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埋葬虫の弟子  作者: デオキノコムシ
第二章 偏食家の貴婦人
9/9

夜の洞窟

 太陽の赤い気配が無くなりつつある。


 縁に所狭しと木々が茂る円形の空をただぼんやりと眺めていた。

 ここは私以外には誰もいないため長い時間を潰すには空を見上げている他ないのだ。

「はあ……」

 ため息の直後、さやかな風が素足をすり抜けていく。まだ僅かに濡れているためか体に少しの震えが走った。

 暖かくなってきたとはいえ風邪をひきそうだが体を拭けるような布はないため自然乾燥に任せるしかない。

 空に向けていた視線を泉に落とす。紺色の空の下にあってなお深い緑色を称える湧き水は水面を撫でる風で僅かに揺れていた。それでも映り込むまだ数の少ない星々を崩してしまうほどでもない。

 小さな魚が砂の上を滑っている。

 岩の上に預けていた体を起こし胸に触れる。もう殆ど乾いているようだ。足も手で擦れば気にならない程度に乾いている。

 すぐ近くに置いていた服を掴んで岩から飛び降りた。

 相変わらず様々な汚れでまだら模様になっているスカートとシャツを着て、漂うかすかな悪臭に顔をしかめた。シデムシの村で夜中に充満する腐臭ほどきつくはないもののこれを着ているというだけで私にとっては十分不快である。

 そういえば、と数日前のことを思い出した。

 身繕いをしていたバイロンを見ていたら、服が無いことを気にしていると勘違いした彼が「服のアテはあるが、時期がよくない」みたいな事を言っていたはずだ。時期とやらになれば自然と教えてくれるだろうがこちらから聞いてみるのも良いかもしれない。昆虫人か人間の商人が売りに来るのだろうか?

 キリギリスの昆虫人が上等な服を着て恭しくお辞儀をして、綺麗な刺繍の施された服を売りさばいている様子を想像し思わず笑ってしまう。

「1人で笑っていると怪しいぞ」

 突然、人間の声より数段低い呟きが聞こえてきた。

「へ?」

 振り返っても誰もいないので岩の反対側まで周るとバイロンが立っていた。いつから居たのだろうか。鞘翅を背負った背中を岩に預け前足と中足は腕組みをしている。

「せ、先生、いつから」

「ついさっきだ」

 彼はそう言って肩をすくめる。甲冑のような体の外骨格がそれぞれ擦れて音を立てた。

 恥ずかしくなって俯くと大きな手で頭を優しく撫でられた。この間、子供扱いされているようで余計に恥ずかしいと訴えたのだが改善される気配はない。

「夜もだいぶ暖かくなってきたな」

 そう言う彼の体が少しずつ深まる闇に溶けている。

「イネス、この前話した服の件だが……そろそろ良いはずだ。取りに行くぞ」

「取りに?」

 ほんのついさっきまで聞こうと思っていたことが都合よく飛び出してきたので思わず顔を上げてしまう。やっとこの酷い臭いのする服から開放されるかもしれないと密かに胸が高鳴った。

 だが取りに行くとはどういうことだろう。そう尋ねると彼は少し首を傾けた。

「詳しいことは後で話す。見回りは他の者に任せているからすぐに出発するぞ」

 墓守の弟子になってから解ったことだが、バイロンは墓守のリーダー格ではあるものの1人で何でもしているわけではない。夜間の見回りには当番があるしそれ以外の仕事も分担が細かく決められている。墓の水桶を修復したり、草むしりをしておいたり、村の守備も協定の内に入っているため街道も監視しておかなければならない。シデムシは思いの外忙しいのだ。

 バイロンもある程度日々の予定があるためこのように突然何かするというのは珍しい。

「……随分急ですね?」

 そう指摘すると彼はとたんに触角を下げて黙りこんでしまった。言葉に含まれる感情は少ないものの意外と表情豊かな彼のことは私にもかなり分かってきていて、こういう状態の時は何かこの後大変なことが待ち受けていたり、彼自身が何かしでかしてしまった時に見られるものだ。なんとなく嫌な予感がした。

「それも後で話す」

 その声には苦い響きが含まれている。私の嫌な予感が的中してしまいそうな気配がより濃くなってしまった。

「はは、わかりました」

 そう言って笑い、背を向けたバイロンに気づかれないようそっとため息を吐いた。




 森を縦横無尽に走る獣道のうちいくつかはシデムシ達によって作られたものだ。追いかけてはいけない獣道と、安全なシデムシの獣道の区別はまだ私には出来ない。よって1人で歩くことはないのだがバイロンは暇な時間を見つけては私を案内してくれる。

