坂の上のレストランと男性店員
坂の多い古き町。
住んでいる人は老人の方が多く、若者はとても少ない。
そんな数少ない若者の一人が、レストランをしていると耳に挟んだ私はその町を訪れていた。
民家から少し離れており、結構急な坂の上にある、緑に囲まれた真新しいレストラン。
見た目は都会的な、モノクロでモダンな建物。
「いらっしゃいませ」
お店の中に入ると、低くて優しい声が出迎えてくれた。
店内は、黒を基調としたアンティーク風な家具があり、壁や床は白を基調としている。
ゴシック風で落ち着いた雰囲気だ。
窓からは青々とした木々の緑が見え、目を落ち着かせる。
でも、店の雰囲気と町の雰囲気はまるで正反対である。
町は古き良き家が多くて柔らかい印象なのに、このレストランは都会にあるような真新しくて硬い印象のある建物だ。
「お一人様でしょうか」
一人の男性が近づいてきた。
白いシャツに腰に巻くタイプの黒いエプロン、袖は捲っていて、細身の黒いパンツを着ている。
髪は茶髪で、ゆるい……天パ…?
パーマをかけてるのかな?
顔は優男っぽくて甘い童顔。
身長は180cm近いと思われるけど、恐らく私より年下だろう。
「…お客様?」
「あ、はい。あ、えっと、一人、です」
「かしこまりました。どうぞ、こちらへ」
その男性店員に席へと案内され、席につくとメニューを手渡された。
「お決まりになりましたらお呼びください。では、ごゆっくりどうぞ」
耳に優しい低い声で彼はそう言うと、厨房の中に入っていった。
厨房には誰かいるのだろうか?
こんなに大きなお店なのに、今店内で把握した人は彼と私の2人だけ。
何か、少しおかしなレストランだなぁ。
「………すみませーん」
「はい。お決まりになりましたでしょうか?」
私が小さめの声で呼んでみると、彼はすぐに厨房から出てきた。
「あ、いえ、あの、写真、撮ってもいいですか?」
「え? 写真?」
「そ、その、実は私、こういう者でして…」
そう言って私は名刺を彼に渡した。
「……写真家?」
「は、はい。気に入った色んなお店で、店内やお料理の写真を撮っていまして…、それをブログに載せて紹介して広めていまして…」
「………」
考え込んでいる、ということはあまり期待は出来そうにないかな…。
「……あの―――」
「あ! ダメならダメでハッキリ言ってもらって大丈夫です! ちゃんと注文もしますし……!」
「いえいえ、いいですよ」
「……え?」
「写真、いいですよ。僕もこの店のことを広めたいですし、願ったり叶ったりです」
「本当ですかっ!? あっ…! す、すみませんっ…! 大声出してしまって…!」
「大丈夫ですよ。この店には僕と貴方以外、誰もいませんから」
「え…」
「写真、撮って下さるということは、この店を気に入って頂けたんですね」
「は、はい。店内も綺麗ですし、落ち着きますし、とても居心地がいいです」
「ははっ! それは良かったです。ありがとうございます」
彼は優しく微笑んでとても喜んでいるようだった。
でも、やはりお店の中には彼しかいなかった。
何故なのか聞こうとしたけれど…、遮った、ということは聞かれたくないことなんだろうな…。
「あ、そういえば、メニューは決まりましたか?」
「あ、えっと…、この、"新鮮トマトソースがけオムライス"、でお願いします」
「かしこまりました」
私が注文すると、彼はまた厨房へと入って行った。
店に1人しかいないということは、私が注文したオムライスは彼が作るのかな?
「………格好良い…」
彼は、とても優しく笑う人だった。
声も顔も優しくて、きっと性格も優しいんだろう。
容姿も良くて、恐らく中身も良くて、文句の付け所がないくらいに完璧な人だ。
「…名前……何ていうのかな…」
「僕ですか?」
「へ!?」
い、いつからそこにいたの!?
ていうか独り言聞かれた!!
よりによって聞かれたらまずいやつを聞かれてしまった!!
