坂の上のレストランと弱さ
「はぁー…寒ーいっ…。早く中に入──…あれ?」
今日は珍しく裏口の鍵が閉まっている。
まだ涼介さん来てなかったんだ。
「よいしょ…。鍵…鍵…」
ここの所毎日、涼介さんが先に来ていたから、鍵が鞄の底の方に行っちゃっている。
「どこだどこだ…。あ、あった」
そして、
やっとの事で見つけだし、
「よし、開いた。あー寒…あれ? なんか暖かい…?」
鍵を開けて中に入ると…、
「………スー……」
「…………きゃあぁぁぁ!?」
「ふぇぇっ!?」
人がいた!!
しかもなんと隆介さんが!!
「何でっ!? えっ!? 鍵…!?」
「…あれぇ…? ………あ、寝ちゃってたのか…」
「……え?」
ってことは…?
「もしかして…、昨日からずっといるんですか…?」
「はい」
即答!!
そして何で!?
「実は新メニューを考えていまして…ふぁ…」
隆介さんがあくびをしながら理由を述べる。
「新メニューって…」
隆介さんが寝ていた机の上には細かいメモが書かれた大量の紙と、恐らく昨夜作ったものであろう料理が10皿ほどあった。
「あ…、これですか? 昨日の仕込みの余りで作ったものばかりですよ。でも昨夜作ったものなので、もう食べられないですね」
料理を持って立ち上がった隆介さんは、
「誰にも食べてもらえない料理ばかりです」
そう言って、せっかく作った料理をボトボトとゴミ箱へ捨てた。
それは、注文してもらえないからという意味だろうか…。
なんか…、寝ぼけてるわけではなさそうだけど、いつもより…、いや、いつもと違って、素直に本音を吐いている気がする…。
「それじゃあ僕は一度家に帰ります。開店までには来ますので、仕込みをお願いしますね」
「分かりました」
本人は隠してるつもりで笑ってるんだろうけど…、なんか…疲れた顔してる…。
「では行ってきます」
「いってらっしゃいませ」
隆介さんを送り出した後のお店の中では暖房の音だけしか耳に入ってこない。
───…仕込み…か…。
そう思いながら更衣室に行って制服に着替える。
私は、仕込みが嫌いだ。
めんどくさいからとか、料理が苦手だからじゃない。
その日もお客さんが来なかった事が、一目で分かってしまうからだ。
残ってしまった仕込みはいつも、隆介さんが持ち帰っている。
その日の夕飯の材料として使っているらしい。
その夕飯に新メニューの試作を作っているらしく、よくそのメニューがまかないとして出る。
そして私達の感想を聞いて、新メニューにするかどうかを決めているんだそう。
でも、新メニューが出来てもお客さんは来てくれない…。
結局またその仕込みが余ってしまう…。
「……やだなぁ…」
そんな憂鬱な気分で着替えていると、元気よくあいさつしながら入ってきたマサキさんの声が聞こえた。
「急がないとっ…」
入ってこられると困るため、急いで着替えを終わらせた。
「こらマサキっ! 今麻理さんが入ってるでしょうがっ!」
「え? そうなんスか?」
あ、ハヤトさんが止めてくれた。
本当はもう着替え終わってるから大丈夫なんだけど…。
「大丈夫ですよー。着替え終わってますからー」
…………あれ?
