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埋葬虫の弟子  作者: デオキノコムシ
第一章 墓守の弟子
4/9

過去の話


 忌々しい声が聞こえてきたのはそれからしばらくしての事だった。


 とても聞き覚えのある品のない声。喉が詰まって息が苦しかった。かつて酷い仕打ちを受けた下腹部が鈍く痛む。きっと馬鹿みたいに見開いているのであろう私の目は、ただ縋るようにバイロンの顔を見ていることしか出来ない。

 彼は茂みの隙間を覗き込むように頭をあげていた。ほとんど微動だにせず、触角だけが小刻みに動いている。中足の一本が私の腕を優しく握ってくれていた。

 声と足音は確実に近づいている。

 それまで細い枝を踏みつける音にかき消されて聞こえなかった話の詳細が、私にも聞こえるほどになってきた。

「こんな所にあの臆病者が来てるかねえ」

 気だるそうな青年の声だった。

 村で私を何度も殴ったことのある男の声だ。口を抑える手に自然と力が篭っていく。

「夜中に墓へ逃げ出したんだ。こっちにだって来てるかもしんねえだろ」

 もう一人は荒っぽい性格が声に出ている。普段の乾燥した声も、あの時になれば無様で湿っぽい吐息を漏らす。きっと奴は気づいていないだろうが心の中では何度も馬鹿にした。

 恐ろしい、怖い。

 そう思っていたのが懐かしいほど私は怒りと憎しみに燃えていた。「殺してやる」という心の叫びが今にも口から飛び出してきそうだ。

 だがもう一人の自分が遠くで冷めた目をしている。お前がそう思えるのは、目の前で守ってくれる昆虫人がいるからじゃないのか、と。

 私は無力なままで何も変わっていないのだと釘を刺す。

 声はよりはっきりと聞こえる所まで近づいていた。バイロンは何を考えているのだろうか。呼吸で揺れることすらない彼の体はまるで石で出来ているようだ。真っ黒な石の覆いは、私を墓穴に入れるために誂えられた棺か。

「しっかし、惜しかったよなー。後ちょっとで20本目が終わりそうだったのによー」

「偉業達成まで目前だったのになあ」

 そこから先は引きちぎられるような身の痛みを思い出させる話が延々と続いた。

 彼らは何も変わることなく、ただ遊び相手がいなくなって退屈しているだけのようだ。きっと私が居なくなったことに対して、どこかで死んだかとか、人攫いにあったのかなど考えてもいないだろう。

 きっと大事にもしていなかった玩具を落としてしまったので仕方なく探しているぐらいの気分なのだ。

 彼らの声はかなり近くまで来たものの、再び離れていくようだった。しばらくすればまた私には何も聞こえなくなってしまうのだが、それでもバイロンは「まだだ」とでも言うように動くことも合図をしてくれることもなかった。

 結局、長いこと彼は立ち上がらなかった。

「もういいだろう」

 掠れた声が合図をした直後に日差しが強く飛び込んでくる。

 覆いかぶさる黒い体が無くなり天が見られるようになると、木々の隙間から高く昇った太陽が見えた。かなり日当たりが良いように感じる。暗い森の中では比較的、という程度だが夜行性の彼には辛かったのではないだろうか。

 バイロンは何もなかったかのように平然としながら手の土を払っていた。

 私はと言えば、今だに全身の震えが止まらず寝そべった姿勢のまま呆然としている。

「奴らなのか?」

 私の顔を覗きこむようにして現れた彼に目を向ける。

 言葉はそこで切られたが「お前を傷めつけた者達か」という問いが隠されていると感じた。声は出ず、頷くしかない。

「ここまで来たのは問題だな」

 と呟いた次の瞬間、彼が突然腕を振り上げ私の耳元に振り下ろした。何か堅いものが一気に潰れるような音が耳を直撃する。

 慌ててその方向へ目を向けると、彼の拳が大きなムカデを潰していた。無数の足が僅かに痙攣しているが確実に絶命しているだろう。だが拳は地面に密着したまま離れることはなく、そのままごりごりという音を立てて念入りにムカデをすりつぶしていた。

 彼らしからぬ明確な殺意を感じる動作だ。

 私もさすがに起き上がり、何も言わずただムカデを面影がなくなるまで潰している彼をぼんやりと眺めていた。

 もしかしたら、とてつもなく怒っているのかもしれない。

 



