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埋葬虫の弟子  作者: デオキノコムシ
第一章 墓守の弟子
2/9

死肉食

「人間を連れてきたのか?」


 バイロンのものより少し高い声が背後から聞こえ、私は小さな悲鳴を上げて振り返った。

 その拍子に木の根につまずき後ろに倒れそうになるのを、棘のある太い腕が支えてくれる。

「驚かせてすまん。彼はグレージュ。俺の兄だ」

 声は背後から降ってきて、支えてくれたのがバイロンだとわかった。

「彼女は危険ではない」

 バイロンの言葉に新たな昆虫人―グレージュはぷしゅ、と排気のような音を立てた。

「そうじゃなく、お前が無理やり連れてきたんじゃないのかって心配したんだがね」

 兄は弟よりも少し軽い話し方をする昆虫人のようだ。感情もよく声に出ている。昆虫人全てがバイロンのように人間味のない声をしているのかと思ったが、どうやら個人差があるらしい。

「無理やりじゃありません!」

 慌てて声をかけるとグレージュは片手を上げて制した。

「それなら良いんだ。我々が狩りなんかしだしたら大変な問題だってだけだから」

 そう言うと私を追い越してバイロンと並び、私は黒い2つの影を追うこととなった。背丈もほぼ同じなので、この暗闇の中ではどちらがバイロンでグレージュなのかまったくわからなくなる。彼らは並んで時折私には窺い知ることの出来ない世間話をしていたが、目前に荒削りな岩肌を見せる崖らしきものが近づくと話を切り上げた。

「ここが俺たちの集落だ」

 バイロンが言う。急に森が終わり、白い砂利や岩が目立つ場所に出た。辺り一面が白っぽいためか、彼らの姿がこれまでよりはっきりと見えるようになる。短すぎず長すぎずの先端がややふくらんだ触角が探るように動き、腹の方もよく見えた。一つ一つの部位が分離した甲冑を着ているようにも見える。上翅に隠されていた肉体は、私が見たことのある鍛え上げられたどの人間の体よりも筋肉が強調されていた。

 彼らから目を離し崖の方を見る。硬そうな壁にいくつか穴が開いているが洞穴式の住居ということだろうか。

「一つ一つが個人の家なんだよ。じゃ、私は自分の家に戻るから」

 グレージュが片手を上げて挨拶し、翅を広げて飛び立つ。低い羽音が崖に反響し私は思わず耳を塞いだ。羽ばたきが起こす風に髪が煽られ暴れて波打つ。彼はすぐさま浮遊して、崖の上部に位置する穴の中へと吸い込まれていった。

「こっちだ」

 いつの間にかバイロンが離れた場所に立っていた。慌てて追いかけていくと、一つの穴の前で立ち止まる。

「先に入って明かりをつけてくる」

 夜目の効く彼らの住居に明かりがあるとは思わなかったが、私は大人しく待って途中で折れた穴の壁に赤い光が反射するのを確認してから中へ入った。

 中は岩をくり抜いたままの姿で、人間からすれば十分な広さのある円筒状の小部屋になっていた。奥にはくぼみと呼べる程度の収納部屋らしきものが見える。入り口は柄のない色とりどりの布をパッチワークして作ったカーテンで隠されて見ることはできない。

 床には蔓植物を編んだ幅が広い輪型の敷物が敷かれ、真ん中には燃え始めたばかりであろう小さな薪があった。

「すまない、狭いか」

「いいえ! 失礼します」

 バイロンに礼を言って敷物の上に座る。彼はしばらく薪の様子を見ていたがやがて力を抜いたように壁にもたれかかって微動だにしなくなった。私はと言うと、滑らかな敷物の心地よい感触を味わいながら炎を見つめていた。

 今は眠るようにしているバイロンに目を向ける。彼が本当に信頼できるのか不安がらないといけないのかもしれないが、何故か今まであったどの人間よりも彼を信頼していいように思えた。ここで座るまでずっと張り詰めていた心が薪の暖かさでゆっくりと溶かされていくのを感じる。