 先ほど水浴びをしていた泉にしてもそうだ。シデムシの村から15分も歩けば着くので覚えやすく重宝している。

 今回通る道は山へと続いているようでかれこれ2時間も歩いていた。

 山歩きに適さない私の靴ではバイロンのように軽々と倒木を超えたり岩を跳んだりするのは難しい。たまにバイロンに抱えて運んでもらうことがあるのがとても恥ずかしかった。

「はあ……はあ……」

 昆虫人の呼吸は乱れるということを知らない。疲れた時は少し立ち止まって体の動きを石像のように止めてしまう。シデムシが全てそうなのでこうして1人荒い息を繰り返していると随分と間抜けに見えた。

 バイロンが心配して頻繁に休憩を挟んでくれるのだが、何故か休み始めると大きなムカデが出てきて威嚇をするので結局移動せざるを得ない。何よりもムカデが出る度バイロンの触角が敏感に動いて苛立たしげに大顎を開いているのが気になる。

 かといってそれについて問いかけてもはぐらかされるばかりで、私はほとんど休憩できないまま歩き続けている。

「もうすぐだ」

「はい……」

 バイロンはそういうものの、木々は全く少なくなる気配がない。今どこを歩いているのかもわからなくなるほど、シデムシの村近くの森より遥かに密度の濃い森が広がっていた。

 ここまで来ると人間やシデムシの気配よりも植物の気配の方が濃厚で押しつぶされそうになる。

 やがて自分の呼吸以外に僅かな水の音が混じるようになってきた。それは歩みを進めるに従って大きく複雑な音へと変わっていく。

 いつも通り目的地に着いたバイロンが突然立ち止まり、やはり私は彼の背中に顔をぶつけた。

「む、すまん」

 彼はいつもそう言うが改善された試しはない。

「いえ……大丈夫です。着いたんですね」

 バイロンは黙って頷いて再び歩き出す。いよいよ木々がまばらになってきたので私にもその音の源が解るようになった。

 私達の歩いていた道の右側は緩やかな坂となっていてその下を川が流れている。その川が巨大な洞窟の中へと流れ込んでいたのだ。その大きさたるや私や私の倍ほどの背丈があるバイロンですらちっぽけな存在にしか思えないほどの大きさだ。高い天井の縁からは木々の根や蔓植物がぶら下がって奇妙なカーテンを形作っている。

「ここから先は決して俺から離れるな」

 バイロンが真剣な声音で言うので、私はその中足の指をしっかりと握った。彼は一瞬身を引いて驚いたようだが納得したように頷いて私の手を握り返す。

 歩みだした彼と共に洞窟の中へ再び目を向けると、だいぶ夜目の効くようになった私の目にも全く奥が見えない完璧な闇が広がっていた。それでも入り口の壁はかすかに月明かりを受け入れている。

 闇が蠢いているように見えるのは私の恐れが見せているのだろうか。

 それとも本当に闇が蠢いているのか。

 バイロンに導かれて歩みを進めると濃厚な湿気が体にまとわりつき始めた。闇は全てを覆い隠していてもはや手を握っている人物がすげ変わってしまってもわからないかもしれない。

「せ、先生。ちゃんと私の手握ってますよね?」

 そんな不安に駆られ、思わず手に力を込めながら虚空に向かって話しかけてしまった。

「ああ」

 いつも通りの短い返答に安堵する。

 洞窟の地面は細かな砂利が敷き詰められているようで足が滑るということもない。右手すぐを水が轟々と流れているのもまた恐怖心を誘うがそれを知っていてかバイロンは右側に立ってくれていた。

 しばらくは轟音と砂利を踏む音だけが洞窟内に響く。

「止まれ」

 バイロンの短い警告に身がすくむ。自然と震えだした体は何か大きな危機を察知しているのだろうか。空気が僅かに振動し、その間隔が短くなるにつれて体の震えはどんどん大きくなっていく。

「やーっと来たのねえ。バイロンちゃん」

 耳を塞ぎたくなるほどの大きな声が降り注いだ。しっとりとした艶があるがどこか毒々しい華やかさのある声を聞いて心臓が飛び跳ねている。

 訳の分からない原始的な恐怖で頭がどうにかなりそうだった。せめてその姿が見えればいいのだがここは完璧な闇で僅かな光も望めない。

「あら、人間もいるの。可哀想にこの暗闇じゃあ見えないわよねえ」

 言葉は哀れむようだが声はちっともそんな気配はなくむしろ面白がっているように感じた。カキカキカキカキ、という硬質な音がしばし鳴り響くと、突然辺りが明るくなる。

 突如目の前に現れた"それ"は砂利の地面を貫く巨大な杭のようだった。私の身の丈以上ある"それ"がある生物の足であると理解したのはたっぷり5回呼吸をした後のことである。

「待っていたのよお」

 声と足の主は途方も無く巨大なムカデだった。

 彼女はこの巨大な洞窟の中すら窮屈だとでも言うように、長い体を巻いて私達の前に立ち塞がっていた。

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