 ムカデは彼の胃袋に収まった。

 何故か腰が抜けてしまっていたため、彼に抱きかかえてもらい村へと戻ってきた。

 朝の賑わいは既に無く、数人のシデムシが思い思いの食事を抱えて自宅へと戻っているのだけが見えている。

「ここの森には村人を入れない約束だった」

 帰り道はずっと黙っていたバイロンが私を降ろしながら言った。

「条件を守るよう伝えてくる。夕方までには戻ってくるはずだ」

「でも、ほとんど食べてないじゃないですか。せめて何か……」

 引きとめようとした私の手に木の実の包みを載せて、彼は背を向けてしまった。

「気にするな。今すぐ死ぬわけではない」

 そう言ってさっさと歩き出してしまう彼の背中を見送るしかできなかった。

 普段は体格に似合わずほとんど足音も立てないのに、この時ははっきりとした音が聞こえるほど足を踏み鳴らしていた。やはりまだ怒っているようだ。

「我が弟は随分とお怒りのようだな」

 突然、まったく気配のなかった背後で声があがる。驚いて飛び上がりそうになりながら振り向いた。

 声でわかってはいたが立っていたのはグレージュだった。手には小さな蛇の死骸が握られていた。まだ新しいのか、切断された頭部の断面から血が滴っている。

 グレージュは私の顔を見て触角を跳ね上げた。

「酷い顔色だ! 夕食が自分から出向いてきてくれたのかと思ったよ!?」

「え……」

 夕食ということは、今の私は死体並みに顔色が悪いということだろうか。頬に手を当てて軽くこするが温かみは感じられない。

 心配そうに顔を覗き込むグレージュの腕が肩へと回される。

「君へとっておきの贈り物を持ってきたんだよ。きっと元気が出る」

 そう言って蛇の死骸を目の前にぶら下げられた。

「見つけるのに苦労したよ。でも、昔こいつを食べている人間を見たことがあってね」

 おいで、と手を差し出される。

「バイロンは出かけるんだろう? 一人で留守番するより一緒に居たほうがいい」

「お邪魔していいんですか?」

 私が問うと、きっと彼が人間だったら満面の笑みだったのが想像できるような、そんな明るい声で「もちろん」と返してくれた。私もそれに精一杯の笑みで答えて、彼の手を取る。

 グレージュは素早く私を抱え込んで羽を広げた。中足でお尻を支えて、前足で体を包む抱き方はバイロンと同じだ。

 低い唸り声のような羽音と共にゆっくりと浮上する。ほんの十数秒でしかないが、崖の上部まで浮き上がると目眩がしそうなほどの高さであるのがわかった。ここまで来るのに階段はあるものの、飛べる彼にとってはそのほうが早いのだろう。

「さあ着いたよ」

 グレージュは私を抱きかかえたまま洞穴式の住居に入り、やはりバイロンの家と同じような円筒状の部屋に着いてから降ろしてくれた。まだ少し血抜きが必要だと呟きながら蛇を吊るすグレージュに気づかれないようこっそり部屋の中を見回す。

 広さとしてはバイロンの家と同じなのだろうが、彼の部屋が必要最低限のものしか置いていないのに対して、グレージュの部屋にはバイロンの部屋にもあった物の他、使用用途のわからないもの、村で見たことのある紙とペンのようなものまで置いてあった。そのせいで少し狭く感じる。

「弟の部屋は殺風景だったろう」

 いつの間にか敷物に腰掛けていたグレージュが笑う。

「ええ……なんだか……ここは生活感がありますね」

「大抵の家はそうだよ。あいつが特別物を持たない主義なのさ」

 私も小さな火の灯る薪を挟んだ向かい側に座った。包みを開けて出てきた木の実の一つを口に含むと、ぷちっと軽く潰れるような感触と共に甘酸っぱさが広がる。

「そういえばイネスちゃんは、昆虫人を怖がらないんだね?」

 壁にもたれ、片膝を立てたグレージュが言った。

「会ったのが夜だったので、姿もわからないまま優しくしてもらったからでしょうか」

「はは、それでも逃げ出す奴はいるもんだよ。驚いたんだ。特にバイロンなんか無愛想だし怖がられそうだったのに」

 確かに姿がはっきり見えると恐ろしく感じないわけではないが。死体を食べていた時も驚いた。だがよく知らないからと言って親切にしてくれた人を拒絶するのは違うのではないだろうか。それをグレージュに伝える。

「なるほどね。じゃあ、昆虫人にもあんまり詳しくない?」

「はい。時々、旅商人の護衛でついている人しか見たことなくて」

「そっか。じゃあちょっと昆虫人についての話をしてあげよう」

 彼はそう言うとある箱の中から一枚の紙を取り出した。古く茶色になっているが何かの図形が描かれている。村長の家で見たことがあるような気がした。

「これはこの世界の地図だ。この広い囲いの中が人間の住んでいる"大陸"で、この小さいつぶつぶが俺たち昆虫人が住んでいた"島"だね」

「たいりく……島……」

 聞き慣れない単語を復唱しながら地図を眺める。この横に長い囲いに私達が住んでいるのかと思うとなんだか複雑な気分になった。

「人間と昆虫人が出会ったのが100年ぐらい前だったかな? 島に居た昆虫人が奴隷として沢山大陸に連れてこられたんだ」

 奴隷、という言葉に心臓が大きく脈打つ。母が私を指差して言った言葉の一つだったのを思い出してしまう。

「昆虫人達も、奴隷だったのですか」

「そうだよ」

「シデムシ達も……?」

 私のように酷い扱いを受けてきたのだろうか?

