第十四章 記憶
夢を見た。
長い、とてもとても長い、夢。
目が覚めたときは一瞬で過ぎた夢なのに、見ているときは何年も、何十年も、何百年も……ううん、何万年、何億年。
生命が進化して、知性を持って、生きて、たくさんの命を育んでいく。
そんな不思議な夢を、見た。
「篝」
愛する人が優しく語りかけてくる。
何度も何度も、愛を囁いてくれる。
口づけを交わす。
深く繋がる。
命はこうして生まれてくるのだと、知った。
「篝……」
愛おしい声。
とても切なくて、苦しくて、泣きたくなる。
泣くなと何度も語りかけてくる。
でも泣きたくなる。
何故かって。
それは。
「愛してる……」
この声が、もう二度と……聞けないから。
もう二度と、会えないから。
でも大丈夫。
あなたの中に、わたしを残す。
その記憶を。
どうか大切に……大切に……残してください。
夢を見る。
わたしではない記憶。
でも別の存在のわたしが見た記憶。
その記憶を手繰り寄せる。
「鍵……」
彼はわたしを、見ていた。
戸惑いのような、おそれのような、……神秘を犯すような目で。
彼の中でわたしを捕らえようという気持ちが激しくせめぎあっているのを感じる。
手を伸ばしてくる。
銃を向けている。
手が、細かく震えている。
彼はおそれている。
わたしという存在に。
鍵という存在に。
わたしは、ただ彼を、見ていることしか出来なかった。
「おまえを……殺さないと……」
それは。
誰に対しての言い訳だったのだろう。
彼は泣いていた。
涙なんて、流している自覚もないのか、わたしを見つめて泣いていた。
人間って。
なぜ涙を流すの。
泣くのはなぜ?
心って、なに?
生きるだけなら、心なんて必要ないのに。
ああ、そうか。
生きるだけなんて……。
そんなの、最初から、なかったんだ。
だって生きるだけだったら、すべてが悲鳴で覆われてしまう。
歌で溢れてしまう。
あなたはきっと。
わたしを見て、最初に、泣いてくれた人だった。
夢……。
遠い、遠い、夢。
手繰り寄せる。
届かない。
遠すぎて、とても届かない。
でもあの夢の中にきっとある。
「篝」
振り向くと。
愛おしそうな、尊いものを見るような、一途な眼差しを向けた彼がいた。
彼はわたしの頬にそっと触れた。
敵意は感じられなかった。
ヒトの手が暖かいものであることを、知った。
「……」
唇を寄せてくる。
触れ合う。
そして、離れた。
わたしは彼を見つめた。
それはどんな感情?
わからない。
ヒトの感情は、表情とは裏腹。
彼の呼吸も、脳のシナプスも、神経に伝う流れも、すべて把握できるのに。
感情というのは命と同じもの。
確かにそこにあって、存在は感じるのに、解析することができない。
でも彼の中に、確かにそれはある。
「たぶんこの場所まで来ることのできる人間は、俺しかいない」
わたしは彼を見つめた。
まるで遠い場所にいるかのように言う彼の言葉に。
わたしの意思が、確かにここに存在しているのを感じた。
彼の声が。
意思を宿して、想いをわたしの中に響かせた。
命の波動のように。
「俺、篝を守るよ」
ガラクタのようだったわたしの心。
拾いあげてくれたのは彼だった。
擦り切れて、ボロボロで、使い果たすまで欠片も残せなかった心。
そんな心では、大事なものを失くしてしまうよと。
教えてくれているかのようだった。
篝は両手で顔を覆った。
腕には絡まるように赤いリボンが纏っていた。
ベッドの下にはリボンによって無残に破壊された、瑚太朗が残した篝を見つめるための魔物。
ベッドの周りは、篝が大切にしていたあらゆる魔物の残骸が破壊され、散らばっていた。
すべてリボンによって切り刻まれている。
暴風雨のようにリボンが舞っていた。
部屋中のものが、瑚太朗の私物が、篝の服だったものが、床が、天井が、壁が。
鋭利な刃物で傷つけられたようにボロボロになった。
リボンの嵐はやまない。
篝は顔を覆ったまま、泣きながら、リボンが舞う嵐の中心にいた。
「……瑚太朗……っ」
名を叫ぶ。
それは悲痛な響きだった。
この世のあらゆる絶望を背負ったような嘆き。
実際彼女は、嘆くしかない状況に、どうすることも出来ずにいた。
自分の生まれた意味を知ってしまった。
高次元からもたらされた遥かな記憶。知識。理。
すべて把握した篝は、もはやどうすることもできない運命に嘆き悲しんでいた。
「瑚太朗……だけは……っ」
この世界が滅ぶ。
それはもうどうすることも出来ない。
自分はそのために生まれた。
生まれなければならなかった。
だから。
「瑚太朗だけは……生きて……!」
篝はせめぎあう加島桜の意志に懸命に抗っていた。
命を憎悪する思い。
それは瑚太朗も例外ではない。
だから彼女は愛する気持ちだけは失わないと戦っていた。
たった一人で、――リボンが舞う、嵐の中で。
瑚太朗はやっと辿りついた自宅を見て、呆然とした。
(屋根が……ない?!)
