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あの日の記憶

作者:

記憶の片隅に残る、あの日の記憶を追い求める物語。

 小さい時に一度だけ弾いたあの楽器。

祖母が拵えてくれた桃色のワンピースを着て、ペダルには到底届きそうもない足をぶらぶらとさせながら、楽譜もない旋律にもならない音をただ奏でていたあの日の想い出。もう昔過ぎて名前は思い出せないけれど、鍵盤楽器だったことは覚えている。でもペダルは2つしかなかったから、どうやらピアノではないらしい。

 


 当時幼かった私にとっては、聞いたことのない楽器名を覚えることなんて困難で、ましてやあれから二十年近く経っている今となっては、楽器の形を思い出すのですら危なくなっている。昨夜の夢に出てきたせいか、はたまた少し前にテレビでピアノ演奏が流れたせいか。普段無気力気味に過ごしている私にしては珍しく、無性に幼いころに弾いたあの楽器の名前が気になって仕方がなかった。

 そして、一度気になったことは答えが分かるまで中々頭から離れないというのはよくあることで。気になったら分かるまで徹底的に調べる、中途半端が一番むず痒いという性格をしている私が、脳内で思い描いた疑問をこのままに眠らせる筈はなかった。


 思い立ったが吉日。私はさっそく調べる為、パソコンを立ち上げようとして手を止める。そういえば、パソコンは少し前に壊れてしまい、急ぐ用事もない為に暇が出来たら修理に持って行こうと放置していたのだった。。

 リビングのソファに座ってのんびりダージリンを飲みながら、机の上に広げたままのスケジュール帳を手にする。今日の予定が特に何もないことを確認して、私は鞄の中に入れっぱなしにしていたマイカーの鍵を取り出した。ガソリンは先日満タンにしてきたばかり、そして先ほど確認した通り本日の予定もない。軽いドライブに行く感覚で、私はバッグを片手に家を出た。



 車を走らせて数十分。駅前通りにある小さな楽器店に入る。落ち着いた木目調のシックな感じの扉を開くと、裏側につけられていた小さなベルが可愛らしい音を立てて私が来たことを告げる。少しだけ高いヒールのサンダルをカツカツと鳴らせながら、わき目もふらずに鍵盤楽器のコーナーへ行き目的の物を探し始めた。


「何かお探しですか?」


 店内に流れていたBGMすら聞こえない程に集中して辺りを見渡し始めた頃、私があまりにも真剣に見ていたためか、それとも接客文句なのかは分からない。が、ヒールを履いた私より10cmは高いと思われる身長に、高くもなく低すぎもしない柔らかい中低音な声。濃紺のシャツと少し緩めのジーパンにお店のロゴが入った新緑のエプロンを身に着けた男性の店員が私に近づいてきた。


「はい。買うわけではないのですが、楽器の名前が知りたくて。」


「どんな楽器ですか?」


「鍵盤楽器です。でもピアノでもオルガンでもないようで……。ペダルが2つしかないんです。」


 今朝思い起こした記憶を頼りに笑顔で質問をしてきた男性店員に伝える。軽く腕を組み、数度視線を空で彷徨わせたその店員は、ふと何か思い当ったのか私に視線を向けた。


「ペダルが2つ…もしかして、セレスタのことですか?」


「セレスタ、ですか?」


 ”セレスタ”

一般人かつ音楽未経験者の私にとって、全く聞き馴染みのない言葉に復唱するような形で聞き返す。

頭の上に大きなハテナマークが浮かび上がっているだろう私を見て、クスリと笑った店員さんは、相変わらずの笑顔で口を開いた。


「はい、鍵盤楽器でペダルが2つ。リード・オルガンに似た形なんですが、音域が全体的にとても低いんですよ。」


「へぇ。」


 セレスタ。本当に聞いたことない名前だったけれど、なぜか私の心にストンと馴染んだ気がした。きっとその名前で正しいのだと思う。正確な名前は思い出せない物の、何故か私はそう確信してしまっていた。そして、記憶の中の幼い私は、その楽器に対してあまり好印象を抱いていなかったことも何故だか思い出した。

 重低音というのは音の波形が高音に比べて大きくなる、従って振幅も大きくなるもの。とても重低音がしっかりした曲を聞くと、まるで心臓に直接電気マッサージ機を当てているかのような気分になるのだ。そして多分、幼い私はその感覚に慣れず、その楽器に対して苦手意識を持ってしまったのだろうと思う。


「音域的にあまり表に出る楽器ではないので、知名度は低いんですが。僕の一番好きな楽器なんです。」


 今までの接客用だったニッコリ笑顔はどこへやら。大好きですと言わんばかりに微笑んだ笑顔を見て、私は思わず赤面してしまった。私に対して「好き」などと言っているわけではないのに、何故かそう錯覚してしまうほどに彼の笑顔は「セレスタが大好きです。」と物語っていたのだ。

しかし無慈悲にもわつぃの顔に集まる、突発的に発生した行き場のない熱。私はリンゴのように赤くなってしまった顔を隠すように、少しだけ俯いた。


「じゃあ、その楽器を見せてもらえませんか?」


 俯いていたせいで下向きに放った私の言葉が、床で跳ね返る様にして彼の耳まで届く。

「はい。」と、相変わらずの接客にあるまじき緩みきった表情を彼に先導され、小さな段を上り、もう一つの扉を開けたその先に、目的の楽器は鎮座していた。


「あれが、セレスタです。」


 彼の目線を辿る。そこには、記憶の中の幼い私が必死に奏でていた、あの楽器が展示されていた。

 今朝から引っかかっていた疑問がようやく解消された喜びと、一度だけしか奏でていないにも関わらず、今もなお鮮明に私の記憶に張り付いているその楽器を目の前にして、何とも言い難い嬉しさを感じる。

私は、ヒールのお蔭で足が少し余ってしまうほど低い位置に設置されている椅子に座り、適当に目に留まった鍵盤をあの日のように右手人差し指で奏でた。


「ご名答ですよ。」


 少しだけ俯いた彼の顔は、ほんのりと赤く染まっていた。




閲覧有難うございます。


初投稿という事で、投稿の仕方や本文の見やすさなど手探りの部分が多く、少し不便を感じてしまうかもしれませんがご了承願います。

これから、気になり次第随時改善していく予定です。


この作品について一つ言えることは、

私はセレスタを弾いたことは一度もありません。


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