第二十一章 因果
――その終焉は、あらかじめ定められたものであるかのようだった。
数多の世界で、鍵を殺した。
そのことに気づいた瞬間、己がひとつの因果を集束しているのだと理解する。
そう、レンズで光を集めるかのように……。
自分という存在そのものが、鍵を殺すための装置として機能しているのだということを。
世界に関わりすぎていた。
同じ役割を担いすぎていた。
その結果。
鍵を――ひいては娘を失うことに繋がっていた。
あまつさえ。
自分の娘が鍵になって、「篝」という存在に固着させたが故、存在そのものが世界から消滅してしまった。
「篝を……また……」
失ってしまう。
ここにいれば、必ずそれは、訪れる。
遅かれ早かれ、その違いはあるだろうが。
篝が鍵としてこの世界の役割を担っているのだとしたら。
自分の手か、あるいは別の現象として。
篝を抹消しようとするだろう。
そういう因果を、――自分は持ってしまった。
「どうすれば……いい……」
消えてしまいたい。
こんな自分の存在ごと、この世界はおろか宇宙のあらゆる領域から消してしまいたい。
なぜ……。
娘は――篝は。
自分を生かそうとした?
そもそもそれが、間違っていた選択なのではないか?
知りたい。
彼女が自分を残した意味を。
鍵とは本来、生命の生存本能としての機能だ。
生命とは生き続けなければならないもの。
宇宙の拡がりとともに爆発的に飛び散ったあらゆる物質が、生命という形を帯びるまでに複合的な奇跡が重なった。
その奇跡が生存という本能に繋がっている。
生存は、絶対的な理ではない。
奇跡のようなもの。……宇宙はそれほど、過酷だ。
だから自分のような、対比する存在も発生するのかもしれない。
生命そのものを破壊する死としての役割を担った自分。
なぜ、自分が因果の中に組み込まれているのか。
生存模索をするための可能性世界において、それは不要な異分子なのではないか。
異分子……。
「違う……のか?」
死もまた――必要か。
鍵が引き起こす再進化のプロセス。
一度すべてを滅ぼすことにより、新たな生存の可能性を探り出す。
リセットというよりは、リサイクル。進化とはそういう獲得形質を辿るためのシステムだ。
だが、それでも。
鍵を破壊するということは、その進化の可能性を閉ざすということになる。
今まで自分が数多の世界で行ってきたこと。
どれも――手遅れの状態になってから引き起こしたことだった。
あるいは、あと一回分くらいのやり直しが出来るかどうかの瀬戸際の……。
自分のやってきたこと。
それはどれも、まるで意味をなさない。
鍵に対しても、娘に対しても。
生命そのものを冒涜するに他ならない行為だった。
「篝……」
おまえは……。
鍵として、俺を見ていたのだろう?
なぜ生かそうとした?
なぜ残そうとした?
因果を収束させてまで……。
こんな記憶。
残したまま消えてしまうなんて、残酷すぎる。
あのとき、世界が消えてしまったときに、自らも消えてしまいたかった。……おまえと共に。
泣きたいのに、涙も出てこない。
心は乾いて砂漠のよう。
このまま枯れ果てて消えてもいい。
そう思っていた、そのとき。
思ってもいない存在が――現れた。
「朱音……さん……」
「なんて顔をしているのよ、瑚太朗」
朱音は。
部室の扉を開けるなり、開口一番に毒舌を吐いた。
机の上を見る。
そこにあった朱音の命の欠片は、いつの間にかなくなっていた。
だが。
彼女を蘇らせた覚えはない。
むしろ命の気配のままでいて欲しかった。……なのに。
「なんで……」
「さあ。おまえの仕業でないことだけは確かね。ここにいる私はただの幻。そう思いなさい」
幻がそんなはっきり言ったり見えたり、あまつさえ肉体を持ったりするか?