「古い世代はね。シデムシでその頃から生きているのはいないだろうけど、オオムカデとか、長生きの連中は当事者もいるだろう」

 今日バイロンが潰していたムカデにも昆虫人がいるのか。確か毒もあって噛まれると相当危険なはずだが、人間はどうやってそんな危険な昆虫人を大陸に連れてきたのだろうか。疑問は尽きない。

「自分たちが昆虫人だっていう意識が出来たのは、人間と出会ってからだった」

 グレージュが私を見つめている。

「それまでは自分達と虫はあまりに異なるけれど、深く考えることはなかったんだ。小さい島でいろんな奴がいて、細かい事を気にしていたら生きていけなかったからね」

 人間に奴隷として扱われ、やがて反乱や人間の間から奴隷制度の見直しが呼びかけられた。そうして自分の事を省みる時間が増えた昆虫人達は人間社会に混じろうとしたり、シデムシ達のように距離を保って人間と付き合っていたりするらしい。

「生き延びていればそれでいい、っていうのから少し変わったのさ。その辺りはバイロンのほうが考えていると思うよ」

「バイロンさんですか?」

「ああ、墓守っていう仕事に人一倍思い入れがあるようでね」

 仕事というのは人間の概念なのだとグレージュが言う。確かに、私と出会った時も仕事をしていたから墓に居たのだろう。村長へ注意しに行くのも彼の役割のようだった。

「結局、昆虫人とはなんなのでしょう」

「さてね……姿は違うけれど、人間達と同じような存在だって思いたいな。君とも、ぜひ仲良くしたい」

 グレージュの両手が私の顔を包み込んだ。そのまま頭を乱暴に撫でられる。

「わ、私も、皆さんと仲良くしたいです」

 腕から逃れて髪を直していると、今だ腕を構えたままじっと見ているグレージュが目に入って思わず笑ってしまった。



***



 燃え上がる薪を見つめながら思う。

 発展した都市に比べればあの村は確かに貧しいだろう。だが、若い娘がこんなに痩せ細ってしまうほどではないはずだ。

「うーん……」

 イネスが寝返りをしようとしたが薪に片腕を突っ込みそうだったのでそっと押さえる。

 さっき見た時は酷い顔だったから笑ってくれた時は安心した。結局蛇は食べずに眠ってしまったけれど。

 相変わらず顔色は良いとは言えないが、それでも彼女は安心した表情で眠っている。緑がかった黒髪を撫でてやるとくすぐったそうに身動ぎした。

 葉で包んで蒸し焼きにしていた蛇の肉が良い香りを発し始める。火から遠ざけて包み直していると、外から慌ただしい足音が聞こえた。誰だか容易に想像できて思わず笑ってしまう。

「グレージュ! イネスを見なかった……か……」

 足音の主であるバイロンは寝息を立てているイネスを見つけると、そのままずるずるとしゃがみこんでしまった。無様に尻もちをつかなかっただけ褒めてやるべきだろうか?

「書き置きぐらい残してくればよかったかい?」

「……そうだな」

 苦々しげに吐き捨てたバイロンはイネスの側にどっかりと腰掛ける。

「これ、イネスちゃんに。やっぱり肉を食べるのが1番だと思う」

 新しい葉で包み直した蛇肉を受け取り、バイロンはそれを膝の上に乗せるとイネスの頭を撫で始めた。

「まったく、見ているこっちが恥ずかしいよ」

「?」

 私のぼやきに彼は不思議そうに首をかしげている。普段は冷静で頭も良いくせに……。

「なんでもない。起こさないように連れ帰れよ」

「もちろんだ」

 三人はしばらく沈黙を続けていたが、それを破ったのはバイロンだった。

「他の者達は、イネスを受け入れてくれるだろうか」

「……ここに置いておきたいのかい」

「イネスが望めば」

 嘘つき。本当はお前が手を離したくないんだろう。とは言わないでおく。

 本能を仕事にする事を受け入れはするが嫌うシデムシも多い。だが村の安全のためにそれを受け入れているバイロンは日頃どんな気持ちでいるのだろうか。私にそれは推し量ることは出来ない。

 他と異なるバイロンはこの歳まで子孫を残せていなかった。仕事熱心すぎる彼に嫁が来ることはとっくに諦めていたが、例えそれが人間であってもバイロンの支えになってくれるのなら兄にとってこれほど嬉しいことはない。

「イネスちゃんはいい子だよ。でも俺たちが協力して橋渡ししてやらないとな」

「協力してくれるのか」

 バイロンの目がこちらを見据えている。拒否すれば今にも襲いかかってきそうだ。

「未来の妹のためだからな」

「……イネスは人間だぞ」

 呆れたように言うバイロンは放っておいて、私は前足で肘をついて寝そべった。

「はいはい、わかってますよ」

 幸せな結末まではもう少し掛かりそうだ。

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