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第九章 篝



(どこにいる……っ?!)

 瑚太朗は森の中に入った途端、普段とまるで違う様相に気づいた。

 静かすぎる。

 生き物の気配がまったく感じない。

 いつもならはぐれ魔物の気配が、遠くからでも感じとれるはずなのに。

 それに篝を探すときは、いつも、彼女が飛ばす契約線を頼りに辿れば見つかった。

 それすらも感じなかった。

「……っ?!」

 一本も……ない。

 バカな。

 数体の連絡用に使う鳥型魔物を持っていったはずだ。

 それに使うことがなくても、普段から持たせている。何かあったときのために。

(落ち着け……!)

 篝の身に何かがあった。

 それは間違いないだろう。

 連絡も取れない状態なのは明らかだ。

 自分が取り乱してどうする……!

「……行け!」

 瑚太朗はすぐに懐から携帯している探索用魔物を飛ばした。

 今は3体しかないが、森の上空から探すしかない。

 自身も樹上に登って辺りを見渡してみた。

 この辺は魔物の生息域から離れている。

 篝の身の安全を考え、境界から出来るだけ離れた場所に居住を構えた。

 それが裏目に出たのか、篝は魔物を探して森の奥深くまで行ってしまう。

 だから目を離すわけにはいかなかったのに。

「篝……っ!」

 胸を掻き毟る。

 篝の身に何かあれば……もう生きてはいられない。

 朱音を失い、今またあの娘まで失うようなことがあれば……。

「……っ?!」

 魔物の目を通して、森の中で倒れている篝を発見した。

 ここからそれほど遠くない。

 瑚太朗は飛び降りるとすぐさま駆け出した。

 危険な状態だ。

 篝の周りに大型の獣や凶暴な恐竜型の魔物がたくさん取り巻いている。

 そのどれもが倒れているようだが……。

「篝っ!!」

 茂みを掻き分けて走り抜け、篝のもとまで辿り着くと、瑚太朗は信じられないものを見た。

 篝の姿がまた成長していた。

 もう見た目は十四、五……六歳ほど。

 体格が小さいからいまいち年齢がよくわからないが。

 それどころか。

 篝の姿は、かつて瑚太朗が抱えて逃げた、あのときの鍵そのものだった。

 赤いリボンこそないけれど、……あの黒いドレスも。

 朱音の服を仕立て直して作らせたものなのに。

 いや、そんなことどうでもいい!

「篝、おいっ、しっかりしろ!」

 周りに倒れている魔物の群れは、少しずつ塵化していた。

 ……篝がやったのか?

 わからないが、篝の傍に近寄ってみても、特に怪我などはないようだった。

「よ……良かった……」

 ぎゅっと強く抱きしめ、早くこの場から離れようと抱きあげたとき。

 背後から突然うなり声が聞こえてきた。

「……っ!」

 まだ一匹残っていた……!

 飛びかかろうとする大型獣、間に合わない!

 一瞬のことだった。

 篝の目が見開き、両手を伸ばして虹色の光の帯のようなものを放った。

 光が獣を直撃、瞬時に塵化。

 篝はそのまま気を失った。

「な……っ?」

 その直後。

 篝の髪が少し伸びた。

 というより……わずかに成長していた。

 目に見えるほどの変化ではないが。

 瑚太朗は篝の頬におそるおそる手を伸ばした。

 触れてみる。

 柔らかな頬は少女特有のもので、もう赤子のときのような感触ではなかった。

「命を……吸って……?」

 成長したのか?