「い、いえ! その…!」
「"隆介"っていいます」
「え?」
「隆介、"青山隆介"、っていう名前です。このレストランで、オーナー兼シェフをしています」
「隆介…さん…」
「あの、パセリいります?」
「は、はい…?」
「パセリ、お好きですか?」
「え、えっと…、苦手…です…」
「かしこまりました。もう少し待っていて下さいね。麻理さん」
「!」
彼が名前を呼んでくれた。
さっき渡した名刺を見て名前を覚えてくれたんだろう。
なんか…嬉しい…。
「お待たせいたしました」
しばらくすると、隆介さんが出来たてのオムライスを手に厨房から出てきた。
「わぁ…! すごく美味しそうですね…!」
黄色いふわふわ卵の上に、照明が反射してキラキラと光る赤々としたトマトソース。
そして、とても食欲を誘う美味しそうなチキンライスの香り。
「…あれ?」
隆介さんはオムライスを机に置くと、すぐに厨房へと戻っていってしまった。
まあ、ずっとホールにいてもする事がない―――…と考えていると、隆介さんが厨房から出てきた。
「すみません。お水を出すのを忘れていました」
何といううっかりさん。
そういう私も水がないことに気づいてなかったけど…。
「どうぞ。召し上がって下さい」
「はい」
少し照れ笑いする隆介さんに促され、私はその綺麗なオムライスを食べようとした、が、
「あっ」
「え?」
「あの、写真、いいですか?」
「ああ、どうぞどうぞ」
私がカメラ片手に尋ねると、"そういえばそうでしたね"という感じで、やはり優しく笑ってくれた。
そして、私はその見たことの無いくらいに綺麗なオムライスをカメラに収めた。
「じゃあ改めて、いただきます」
「はい、どうぞ」
そのオムライスは、崩してしまうのが勿体ないくらいに、本当に、食品サンプルみたいに綺麗で、さっき写真を撮ったのに、また撮りたくなってしまうほどだった。
そしてついに、そのふわふわな卵にスプーンを入れ、中のほくほくなチキンライスと共に口に運んだ。
「ん~っ! 美味しい~っ!」
本当に、今まで食べた中で一番美味しいんじゃないかと思うくらいに美味しい。
「ふふっ…! ありがとうございます」
隆介さんがまた優しい笑顔で喜んだ。
隆介さんが喜ぶと、何故かこちらまで嬉しくなってくる。
そんな不思議な感情を抱きながら、私はそのオムライスを食べていた。
「卵ふわふわ~っ…」
「………」
「しかも半熟でトロト………あ、あの…」
「ん?」
「何で…一緒に座って…?」
私がオムライスを食べている反対側の席に隆介さんは座って、私が食べているのをじっと見ていた。
「あ、ちょっと暇だったので」
うっかりさん+自由人。
いや、もしかしたら天然さんなのかも…。
「全然お客さんは来てくれませんし、……もしかしたら、麻理さんが久しぶりのお客さんかもしれません」
「えっ…?」
あ…、だからお水を出すのを忘れていたのかな…?
「……このレストラン、坂の上にあるでしょう?なので、ご年配の方が多いこの町じゃ来てくれる人がいないんです」
「……若い人たちは…?」
「若い人は隣町に食べに行きますよ。そもそもこの町は若い人が本当に少ないですからね」
「……そう…なんですか…」
「……すみません。なんか、暗くしてしまって…」
「い、いえ…! ちょっと聞いてみたかったですし…!」
「ふふっ…、麻理さんは本当に正直な方ですね」
「へ…?」
「このオムライスを食べた時も、"美味しい"って笑顔で言ってくれましたし、卵の感想まで言ってくれました」
「あ、言って…ましたか…? すみません…。私…思ったことをすぐに言っちゃうみたいで…」
「いえいえ、とても嬉しかったですよ」
「…ふふっ…!」
隆介さんと話していると、時間が流れるのがとても遅く感じる。
しかも、なんだか嬉しくて、幸せな気分になる気がする。
なんだが隆介さんって、魔法使いみたいなひとだなぁ~。
「今日は卵が上手く作れたんですよ。よく破れちゃったり、固まりすぎたりするんです」
オーナー兼シェフなのに結構うやむやな腕前…!
