坂の上のレストランと店員達の仲
店員が5人となった坂の上のレストランは、賑やかに…とは言えないけれど、それでも2人だったときよりは俄然と明るくなった。
まだお客というお客も来ないけれど、楽しく過ごしている。
何より、オーナーが楽しそうで良かった。
一瞬ではあったけれど、もう…あんな寂しそうな顔はしてほしくない…、なんて思いを抱いている今日この頃…。
「おはようございます。最近寒くなってきま…」
「あ」
裏口の扉を開けて目に飛び込んで来たのは、涼介さんのネクタイを掴む隆介さんの姿だった。
「ななな何してるんですか!?」
何っ!?
ケンカ!?
てゆうか嘘でしょ…!?
隆介さんが出勤時間より大分早くに来てる!?
何か起こるんじゃないの!?
「あ、いや…その…」
「ネクタイの結び方が分からなくて…」
「え!? 何でですか!? だってこの前の礼服の時は綺麗に出来てたじゃないですか!?」
「あれは父にしてもらって…」
「まあ叱られたけどな…」
2人揃って父頼み!?
27歳にもなってネクタイ結べないとか…!
可愛いだろ!!
「えーと…こう…?」
「こうじゃね? あっ!」
「うわっ! 絡まった!」
隆介さんが涼介さんのネクタイを結ぼうとするが…、もう…なんていうか…、2人とも不器用過ぎる!
何でネクタイ結ぼうとして堅結びになっちゃうの!?
「しょうがないですね…。私がしてあげますので今後のためにも覚えて下さいね」
「わぁっ…! ありがとうございますっ…!」
「おぉっ…! ありがとな…! 助かるよ…!」
ちょっ…!
そんな無邪気に喜ばれたらなんか恥ずかしい…!
余所の子どもの服装を正してあげた、友達の親みたいな気持ちになる…!
「まずこうやって垂らして…この長い方を…こっちに…」
「「おぉ…! おおぉ…!」」
私がネクタイを巻いていくたびに2人が感嘆の声をあげる。
大した事はしてないのにこの反応をされるのは結構恥ずかしいんだけど…。
「はい、出来ましたよ。分かりましたか?」
「多分分かった。ありがとな」
「僕も多分分かりました」
何で多分なの!?
「明日から毎日ネクタイする事になるんですから、ちゃんと覚えないとダメですよ。涼介さんに言ってるんですよ! ネクタイ緩めないで下さい!」
「えー…」
真面目なんだか不真面目なんだか涼介さんは何だか気怠そうだ。
「お前、楽でいいな」
「いいでしょ〜」
「交換…」
「しないよ」
「隆介さんのタイ、凄く似合ってますよっ!」
「ありがとうございますっ」
「おっはよーっス! あれ!?」
マサキさんが入ってきた瞬間に驚いて声をあげた。
「オーナーじゃないっスか!? いつも最後に来るのに!?」
ちょっ…!!
マサキさん直球過ぎ!!
「今日は涼介に"ネクタイ結べないんだった!"って起こされ…」
「だあぁぁっ!! 余計な事言うんじゃねぇよ!!」
あ、それで!
涼介さん、自分がネクタイ結べない事忘れてたんだ!
……というかこれが普通の出勤時間なんですけど…。
もう毎日涼介さんに起こしてもらった方がいいんじゃ…。
「あっ! ネクタイとタイつけたんスねっ! 格好良いっスよ!」
「ありがとな」
「ありがとうございます」
「あれ? そういえばハヤトさんはどうしたんですか?」
「あ、体調悪いみたいで休むらしいっス。オーナーの番号が分からなかったんで俺に言ってきたんスよ」
「あ、そういえば教えるの忘れてました」
結構大事な事忘れてた!!
隆介さんがうっかりさんだって事も忘れてた!
「じゃあ今から教えますね」
隆介さんが携帯をポケットから取り出し、マサキさんに赤外線で送っている。
……隆介さんの連絡先…。
あ、いや、店員なんだから教えてもらって当然なんだけど…!
でもっ…なんか…やっぱり…。
……嬉しい…なんて…変なのかな…?
「はい、次は麻理さん」
「あっ、は、はいっ」
わぁぁぁついに来たぁぁ…!
ななななんか緊張する…!
赤外線…赤外線……赤…外……
………あれ?
「……赤外線……ない…」
この携帯、赤外線ついてない!!
こんな時にぃぃぃ!!
「あ、赤外線ないんですか。じゃあ僕が直接入力しますね」
「え?」
「携帯、借りてもいいですか?」
「あっ、はいっ」
不幸中の幸い!?
