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埋葬虫の弟子  作者: デオキノコムシ
第一章 墓守の弟子
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埋葬虫の弟子(第一章最終話)

 その緊張に吐き気すら覚えるようだった。


 バイロンは洞穴式の住居へ戻るなり倒れこむように眠ってしまった。

 本来夜行性であるシデムシが人間に合わせて行動し、さらに食事までまともに取っていなかったのだから当然のことだ。すぐにそこまで頭の回らなかった自分を引っ叩きたくなるがそれどころではなかった。

 慌ててグレージュとキャメルに相談し、二人の厚意で少しの食料を分けてもらい動物の死骸の見つけ方を教えてもらった。そのおかげで狐とウサギの死体を確保し腐りかけのキノコを用意できた。

 後は彼が起きてそれを食べてくれさえすれば良い。

 そして、食事を探している間に決めた私の進む道を彼に伝えなければ。

 薪の火を絶やさないよう注意しながら待つ。

 やがて彼は僅かな唸り声と共に、今までぴくりとも動かなかった触角を持ち上げた。

 ギィ、ギィーという軋むような高い音を上げながら彼は六つん這いの姿勢から起き上がる。音を発する時に大顎が開いていたのでそれが彼本来の声なのかもしれない。

「バイロンさん」

 呼びかけると頭が動いて鏡のような目がぼんやりとこちらを見つめた。

「イネ……ス、か」

 何度か咳払いのような、やはり先程の軋む音の混じる声を発しながら彼は胡座を組む。

「すまん、寝てしまったか」

「いいんです。バイロンさんの負担に気づかなくてごめんなさい」

 手をついて頭を下げると彼が慌てたように「顔をあげろ」と言った。それに従って軽く微笑むとバイロンは困ったように触角を揺らす。

 と、背後に隠していた食事に気付いた彼が触角をぴんと立てた。

「あ、気付きました?」

 彼が身を乗り出す。軽く首をかしげる動作が妙に可愛らしい。

「どこでそれを」

「グレージュさんとキャメルさんがキノコを分けてくれて、動物の死体の見つけ方も教えてくれたんです」

 そう言うと彼は腕組みをして大顎を何度も動かした。無断で森へ行ってしまったのだから何か言いたいこともあるのだろうが、今だけはそれを言わせないようにすぐさまキノコの盛られた器を差し出した。

「バイロンさんにお礼がしたかったんです。食べてください」

 驚いたように体を一瞬震わせた彼はそれを黙って受け取り、その臭いを確かめるように触角で何度も器の縁を叩く。

「……ありがとう」

 しばらくして照れくさそうに言った。

 バイロンは四本の指でキノコを掴みしばしその外見を眺めた後、大顎でそれを噛み千切る。弾力のあるキノコの肉が音を立てて千切れていく様を見ていると昆虫人らしい野性味が感じられた。

「旨い」

 小さな呟きは薪の弾ける音に紛れてしまいそうだが聞き逃さない。その言葉に自然と顔がほころび、水の入った器も彼の前に置く。

 しばし心地の良い沈黙が続き、彼はあっという間にキノコを食べ終えてしまった。次に狐を勧めようとしたが彼の手で止められてしまう。

「もう少し後に食べる。お前も休め。森を歩いて疲れたろう」

 彼の視線が森で擦りむいた膝に向けられるのを感じた。狐を取ろうとした時に動いたせいでスカートで隠していたのが顕になっていたようだ。慌てて隠すがもう意味はない。

「すいません……」

 恥ずかしくて思わず俯くと、髪の流れに沿うように軽く頭を撫でられた。

「謝ることはない。お前の気持ちは確かに受け取った」

 優しい声に体がくすぐったくなり返す言葉もなくただ笑う。

 もちろん、ただこののんびりとした時間を楽しむだけではない。言わなければならないことは忘れていなかった。

 水を飲みながら彼が岩壁に背を預けたのを見計らって本題を切り出した。

「私、これからどうしたいか決めました」

 彼は姿勢を崩さず触角だけを動かす。

「それで」

 静かな声で問われた。

 乾いた唇を舌で舐めてから応える。

「墓へ来たのはとにかく村から逃げるためでした。何もかもから逃げたくて、逃げきれるなら死んでも良いと思って走って、バイロンさんに拾われました。でも、今日のことがあって、逃げるだけで本当にいいのか……わからなくなって」