 そうとしか思えない。

 それなら篝の急成長の謎も解ける。

 赤子の頃から少しずつ、周辺の魔物の命を吸っていた。

 そういえば……。

 篝が産まれて数ヶ月、家の周りではぐれ魔物の姿はほとんど見なかった。

 篝が使役する魔物は、いつも彼女が召喚する魔物だった。

 はぐれ魔物の姿を多く見かけるようになったのは、というか多いと気づいたのは。

 つい最近のことだ。

 家の周りを凶暴な魔物が取り巻いていて、初めてその現状に気がついた。

 篝だ。

 魔物を呼び寄せたのは。

 成長するために……。

 無意識にだろうとは思うが。

「…………」

 瑚太朗は篝を抱き上げ、その場から走った。

 この周辺すべての魔物の命を吸い上げたのなら、また呼び寄せようとするかもしれない。

 家に連れ帰って隔離しないと。

 これ以上魔物の命を吸わせるわけにはいかなかった。






 瑚太朗は篝を部屋に運んでベッドに寝かせた後、大急ぎで書物をめくった。

 朱音の遺品の中にあったもの。

 確かあったはずだ。話も少しだけ聞いたことがある。……あるはずだ、必ず。

「これだ……!」

 目当ての情報を探し当て、必要な材料があるかどうか、注意深く読んでみる。

 ……大丈夫、たぶん全部ある。

 朱音の遺品の中にも残されていたはずだ。

「朱音さん、使わせてもらうよ」

 荷物を漁り、足りない分は自分で作った。慣れない手作業に苦心するが、どうにか形にした。

 家の周辺に配置。魔物を召喚する。

 簡易的なものではあるが、認識を撹乱させる結界のようなものを作ることが出来た。

 これで外からは何もない空間に見えるはず。

「しばらくなら……誤魔化せる」

 魔物は人間と違うから、気配のようなものを敏感に感じ取る。

 だから気配そのものを消す必要があった。

 家の中にいる限り、人間の気配を感じることはないはずだ。

 当分の間、外に出すことは出来そうもない。

 だけど。

「篝のためなんだ……」

 そう思うしかなかった。

 意識してやっていたのか、無意識なのか。

 産まれてまもなくは、もちろん無意識だったのだと思う。

 生まれつきそんな力があるなんてわかるわけないし、あってもそれは当たり前のことになる。

 自分が魔物の命を奪っているのだと。

 現に篝はあの駝鳥型魔物の命を一度吸い上げ、そして再び契約した。

 篝にとっては普通のことなのだろう。

 だが。

 むやみに命を奪うことに、なんの躊躇いもなかったこと。

 それはもう、加島桜とほとんど変わらない意識だ。

 思い知る。

 篝はほぼ聖女化していた。

 なぜ気づいてやれなかった……。

 ずっと傍にいて、一番わかってあげないといけなかったのに。

「…………っっ!!」

 ガンッ――と壁に拳をぶつけた。

 血が出るほど殴っても、まだぶつけた。

 何度後悔しても後悔ばかりする。

 そんな自分が殺したいほど憎かった。

「朱音、さん……」

 会いたい。

 今、たまらなく彼女に会いたい。

 傍にいて、見つめてほしい。抱きしめて欲しい。慰めて欲しい。

 殴っても叱っても怒鳴ってもいいから。

 別れが早すぎた。

 せめてもっと打ち明けてくれていたら……。

 何も言えなかったのか?

 信用も出来なかったのか?