隆介さんが自ら入力してくれるなんて!
「……よし、これでいいかな。はい、入力しておきました」
「ありがとうござ…」
あっ。
「ん? 何か間違ってましたか?」
「あ、いえっ…! 何も…!」
返ってきた携帯の登録画面には、番号とアドレスの他に、誕生日や住所などのプロフィールの部分も書かれていた。
誕生日…、11月なんだ…。
てゆうか…、ここまで書いてくれたなんて……、これが怪我の功名ってやつかっ!?
「それじゃあ、そろそろ仕込みを始めますので、麻理さんとマサキくんは着替えてきて下さい」
「はいっ」
「了解っス!」
何故か隆介さんの事が少し分かったことに喜びを感じ、そんな浮かれ気分のまま制服に着替えに向かった。
黙々と仕込みをしていく私達。
でも、何かいつもと違う。
「………なんか…」
「ん?」
「…ハヤトさんがいないと静かですよね、マサキさん」
「そうっスか?」
まるで漫才師のような2人はツッコミのハヤトさんがいないと、ボケのマサキさんだけじゃ盛り上がらない。
いや、ハヤトさんも案外ボケキャラだったのかも…。
「あれ? オーナー、これってどうやって切るんスか?」
「ああ、それはですね」
……よく観察していると、マサキさんって意外としっかりしてる気がする。
分からないことがあったらすぐに尋ねるし、そりゃあ慌ただしい時もあるし、子どもっぽいけど…、表面の性格はやんちゃでも根はちゃんとしてるんだと思う。
普段はハヤトさんが素早くツッコんじゃうから気付かなかった。
逆に言うと、ハヤトさんの面倒見が良すぎだったのかな。
「あ、そういえば、マサキさんとハヤトさんって仲が良さげですけど、昔から知り合いだったんですか?」
「ん? えーっと…、あ、中学から一緒っスよ。高校の学科も同じで、高校卒業後の職場も同じだったっス」
「腐れ縁なんだな」
「でもケンカは殆どした事ないんスよ」
あ、でも、少しはケンカした事あるんだ。
マサキさん、おおらかそうだからちょっと意外…。
「ハヤトくんがいないとマサキくんはやってけなさそうですね」
「まさにそうっス! ハヤトは超良い奴っスよっ!」
マサキさんが満面の笑みでハヤトさんを絶賛する。
ハヤトさん、今頃くしゃみでもしてるんじゃないかな…。
ってゆうか!
今気付いたけど、マサキさんってハヤトさんの事、呼び捨てにしてたんだ!
しかもいつの間にか隆介さんも2人のこと、"くん"付けになってるし!
仲良くなるの早いな!
「まぁ、あんまハヤトに頼りすぎんなよ」
「はいっス!」
涼介さんも呼び捨て!?
いつの間に皆そんなに仲良くなったの!?
「あ、そろそろお昼の時間になりますね」
時計を見た隆介さんが不意に言った。
本当にマイペースな人だなぁ…。
「もう昼か。時間経つの早いな」
皆で仕込みに一生懸命になっていたらいつの間にか11時になっていたようだ。
今日はあまり喋ってなかったし、集中してたから尚更早く感じる。
「何か作りますね」
そう言って隆介さんはお昼の食材を選び始めた。
「俺も手伝う」
「ありがと」
涼介さんも隆介さんの隣に行って何を作るか相談している。
…やっぱり2人が話してると微笑ましいなぁ…。
「兄弟っていいっスよね〜…」
遠目に2人を眺めながらマサキさんが呟いた。
「マサキさんは兄弟いないんですか?」
「1人っ子っス。麻理さんはいるんスか?」
「弟が1人います」
私には4つ下の弟がいる。
マサキさんやハヤトさんと同じくらいの歳かな?
身長も丁度マサキさんくらい。
でも、最近というか、ここ数年、まともに会っていない。
メールとかはたまにやり取りするけど、さっぱりとした内容だけ。
昔はお姉ちゃん子だったのに…ちょっと寂しいな〜…。
「ちょっと! 変なもの入れないでよ!」
「はぁ? ミートソースには唐辛子だろが?」
あんな感じで些細なケンカもよくしたなぁ〜……。
………ってちょっと!!
ミートソースに唐辛子は入れないでしょ!?