まるで切り取られたかのように屋根の一部が破壊されている。
それはちょうど篝が眠っていると思われる部屋の真上にあたる場所だった。
「篝……っ!!」
叫びながら階段を駆け上がる。
ほんのわずかな時間しか経っていない。
少し前まで篝がベッドで眠っていたのを魔物の目で確認していた。
それから一時間も経っていないというのに……!
「篝っ!」
部屋に飛び込んで愕然とする。
すさまじい惨状だった。
部屋中のものが、ありとあらゆるものが、鋭利な刃物のようなもので切り刻まれていた。
篝はどこにもいない。
ベッドの上は空だった。
そのベッドすら、豆腐のように切られ、原型すら残さず破壊されていた。
「な……?!」
足を踏み入れるのを戸惑うほど。
足元には魔物の残骸。
どれも篝が大切に使役していた魔物だった。
その中に、自分が篝のために残した目の役割の魔物も、無残な姿で転がっている。
「か……かが……り……」
膝が崩れ落ちる。
唇が震えて、目の前が真っ暗だった。
これ以上はないほど動揺していた。
いま誰かに殺されたとしても受け入れてしまいそうなほど。
篝のことを考えると。
もはや。
生きる意味すらなくなるような気がした。
「……しっかりしろっ!!」
自分に叱咤する。
篝を守ると誓ったのではなかったのか。
動揺など彼女を見つけるまで心の奥底に沈めてしまえ。
瑚太朗は唇を噛み締めて、世界が終わりそうな絶望を振り払い、たった一つ残っている手持ちの探索用魔物に篝の気配を探らせた。
「頼む……!」
魔物はしばらく羽ばたくと、篝が辿った道筋を追うように、部屋を出た。
その目と視線を繋げ、魔物が近づいたのは。
不思議なことに自分の書斎だった。
「……?」
書斎の中には誰もいない。
だが魔物は、書斎の中のある物を目指し、そこに止まった。
瑚太朗は震えていた膝を叩いて立ち上がり、書斎へと走った。
机の上。
そこにあるのは小さな飾り箱。
篝にいつかあげようと思っていた髪飾りが入った箱だった。
中は空になっている。
「篝が……?」
作ったはいいが、記憶にある鍵と同じデザインであることに気づき、あげるのをずっと躊躇った。
だけど想いをこめて作ったものであるだけに、捨てることもできず、性懲りもなくプレゼントにしようと飾り箱まで用意して包装した。
それが空になっている。
篝が持っていったとしか思えなかった。
「……っ!」
思い出し、クローゼットを開ける。
やはりなかった。
瑚太朗がしまって隠しておいた黒いドレス。
だけど朱音の形見の服であるだけにやはり捨てられなかった。
鍵と同じデザインの服。
それもなくなっていた。
「……鍵、だ……」
篝の中にいた鍵。彼女が目覚めた。
そしてどういうふうに知ったのかわからないが、髪飾りと服を着て行った。
行った……どこへ?
家にはいない。
魔物はしばらく迷うように書斎をうろうろしていたが、やがて窓から外へ飛び出した。
街の方角を目指している。
魔物の目が見ているもの。
それは……。
「観測者の、木……」
その上空を見つめている。
それ以上、上には行けないのか、翼を羽ばたかせながら宙を彷徨った。
瑚太朗は契約線を切った。
居場所はわかった。
どうやって行けばいいのかもわかっている。
図らずも小鳥が道を指し示してくれていた。
「待ってろ……篝」
瑚太朗は固い決意を胸に、もう二度と絶望などしないと誓いをこめて呟いた。
to be continued……
更新中止じゃなかったんかーい!(苦笑)
すいません、構想が思った以上に膨らみまして。指がノリまくってしまいました。
さて。
十四章ですが、多大なネタバレ要素を含むため、あえてわかりにくくしてあります。
まあ、わかる人がいたら……それはそれで嬉しいのですが。
篝視点を入れるべきかどうか、これとても迷いました。
入れてしまうとネタバレになってしまいます。
でも後半で瑚太朗にすべてわかるようになっています。
だから篝視点はなくてもいいのですが……。
まあ、あったほうが盛り上がりそうな気がしまして。演出です。
次回もよろしくお願いします。更新はわかりません(苦笑)