プロローグ 真夏の白昼
少し距離の開いた林の方から聞こえてくる蝉の泣き声を掻き分けて、青空に向けて揺蕩う煙管の煙を眺めながら、赤い髪に褐色の肌と言う立花人特有の姿をした青年、武者小路・公彦は上機嫌に呟いた。
「それで?新型魔導機盤の調子はどうだい?」
スタンドカラーのシャツの上に着物と袴を着込んで外套を羽織った、所謂、書生風の恰好に怪しげな黒い丸眼鏡をかけたその姿は、贔屓目に見ても詐欺師かペテン師のような風貌であり、言葉を選ばなければ不審人物丸出しの姿であった。
公彦は、黒い丸眼鏡を鼻先に引っかけるようにしてかけ直すと、上目遣いになって見下ろすという、なんとも疲れる体勢を取って、どことなく胡散臭い気の抜けた笑みを浮かべて話しかけた。
公彦が話しかけたのは、まだ十歳を一つ二つ程超えたばかりの、それこそ、年端もいかない少女だった。
しかもその少女は、金髪に碧眼と陶磁の様に白い肌という、東北に多く住む雪華人特有の姿をしており、その上に、まるで絵画の妖精か天使を彷彿とさせるほど整った目鼻立ちをした、美しい少女だった。
その美しさは、贔屓目無しに見ても絶世の、という表現が似合うほどの美しさであり、高々十代に入ったばかりのこの少女が、将来どれほどの美女になるのか、想像に難くなかった。否、或いはこれ以上に美しくなる姿を思い浮かべるのは、難しいかもしれない。
だがその少女は、類稀な美貌を持つというのにも関わらず、華美なドレスも煌びやかな着物も身に着けず、やたら無骨な機械整備士が着るベージュ色のつなぎを着て、首から厳めしい造りの懐中時計に似た小さな円盤状の機械を下げていた。
少女の名は、武者小路・仁那。
「どうもこうもないな。改善点ばかりだ!」
公彦に語りかけられたその少女は、欧州出身と間違えられそうな見かけからは想像もつかない程の自然さで、極東の島国である『千秋皇国』の母国語である流暢な大和言葉を話して嘆息すると、軽く肩を竦めて、公彦の問いかけに、忌憚も遠慮も容赦の無い感想を述べ始める。
「全くもって実に中途半端な出来だな。特に難点を言えば魔力増幅機構の出力をもう少しばかり上げてもらいたい。これでは、高高度飛行中に急に魔力切れになってしまうぞ!」
「おや?そうかい?これでも限界まで回転炉の容量を拡張して、展開数も大きくしたんだけどね?僕としては、君の基礎魔力量の方がおかしいと思うのだけど?」
「ええい!うるさい!技術屋の本分は、使用者の無理難題に応えることだろう!それなのに、中途半端な出来でしか現物を渡さない義父上の方がおかしいのだ!少しは反省しろ!」
公彦の実務的な反論に対して、仁那の方は何だか勝手なことを言って逆切れ気味に頬を赤く染めながら怒るが、公彦は特に言い返すことも無く軽く肩を竦めて見せるだけだった。
「まぁ、其れもそうだね」
「む、うう。それで納得すると、こちらとしては、対応に困るのだが……」
「おや?そんな風にがっかりするって言う事は、別に通してほしい注文でもないのかい?」
「そんなことは言っていない!とにかく、私はこの欠陥機械の不備については申し立てしたからな!次の試験運用までに改善されなければ、もう二度とこんなことには付き合わないぞ!大体、魔導機盤に安全機構が外されていることを飛んでいる直後まで教えないなど頭がおかしいぞ!お前が私を宇宙に飛ばす実験台にする為に嵌めたかと思ったわ!」
「ゴメンゴメン。でも、それとは別に作った安全装置はきちんと発動したろう?ちょっとした悪戯心だったんだよ。まさか、君があそこまで取り乱すとは思っても見なくてね。本当にごめんね?」
「冗談で済むか!私があの時、一体どれほどの恐怖を味わったと思っているんだ!本当に!死ぬかと!死、ぬ、か、と!思ったんだからな!」
「だから、本当にごめんねって。お詫びと言っては、何だけども――――」
可愛らしい顔を真っ赤に染めながら猛抗議を行う仁那に、公彦は飄々とした謝罪を繰り返して頭を下げ続けると、言葉を斬る様に煙管の煙を吸い込み、
「今日の夕飯はすき焼きにしよう。もちろん、牛肉のね」
そう言って、仁那に向かって片目をつぶって見せた。
黒メガネをかけた胡散臭い青年が、愛らしい容姿の美少女に向かって食べ物で釣っている姿は、どことなく誘拐犯による未成年者略取の現場其の物の様に見えるが、それを指摘する者はこの場にはいなかった。
「…………食後のデザートにアイスクリームを所望する」
「勿論だとも。何なら、ついでにアイスの種類と肉の種類にまで注文を付けてもらっても構わないよ?」
そんな自分の姿を客観的に見えているのかいないのか、公彦は見事に美食につられる仁那に軽く笑い掛けながら仁那の頭を撫でると煙管の煙を燻らせてふと、何を眺めるでもなく周囲を見回して、ぽつりと呟いた。
「もうすぐ、一年半になるんだねえ」
「あん?」
唐突に呟かれた公彦の言葉に、思わず仁那は怪訝な顔をして見上げると、公彦はうっすらとした笑みを浮かべながらしみじみと呟くに言う。
「君が、この圀の軍に入ってからさ。或いは、僕が君を引き取ってから。とも言い換えられるけど」
「何を当たり前の事を今更……」
公彦の発言に、思わず眉をひそめかけ、と、そこで周囲を見回して思わず納得の声を上げた。
「成程。確かに、此処はあの場所によく似ているな」
「ん。君と初めて会った場所によく似ているだろう?」
「ああ。あの時は確か、天才科学者の最新研究の実験台にされて体の四割が吹っ飛んで死にかけたところをお前に拾われたのだったな。…………クソが、思い出したくもない」
懐かしそうに話しかけて来る公彦に対して、顔に似合わぬ言葉遣いで心底忌々し気に吐き捨てる仁那に、公彦は思わず苦笑した。
「まあ、物は考えようだよ。あの実験があったおかげで、僕と君は出会えたわけだし、今夜の晩御飯にすき焼きとアイスクリームに舌鼓を打つこともできる」
「どうだかな。それでやっていることが、あの天才科学者(イカレ野郎)と同じ飛行魔術の術式実験に巻き込まれている様では、思えに拾われた意味が無かったようにも思えるがな」
「それを言われちゃ、立つ瀬が無いなあ。――――ッと」
実に実感の篭った感想を述べる仁那の姿に、公彦は軽く苦笑しながら答えると、ふと、遠くから聞こえてきた声に耳を傾けて、仁那に向けてウィンクをした。
「どうやら、お迎え兼お財布が来たようだよ。彼に向けて、君の要望を全てぶつけると言い。きっと、あいつなら、仁那の言う事なら、二つ返事で聞いてくれるよ?」
「やれやれ、親友に対して付けるあだ名とは思えんな。まぁいい。私の懐が痛まない限りに置いて、私を贅沢させてくれる存在ならば、誰であっても、私の神だ。そのお言葉に甘えさせてもらおう」
仁那は、胡散臭い笑みを浮かべて片目を瞑る公彦に、どこか胡散臭そうな視線をやりながら、肩を竦めつつ迎えの車に向けて歩き出した。
それは、聖典暦1928年の7月の末の事だった。