第二話 剃刀・正義の転生。
前回投稿時より、大幅に加筆修正しました。
この作品を読んでいる人がいるかどうかはわかりませんが、読んでいる皆様にはご迷惑おかけします。
月桂冠暦1863年。7月3日。ヴィニオン合衆国に後の第三十代大総統、マシュー・ヴィクター・パッカーが誕生する。
月桂冠暦1880年。5月9日。ブランデン帝国に後の帝国宰相となるジークムント・フランケンシュタインが誕生する。
この世界に最初の危機である第一次世界大戦が勃発するのは、それから25年後の1905年のことであった。
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武者小路・公彦が、剃刀・正義としての前世の記憶を持って生まれたのは、月桂冠暦1892年の初春の事だった。
公彦が新たに生を受けた世界は、どうも十九世紀末期から二十世紀初頭の文明と科学技術を持った世界であるようで、生まれたばかりの公彦の耳には、電球だのガス工事だのと言った聞き慣れた単語が入って来る。
その気候と風土、何より文化は公彦の前世の日本に近く、期待や希望よりも、それは何処か不安感を増加させた。
それは、当時の千秋皇国の世情が決して、平和でも安全でも無かったことも無関係では無かった。
戦争やテロ活動、重度の犯罪や社会問題など、赤ん坊の耳にまで届くそのニュースの数々は前世の時代から変わらず、否。
むしろ、前世の記憶と知識を持っているがゆえに、この社会情勢はいずれは世界大戦に発展するのではないか。という不安はより現実味を増して公彦の肌に差し迫ってきており、遠く無い未来には自分がその戦争に巻き込まれるのではないか。という恐怖は、公彦にとっては抜き差しならない、差し迫った危機であるかのように強く感じられた。
幸か不幸か、この世界における公彦の生まれ故郷が使っている文字は日本語で使われるものと全く同じであり、漢字も仮名文字も全て公彦の前世の知識の通りに読み進めることのできるものであったから、時おり床の間に放り置かれた新聞紙の記事を読み進めることもできるようになり、未だに高価なものであるらしいラジオから聞こえる報道もあって、生まれて一か月も立たない頃には、おおよその社会情勢を把握することができるようになった。
現在、公彦が生まれて生きている国は、『千秋皇国』という名の極東の島国であり、高々三十年程度前に近代化革命である『近代維新』が起こったばかりの新興国であった。
三十数年前に突如として来訪した鉄船と、その派遣国である『ヴィニオン合衆国』の影響により、当時の千秋皇国の政府であった『俵賀幕府』による三百年に渡る封建社会は終わりを告げた。
この辺りの動乱は、丁度前世地球における明治維新の流れと大まかなところでは一緒である為に省略する。
その後、新政府の樹立に伴い、議会制度や共和政治などの近代政治が千秋皇国に流入し、千秋皇国は富国強兵政策によって国力を増強し、当時存在していた『ルサチア帝国』という北方大陸を支配してる巨大な国との戦争に勝利したことをきっかけに、国際的な発言力を強化していた。
その一方で、大多数の農民出身者を始めとして貧富の格差は拡大し、辺境部の田舎地方からは口減らしのために娘が売られ、未だにかつての特権階級であった武士に当たる士族階級がどこか幅を利かせている前時代的な国家だが、科学技術や科学文明のレベルは東洋地域の中でも屈指ではあった。
その他の点においては、蒸気機関を始めとする内燃機関の開発に伴い、自動車や機関車が誕生して流通網や交通網に多大な影響が与えられ、海外文化の流入によって今まで呉服や太物を着ていた皇国人は、スーツやシャツなどの洋服を着るようになった。
歴史的な事象だけでなく、宗教においても酷似しており、仏教に酷似した瞑想と修行によって悟りの領域に行くことを目的とする『禅教』と、土着の神々を祀る『神道』が存在し、そこに加えて道教と儒教が融合したような、自然に沿って人が生きる道を説いた『理教』の三つの宗教が相互に共存していることも共通していた。
