「まあ、ちなみに言うと……このEBOに所属しているお前以外の4人……全員、心の中に愚魔を飼い慣らしたやつらだ」
「ま、マジですか……」
「まあでも、お前は才能が群を抜いてる。柴垣や斎戸と共に連携を取り合って戦えるだけの実力は裕に持っているさ」
俺だけすごく取り残されているではないか、と考える辺り、やはり俺は普通の一般人とは何か違うらしい。どこか愚かで狂っているようだ。
「帰りに、愚魔の専門家の人呼んでるから、詳しいことはそいつに聞いてみたらどうだ? お前の今抱いた疑問、知りたいこと、だいたいは教えてくれるぞ」
EBOの基地に帰ってきた。相変わらず殺風景な外観とは裏腹に、内観はなかなかショッキングな写真が飾られている。帰ってきたところに、老人一人が立っていて、なかなかに怖い顔をしていた。
「愚魔の専門家、白部尊だ。君が新人の九頭竜碧斗くんだね?」
「ええ、九頭竜です。よろしくお願いいたします」
俺は白髪の老人、白部という男に、聞きたいことを色々聞いた。
「一度無力化された愚魔は、どうなるんですか?」
気難しそうな顔をしながら、白部は応える。
「無力化のラインがいまいちよくわからないが、潜伏主が死ねば、愚魔も自ずと死ぬ。例外もあるがな。でも、栗原のような能力者によって、一時的に元の人間の人格に戻すことは可能だ。そのあと、再び愚魔となって化け物と化すか、EBOのやつらのように飼い慣らすかは潜伏主次第だ」
「大事なのは、愚魔に屈しないということですか?」
「まあ簡単なことではないさ。自分の一番満たされたい欲を殺すことにも等しいからな」
これに至っては、何も言い返せない。現に、愚魔化の案件が一向に減らないのは、愚魔が、人間の心の闇そのものであるからだ。
「……ある意味、一度愚魔化した人間は、死んだ方が楽なのかもしれんなあ」
絶対に栗原たちには聞こえないような声で、白部はつぶやく。一度異形の化け物と化した人間が、これまでと同じような生活を送れるかどうかと言われると微妙だ。間違った見解ではないと同意できる。
「だが、最も効率が良い手が、最も善い手だとは限らん。塩梅を探すのが難しいのも、EBOならではだろう」
これまで、愚魔とは相棒を殺してでも――刺し違えてでもという心意気で戦っていた。しかし、少なくともEBOにいれば、そこまでのプレッシャーは感じなくていいらしい。
「なるほど……ありがとうございました」
プレッシャーを感じなくていい――その一瞬の心の緩みが、俺の今までしてきた過ちたちを瞬時に思い返させた。
「……ッ!!」
罪悪感と共に吐き気を催し、俺はすぐさま外へと駆け出す。栗原らの不思議がる視線を背に、EBOの基地を出た。
「ぜェ……ンだよ」
思い返したのは、今までに死んでいった相棒たちの顔だ。
「……何で今更ッ……」
きっと、彼らの命を糧に功績という名のドス黒く甘い蜜を吸いすぎたしわ寄せでも来ているのだろう。今日はもう帰ろう。
体調不良を栗原らに伝えて、白部さんに深く謝り、別れを告げる。
「……彼も、要経過観察だね」
白部の謎の言葉を聞こえないふりした俺は、いつもの帰路をたどっていた。
思い出すのは、初めて愚魔を倒した日。自分の課が、初めて愚魔に遭遇した日だ。一年目だった俺は、3つ上の先輩である、羽角浮という男とペアを組んでいた。羽角さんはとても優秀な先輩で、課屈指の期待のエース。今俺が持っている捜査のノウハウや戦闘の術は、彼から教わったものがほとんどであった。
――しかし、優秀な彼も、愚魔に殺されてしまった。最期の言葉は――『俺がつけた傷、無駄にするんじゃねえぞ』だった。
結局、彼が愚魔に与えた傷はかなりダメージを与えていたらしく、俺が撃った銃弾二発で倒れた愚魔。最終的に俺の功績となり、羽角先輩は二階級特進となったが、帰らぬ人となった。
どうして俺は、こんなことを思い出しているのか……きっと疲れているだけだ。そう言い聞かせて帰路をたどり続ける。街灯も少なくなった路地裏まで来て、とある人影が見えた。でも、誰だかはわからない。ただ、俺の方をじっと見ていることだけはわかり、思わず身構えている。
「ようやく見つけました。どこに行ったのかと思いましたよ、先輩」
この声は……知ってる。
「桜田か」
桜田真琴だ。
「先輩がやめてから、私たちの職場の雰囲気も変わりました」
「良かったじゃないか。例の新人君にもぜひともいい影響があってくれると良いのだが……」
「……違うんです。何にせよ、その例の新人君が原因で、職場の雰囲気が悪くなったんです」
「は?」
桜田の言葉に、少し理解が遅れた。どうして腫物がいなくなった捜査課第一係の雰囲気が悪くなるんだ。
「……例の新人君、EBO出身なんです」
「……は?」
頭の中に、色々な事象が複雑にめぐり合って、俺の思考は塞がれていくばかりだった――