 初めて安心できる場所にいるのかもしれない。

 ここには、私を恐ろしい目をして見る人間が一人もいない。

「……お、い」

 ふと動揺したようなバイロンの声が聞こえ慌てて意識を戻す。

 そして、私の頬が湿っぽいことに気づいた。

「え、あれ」

 涙を止めようと目を擦るがまったく止まらず腕を離すとすぐさま縁からこぼれ落ちてスカートに染みを作った。彼は動揺しきって立ち上がり、くぼみの布をたくし上げて中を探る。

「とりあえず、飲め」

 バイロンの差し出した木製の椀には並々と澄んだ水が入っていた。炎の明かりを受けて赤っぽく光るそれを受け取って飲み干す。そういえば、今日の昼間に僅かばかりの木の実を食べたきり何も飲んでいないのだったと気づく。喉を鳴らして勢いよく飲み干すと少し涙が落ち着いた。それでも、目は潤んでいるが。

「落ち着いたか」

「はい……すいません」

 頭を下げたが、バイロンはそれについては触れず「もっと飲むか」と問いかけてきた。その心遣いがありがたくてたまらない。私の顔は薪に照らされているためわかりづらいとは思うが、情けなさによる羞恥で真っ赤になっていたはずだから。

 もう一杯だけ水をもらい、飲み干して彼に返した。

「とりあえず眠ったほうが良い。なんでも考えるのは後にしろ。全て日が昇ってからだ」

 彼にそう言い聞かされ、それに甘えて私は敷物に横たわった。岩の冷たさを中和する敷物の肌触りと、背中に感じる薪の熱が心地よい。

「かけてやれるものもなくてすまん。火は切らさないでおく」

 速やかにやってきたまどろみに抱かれながら、遠くでバイロンが詫びるのを聞いた。私はおそらくあやふやになっているであろう言葉で精一杯礼を返し―やがて意識を手放した。




 忍び寄るようなゆるやかな意識の覚醒を感じた。夢のようなおぼろげな景色だと長いこと錯覚していたが、やがて感覚がはっきりしてきてその岩壁が現実のものだとわかった。どれほど時間が経ったのか、暗い部屋では判断できないが薪は絶やされていないようだ。

 再び寝ようと思って少し体勢を変えると何か違和感があった。そう、その一瞬で何かの音が響いていたのに途切れてしまったのだ。その事に気づいて身を固める。しばらくすると再び音が聞こえてきた。

 咀嚼音だった。しかし酷く粘着質な音と液体の音がしているし、鉄のような生臭い臭いが漂ってくる。私の知る食物とは明らかに異なるものであるという確信があった。

 少しずつ、ゆっくりと……自らの髪が引きずられて動くことすら許さないほどゆっくりと時間をかけて、私はバイロンの方向に目を向けられるよう頭を動かした。目は不自然すぎない程度に硬く閉じ、こちらの様子を伺っているのか稀に途絶える音に合わせて動きを止め、また不快な音が聞こえると頭を動かし、それを三度ほど繰り返して私はようやくバイロンの方へ顔を向けることができたようだ。

 うっすらと目を開けると、手に何かを持って食らいついているようだった。それは生白く細長いもので、あえて言うなら人の肌色に近い色をしたキノコのような質感に見える。ぼやけた視界がはっきりしてきて、キノコに接続されるある物体に気づいたとき全身が総毛立った。

それは紛れも無く人の手だったのだ。

 バイロンが慌てて腕らしきものを隠しこちらを見て何かを言っている―私はようやく自分が悲鳴をあげていたことに気がついた。

「イネス!」

「あ、あの」

「すまない、言うべきだった」

 お互いが混乱し、バイロンは私の名前を繰り返し私は腰が抜けて起き上がりかけのまま動けずただ首を振ることしかできない。

「違う、詳しい話をする。俺が殺したんじゃない」

 彼があまりにも必死なので、私は静かに出口の前へ移動しながらもすぐに逃げ出すようなことはしなかった。どの道、私が殺され食われるとして外に出た所で逃げられるとは到底思えない。