前世地球の日本とここまで共通項の多い一方で、勿論相違点も多く、そのうちの一つが人種の違いであろう。
千秋皇国は、日本人しかいない日本国とは違って、人種的に三種類の人々が存在している。
千秋皇国の北方に多く分布する、金髪に碧眼、白皙の肌をした雪華人。
千秋皇国の南方に多く分布する、褐色の肌に紅い髪と紅い瞳をした立花人。
千秋皇国の全土に分布する、黒髪に黒目をした黄色の肌をした桜花人。
雪華人は西洋地域の白人と似た特徴を持っているが、肩幅が大きくがっしりとした骨格の西洋人とは違い、華奢な体格であまり筋肉のつかない体質をしている。
立花人の方は、褐色の肌と目鼻立ちのはっきりした特徴からインド人的な特徴が強いが、やはり骨格の違いからインド人的な人種とは明確に別種の立ち位置にある。
桜花人に関しては、ほぼ前世地球に存在していた日本人の姿を思い浮かべれば、それは大きく変わらない姿をしている。
又、この国は公家社会と武家社会とが隔絶し過ぎた所為で、公家文化と武家文化とが文明的なレベルにおいてかけ離れて存在している点も大きく違う点である。
つまり、千秋皇国は三つの人種と三つの宗教と二つの文明が同時に共存する国家であり、これは前世地球においては元より、異世界の国家を見渡しても極度に珍しい例であったが、今現在の所、この事実に注目する近代諸国は存在しておらず、恐らく人種差別や宗教迫害などの人の悪行が目立つのはこれから先の近代の事になるであろう、
だが最大の違いとしては、この世界にはれっきとした科学技術の一環として魔術が存在しており、魔力やそれに類するエネルギーの存在は、公的に認められている事であった。
最初に魔術の存在を聞いた当初は、我が耳を疑った正義であったが、新聞記事に載ったパラシュートもつけずに空を飛んでいる人間の写真があればそれを認めざるを得ず、此処が本当に異世界であるのであろうことが、ごくすんなりと理解できた。
だが、これだけの事実を目の当たりにした正義は、そこからはより大きな絶望に囚われることになった。
これだけ事実から、正義は流石にこの世界の千秋皇国と呼ばれる国が日本に似ていることを実感したのであるが、それは同時に、世界大戦がほぼ確実に起こるであろうことと、この国はいずれは遠く無い未来に滅亡するであろうことを理解させるのに充分なものであった。
前世地球の歴史によれば、第二次世界大戦が勃発したのは、第一次世界大戦が勃発したことが原因であろうと言われている。
それは、結果論ではあるが、第一次世界大戦の敗戦により、ナチス・ドイツの台頭を許することになり、そのナチスの手によって第二次世界大戦が勃発したことが、この理論の要点である。
全てはあくまで結果論でしかないが、それでも、第二次世界大戦までの国際情勢の流れを見れば、それはうなずけるところのあるものではある。
そこから考えるならば、もしも正義が千秋皇国の滅亡を止めようとするならば、第二次世界大戦を防がざるを得ず、第二次世界大戦を防ぐためには、第一次世界大戦を防がねばならない。
だが、正義にはどうあってもそれができるとは思えなかった。
現在の日付は1892年。もしも地球の歴史通りに行くのならば、1914年には第一次世界大戦が起きる。
その時には正義には22歳となっているが、その年齢で世界大戦を止めることができる程のビジョンを正義は思い浮かべることができなかった。
魔術と科学技術の混在するこの文明の中で、いずれ造られるであろう核兵器の存在は、正義の脳裏に恐怖と絶望の感情の刻みつけるのには十分な物である。
つまりは、結局のところ異世界に生まれ変わっても、剃刀・正義という人間の精神は変わらなかったのだ。
(……はは。馬鹿みたい。異世界に来ても、やってることは一緒じゃん)
そんな、失望とも自己否定ともつかない自己評価に、ますます失望を募らせて布団の中で寝返りを打つのが、剃刀・正義改め、武者小路・公彦の日常だった。
そんな公彦の価値観を変える出会いがあったのは、公彦が三歳になってからの事であった。