「は〜っ! 美味しかったっス!」
「お皿片付けますね」
「ありがとうございます」
「ありがとな」
なんとか唐辛子を入れることを阻止して、隆介さん特製の美味しいミートパスタが出来上がり、とても美味しく頂いた。
上に細かく刻んだミントが掛けられていて、後味がさっぱりとするパスタ。
正直、ミントとかパセリとか苦手だったんだけど、そんな私でも難なく食べられるくらい美味しいパスタだった。
「あ、そろそろ開店時間ですね」
皿を片付けた机を拭いていた隆介さんが気付いた。
「鍵、開けてきます」
そう言った隆介さんは厨房を出て入り口の扉へと向かった。
以前、私が扉の鍵を開けた時に隆介さんが叫んだ日以来、入り口の鍵は絶対に隆介さんが開けるようになった。
理由は分からない。
その話に触れた時に隆介さんがどうなるのかも分からなくて恐いから、尋ねる事も出来ない。
「今日はお客さん来るっスかね」
「来てほしいですね。さっきのパスタもブログに載せるつもりですし、昨日のグラタンも載せましたから」
私はこのレストランの料理をほぼ全て写真に収め、ブログに載せて宣伝している。
少しでも誰かに興味を持ってもらいたいからだ。
「はい、今日も無事に開店しました。皆さん、今日もよろしくお願いしますね」
扉の鍵を開けて戻ってきた隆介さんが開店の号令をかける。
「お願いします」
「はいっス!」
「今日も頑張るかっ」
さて、今日はお客さんが来てくれるでしょうかっ?
「……お客さん…」
「…来ないっスね…」
やっぱり今日もお客さんは来る気配がない…。
「………」
隆介さんは壁にもたれて腕を組んで下を向いている。
……なんか…、日に日に隆介さんの元気が無くなってきている気がす……
「ん? 隆介どうした?」
「ちょっと寝不足で…眠い…」
またか!!
また私のしんみりを無駄にしたなぁぁ!!
「何で寝不足なんだよ。お前、オーナーなんだから体調管理はしっかりしとけよ」
「最近何か眠れなくて…。寝ても浅いからすぐ起きちゃう…」
「年寄りかっ」
寝不足…だったんだ…。
大丈夫なのかな…?
「お客が来るまで二階で寝てたらどうだ?」
このレストランの二階はプチ居住スペースとなっている。
お風呂は無いけど、リビングとカウンターキッチンと個室部屋が1つある、普通の家みたいな空間だから普通に住める。
でも今は誰も住んでいない。
皆、ちゃんと自分の家があるからね。
「いいよ…、寝ない…」
と反論する隆介さんは頭がコクコクゆらゆらと寝落ちる寸前。
「………寝に行け馬鹿」
「ちょ…ちょっとぉ…!」
涼介さんが隆介さんを引っ張って二階に連れて行こうとする。
「客が来たら起こすから」
「寝ないってばぁ…!」
隆介さん、声が明らかに眠そうですよ。
「ちょっと隆介を寝かしてくるからお客が来たら呼んでくれ」
「寝ないからぁぁ…!」
「分かりました」
「了解っス!」
寝かしてくるってっ…本当に子どもみたいだなぁ…。
もうどっちがお兄さんか分かんないよっ…。
「さて、待ちましょうか」
「早く来てほしいっスね」
「そうですね」
お客さんが来るようになったら、隆介さんもちゃんと眠れるようになるかもしれない。
マサキさんもハヤトさんも知り合いにこの店の事を広めているらしいし、涼介さんも隆介さんに習って料理の腕を上げている。
こんなに皆頑張ってるんだもん。
私だって頑張ってる。
だから、それが結果に繋がってほしい。
この努力が実を結ばない事だけは絶対に避けたい。
なにがなんでもお客様に足を運んでもらいたい。
…と、思っていたその時、
「!!」
突然、こちらに歩んでくる足音が聞こえだした。
──ま、まさかお客さんが来た!?
期待に胸を膨らまし、足音が近づいてくる扉の方を見つめる。
緊張して心臓がバクバクいってるよ…。
そして、人影が扉に映り、
──来た…!!
ついに、扉が開いた。
「いらっしゃ…!」
「こんにちはー。体調が回復したんで来まし…」
「紛らわしい事しないで下さいよぉぉもぉぉぉ!!」
「裏口から入って来いっス!! 馬鹿ハヤト!!」
「えぇぇ!? すみません!?」
お客さんが来たと思ったのに…、まさかのハヤトさんだった…。
いいよ…うん…。
元気そうでよかったよ…。
"坂の上のレストラン"は、今日も絶賛お客様募集中です…。