声が返って来ない。
さっきまでそこにいたのに…。
そう思いながら扉を開けると、2階から声が聞こえた。
(恐らくハヤトさんが)気を利かして2階に行ってくれたんだ…。
「おはよ。着替えたんならそこ、どいてくれるか?」
「あ、涼介さ…! えっ、あっ、すみません…!」
「あ、いや、怒ってないから。別に一緒に着替えても俺は困らないからな」
「はっ…!?」
「バーカ。冗談だ」
こういう時に男女だと困る。
私が男だったら皆、気を使わずに過ごせるのに…。
「マサキー! ハヤトー! 下りてこーい!」
2階に向かって叫んだ涼介さんは更衣室に入っていった。
「ちょっと! 押さないでくださいよ!」
「寒いっス! 早く早く!」
しばらくすると、上だけ制服に着替えた2人が下りて来て更衣室に入っていった。
いつもはついているけど、今日は2階の暖房がついていなかったようだ。
…あ、今日は私が一番ってことなのか。
すみません…、つけるの忘れてました…。
「……仕込み…始めちゃお…」
皆が着替えている間に1人で先に仕込みの準備を始めだす。
が…、
「あ……」
仕込みに使うスライサーはいつも隆介さんと涼介さんが棚の上に片付けているため、案の定、私の背では届かない…。
「……私…ちゃんと役に…立ててるのかな…」
なんか…皆の足手まといのような気がする…。
隆介さんや涼介さんのように料理は上手くないし、マサキさんのように人に気軽に話し掛けて楽しませる事なんて出来ないし、ハヤトさんのように誰かにキツく注意する事も出来ない。
私には…何があるんだろう…?
「麻理さん、どうしたんだ?」
着替え終えた3人が更衣室から出てきた。
あ、涼介さん、ネクタイ結べるようになったんだ。
「あ。あのスライサー、手が届きませんよね」
「俺が取るっス!」
「マサキには無理ですよ。よいしょっ、はい」
マサキさんを押さえながらハヤトさんが取ってくれた。
「ありがとうございます…」
また迷惑をかけてしまっている。
本当に申し訳ないな…。
「どうした? 疲れてるのか?」
「あ、いえっ。何でもないです」
「そういえば、オーナーはまだなんスかね?」
「あ、隆介さんは───……」
あ…、何て言おう…。
「…麻理さん?」
「あ、えっと、隆介さんは開店までには来るって言ってました」
「いや、それ当たり前だから」
「今日は寝坊ですか。最近は間に合っていたのに」
「でも寝坊するのが一番オーナーらしいっス」
隆介さんが昨夜から今朝までずっとここにいたなんて言ったら、皆心配するだろうし…黙っていた方がいいのかな…。
「あ、あの、私、ゴミを捨ててきますね」
「あ。ありがとうございます」
隆介さんが捨てた料理が見つかると何か嫌だったので、私はすぐに外のゴミ捨て場に捨てに行った。
雪が残る外は息が白くなるくらい寒く、暖房のついた室内では大丈夫な薄着の制服が、凍りそうなほどに冷たい風が吹く。
「………」
隆介さんが昨夜作った料理がビニール袋の中に見える。
なんとも言いがたい、悲しいような、悔しいような気持ち。
"誰にも食べてもらえない料理"。
そう言っていた隆介さんは、分かっていて新メニューを作り続けている。
隆介さんは、何を思いながら料理を作っているんだろう…?
お客様に美味しい料理を食べてもらうため、それもあるんだろうけど、でも、それが本心じゃない気がする。
それを考えるのは…何故か心が痛む気もする…。
分かっているのに…分かりたくないからなのかな…。
「……っ……」
隆介さんがどれほど辛いかは私が思っているより遥かに大きいのだろう…。
今朝のような…疲れを隠しきれない時だって…、 私は何も…何にもしてあげられなかった…。
気の利いた言葉をかける事すら出来ない…。
…本当に…私は役立たずだ…。
「…………ぅ……っ…」
泣いたらダメだって分かってるのに…。
泣いてもどうにもならないって分かってるのに…。
どうして…目から涙が溢れてしまうのだろう…。
ここに来てから、町の活性化のために色んな努力をした…。
なのに…、何一つ実を結んでくれない…。
その歯痒さからの涙なのかすら…私には分からない…。
もう……何も…分からない…。
「……ぅぅ……」
思いが込み上げて来てしまった私はその場に膝を抱えてしゃがみ込んだ。
どうしよう…。
こんな顔じゃ中に戻れない…。
私は泣くと鼻が赤くなるタイプ。
すぐに泣いていたとバレるに違いない。
「…麻理…さん…?」
「!?」
えっ…!?
嘘っ何でっ…!?
隆介さん!?
「どうしたんですか…?」
それはこっちの台詞ですよ!!
ついさっき帰ったばかりなのに何でいるの!?
