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埋葬虫の弟子  作者: デオキノコムシ
第一章 墓守の弟子
5/9

棺の中

 男たちのシルエットの狭間で狂ったように踊る私を、三人の私が見ていた。


 それは旅商人の紙芝居のようなどこか遠い出来事であり、私の体験したことでもある。

 立っていたのは焼け野原のような場所だった。

 嫌だ、怖い、触るな。

 私の隣で私が叫んでいる。自分の体を抱きしめて泣いている。

 殺してやる。

 向かい合った私が言う。

 痩せ細った何も持たない体で何が出来るというのか。私自身があざ笑うと、向かい合う私は酷く怒った顔をして殴りかかってきた。

 いつの間にか手に木の棒を持っていたので、その頭を殴りつける。たったの一撃で頭のほとんどが陥没した。

 棒を振り上げる私の腕をバイロンの黒く太い腕が掴んでいる。子供が人形で遊ぶ時にそうするように、彼の腕の力で私を動かしているのだ。

 私は彼の力を借りて目一杯自分を殴り続けた。殺してやると言った私はぐずぐずの肉の塊になったので、隣で泣いていた私も殺した。

 死体には無数の小さなシデムシ達が群がっている。

 彼らに食べてもらえれば私も幸せに死ねるのだろうか。棒で自分を叩こうとしたが、黒い腕がそれを許さなかった。


 地面が消えた。私は全てを失って落ちていく。


「うぅっ」

 おそらく膝から崩れ落ちたのだろう。両膝がじんわりと痛む。無理やり起きたようで視界がぐるぐると回っている。

 視界が定まってくるとまず床に転がる一本の薪が見えた。先端が少しくすぶっていて形が歪んでいる。まるで岩に何度も叩きつけたかのように。

 呆然と開いた口から間抜けな声が漏れでた。

「あ……」

右腕が持ち上がったまま動かなかったのに疑問を感じ、顔を上げた。力なくうなだれている私の手のひらは血塗れだ。目前の昆虫人の体には僅かな傷と木片が付着している。

「大丈夫か」

 低くざらついた、その声で確信した。

 夢の中で殴っていた私は、現実のバイロンだったのだ。

 グレージュの家で眠ってしまったはずだが迎えに来てくれていたのだろうか。いや、それよりも……

「わ、たし」

 声が震えている。

 彼を傷つけてしまった。いつも遠くで見つめる私が口元を抑えて悲鳴を飲み込もうとしている。

 炎の明かりに照らされたバイロンの顔から目が離せない。鏡のような黒い目に怯えた私が映っていた。

「イネス」

 私を呼ぶ声の感情が読めない。

 彼は私の腕を掴んだまま自らの方へと引き寄せた。中足に腰を抱かれ身動きが取れなくなる。後ろから抱きかかえられるような姿勢のまま、胡座を組んだ彼の太ももに座らせられた。

「だめっ」

 傷つけてしまったことが恐ろしくて逃れようとしたが彼はそれを許さなかった。さらに強靭な前足で肩を抑えられてしまう。

「イネス、聞け」

 低くざらついた声。何度も慰め、許してくれた声が、また私を許すのか。

 私にはそれが恐ろしい。どこまで許されるのかもわからない。何もわからないまま失望され放り出されるのが怖い。こんな恐怖を味わうのは初めてだ。

 バイロンの顔を見ることができず薪を凝視する。小さな炎が腹を抱えて笑い転げるように目まぐるしく動いていた。

「俺が許しても、きっとお前は楽にならないだろう」

 私を押さえつけていない方の手が、そっと目を塞ぐ。冷たい外殻の感触が熱い顔を冷ましていく。

 今の私にはその言葉の意味が理解できなかった。答えも見つからずにただ黙っていることしか出来ない。

「仕事が入った。日の出前に出発する。お前にも来て欲しい」

 その言葉には真摯な響きが含まれていた。

「なんで」

 乾いた唇を無理やり開こうとすると僅かな痛みが走る。

「怒らないんですか?」

 問いかけに対しバイロンは短いため息のようなものを吐いた。

「なぜだろうな」

 今更痛みの湧き出てきた手のひらに冷たいものを当てられた。柔らかな毛ブラシで擦られるようなくすぐったさが後に続く。何度も何度も繰り返されるそれがシデムシの"舐める"という行為であると気づいたのは、再び眠りにつく直前の事だった。



 

「起きられそうか」

 体を軽く揺り動かされた。

 目を開けると私を覗き込むバイロンが赤く炎に照らされている。

「……はい」

「明るくなる前に出て早めに済ませる」

 既に彼の身支度は済んでいるようで、私も顔だけ洗って外へ出た。相変わらずこの時間帯は肌寒い。バイロンが持たせてくれた簡易的な松明のおかげで暗闇に惑わされることはなさそうだ。

 入り口を抜けた所に一人のシデムシが立っていた。

 炎の明かりで解りづらいが、背中側の甲殻の一部が赤く見える。

「あなたは……」

「私はキャメル。よろしくお願いします、イネスさん」

 ここに来て初めて聞く女性の声だった。やはり人間より低い声だが、女性らしい艶と穏やかな物腰もあってかとても優しげに感じる。

「よろしくお願いします」

 深く頭を下げて挨拶しているとバイロンも入り口から出てきた。手には何やら包みらしきものが握られている。必要な道具でもあるのだろうか?

