第十三章 小鳥
(これで……いい……)
観測者の木の根元。
すでに床も壁も高い天井も、すべて植物の根で覆われていた。
いずれ自分もこの根に飲み込まれて細胞すら残さず分解されてしまうだろう。
だが小鳥は満足そうな笑みを浮かべて、飛び立った黄金鳥を見送った。
(もうこれで……思い残すこと……ないよ……)
命が尽きかけようとしている。
ここに辿り着くまでに遭遇した魔物に、すでに命のほとんどを吸収されてしまった。
生命の残り火があとわずかになっている。
それを感じたが、小鳥にはもう、すべてやり遂げた満足感しか残っていなかった。
(瑚太朗……くん……)
どうか、幸せに。
二人を見送った後、涙が溢れてとまらなかった。
瑚太朗が朱音を支えながら、人工来世へと続く光の渦に消えていくのを見届けて。
今までの後悔と罪の意識のすべてが洗われるような心地がした。
(あたしが……瑚太朗君を……縛りつけた)
彼は知らない。
小鳥が壊れていたこと。
幼い頃、両親を魔物化したときから、すでに狂っていたこと。
瑚太朗を救うために許されないことをしたこと。
そのために彼の運命を変えてしまったことを。
(だから……)
その罪滅ぼしなのかもしれない。
それとも。
(もう一度……会いたい……のかな……あたし……)
黄金鳥が飛び立った方角へ、すでに視力が消えかけていたが、目線を向ける。
もう一度瑚太朗が黄金鳥と出会えるかどうかは、賭けでしかないけれど。
ほとんど天文学的な確率の賭けだけど。
もし出会うことがあれば。
(どうか、……生きて……)
小鳥は、命が消える間際――。
瑚太朗の顔が見えたような気がした。
森の奥深く。
瑚太朗は注意深く五感を研ぎ澄まし、空気の微妙な変化を感じ取ろうとしていた。
魔物が作り出す空間の途切れには、共通した重圧感のような空気が漂う。
下手に気づかず踏み込めば命はない。
長年の経験からそれを知っている瑚太朗は、息を殺して進んでいた。
「……っ」
この先だ。
幸い、視線の先にある。
目を凝らして前方に視線を向けながら進む。
辺りに魔物の気配は感じなかった。間違いない。魔物は空間の亀裂を避ける習性がある。
生命線を発する空間以外の亀裂には魔物が近寄ることはなかった。
「ここか……」
樹木と樹木の間。
灰色と黒が織り成す空間の亀裂。
何度も見たことがあるが、これほど大きな亀裂は見たことがなかった。
「やっぱり……亀裂が広がっているのか」
すぐにデジカメで撮り、ウェアラブルカメラで撮影する。
GPSで場所を確認し、通信用魔物に今のデータを預けて飛ばした。
あと手持ちの魔物は。
「1体しかないか……」
もっと持ってくるべきだった。
だが篝に預けた魔物で2体使ってしまっているので、手持ちはこれで全てだ。
こんなことなら普段から作っておくべきだった。
「今度篝に作ってもらうか……」
あの娘は小型だろうと中型だろうと大型だろうと、あらゆる魔物を即席で作れる。
聖女としての資質と、もともと創作力の高い知能があるのだろう。
いつだったか。
篝と一緒に粘土造形の遊びをしたことがある。
ただの遊びのはずだったが、次から次へと空想上の動物を作り上げた手際の良さに驚かされた。
どうやって知ったのかきいてみたら、図鑑や本に載っていたと言う。
一度見ただけでこれほど正確に作れるのかと、その時は感心しつつも、心のどこかで不安に脅かされた。
(加島桜が……化石標本から魔物を作りだしたと朱音から聞いたから)
突出した魔物使いの才能を持っていた加島桜。
おそらく空想力や想像力、造形力なども高かったのかもしれない。
篝がそのことに気づかなければ良いと……。
だが結局。
楽しそうに粘土で遊ぶ篝を、とめることなどとても出来なかった。
わかっていた。
怯えても恐れても、結局、運命からは逃れられない。
篝がたとえ完全に加島桜の意識に乗っ取られてしまったとしても。
(守るって決めた)
瑚太朗は拳を強く握りしめた。
魔物の目を通して、今、篝がベッドですやすやと眠っているのを見ている。
早く会いたい。
そう思ってさっさと仕事を終わらせようと次のポイントまで行こうとしたとき。
近くから人の気配がした。
「……っ?」
こちらに向かってくる複数の足音。
時折聞こえる機械が擦れあうような音も混ざっていることから、討伐隊の一部隊かと思われた。
かなり歩調が速い。
急いで知らせないと危険だ。
ここにはまだ空間の亀裂がどこまで及んでいるか、範囲を特定しきれていない。
「……おい! こっちへ来るな!」
走って追いつくと、彼らは瑚太朗を見てホッとしたように武器を下ろした。
どうやら先導する部隊とはぐれた一隊のようだった。
「助かりました。調査部隊とはぐれてしまって」
「何人いるんだ?」
「ここにいる8人だけです。お互い連絡用魔物で所在を確認しあっていたのが、我々だけでして」
「ここは危険だ。空間の亀裂がまだそこいらにある。早く場所を移動……っ?!」
瑚太朗が言いかけたそのとき。
背後にいた討伐隊の一人が急に闇に飲まれた。
「う、うわああっ!!」
すぐ近くにいた者が驚いて尻餅をつき、ついたと同時にまた消えた。
(空間の亀裂が……っ!)
