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埋葬虫の弟子  作者: デオキノコムシ
第一章 墓守の弟子
1/9

墓守の昆虫人

 夜が始まってからかなりの時間が経っていた。


 昼間の快晴で熱を持っていたはずの石畳も今は冷たくなり、辺りは森に囲まれているため風が若干の湿気を含んでいる。小さな夜行性の虫達が立てる音や奏でる歌が一見静かな墓地に響く。

 私は荒い呼吸を繰り返しながら墓地の中ほどまで走り、一つの墓へ滑りこんだ。

 墓はコの字型で、私はそのくぼみ部分に立っている。足元には棺桶を入れるために開けられた穴の蓋がある。木製の蓋の僅かな軋みに悲鳴を上げそうになったがなんとか飲み込んだ。

 壁に阻まれ狭くなった目前の景色を、私は息を殺して睨み続けた。同じ様相を呈する墓石が真正面にある。そこを誰も通らないことをひたすらに祈る。

 私の足音が止まって幾ばくかが過ぎ、遠くで聞こえていた足音もどこかへ消え去った。

 追跡者から逃れたことを確信し私は長い長い溜息を吐いてその場へしゃがみ込む。

 ため息の終わりに震えの混じった嗚咽が聞こえ、慌てて顔を上げるがしばらくしてそれが自分の声だと気づいた。ここに来て初めて自らの身体の状態に意識を向けると、膝はがくがくと震え墓石に添えた手は手汗と不自然な熱でぬるぬるとしていた。

 己の情けなさに乾いた笑い声を上げたがそれもやがて無様な泣き声に変わる。

 押し殺した私の泣き声が墓石に跳ねて戻ってくるのを、どこか遠い場所にいるような意識の一つが知覚しながら私はたっぷり一時間ほど泣き続けていた。凝縮されたほんの数分の恐怖であと倍の時間は泣けそうだったのにそうしなかったのは、目の前を大きな黒いものが通ったせいだ。

 降りかかった声は死刑宣告のようでもある。

「そこにいたのか」

 それは私を追いかけていた者達の一人ではなかったが、私は恐怖のあまり落ち着き始めていた膝がまた震えるのを感じた。

 発した言葉は焦りも警戒心も好奇心も、複雑だろうが単純だろうがあらゆる感情を排除したような声色をしていた。声の主は夜闇に紛れすぎて、僅かな星の光を照り返す石畳や墓石を黒く塗りつぶす事でしか輪郭を辿れない。

「だ、誰です、か」

 泣いていたせいで詰まり気味の声を絞り出して私は問う。

「お前から名乗れ」

 再び降ってくる声で相手が男だと解る。繰り返し聞いてやっと相手の性別が解るほど、その声には命の気配がなかった。相手は素性を教えてくれず、恐怖から私はこの得体のしれない男に従うしかなかった。

「すぐそこの村の……イネスといいます……」

「そうか」そう返す声には僅かな安堵が混じる。

「俺は墓守のバイロンだ」

 墓守、そんな存在は聞いたことがないと私は首をかしげた。それに気づいたのだろうか、呟くような声が続いた。

「気にするな。表立って存在する理由がないだけだ」

 バイロンが跪き―そうわかったのも墓石が頭頂部から現れたからであって―立てるか、と何か細く冷たいもので私の頬に触れた。その感触に私は驚いて飛びのき、そのせいで足元の木製蓋がずれて下がった足を支える地面が無くなった。

 私が悲鳴を上げるより早くバイロンが動いたようだ。両脇を大きな手で包まれて、背中と胸に僅かながら刺すような痛みを感じた。すぐに穴から取り出され石畳の上に降ろされる。

 彼がそのまま木製蓋を直すのを私は呆然と見ていた。その背中は星の光を僅かに反射して鈍い光を放っている。私はそれを、まるで虫の鞘翅のようだと思った。

「あなたは……昆虫人ですか」

 私の問いかけにバイロンは振り向き、意外そうに言った。

「気づいてなかったのか」

 私は肩をすくめ、「暗くて全然見えなくて」と答える。

「……俺の体は夜に溶け込むからな」

 声を聞くほどに、人間味を感じない声ながらも感情が随所に滲むのが私にも感じられるようになってきた。先ほどの言葉には僅かに苦笑が滲んでいるようだ。

「お前はこんな時間に何をしている」

 バイロンの問いかけに言葉を詰まらせる。鞘翅の反射がなくなったせいで彼の姿は再び深い闇と化していて、答えに迷っているうちに彼の影の内側で思い出したくない記憶が縺れ喘ぎ体をくねらせているように思えてきた。

「イネス」

 再び冷たいものが頬に触れ、意識が引き戻される。気が付くと浅い呼吸を繰り返していたようで肺が痛かった。

「思い出したくないことのようだな」

 その言葉に頷く。

「村に戻らなくていいのか」

 問いかける声は優しい。

「……戻りたくないです」

 彼を困らせることになるのではないかという不安を抱きながらも、私はきっぱりと言った。戻ることなど考えられなかった。戻った所で、再びあのおぞましい行為に従事させられるか生命の危機を感じるほど過激で残酷な折檻を受けるだけだ。それだったら、いっそ今回で死に場所を探すか、私を知らない土地を探すか……そうやって逃げようと思ってここまで走ってきたのだから。

「日が昇ればお前の村の住人が来る。行く宛はあるのか」

 彼は話しながら硬いものがぶつかったりこすれるような音を数度鳴らしていた。

「ない、です」

 バイロンの返事はない。苛立った人間が鳴らすかのように一定の硬い音が鳴り響く。爪か何かで腕を叩いているのだろうか。

「あの、日が昇る前にすぐに出ていきます。走っていけばどこかの村には着くし、街道に出れば「俺の家はどうだ」

「え……」

 彼はいつの間にか硬い音を止めていた。

「俺の家に来る人間はほとんどいない。忌み嫌われる存在だからな」

 声は冷静で、自らを忌み嫌われていると私に告げることに何の感情も抱いていないかのようだった。

「い、いいんですか?」

 対人間であればそれがどれほど危険なことであるかよくわかっているが、私は相手が男性であれ昆虫人であるということに僅かな希望を抱いていた。彼が下心なしに私を助けてくれるのではないかと思った。

「俺は構わん。仲間はいるが、お前を拒みはしないだろう」

 彼の言葉から仲間という単語が出てくるのを聞いて驚いた。この辺りは昆虫人など商人の護衛でたまに訪れる程度にしか見たことはなく、まさかこれほど身近に複数存在しているなど思いもしなかったから。

「あ、ありがとうございます! バイロンさんの仲間が嫌がったら、すぐ出ていきます」

「……まあ、そうなったらそうして貰えると助かる」

 それはないと思うが、と彼は付け加えたが過度な期待はしないようにした。すぐにバイロンが歩き出し私はそれに続く。彼には明かりなど必要ないようで、何の迷いもなく稀に凹凸の見られる石畳を歩いていた。私は明かりになるものを持っていないし、必要としない彼にそれを期待することも出来ずただ移動する幅の広い影を追って、いつしか小道から森へと入っていった。


のんびり更新していきます。


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