「行くぞ」

 バイロンに続いて崖を下り、森へ入る。

 彼を先頭にキャメルと私が並んだ。彼女をよく見てみると腹部が膨らんでいて重そうだ。歩く時も左右に揺れている。おそらく人間の妊婦と同じ状態なのだろう。

「大丈夫ですか?」

 腹部を指差して声をかけると、キャメルは手を口に当てて上品に笑った。

「ありがとう。このぐらいなら大丈夫よ」

 卵は一つしか生まないが、それがとても大きいためこのようになってしまうのだと言う。

 その後会話は途切れてしまった。屈強な昆虫人が二人いて心強いとはいえ、夜の森は不気味以外のなにものでもない。しかも1人は妊婦だ。

 松明の炎が風でちぎれて行くのを目で追いながら、次の言葉を探した。

「え……っと、そういえば、シデムシの女の人と話すのって初めてです」

「そうね。2軒隣に住んでいるから見たことはあると思うけれど」

 恥ずかしいが今だにシデムシの識別はできていない。バイロンもグレージュも話し出さなければ分からないので、過去に彼女とすれ違ったかどうかも私にはわからなかった。

 知ってか知らずか、キャメルは重たそうな腹部を少し持ち上げて続ける。

「すごく痩せてて、病気なのかと思っていたの。バイロンがずっと側にいるし」

 キャメルは前方のバイロンに触角を向けた。名前が出てきても彼は反応せず先頭を歩いている。

「私も人間と話すのって初めて。だから今、とってもドキドキしているのよ」

 彼女の微笑みに釣られて私も口角を持ち上げた。

 キャメルはバイロンに声をかける。

「今度イネスさんと二人でゆっくりお話がしたいわ」

「……別に、構わんが」

 バイロンは振り向きもせずに答えた。

「でもきっと少しの間ね。バイロンが嫉妬する」

 キャメルが私の耳元まで顔を近づけて囁いた。

「キャメルさんとバイロンさんは、友達なんですか?」

 随分親しげな印象を受けたので聞いてみる。

「友達……ってわけじゃないけれど。年も離れているし。私が幼虫として出てきたばかりの時には、すでに彼が今の私ぐらいの年齢だったから」

「あれ、バイロンさんってそんなに……」

 年を重ねているとは思わなかった。キャメルが印象から人間で言う20代だとすれば、バイロンは40代ということだろう。私にとっては父親ぐらい年齢が離れているのか。

 父親。私の父親に関しては話すら聞いたことがない。

「もうすぐ墓に着くぞ。静かにしろ」

 話しを遮るようにバイロンが声を上げた。キャメルはそんな彼の背中を見ていたずらっぽく笑う。

「あら、年の話はダメだったかしら」

 森の木々がまばらになり、ほとんど空を覆い尽くしていた葉が少なくなった事で星空が見えてくるようになった。バイロンのシルエット越しに墓石や見えてくるようになる。

 下の方が朽ちてぼろぼろになった門を開け昆虫人二人がやや横歩きになりながら通り抜ける。後に続くとまばらに並ぶ墓石がはっきりと見えた。この時間帯に人間など来るはずもないが、久しぶりに感じた村の気配に自然と体が強張った。

 大丈夫だ。バイロンもキャメルもいる。心の中でそう励ますが、手の震えはなかなか収まらない。

 しばらく墓の間を歩いて行く。人口の少ない村だからか真新しい墓はほとんどない。苔に覆われ名前の見えなくなった墓や、瑞々しい花の供えられた墓も墓石の角が摩耗して丸くなっている。

「ここだ」

 バイロンが立ち止まった。

 その墓は名前を刻む石碑もない粗末な墓だった。ひとまず埋めておく、という程度のものだ。村では身寄りのない人が入ることになっている。しかしあの小さな村で身寄りのいない人などいないはずだ。

 いくら考えても心当たりはいなかった。

「出すぞ」

 コの字の墓石もないため、ただの四角い穴から棺が引きずり出される。簡易的な四角い木製の箱は少し土に汚れていた。

 バイロンの手が打ち付けられた釘を物ともせず棺の蓋をこじ開けていく。

 その中身を見た瞬間、足に力が入らなくなった。

 とす、と音を立ててしゃがみこんだ私に驚いたバイロンが棺の蓋を落とす音が頭に虚しく響く。

 私は重要なことを忘れていたのだ。

「どうした?」

 問いかけるバイロンを無視し、動かなくなった足を引きずって棺の縁に身を乗り出した。かろうじて取り落とさなかった松明の火を掲げその顔を再び照らす。

 中に入っていたのは私の母だった。


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