さっきまで森だった場所が、いつの間にか何もない空間になっている。
瑚太朗は慌てて目の前の人物の手を引き、走り出した。
「早くここから逃げろ!」
恐慌状態に陥った彼らは、瑚太朗が走る方向とは逆の方へ散り散りに逃げ惑った。
手を引いた男も、瑚太朗の手を振り払って反対方向へ走り出す。
「おい、そっちは……っ!」
見ると。
いつの間にか、瑚太朗の周りは真っ暗な暗闇が迫っていた。
逃げる人々が次から次へと空間に飲み込まれていく。
逃げ場などどこにもなかった。
(な……っ?!)
ちょうど自分のいる場所を中心に、木々の間から忍び寄るように空間の亀裂が迫っていた。
上空を見ても、立ち木で覆われているため見通しがきかない。
(くそっ!)
何とかここから逃げないと。
だが一人、また一人と、空間に飲み込まれていく彼らを見て、いずれ同じ状況に陥るのは目に見えている。
瑚太朗はそれでも諦めるわけにはいかなかった。
(篝……!)
彼女を置いて逝くことなど出来ない。
自分に付いていた篝の目となっている魔物は、すでに闇の中に消えていた。
意識を集中するが、この辺一帯がすでに別空間となっているのか、篝の姿を捉えることができない。
それでも。
死ぬわけにはいかなかった。
(どこかに……必ず……!)
隙間があるはず。
瑚太朗は必死になって空気の流れを感じ取ろうとした。
五感を限界まで高める。すでに消えた能力だが、まだわずかに残っている。それをフルに働かせた。
すると。
後方……6時の方向。
かすかにだが、何かの気配。
不吉な予感はしなかった。どこか……懐かしささえあるような。
瑚太朗は目を瞑ってそこに向かって全力疾走した。
「くっ……!」
身体が空間に持っていかれそうな気配を感じるが、目を瞑って無視する。
両腕で顔を覆い、なんとか木々の隙間、空間の切れ目から外れた通常空間へと脱出した。
飛び込むように森の中に着地する。
すぐさま起き上がり、背後を見たが。
もう人々の姿も声もどこにもなかった。
「…………」
助けることは出来なかった。
だが、薄情だとは思うが、自分が助かったことに感謝する。
彼らを見捨てたことは心の中に引っかかるけれど。
それでも篝のために死ぬわけにはいかなかった。
「篝……!」
意識を戻してみる。
魔物の目は消えていた。
何も見えない。どころか契約線も切れている。
さきほどの空間にいた影響なのか。
急いで帰らなければ、と家へ向かって走ろうとしたそのとき。
瑚太朗の目の前に、バサバサと、小さな黄金色の鳥型魔物が現れた。
「え……?」
さっき感じた懐かしい気配。
それがこの魔物から感じられた。
いや……。
この魔物、どこかで……。
「おまえ……あのときの……」
現世での終末のとき。
あれは魔物の群れを探していたとき。
陽動なのか扇動なのか、魔物の組織だった行動に焦りと不安で警戒ばかりしていた。
そんなとき。
この魔物が現れて……視界が繋がった。
一瞬で味方だと思って。
胸が締め付けられるような思いになって。
それっきり忘れていた――黄金の鳥。
「え……?」
魔物は、足首に何か結わえつけていた。
それを瑚太朗に渡そうとしている。
魔物を肩に乗せ、足首の小さな袋を取り外してみた。
中には……。
「なんだ……これ?」
小さな銀製の鍵と、見覚えのあるカードキー。
いや、これは。
両方とも瑚太朗は知っていた。
観測者の木。
これを起動・停止させるための鍵が、この銀製の鍵だった。
そしてカードキーは、マーテル本部で使う最高セキュリティレベルのもの。
いずれも瑚太朗が以前使っていたものと同じものだった。
「なんで……おまえがこれを」
黄金鳥は。
まるで役目を終えたかのように、動かなくなった。
「お、おいっ!」
鳥を手に乗せたが、塵化して消えてしまった。
サラサラとした粒子が空気の流れに漂っていく。
それを見た瑚太朗は、今さらのようにかつての懐かしい顔を思い出した。
「小鳥……」
かつての幼馴染。
なぜその顔が思い浮かぶのか。
だが確信した。
あの黄金鳥の魔物は、彼女が使役していた魔物なのだと。
根拠なんてない。
だけど直感というより、それはほとんど絶対の確信のようなものだった。
「小鳥が……これを俺に?」
銀製の鍵とカードキー。
それを託した意味はなんなのか。
瑚太朗はその二つを握りしめた。
意味なんてわからない。
だけど。
小鳥だけは、たとえ何があろうと自分を裏切らない。
それだけは信じられた。
to be continued……
思っていたより早く書くことが出来ました。
この調子で続きも早く書けるといいなあ。
頑張ります!