 誰よりも深く愛していたのに。

 思い上がりに過ぎなかったというのか。

 いつだって彼女は、一人で抱えこんで、いってしまって。

 永遠の片想いをしているかのようで。

 こんな苦しい恋、捨ててしまえればどんなにか……。

「はは……」

 捨てるくらいなら、ここまで苦しみはしない。

 いつだって俺は一人だった。

 バカ騒ぎして、空回りして、一人で舞い上がって。

 誰かと一緒になれば、そのみっともなさを打ち消してくれるような気がして。

 そんなみじめな俺だから。

 誰一人も守れやしないんだ……。

 だから。

「篝だけは……」

 人間に戻してやる。

 聖女だろうと鍵だろうと構うものか。

 あの娘を普通の女の子に戻してやる。

 加島の亡霊だろうと、星の意志だろうと。

 俺の娘を誰にも渡したりしない。

「…………」

 瑚太朗は血の滲む拳を握りしめ、険しい顔を浮かべていた。






 政府筋に匿名で書簡を送った。

 現在の人工来世の状況と魔物増加の原因をデータと合わせて論文にし、それを安西氏に頼んで匿名扱いにして貰うことにした。

 それでもおそらくバレてしまうと思うが。

 それならそれで構わなかった。今は現状をなんとかするのが先決だ。

 瑚太朗の予想通り、数日後、大規模な魔物討伐部隊が結成された。

 だが――ライフラインに関わる魔物の使役がとまったわけではなかった。

 それは安西氏も仕方ないことなのだと言っていたが。

 それをやめない限り、魔物が人を襲うのはとめようがないと、いくら言っても無駄だった。

 現状では魔物の増加を食い止める手段がない。

 ならば楽な生活を捨てるほうを選ぶより、より楽な魔物を減らすほうを選ぶ。

 ただしそれは、この空間を維持する魔物の数をどれだけ切り捨てるかの判断が必要だ。

 どちらも苦渋の選択になっていた。

「おまえも来てくれるか?」

 討伐部隊に加わった吉野が、これから侵攻するという直前に森の外で会いたいと言って瑚太朗を呼びつけた。

 そう言われるだろうと思っていた瑚太朗は、もう答えを決めていた。

「悪いけどパスする」

「……天王寺」

「薄情かもしれんが、今は自分のことで精一杯なんだ。……篝のことで」

「篝?」

「迷子なんだ。森で見つけて、今世話してる」

 そういうことにした。

 娘だと紹介しても、年齢的につじつまが合わなくなる。

「そういうことかよ。水臭いぞ、なんで黙ってた」

「……別に言うほどのことじゃ」

「今度紹介してくれ。よかったら里親探すの手伝うぜ」

「いや、それはいい。俺が引き取るから」

「おまえ……」

「愛着わいてさ。朱音のこともあるし」

「そっか。亡くなったんだよな……」

 吉野はしんみりと肩を落とした。

 朱音が亡くなったことはもう知れ渡っていたが、吉野に言うのは避けていた。

 余計な気を遣わせたくなかったのだが、娘だと紹介できない後ろめたさでつい口に出てしまった。

「どんな娘なんだ?」

「え?」

「女の子なんだろ?」

「あ、……うん。可愛いんじゃないかな」

 ちらりと後ろを見る。

 篝を家の外に連れ出すのは躊躇ったが、一人で置いておくわけにもいかず、彼女には結界の形代を持たせた。

 認識撹乱が働いているから吉野には見えないはずだ。

 篝は木の後ろに隠れてこちらをジッと見ていた。

「なんだよ、連れて来たのか?」

 瑚太朗の視線に目ざとく気づいた吉野は、篝のいるほうを覗いた。

 だがきょろきょろと視線を彷徨わせる。

 見えてないようでホッとした。

「だーれが連れてくるかよ」

「おまえ性格悪ぃな! 紹介してくれたっていいだろ!」

「誰が大事な娘をおまえなんぞにやるか!」

「娘だと?」

「あ、いや、もう娘のつもりだから」

「てめえ……まさか手を出したり」

「娘だっつーとろーがっ!」

「てめえ、ブッコロス!!」

 何を勘違いしたのか。

 吉野は瑚太朗の襟首を掴んで殴りかかろうとしてきた。

 慌てて誤解を解こうとしたそのとき。

「パパになにするの!!」

 突然篝が走ってこっちに来た。

 しかも。

 形代を地面に放り投げて。

「バッ……、バカ、来るなっ!」

「バカはてめえだっ!!」

 吉野が今にも瑚太朗を殴ろうとした瞬間、篝は思いっきり吉野に体当たりした。

 弾みで吉野が尻餅をついて吹っ飛んだ。

 こんな力があったのかと思わず感心したが。

「ちょっ……来るなって言っただろ! 姿を見せんな!」

「何言ってやがる、誰だいまぶつかった奴は?!」

 吉野は辺りをきょろきょろと見回して怒鳴った。

 篝が目の前にいるにも関わらず。

「え……?」

 尻餅をついたまま瑚太朗を見て怒鳴っていた。

 篝が見えていない。

 どころか、気配すら感じ取れていないようだった。

 篝を見てみる。

 結界の形代は向こうの木の下に落ちていた。

 認識撹乱はないはずなのに。

 吉野には篝が見えていない。

「パパ……!」

 瑚太朗にしがみついているのに、吉野はまったくそれに気づいていないようだった。

 不機嫌そうに立ち去る吉野の後ろ姿を見て呆然とする。

 篝に最後まで気づいていなかった。

 つまり……。

(もともと篝は認識撹乱能力を持っていた……?)

 だが魔物は篝を感じ取っていた。

 当たり前だ。

 魔物には鍵の気配を感じ取る能力がある。

 鍵……。

 まさかまさかと思っていたけれど。

 篝は。

 鍵と同じ存在になっていた。

(いつからだ……?)

 思えば篝が産まれたとき。

 朱音は一度も篝を見ようとしなかった。

 見ようとしなかったというより。

 見えなかった。

 感じとれなかった。

 だから。

(俺しか、……見なかった)

「パパ……パパ……」

 しがみつく篝を呆然と見下ろす。

 頭を撫でることも、抱きしめかえすことも、出来なかった。






to be continued……


他にいいタイトルが思い浮かびませんでした……。二文字にこだわってたのに。

次回、告白。

ついにあの方が登場します。(どの方ですか)

朱音ルートを知らないとわからないかもしれません。

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