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第一話 始まりの夜に。


 その日は、朝から晩秋の冷たい雨が絶えることなく降りしきっており、通学や通勤を行うだけで、ゆっくりと肌を切り裂くような痛々しい寒さが身に染みる日だった。


 予備校の外に出た剃刀カミソリ正義まさよしの頬には、外の空気が真夜中の冬前の冷え込みと一日中降り続いた雨のせいで、刃物のような鋭さを持って襲い掛かり、思わず身を竦めずにはいられなかった。


 体を縮こめながら歩く予備校帰りの道の上で、正義は何とは無しに考えを巡らせながら、惰性に足を動かされる様に駅を目指す。


 このままでいいのだろうか?


 思春期特有の有りがちなその疑問が、頭の中で渦を巻く。


 だが、それでも、正義は考えずにはいられない。


 何か部活をやっているわけでもなく、とりあえず大学に入るために塾に通わせてもらってはいるものの、それでも成績は漸くの事で中の上。


 普通のサラリーマンとパートをやっている主婦の家庭では、そこまで高い学費の大学に行ける余裕などある訳が無く、そもそもそんな学力も無い。


 返済不要の奨学金も、未だに一般的では無い以上、あてにしようとも思えない。


 食わせてもらっている親には悪い物の、この分ではいいところの企業に就職できるとは思えないし、精々がブラック企業勤めか、派遣社員。


 二十歳にもなっていないのに、未だに払った事の無い年金が貰えるかどうかを考えて、そもそも年金が払える様な生活を手にできるかを考える。


 夢があるわけでは無いから、漠然と両親の老後、自分の老後の事を考えてしまい、足を重くして街灯の明かりが届かない橋の上を歩く。


 自分の未来の先に、輝かしい何かを見出すことができない。


 曇天の夜に見上げる真っ暗なこの空と、そこに向かって延びる街灯の届かない川面が、まるで自分の未来そのものを暗示している様だった。


「……このままここから落ちた方が楽かもな」


 正義は、氷の様に冷え切った橋の手摺を握りしめて、八割の冗談と二割の本気を込めて自殺への願望を呟いてみるが、所詮は口先だけの言葉では、言うだけ虚しいだけで、何の慰めにもならなかった。


 やがて、正義はしばらく握りしめていた事で温くなった手摺を放して、その場を立ち去ると、時折り通り過ぎる車のヘッドライトに照らされながら、再び駅に向かい始めた。

 


 ※※※



 そうして辿り着いた駅のホームには、家路への電車を待つ人影が申し訳程度の疎らさで存在しており、いつもの様にホームドアの前に立って、電車が来るのを待つ。


 少しして、天井から鳴り響くアナウンスの声が、電車の到来を告げ、ホーム内に居る乗客たちが次の電車に乗る準備を始め、この人数の少なさでもわかる様に急ぎ出し始める。


 流石に、ガラガラになった電車内から数人の乗客が降りて、彼らと入れ替わる様に異様に明るく感じる電車内に乗り込むと、適当な座席に倒れ込むように座り込みながら、何となく独り言ちる。


「はー。このまま異世界にでも行きたい」


 思春期の、いや、或いは人生を生きて居る生きて居る誰もが、ふとした瞬間に考えてしまう様な、そんな当たり前の事を考えて、思わず取り留めなくこぼした。


 その瞬間だった。



『じゃあ、生きます?異世界?』



 ふと、頭の中で誰かが答えた。


 自分の身に起こった異常な出来事に、思わず周りを見回すとその少女は、いや、その存在は『居た』。



『生きてみます?異世界の人生?ただし、条件付きで。ですけど?』



 白いワンピースにガラス細工の様に煌く白髪を伸ばしたその少女は、電車内と言うごく限られた空間の中である筈なのに、手の届くほど近くにいる様な、或いは、声の届かない程遠くにいる様な、そんな距離感の掴めない場所から、逆光でもない癖にはっきりとは分からない顔をして、その場にいた乗客を見まわすその少女の言葉に、咄嗟に返事をしかけたが、その言葉を済んでの所で飲み込んで、少女に向けて言葉を選んで語る。


「あの、貴方は誰です?」


 だが、必死に選んで口に出しその質問は、目の前の少女によってすげなく却下され、彼女はまるで話題の食べ物を放すような気安さであっけなく言い放つ。


『悪いのだけれど、貴方方の質問に答える気はありません。

 何故なら、もう時間が無いから。もうすぐ、貴方方の言葉でこの『電車』という乗り物は事故を起こします。

 これから三分後に運転手さんが心臓発作を起こして死亡し、その所為で電車は高速度で次のカーブに突っ込んで脱線してしまい、今この場に存在する全ての人間が死亡します。この運命は変えられません。

 ですが、私は貴方達の力を必要としています。そこで、今此処で人生最期の選択肢を与えます』


 そう言うと彼女は、どことなくいたずらっ子を思わせるような笑みを浮かべて両手を広げ、


『生きますか?生きませんか?異世界?』


 そう宣言した。


 あまりに唐突で現実離れしたその言葉に、車内に存在していた人間全員が、何を言っているのか理解できない様子であったが、何かを思うよりも先に正義の口は動いていた。







「生きます。生きたいです。異世界」






 そして。



『では』



『幸多からん事を』






 その言葉と共に電車は急速に速度を上げて、正義の意識は断ち切られる様に黒く染まった









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