 バイロンは諦めたように背後に隠した腕を取り出して膝の上に乗せる。覚醒した頭と視界はそれが人間の腕であると容易に理解した。

「やはり先に話すべきだったか……機会を逃したとはいえ……」

 彼はぶつぶつと悪態をついたあと、心を決めたように私へ触角を向けた。

「わかっているとは思うが。これは人の死体だ。そして、俺達シデムシの食事でもある」

 彼はぶちりと腕の一部をちぎり取って口元へ運ぶ。咀嚼音に似た音と共に強靭な顎に挟まれ揉まれる屍肉は、少しずつ彼の口内へと消えていった。

 目の前の、シデムシの食事から目が離せなかった。

「……どこで、人の遺体を……」

 彼は静かに答える。

「あの墓からだ」

 触角が私から逸れて違う方角を示した。私の住む村の方角であると、直感が告げる。

「それがお前たちの村との取引だから。俺が生まれるより何世代も昔からな」

 「信じられない」とうわ言のように呟いてしまう。私が生まれてどれほど経つのかは詳しく知らないが、それでも成熟した肉体を持つまでのたっぷりとある時間の間そんなこと聞いたこともなかった。

 きっと私が間抜けな顔をしてそんなことを考えていたからだろう、バイロンが空気の抜けるような短い音を発する。笑ったのだろうか。

「俺たちは墓守として、人目につかないよう村と墓を守っていた。また土葬による土壌の汚染と疫病を防ぐために俺たちが一度埋葬された遺体を取り出して食べて、骨だけにして戻すようになった」

 彼は先端の膨らんだ触角を撫でたり扱くように掴んだりと落ち着かない動きを見せている。

「知りませんでした」

「酷く疲れた顔をしていたから、起きないだろうと思ったのだがな」

 バイロンは話す合間合間にも腕にかじりついている。私が熟睡するのを待って空腹を我慢していてくれたのかと思うと、彼の死肉食に対しても寛容になれる気がした。

 その臭気と食事風景のおぞましさはともかく。

「ははは……えっと……私を襲って食べたりとかは、しないんですか?」

 こんなことを聞いてしまったのはなぜだろう。

 彼を怒らせるかもしれないし、もしかしたら「バレてしまったなら仕方ない」とすぐに殺されるかもしれないのに。私が酷く疲れているからだろうか。

 バイロンはしばし硬直し触角だけを動かしていたが、やがてため息混じりに言った。

「狩りをする能力はない」

 あったら、どうするのだろうか。聞こうとして辞めた。

 いや、彼のその太い腕と鋭く輝く顎なら人間ぐらいすぐに殺せそうだ。狩りをする能力がないというのはそういう本能がないということなのか。

 私は殺されないらしい。

 一瞬出口の方を見やって、今だ夜は明けないことを知る。果たして私がここに来てからどれぐらい経っているのだろうか。

 そんなことを考えていると空腹故にお腹が鳴った。

「あっ」

 羞恥で顔が赤くなる。思わず胃のあたりを抑え、照れ隠しの苦い笑いを漏らす。

「明日、森でご飯を探してこないとですね」

「……すまん。俺も手伝おう」

 バイロンの食べていた腕はもう殆ど肉が残っておらず、白い骨ばかりになっている。その骨を隠しながら彼は詫びていた。

「いえ! 大丈夫ですよ。そのぐらい一人でも……」

「だめだ」

 彼はぴしゃりと言い放った。

「村から逃げてきたのだろう。近いわけではないが、彷徨っているうちに村の者に見つかるかもしれない」

「……そうですね……」

 彼の言うことは最もだ。墓からここまではそれなりに長く歩いたと記憶しているが、それでも夜明けすらまだこない。

 村のほとんどの人間は森へ行くことを禁じられているがそれを破る者が多いのも事実だ。

 それに、規則を破る者ほど私に酷いことをしていた。

「ごめんなさい、何から何まで……」

「気にするな。助けたかったから、助けた。そう決めたのは俺自身だ」

 だから心が決まるまで、ここに居ていい。そんな彼の言葉に、私は涙が溢れるのを感じながら頷いた。

「ありがとうございます……っ」

 私の狭い心に大きすぎる感情が溢れて止まらない。

 バイロンは死肉を触っていない方の手で大きな布を私の膝の上に置き、それからは何も言わなかった。

 ただずっと、私のことを優しい目で見ていてくれた。

 


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