そうは思ったが、しかし。
彼女ならばそれもあり得るかもしれないと、諦めにも似たため息をついた。
「相変わらず失礼な男」
朱音はソファに座って腕と脚を組みながら呟いた。
その傲岸不遜な態度が懐かしい。
思わず肩でも揉みたい気持ちになってきた。
「あなたはどの時点での朱音さんですか」
「どの時点というのがどういう定義かにもよるけれど。……そうね。その呼び方がムカつくから学園にいた頃でいいのではないかしら」
「では会長で」
「そうしてもらえると有難いわね」
打てば響くような会話。
そのすべてが、もう二度と取り戻せない過去なのだと気づく。
懐かしさと寂寥がせめぎ合った。
「朱音さん」
「……わざとなの?」
「やっぱり俺にとってあなたは朱音さんだから。それに二人きりなんだし、いいでしょう」
「それ以上近寄ったら殺すわよ」
「何もしやしませんよ。肩くらいは揉んでもいいと思ったけど」
朱音はぷいっと顔を背けた。
……可愛いな。
そう思ってしまったあたり、やはり自分は朱音には弱い。
「あなたにこんなことを言っても、仕方ないことですけど……」
言うべきかどうか迷う。
だけど。
自分一人の胸におさめておくには、あまりに事態は深刻だった。
「俺を消す方法、知ってたら教えてください」
「…………」
「朱音さんなら知ってるんじゃないですか」
「仮に知っていたとして。おまえはそれでいいの?」
「なにがです」
「おまえの娘がおまえを残した意味を、知るのが義務なのではなくて?」
目を見開いて朱音を見た。
この朱音は……どこまで知っている?
「言ったでしょう、私は幻。鏡のようなものよ。こうして千里朱音の姿を借りてはいるけれど。……で。おまえはそれを知らずに消えてしまってもいいと、そう思っているわけなの?」
朱音の言葉に。
胸の中から溢れるものがこみ上げてきた。
彼女は自分を映し出す鏡のようだった。
だから。
もう素直になってもいいと思った。
「……もう一度」
枯れていたはずの涙が。
一滴。
零れて、落ちてきた。
「篝に……会いたい」
「…………」
「俺の娘に……会いたい。消えてしまったなんて認めたくない。彼女に会って確かめたい。どうして俺を残したのか……」
「無理ね」
「……あっさり言わないでください」
「おまえの言うそれは、ただの無いものねだりよ。子供の我儘と同じ。……そうね。ひとつだけ教えてあげる。おまえには貸しがあることだし」
「貸し……?」
「おまえが知っている朱音という女はね、ものすごく嫉妬深いの。世界の理すらおまえと引き換えにするほどに」
瑚太朗は目を瞬かせた。
意味が……よくわからない。
だけど。
朱音の言葉をただ大人しく聞いていた。
「瑚太朗。いつか私が言った意味を、もう一度よく考えて御覧なさい。おまえはこの世界にすべての記憶をもってよみがえった。それはおまえという因果そのものを抱えこむ結果になったけれど……」
朱音が瑚太朗に近づき、唇に指を押しあてた。
その感触は。
いつか鍵に触れたときと――同じ。
暖かい指、だった。
「それは瑚太朗にしか持ち得ない力。彼女はそれを知っていた。おまえに生きていて欲しかったから」
「…………」
「おまえは世界の矛盾を背負った。だけどそれは、おまえの内部だからこそ出来たこと。その意味をもっと深く考えなさい」
「朱音さん」
「なによ」
「抱きしめてもいいですか」
「嫌に決まってるでしょ」
「……つれないな」
「おまえが本当に抱きしめたいのは、私ではないでしょう?」
「……そうですね」
「じゃあ、もう行くわね。……そうそう。あまり娘を苛めるんじゃないわよ。SERO規定を解除しても逮捕フラグは立つから」
「殺戮サバゲーオタクに言われたくないけどな」
「口の減らない……」
朱音が部室の扉から出るのを見送った後。
瑚太朗は涙を拭いて立ち上がった。
もう迷わない。
決意は二度と揺るがなかった。
「守るって、誓ったんだ」
最初からそうだった。
それを思い出しただけだ。
「――篝を」
自分のなかに燈るともし火を、もう一度深く、確かな想いとともに噛みしめた。
to be continued……
もう少しだけお付き合い下さい。
そろそろ終わりが見えてきましたが。
まだ書ききれないことがたくさんあります。
どこまで書けるのかわかりませんけど、頑張ります。