 そこで言葉を切り、一度視線を落として自分の手を見る。そしてバイロンの手へ。あまりにも違う外見。

 受け入れてもらえるだろうか。

「いずれ村に戻りたいんです。今の弱い自分ではなく強い自分となって、私を虐げていた人たちを見返したい。そのために、ここに居たいんです。受けた仕打ちを忘れないために。そのために」

 手をついて、額に敷物の感触が伝わるほど頭を下げた。

「バイロンさんの弟子にしてください。私も、墓守になりたいんです!」

 この瞬間、炎すら息を潜めたようなそんな沈黙があった。

 言えたという達成感と言ってしまったという不安から腹部が爆発しそうな不快感に苛まれる。本当は深呼吸すべきなのだろうが今は息をすることすら拒否してしまう。

 胸が苦しくなり震える息をそっと吐き出した時、彼が動く気配がした。

「なんと言っていいか」

 彼の声もまた、震えていた。

「それが正しい選択か、俺にはわからん。本当はもっと良い道があるのかもしれない」

 これは拒否なのだろうか。

 泣かないと言ったはずなのに視界が歪みそうになるのを必死でこらえる。下唇を思い切り噛みしめて耐える。

 蔓の敷物と外殻がこすれる音だろうか。不思議な音が数秒続いた。

「だが、俺は、歓迎する。イネス。俺は……お前がそう言ってくれたことが……なぜだかとても嬉しい」

 硬い手に肩を掴まれ、優しく顔を上げるよう促された。いつの間にか薪を越えて目の前に来ていたバイロンが炎を背にして、初めて会った時のようなシルエットだけになって私の前に立っていた。

「しばし、人としての生を捨てることになるぞ」

 最終確認に、私は強い意思が伝わるよう力強く頷いた。

 これから私は夜に死を求めて彷徨い、昼の陽光を恐れ、死臭の中で生きていく。

 だがそこには日光の下で得ることのできなかった暖かさがあるのだと私は確信していた。覚悟は出来ている。

 私はシデムシの弟子となった。




「何をしているんだ?」

 背後から聞き慣れた低くざらついた声がかかる。

 振り向くと闇に紛れた黒い体がすぐ後ろに立っていた。手には誰かが置き去りにしたのであろう水桶が握られている。

「誰も来ていないお墓があったので、お花とお祈りだけ捧げてきたんです」

「村の人間が不審に思うかもしれんぞ」

 鋭い鉤爪が咎めるように肩を突く。

「大丈夫ですよ。本当に小さい花ですから」

 キャメルが母の墓に置いてくれたものと同じ白い野花だ。後からグレージュに"ヨアルキ"という名前なのだと教えてもらった。この花は月の出ない晩にだけ青白く輝くと言うが見たことはない。その真っ暗な夜まではまだ幾つか日が昇るのを見なければならないようだ。

「まあいい。今夜も異常はないな。戻るぞ」

 バイロンが踵を返し森の方へと歩いて行く。

 つや消しの鞘翅に走る八本のスジ模様だけが僅かな月明かりを反射した。

「はい、先生!」

 私は名もない墓に会釈し、音もなく歩く昆虫人の後ろ姿を追いかける。


 静かな月が二人を照らしていた。

これにて第一章完結です。

詳しくは活動報告にてまとめますが、ここまで読んでくださった方々、ブックマーク登録をしてくださった方々、評価をしてくださった方々。皆様のおかげで飽き性で面倒くさがりな私が無事第一章を終わらせることができました。

本当にありがとうございます。そして、よろしければこれからも埋葬虫の弟子をよろしくお願いします。

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