「……何…で…?」
顔を上げずにしゃがみ込んだまま尋ねてみる。
「忘れ物…したんですが…」
忘れ物…!
隆介さんらしいよ…!
「…どうしたの…? 涼介らに何か言われた…? お腹痛い…? 体調悪い…?」
隆介さんが私の隣にしゃがみ込んで背中をさすってくれた。
すっごく心配してくれてる…。
いつもの敬語じゃないし…。
いつも子どもっぽい隆介さんに、子どもに言うような慰め方で慰められてる…。
……あれ…?
いつの間にか涙止まってる…?
「もう大丈夫かな…?」
「……はい…」
……よく考えたらこの状況…なんか恥ずかしいっ…。
何でゴミ箱前でしゃがみ込んで泣いて、隆介さんに慰めてもらってるんだろっ…。
「よかった」
「…すみません…」
「ううん全然いいよ。たまにはこういう日もあるよねっ」
その明るい声に少し顔を上げてみると、いつもみたいに優しく笑う隆介さんと目が合った。
隆介さんだって…、私なんかよりずっと辛い思いをしてるはずなのに…、何でこんなに楽しそうなんだろう…?
「あ、家に帰らないと!」
「え…? 忘れ物は…?」
何か忘れ物を取りに来たんじゃなかったっけ…?
「麻理さんのおかげでもう大丈夫です。ありがとうございます」
あ…、敬語に戻っちゃった…。
てゆうか私何かしたっけ…?
「麻理さん」
「あ、はい…」
「辛い事があったら、僕でよければ相談して下さい。1人で溜め込むのはよくないですよ」
ははっ…、隆介さん…それ…、
私の台詞なんだけどなぁ…。
「フフッ…。ありがとうございます」
「では」
私が笑った事に安心したのか、隆介さんは坂を下りて行った。
「…中に戻ろうかな」
隆介さんのおかげで泣き止む事が出来たし、そろそろ戻った方がいいかな。
「あ、麻理さん、お帰り」
「随分遅かったスね。あれ? 鼻赤くないっスか?」
「こらっ、女性にそういう事言うもんじゃないですよ」
「あ、いえ、えっと…、外が寒かったので」
「ちょうどココア入れてたんだ。体冷えてるだろうし飲むだろ?」
「はい、ありがとうございます」
特に何か気にされる事もなく、普通に中に戻れた。
「てゆうか勝手にココア入れていいんですか?」
「隆介なら許してくれるだろ。あいつも前に飲んでたし」
確かに怒らなさそう…ってか、自分で飲んでたのかっ。
「ほら」
「あ、どうも」
「いーえ。…あっつ!」
あ、猫舌なんだ。
とゆうことは隆介さんも猫舌なのかなー…、なんて、考えちゃってるのはやっぱり……、
「うわぁぁ! こぼしたァァァ!」
「「「うわぁぁぁ!?」」」
何してんのマサキさん!?
「馬鹿かお前! ちゃんと持って飲めよ! 子どもか!」
「熱かったんスよぉぉ!」
「早く拭け拭け!」
「雑巾どこですか!?」
「はいどうぞ!」
「ありがとうっス!」
今日も坂の上のレストランは騒がしくて楽しい。
少し不安も見えてしまったけど、敬語じゃない隆介さんが見れたからプラマイゼロって事でっ。
──"辛い事があったら、僕でよければ相談して下さい。"
それは私の台詞ですよ。
隆介さんこそ、辛い事を溜め込まないで下さい。
私を頼って下さい。
私が頼りないなら、マサキさんやハヤトさんや、涼介さんに頼って下さい。
貴方はもっと周りに頼っていいんです。
1人で抱え込むのはやめてください。
私は隆介さんに頼られることを待っているのですから…。
…なんて大事なことを思うだけで声に出来ないのは私の悪い所だ。
でも、本音なんですよ。
だから、頼って下さい。
普段は役に立てないから、こういう時くらい頼りにしてほしいんです。
それが、私の自信にもなるので、是非、お願いします。
…これも口に出来ないから結局伝わらないんだけどねっ。