「あ、そうだ。さっき撮ったオムライスの写真、良ければ1枚、現像したときにもらってもいいですか?」
「はい、全然いいですよ。現像したらすぐに持ってきますね」
ということは、またこのレストランに来ることになるって事だよね。
初対面の人と約束なんかしちゃったよっ。
「あ、すみません。食べている最中に長々と話してしまって…」
「いえ、隆介さんとの会話、とても楽しいですから」
「ありがとうございます」
このレストランに来てみて良かった、って思う。
ちょっと不思議な感じがするけど、料理は美味しいし、オーナーはイケメン。
しかも一対一で話せて、名前も覚えてもらった。
「そういえば…、隆介さんって…おいくつなんですか…?」
「僕ですか? えっと、今年で27です」
「え!?」
案外歳いってた!
っていうか…!
「お、同い年!?」
「あ、そうだったんですか。道理で話が合うはずです」
「お、お若いですね…!!」
「いえいえ、麻理さんの方がお若いですよ」
いやいやお世辞じゃなくて本当に23、4歳くらいだと思ってた!
本当に童顔は得だなー…。
「確かによく20代前半と言われるんですが、本当はもう三十路近いおっさんなんですよ」
「全っっ然見えないですよ…!」
私が驚いた顔をしていると、笑っていた隆介さんの顔が曇り始めた。
そして、暗くなった声で隆介さんは独り言のように話し出した。
「…僕もこの町の若者の1人だったんですが、最近ではその若者も"若者"ではなくなってきているんです」
「……少子化…ですか…?」
私が慎重に尋ねると、彼は悲しそうに頷いた。
「……この町にもっと若者を増やしたくてレストランを始めたんですが、この町には観光する場所もないので誰も訪れてきません。町のために何かしたいと思っているのですが…、町の人達は諦めているようで協力してくれません…。若者も…どんどん町を出ていってしまう…。早くしないといけないのに…」
若者は町から出ていってしまうから…店員がいないんだ…。
早くしないと…って…、早く町を活性化させないと…ってこと…?
「何故…ですか…?」
「……隣町との…合併の話が出てきているようなんです…」
「えっ…!?」
人口が少なくなりつつあるこの町を、隣の町が欲している…。
多分…、合併しないとこの町も危ないのだろう…。
「合併なんて…してほしくないんです…。僕はこの町で生まれ育ったので…この町を…失いたくないんです…」
「この町が…大切なんですね…」
「…はい…」
隆介さんがこのレストランを建てたのも、この町に留まるのも、この町を…、この町の"誇り"を失いたくないから…。
他の町の人達が諦めている中…、この町のことを諦めず…、たった1人でどうやったら失わずに済むかを考えているんだ…。
でも…、努力しても…誰も答えてくれない…。
こんな都会的なレストランを建てたのも…町を活性化させたかったから…。
隆介さんは…この町のために健気に戦おうとしてるんだ…。
「……あの」
「あ、はい?」
「バイト、雇えませんか?」
「え?」
「…私がこの町に来たのはたまたまで、今日初めて訪れたのですが、私も、この町を守りたいんです。それに…、お恥ずかしい話ですが、私の仕事は不定期なもので、断然休みの日が多くて…」
「ほ、本当…? 本当にここで働いてくれるんですか…?」
「はい」
とは言ったものの、実は私、料理はあまり上手くない。
むしろド下手。
でも、隆介さんの話を聞いていたら、私もこの町のために何かしてあげたいと思った。
「あははっ! 本当っ!? いや~っ嬉しいな~っ!」
隆介さんが両手で口を隠しながら喜んでくれた。
本当、大きな子どもみたいな同い年だ。
「喜び過ぎですよ~っ!」
「いえ本当に嬉しいんですっ! 本っ当にありがとうございます麻理さっ…! あっ!!」
「わあ!?」
うっかりさん+自由人+ドジ。
握手しようとしたのか、手を伸ばした隆介さんが水の入ったグラスを倒した。
「うわわわわっ…! す、すみませんっ…!」
「大丈夫ですよっ! 私かかってませんのでっ!」
成り行きでこの坂の上のレストランでバイトをする事になり、なんだかとても楽しくなるような気がしていた。
少し変なオーナー兼シェフの隆介さんと、この町を守るためにこの町を活性化させ、若い人を増やしたいと思う。
この町には今日初めて訪れたのに、何故か放っておけなかった。
古い町並みが好きだからかもしれないし、このレストランを気に入ったからかもしれない。
その理由は明確には分からないけれど、でも、直感的にこの町を失いたくないと思ったんだろう。
そんな不思議な気持ちを抱きながら、私は隆介さんとの他愛ないお喋りをして楽しんでいた。